第四日目 26
26
たぶん、D組をはじめ他の連中の噂にはなっているだろうと思っていた。
「立村、その辺は覚悟しろよ」
天羽が耳もとで囁いた。
「大丈夫よ、ちゃんとああいう風におおっぴらに見せ付けておいたからうまくいくわよ」
隣りあった轟さんは、天羽に振り返り答えた。わあわあ騒いでいるD組連中の前で、少し足を速めつつ、
「陰でこそこそやっているなんて思われたら、かえって困るよ。こうやって堂々と歩いているのを見れば、いくらでも言い訳できるしね。それに」
轟さんは前髪を軽く横に流すような仕種をした。
「美里も私には、関心持ってないから大丈夫よ」
正直、言っている意味がわからなかった。口を半開きにした状態で聞き返そうとしたら、後ろできょろきょろ目を凝らしていた更科が、
「あ、やばい、ダッシュしてるぞ、羽飛、羽飛」
きわめて楽しそうに指を差した。軽い感電感覚が背中に走る。
「じゃあお前ら、先にGOだ。あとは羽飛と話つけておくからな!」
天羽は僕と轟さんの背中を軽く、ぽんと押した。
「わかった、じゃあとりあえず先に行くな」
「ありがとう。ちゃんと借りは返すね!」
なんだか今隣りで天羽を相手に話しかけている轟さんは、女子評議たちの中で大人しく座っている時とは全然違う。顔形が変わったわけではないのに、なんだか人懐っこく感じる。こっちでぽんと言葉を弾ませると、にっこりキャッチしてくれる、そんな感じがする。
あとが大変なのは覚悟の上だ。
「少し走るか!」
「オーライ―!」
一度も青潟では聞いたことのないはじけるような声に、僕は完全に戸惑っていた。
もちろん評議委員会で三年も一緒なのだから、全く知らないわけではない。それどころか評議委員会内のこまごました事務仕事とか体力勝負の荷物担ぎとか、そういったことを自分からどんどんやってくれるような人だった。B組評議といえば難波だが、あいつも轟さんには一目置いているらしく、C組評議の霧島さんに対してぶつけるような罵詈暴言を一度も投げかけたことはない。それどころか、きちんと仕事の分担を互いに分け合い、不必要な騒ぎを起こさないように心がけてくれている。問題の多いA,C,D組に比べて、なんとB組の静かなことか。決して、入学試験時の上位者をまとめて組み入れたと呼ばれる「ガリ勉B組」だけある、と噂されるけれどもそんなことはないだろう。D組になぜ学年トップの水口が入っているのかという事実だけではなくてだ。文句を言われそうなことを、さっさと刈り取ってしまう習慣がついているだけのことだとも。僕も見習わないといけないのだが、うまくいかない。これは思いっきり愚痴だ。
轟さんという人そのものについても、あまり話を親しくする機会は少なかった。
もちろん側に清坂氏がいたのも確かだろう。いや、むしろ一年の頃は轟さんにいろいろわからないことを教えてもらったりもしていたし、それほど会話がなかったわけではなかっただろう。ただ、二年以降僕と清坂氏がそれなりの付き合いになったりとか、杉本のことを気にかけたりとかしているうちに、他の女子たちのことまで考える余裕がなくなったという方が正しい。
車道の歩道を進んでいくうちに、トンネルを発見した。後ろを振り返ろうとしたら、轟さんに止められた。
「やめといたほういいよ。もし羽飛くんが追っかけていること立村くんが知っているって気づいたら、きっと友だちの縁切られるよ。ここは知らないふりした方がいい」
「でも、やはりさ」
「立村くん、どうして私がみんなの前でああいう風に連れ出したかその理由を考えてほしいな」
困った。僕も正直なところ、とりたてて違和感なく……信じられないんだけど、これは本当だ……轟さんと並んで歩いてしまったし、天羽たちもからかい言葉ひとつなく、当然のごとく僕たちを守ってくれていた。「僕たち」という言葉自体が違和感有りのはずなのに、なぜか轟さんとの会話は自然に繋がり、楽に息を吸うことができた。風が通り抜ける車と一緒に、僕の頬を軽く叩いていく。埃が舞いくしゃみをした。トンネルの奥に橙色のライトがしつけ糸の縫い目みたく繋がっているのが見えた。
