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第四日目 25

25

 

 美里と近江さんがお笑い芸人ショーで盛り上がっているのはよかったんじゃないかって思う。全然心休まる間なかったもんね。近江さんもそのあたりだいたい勘付いているんだろう。余計なことを話し掛けることなく、ひたすら上方芸人の素晴らしさおよび漫才の面白さについて熱く語っていた。私がひいちゃうくらいに、だから相当なもんだった。

 四日目、昼。私が語るべきことなんて、なんにもなかった。

 美里のダーリンが急遽、別行動を取らざるを得なかったってことだって、帳消しになったんじゃないかって安心していた。私だけ、どうしようもなく未練がましく、

「ああ、羽飛とデートする最後のチャンスだったのに!」

 と口走りたくても、できやしない。


 だからホテルに戻ってD組男子連中が南雲ではなく、立村をネタにしてざわめいているのを発見した時は、そりゃあ驚いた。修学旅行最後の夜、ふたりっきり、ツインルームにて仲良し同士で一緒にどうぞ、けど不純異性交遊は厳禁よ。そんなお約束。けどみな、女子たちの前で、

「立村とトドさんがさあ」

「なんであんな出っ歯となあ」

「清坂とまた、喧嘩したのかよ、こええなあ」」

 などと「なあ」「なあ」の連発やらかしたら、美里だって気づくに決まっている。

 なんでトドさん……たぶん、B組評議の轟さんのことだろう。評議女子とはみな仲いいつもりでいたけれど、どうも轟さんとだけはウマがあわないタイプだった。嫌い、というわけじゃあないんだけれども、やたらと私たちの顔を見上げるようにして、無理矢理話をあわせようとするところとか、ほんとは関心全然ないくせに映画「砂のマレイ3」の予告を無理矢理もってくるところとか。なにそんなに卑屈なのあんた、ってどつきたくなる。この辺はたぶん、美里も同じだろう。しょっちゅう言ってたもんね。「琴音ちゃんもう少し堂々としなよって、言いたいよね」って。

 けどなんで、立村と轟さんとがセットで語られているんだろう。

 ネタの震源地、立村をまず探した。D組を初めとする男子連中が立村を遠巻きに眺めているのがなんか他人行儀だった。いつもだったら「おい、立村、お前なあにやらかしたってんだよ、ったくお前ばっかだよなあ」とか言って、どついたりするのが普通なのに。なんか男子たちも動きが変だった。みな、羽飛の方ばかり見ている。みな、といっても南雲たちのグループは除く。立村に近づかないように、恐る恐る、あいつの周りに空間を作ってやっている。その代わり、B組、C組の男子一部が「ひゅーひゅー」とか言って声をかける。

「立村がなあ、まさかなあ」

「評議委員長さまは根っからの女好きかよ」

 何がなんだかよくわからない。立村の様子をうかがう。

 でっかい茶色の紙袋をぶら下げて戻ってきている。轟さんと一緒に戻ってきたわけではなさそうなのだけれども、美里には声をかけてこない。私にもだ。羽飛の顔を見て、何か言いたそうにしていたけれども、睨まれてあっさりと顔をそむけていた。立村と羽飛、本日仲良し二人ツインルームの夜のはずなのに、大丈夫なのかあいつら。

 評議委員長さまの情けない面なんて見てても楽しくないので、いとしの羽飛を探す。

 いたいた、ぶっくり顔