「ここ、通っていこうか」
「そうだね。向こうにもスタンプ押すところあるからね」
僕よりもすでに、轟さんは全部把握しているようだった。方向音痴で知られる僕が一人で行動するなんて、正直なところ不安だった。今のところ安心だ。轟さんのてきぱき能力には脱帽している僕だから、任せておこうと決めた。男らしくない、と思われるかもしれない、そうちらと思ったら、
「立村くん、今日は私に好きなようにさせてもらっていいかな」
「好きなようにって?」
「私ね、こういう風に人を案内したり、適当に話したり、真面目な会話したりする方が好きなんだ。立村くんもしかして、私が退屈なんじゃないかとか思ってるんじゃない?」
言葉に詰まった。清坂氏相手の時はそれを感じているのだから何も言えない。
トンネルでコンクリートをするタイヤの轟音に負けないよう、轟さんが叫んだ。叫ぶ必要もない言葉なんだろうが、聞こえないんだからしょうがない。くぐもって聞こえたが、確かに聞いた。
「私のお願いはね、立村くんに一日のほほんとしててほしいだけなんだ。そうしてくれれば、今日は大満足なのよね」
の、のほほん? 耳がつんと鳴ったようだった。
「私に全部、任せてもらって、立村くんのしたいようにしてほしいなって思っただけよ。だから、安心して案内させてよね」
橙色のライトが顔をてらてらさせていう。また反対車線から走り抜ける車のライトを浴びて、轟さんの眼が白く光る。浮かべているのは薄紙を軽く丸めたような笑顔だった。どこか、肩の力がすうっと抜けたようにだらんと下がった。
「じゃあ俺は、何にも考えないでいいってわけか」
「そういうこと。今だけは、そうしてほしいな。大丈夫よ。絶対、美里に振られたりしないから」
羽飛の声が追いかけてくるんじゃないかと、また背筋で神経を尖らせてしまう。「美里は私なんて、ライバルだなんてちっとも思っていないしね。人前で堂々と連れ去ったのはね、私の勝手な片想いなんだってことをみんなに知ってほしかったから、それだけよ」
「あのさ、轟さん、それ誤解招く……」
言いかけた。お子様だの鈍感だの罵られまくってきた僕だって、轟さんの言葉になにか意味がないなんてこと、感じないわけない。
「だから、私は最初っから立村くんが好きなの。それだけよ。それ以外何にもないの。付き合う付き合わない、惚れた晴れた、関係ないの」
──どういうことだ?
トンネルの闇から出るまで、僕は周囲がざわめきで溢れているのをいいことに、何も答えなかった。答えられないと言った方が正しいだろうか。言葉なんて、なんの意味もない。
「さてと、予定は天羽くんたちから聞いてる?」
「一応、ざっと」
あの、トイレ前での朝の集会時に耳打ちはされた。女子評議たちには内緒で話しておかなくてはならないことがあるから、午後に別ルートで集まり話し合いをしようという天羽の提案だった。ただし難波には話していないとも。それはそうだろう。霧島さんとの一件をなんとかしたいと真剣に思っているのは、あいつ一人なのだから。天羽と更科も、いろいろ思うところがあったのだろう。「今回だけは俺の指示通りに動いてもらえねえかなあ、立村。決して悪いようにはしない」 両手を合わせて拝まれたから受けたわけじゃない。
「でもなんで轟さんと話すんだ? お前から教えてもらったっていいだろうに」
僕が尋ねたところ、更科と一緒にぶるぶる首を振り、
「いや、それがそうもいかないんだ。悪いな」
天羽の言うことを聞きたくないわけではなかった。清坂氏や羽飛、古川さんには途中の予定変更で迷惑をかけてしまったと思うものの、あの三人だったら僕がいなくても十分盛り上がるだろうしまあいっか、と割り切ってしまったのもある。ただ、轟さんである理由が直接会うまで理解できなかったのも事実だ。実際僕に、たっぷりした笑顔を向けてくれるまでは。
「そうか、だったらまず先に、私が立村くんのスタンプを一気に押すね。さすがに女子連中に見つかったら大変なことになるし。預かるよ、スタンプ」
「あ、でも」
すでにD組含む男子連中にはばれているんだから今更隠さなくても、と思う。
口に出すと轟さんは手を目の前で軽く振り、
「女子の心理は面倒なのよ。男子ならまだ私が言い訳すればいいことだけど、女子は変なこと勘ぐる人がたくさんいるからね」
「もう変なことになっているしいいんじゃないのかな」
四日目宿泊ホテルに戻る頃にはたぶん修羅場だろう。羽飛と顔をつき合わせてどういう風に罵られるのかが怖くないと言えばうそになる。さっさと逃げ出してもいいはずなのに、なぜかそうする気がさらさら起きない。轟さんはまた優しい笑顔を見せた。目が細まった。
「男子たちの前では見せない陰険な感情ってのが女子にはあってね、面倒なんだ。まず午前中回る部分のスタンプ押しなんだけど、先に立村くん、ここの図書館に入ってて待っててもらえる?」 図書館? そんな旅先のところなんて調べていやしない。ここって言われても戸惑うだけだ。轟さんの指さした方向真っ正面には、木目がでかでかと猫の目状態に浮かんでいる、三角屋根の家が見えた。児童館みたいなところなんだろうか。
「轟さん、これっていったい」
「修学旅行で図書館に行く物好きなんてまずいないよね。ここなんだけど、結城先輩から情報もらって調べたとこだし、ばれる心配ないよ」
「けど轟さんは?」
人差し指を天に向け、うんと頷く。
「とにかくスタンプだけどどどっと押しまくってきて、すぐに戻ってくる。それだけよ。学校でこしらえたしおりではやたらと時間が掛かるような時間設定にしてあるけれども、タクシー使えば十分もしないうちにに終わっちゃうよ」
タクシー。そんな金遣い荒いことしていいんだろうか。轟さんのお財布が心配だ。
「大丈夫よ。私、昨日ほとんどお金使ってないからね。小遣いも貯めていたもの全部持ってきたし。怪しまれないようにくだらないお菓子とかお土産品とかそういうものには使わないようにしてきたんだ。さっき言ったでしょ、立村くん」
轟さんは一気にざざさっと話し続けた後、つけ加えた。
「のほほんとしててほしいだけなんだ。お願い聞いてくれないかな」
目の前でしゃべる女子が、青潟でいつも清坂氏や霧島さん西月さんの影に隠れていた轟さんと同一人物とは思えない。性格の正反対な双子の片割れなのかと疑いたくなる。顔を付き合わせると委員会関連のことしか話すことのなさそうな女子だったはずだった。なのに。
自然と、こっくりと頷いている僕がいた。しかも、
「ありがとう。早く戻ってくるよな」
まるで清坂氏や古川さんに対して話しているような言葉遣いをしているのは、確かに僕だった。
町の図書館と言われる建物だったが、蔵書の数はそれほど多くもなさそうだった。入ると、司書の男性が「こんにちは」とあっさり答え、また本をめくっている姿が見受けられた。本を読んでいてもいいんだろうがなんだか面倒で、雑誌専用のマガジンラックが置かれているロビーに腰を下ろした。結構いるのが、五十代から六十代くらいの、おそらく近くでペンキを塗ったりしているような格好をした男の人たちだった。灰皿の用意されている席はぎっしりと人で埋っていて、一部子ども連れのお母さんたちが絵本を開いていろいろと話し掛けていた。ひとりの男の子なんて絵本を思いっきりびりびりに破こうとしていて、その子のお母さんが必死に手を押さえつけていたのが笑える。
適当に新聞の挟まっている銀色のラックから引き抜き、目を通した。
頭に全然入ってこないのは、きっと経済情報ばかり、数字の羅列で具合悪くなったせいかもしれない。たばこ臭いのが少し苦しいので、男の人たちのグループから背を向け、新聞を読んでいる振りをした。新聞の見出しの代わりに思い浮かぶのは、さっきの轟さんの言葉と、天羽たちの様子だった。まんざら僕も、話の内容に見当がついていないわけではないのだ。
難波と霧島さんの激しい言い合いが愛の裏返しなのか、その辺は天羽がよく把握していることだろう。僕には理解不能なことなので任せておこうと思う。霧島さんに関する危険な噂についても、天羽の話によれば大々的な事件だったのに学校側が知らない振りをしているということは、僕たちも知らん振りしていた方がいいのではないか、という結論に達している。不必要に傷を広げるようなことはするもんじゃないと心に戒めるだけだ。
たぶん、問題は別のところにあるのではないだろうか。
僕が評議委員長として動き始めてから、取り立てて問題は起こらなかった。天羽と西月さんと近江さんの一件については個人の恋愛沙汰だから、冷たいようだけど評議委員会には関係ない。弾劾裁判を開いてしまったのは、僕の私的憤慨からくるものだし、表向きはなんとか丸く収まったからあとで考えればいい。
けど、天羽が西月さんをああいう力技で評議から追い払うには、好き嫌い以外にもいろいろ理由があるのではないだろうかと思わずにはいられない。形式としては西月さんが自分から降りたようなものだけど、単に嫌いなだけだったらいくらでも知らん振りができるだろうとも思う。 もしかして、天羽は西月さんが評議委員会にとって害のある人間なのだと思っていたのではないだろうか? いや、僕もそれを認めるわけではないけれども。ただ西月さんがいなくなって後、女子たちの団結力が一気に弱まったような気はしていた。女子の裏事情はいろいろあるのだろうし、僕だって清坂氏を悪く言いたくはない。でも、西月さんがいなくなった後からどんどん、物事がいい方向へまわるようになったのも、感じていた。
今まで女子たちがひっぱってきたものを、男子の手に取り返した、と言えばいいのだろうか。
旅行が終わってから行なわれる予定の水鳥中学との交流会もそうだ。更科がうまく間に入ってくれてなだめたところがあるのだけれども、実際女子には裏、および花のような存在として手伝ってもらう形となっている。本当だったら杉本あたりに僕の手伝いを頼みたかったのだが、周りの事情を考えるとそれは考えられない。となると、三年男子に絞って中心で動いてもらう、これがベストだと感じていた。
しつこいようだけど、女子を見下しているわけじゃない。僕より清坂氏の方がずっと頭がいいし、切れるし、何でもできる。周りの受けだっていい。僕よりも向こうが委員長やってくれれば一番丸く収まったんじゃないかと思う時だってある。
でも、一応僕が評議委員長になってしまった以上、どうしても男子連中の方が使いやすいというのも本音だった。僕が一言、清坂氏に「悪いけどこれ手伝ってもらえないかな」と頼んだとする。机配置とか、プリントを配る順番とか。僕なりに考えてまとめていることなのだが、清坂氏はすぐに自分のやりやすいように組替えてしまう。いや、僕だったらそれでいいとあっさり思うし、やっぱり清坂氏って頭がいいな、と素直に思う。でも、僕だって頭のないなりに懸命に努力はしたつもりなのだ。「ね、立村くん、私のやった方がうまくいったでしょ」と微笑まれると、自己嫌悪に陥ることも多々ありなのだ。似たようなことは霧島さんも、西月さんもあった。
だからこそ、気心知れた男子連中に「悪いけど、この通りやってもらうってことでいいかな」と声をかけ「オーライ―、そうするか!」と気合いれて僕の頼み通りに形を作ってくれるというのが、嬉しかったりもするのだ。なんだか心が狭いと思うのだけれども、みっともない本音だ。
いろいろと女子が僕の指示をあっさり翻して……なんといっても杉本の一件については何も言いたくない……自分のやりたい風に進めてしまう。正直、疲れていないと言えば嘘になる。
天羽はたぶん、女子をもう少し評議から外すような形で運営することを訴えたいのだろう。
お気に入りの近江さんはあまり積極的に評議へ関わるような性格ではないし、むしろそれでうまく回っているところもある。轟さんの方はとりあえず女子とうまくやっていかないといけないと言う風にうまく隠れているという印象を持っていた。人畜無害。一番近いかもな。
まだ何か意見があるみたいだったけれども、天羽の「じゃあとりあえず、トドさんと詳しい話を煮詰めてくれねえかな。後で俺たちも合流すっからな」の一言で話は終わった。そのあたりを聞かないとわからないけれどもだ、とにかく。
──轟さん、本当に十分でスタンプ押し切れるのかな?
「立村くん、お待たせ」
本当だ。全部、押し終わっているじゃないか!
差し出されたスタンプ帳には、屏風畳みで丁寧に、赤、青の二色でどこかのお寺さんの絵が押されていた。まっすぐ、ずれるところなく、見事に。
「あ、ありがとう、でもタクシーでって」
「時間がもったいないよ。まず話をしようよ」
轟さんは僕の隣りにさっさと座り、軽く息を切らせたままポケットから透明な飴玉を取り出した。
「ひとつ、あげる」
「ありがとう」
なんも考えないで、すぐに口に放り込み、くどくない甘味を楽しんだ。
「これね、塩飴っていうんだって。甘ったるくなくて美味しいよね」
「ほんとだ」
時間がもったいない、と言ったくせに轟さんは暫く黙ってまたにっこりと天井を見上げていた。話、無理に始まらなくてもいいかもな、なんて僕も思っていた。
「とりあえずなんだけど、このことは表面化するまで女子たちには内緒にしてほしいんだ」
やっぱり念押しか。気を引き締め、背筋を伸ばした。
「やっぱり内緒のことなんだな」
「そう。もう学校内部では決まったことだし何も言えないけれども、ただこういう事実があるってことだけは、今のうちに把握してほしいんだ。委員長としての立村くんに」
「委員長としての」僕というところにひっかかりを感じた。飴が口の中で小さくなったところで、こっくんと飲み込んだ。
「そういう事実って?」
「ゆいちゃんのことなんだけど」
笑顔は消え、小声。青大附中の生徒がいないからまだ僕の耳には届く声。
「霧島さんのことって、まさか昨日の騒ぎと関係が」
「ないよ、それは絶対ない。ただ学校側はもう別の動きをしているんだ。ちょっとだけ二学期以降の評議委員会にも関連することだしね」
僕が想像していた女子がらみのことではなさそうだ。ほっとしたのかがっかりしたのか、半々だ。霧島さんの個人的なことなのか。
「ゆいちゃんは来年、高校青大附属には進めないってこと、噂には聞いたことなかった?」
「え?」
全くのフェイントだった。そんなこと聞いてないぞ。
僕もさぞ仰天顔していたことだろう。轟さんは唇を結んで口角を揺らすようにした。
「美里からも、聞いてなかった?」
「全然」
もし聞いていたとしたら、僕だって周りをもう少しかぎまわったりしていた。
「けど難波がそのことで霧島さんをつついているようなことは、確かに」
「難波くんは知らないよきっと。今知っているのは天羽くんと更科くんだけ」
「じゃあなんで轟さんが知ってる?」
「とある情報筋から。決してガセじゃないよ」
もちろん成績上の理由から青大附高への進学許可が下りないということはあるかもしれない。霧島さんの成績は、「たまに僕よりも数学の点が低い」というところからして想像はつく。でも、仮にも三年間評議委員を勤めた人を、単純に成績が悪いという理由だけで落とすなんてこと、学校側もするだろうか。そんなこと言ったら僕だってあぶないじゃないか。いつ、数学の点数が危険だという理由で追っ払われるとも限らない。
「それに、殿池先生だって霧島さんのことを評価しているだろ。一生懸命押し込んでくれるよきっと」
「いや、それはないと思うんだ。殿池先生もきっと、学校から出した方がいいと思っているはずなんだ」
「どうして……」
それから始まる轟さんの説明は、昨日の夜風呂場で天羽から聞いた話とだぶり、僕の頭の中は完全にごった煮と化した。何度か僕は轟さんに質問を投げかけ、即、返事を返してもらった。話の内容は黒々とした暗黒の事情ばっかりなのに、どろどろした感情が轟さんを通すとみな、澄み切って見えるような気がした。時折唇を引き上げるようにして笑い、目を細める様子に僕はいつのまにか見入っていた。
「もしゆいちゃんが純粋なコネ入学者で、かつやる気のないなあなあな子だったとしたら、学校側も何も考えないで、そのまんま高校へ進学させてあげてたと思う。もう知っていると思うけれど、天羽くんのクラスがもろにコネクラスだということは周知の事実でしょう」
まあな、その通りだ。天羽が裏を全部ひっくり返してしまったから知られたくないものも知られてしまったわけだけれども。ただ噂によると僕たちの下にいる学年はその辺曖昧にしているらしい。
「ゆいちゃんみたいに一生懸命努力をして、それでも報われないという現実を学校側はいろいろ考えているらしいのよね。言っとくけどゆいちゃんは決して頭が悪いと思ってないよ。単純かもしれないけれども後ろ暗いこと考えてないし、どんなにきついことやっても嫌われないし、それに可愛いしね」
最後の「可愛いしね」が小声だった。唯一轟さんのうつむいたところだった。僕は黙っていた。
「やる気がなくて、本気でやれば復活可能というのだったら、学校側も生徒減らしたくないしその辺一生懸命やっているはずよ。だって生徒がいればいくらでもお金入ってくるんだもんね。ゆいちゃんうちは呉服屋さんだし、いくらでもお金を搾り取れるとわかっているはずよ」
「それでもなぜ」
霧島さんについての情報よりも、むしろ「なぜ、轟さんがそういうことを知っているのか?」が謎だった。あとでそこは聞き出さないとまずいだろう。単純に情報提供なんだろうか。それとも何か訳があるんだろうか。
「詳しい大人の事情については私も曖昧なことしかわからないし、その辺は関係ないからいわないけど、とにかくこのままだとゆいちゃんは来年の春、推薦で別の高校に行くことになると思う。学校側もそのあたりはゆいちゃんの両親に連絡入れているはずだし、知らないのは本人だけみたい」
「なんでそんなこと知ってる?」
うーん、と困った顔をする轟さん。首をかしげるがうつむかない。いつもこうしていればいいのにとふと思う。
「あとで天羽くんたちにも話すけれど、ゆいちゃんのうちの人から直接、とだけ言っとくね。ゆいちゃんの家庭がかなりすさまじいことになっているのはみんな知っていると思うけど、家族も敵となったらもうゆいちゃんたったひとりよ」
「家族って、まさか弟か?」
確か天羽が「キリオ」君と称する、姉貴をとことん嫌う優等生の弟の話をしていた。確か天羽と更科が直接対面して、話を聞いたとも。もっと気になるのは生徒会関係にも色気を出していると聞いている。学校に戻ったら詳しい事情を調べないとな、とは思っていた。
「そこまでわかっているのだったらしょうがないね。そうだよ。弟くん」
「けど家族を売るなんてそんなのは」
「そうね、ゆいちゃんはあまりにもあんまりだと思う。でもそれとこれとは別として」
轟さんはきちんと手を膝の上で重ね、僕に静かに告げた。
「私も、ゆいちゃんの今後を考えるんだったら、その高校に進んだ方がいいと思うんだ」
「轟さん、なぜ」
「この学校だったらゆいちゃん、もう窒息しちゃうと思う。こう言ったら変だけど、ゆいちゃんもうぎりぎりまで追い詰められているし、頼みの小春ちゃんもああいう状態でしょう。ずっとゆいちゃんと同じ委員会で活動してきた私が言うのは変だけど、本当だったらゆいちゃんと同じ学校行きたいよ。でも、もう限界だよ」
もちろん西月さんと霧島さんの仲が良いことは知っていたけれど、それと何か関係あるのだろうか。僕の質問を読み取ったかのように轟さんは続けた。
「今までゆいちゃんがC組の評議として堂々と振舞ってこれたのは、小春ちゃんが裏でいろいろコーチしていたからだって、知ってた?」
「まさか、それは」
驚き隠せず、声が大きくなり慌てる自分。
「私も最近気がついたことだけど、ゆいちゃんは入学した当時、すごく大人しい子だったはずなのよ。それが小春ちゃんの教え通りに評議へ立候補して、その後小春ちゃんの教え通りに堂々と振舞うことを覚えて、すべて小春ちゃんのハウツーをマスターして行動していただけだってこと。たぶん、今でもそうだと思っているんだけど、やっぱり小春ちゃんのサポートが受けられない状態でしょ、だからなのよ」
「だからってなにが」
なんだか間抜けな質問しかできない僕だった。あきれられているんじゃないだろうか。自己嫌悪の癖がむくむく顔を出しそうだった。
「最近の評議女子たちの暴走、よ。もしもね、小春ちゃんがゆいちゃんのことをしっかり見ていたら、まず修学旅行中の自由行動は一緒だっただろうし、オヤジカメラマンたちの対処についてもなんとか片付けたはずよ。それにもっと言うなら、杉本さんの件についてもそうね。ゆいちゃんも小春ちゃんも彼女のことを可愛がっているし、何とか守ってあげたいと思っている。それは立村くんの指示だったと知っているからそこでとどめておけばよかったはずよ。でも、水鳥の副会長の件についてはゆいちゃんと美里が小春ちゃんの元気がないとこを突いて、ぶっ千切ったようなものよ」
「けど轟さんもあの時は」
清坂氏たちと一緒の行動をせざるを得なかったのではないかなと思うのだが。
「今だから言えるんだけど、天羽くんたちに連絡していたわよ。いわゆる、内部スパイ」
言葉を切り、僕の顔を正面から見つめた。続けた。
「たぶん立村くんは軽蔑するか、あきれるかのどちらかだと思うけれど、私は一年の頃から、評議委員会の女子となじめなかったのよね。むしろ天羽くんや更科くんたちと集まって戦略を練ったりする方が向いていたみたい。今回立村くんを呼び出して話をしたのも、本当はそれ、謝っておきたかったってだけなんだ」
「謝ってって」
「今までは私が女子たちの行動情報を流して、天羽くんたちがうまく回避するって形でもって運営していたところがあったの。でも、やっぱり立村くんには知られたくなかったんだ」
僕に、って、単純に僕が鈍感で気づかなかっただけだろうか。
「裏汚いことしているって自覚がないわけじゃないけれど、そうしないとまずいという展開がいくつかあったことは確かなの。ソ連のKGB、アメリカのFBIみたいなもの。私結構スパイのドキュメンタリー読んだりするのが好きだったし」
それと関係あるのか。ちなみに初耳だ。
「小春ちゃんたちは気づいてなかったし、もしみんな仲良くやっていけるんだったらこのままでいいって思っていたんだ。でも、もうお互い限界にきているのも感じていたしね。天羽くんもそうだし、難波くんもそう、みんな我慢していたものが爆発しかけている状態なんだ」
「じゃあ聞くけどさ、轟さん」
聞いていた方がいいとわかっていてもくちばし挟まずにはいられない。
「西月さんと天羽の一件も、同じくそうなのか? 情報を集めてってことなのか?」
「あれは、天羽くんから直接聞いたと思うけど、小春ちゃんが全面的に悪いと思う。小春ちゃんは悪い子じゃないし、むしろ一生懸命だけれども、それによって学校を退学せざるを得なかった女子がいたことも知らなくちゃいけないんじゃないかって思う」
過去の傷がうずく。あれも旅行中だったんだよな。苦い思いで唇を噛む。
「A組ってひとり退学者がいたこと知ってるでしょ」
「俺も一枚かんだからな」
「それとは別よ。立村くんは関係ないよ。小春ちゃんは評議として毎日、学校に来なかった湊さんのところへ通って、ノート届けたりいろいろしてたんだよね。それは評議として当然のことだったかもしれないけれど、小春ちゃんの行動は常識を逸していたんじゃないかって言われてるのよ。湊さんという子もよくわからないけれど、一部の仲良したちと一緒に遊んだり会ったりすることはないわけではなかったみたい。でも、それをね、情報集めて待ち伏せして、学校に来てねってことをしつこく伝えていたらしいの。これって一種の脅迫だよね」
知らなかった。頷いていた。
「だから、湊さんが退学したのは、一番の理由として小春ちゃんのしつこい追っかけから逃れるためと言ってもいいと思う。学校が合わなかったっていうのもあったと思うけれどもね」
「そういう情報どこから仕入れたってわけなんだよ。疑うわけじゃないけれども、でもさ」
単純に女子同士のリークごっこなんだろうか。いやそうは思えない。今、轟さんの口から出た事実は僕もなんとなく感じていたことばかりだった。ただ確固とした情報ソースがないから信じられなかったというそれだけだ。ただの噂であれば信じるわけにはいかない。噂で動いたらあとで人をいやというほど傷つけることになる。真実の証拠が欲しいと思わずにはいられない。
「私、性格悪いよね。顔悪いだけじゃなくて。けど、ほとんどのことはみな私、直接話を当事者から聞いているんだ。ほら、私、こういう顔しているし、女子の前ではへらへらしているし。みんな私なんて、しょせんその辺に転がっている石ころ扱いして見るわけ。子どもの頃からそういうのは慣れているけれど、内緒話する価値もないと思われているみたい。けどその代わり、みんな私を空気みたいな扱いしているから」
言っている意味がわからない。それに顔ってなんだ?
「女子はね、ランク付けというのを無意識にやっちゃうもんなんだよね。少なくとも私以下の顔じゃないとか、ゆいちゃんほど頭が悪くないとか、そういうところで計っちゃうところってあるんだよね。私の場合、とにかく顔。出っ歯だとか出目金だとか。だからみな最初っから馬鹿にしているってことが伝わってくるんだ。むしろ男子たちの方が楽よ。好きな子以外は顔で判断したりしないから」
「あのさ、それとどう繋がる?」
「ごめんごめん。つまり、女子たちはみな、いろいろな情報を私に教えてくれるってことよ。それを一応は私も裏付けとって確認するけれどもね。このA組の一件もそうだし、ゆいちゃんたちのこともそう。立村くんが信用しないのは当然だと思うけれど、私は私なりに情報をきちんと整理しているつもり」
僕が答えの出ないまま黙りこくっているのを見て、
「いいよ。立村くんはそういうのが好きじゃないこと聞いているし。軽蔑されてもしかたないとは思うしね。ただ、あとで私のやっていることが他の女子たちからばれるよりは、私の方から最初に話しておきたかったっていう、ただそれだけ」
全く目をそらすことなく、僕に言い放った。
何度も言うようだけど、こういう顔して堂々と話しができるようだったら、女子たちもそんなに轟さんを軽蔑したりはしないだろう。清坂氏が今ひとつ、轟さんと相性合わないと感じているのは知っていたけれどもだ。それに顔がどうのこうのって言うけれども、こうやって一対一で話すと轟さんは気持ちいい人だと思う。なんでそこまで「顔」にこだわるんだ? 歯並びか? それとも目が細いことか? それもこうやってにこにこ話してくれれば全然気になるどころか、むしろほっとするもんじゃないのか?
「詳しくはこれから天羽くん、更科くんと合流した時に説明するけれど、たぶんゆいちゃんの一件についてはこれから先、どうしても他の女子たちにばればれになる可能性が高いと思う。それも絡んで評議委員会からゆいちゃんを下ろしたほうがいいという方向に進むとも思うんだ。もちろんそれは殿池先生なりの判断も入ると思うけれども。それで今度は女子たちがゆいちゃんのことを守ろうとしてまた騒動を巻き起こすと思う。ゆいちゃんもいやだと思う。けど、それを押える必要が私はあると思うんだ。自然に、これ以上ゆいちゃんを女子たちのストレス解消のおもちゃにしないために、すうっと他の高校に進む準備ができるようにって」
「つまり、轟さんは、霧島さんが退学することに賛成ってことか?」
「そう。いろいろな情報と、ゆいちゃんの現状を考えるとそう思う。けど、周りがゆいちゃんを守りたいという理由でもって、『署名運動』なんかしたらもう惨め以外の何者でもないはずよ。わあっと騒いで盛り上がって、ゆいちゃんを話の種にしたいだけ。そういう人たちから守るためにもゆいちゃんを評議からさりげなく外していく必要があると思うのよ」
どこまで信じればいいのだろうか。とりあえずは昼、天羽たちと別の駅で合流する予定だ。
そのあたりでもう少し頭を整理しなくては。でももうひとつ言っておきたいことがあった。
「轟さん、あのさ」
話が完全に飛んでいるとわかっていても言わずにはいられない。
「俺、正直言って、轟さんと話していて、おもしろいよ」
初めて轟さんは僕の言葉に息を呑んだ。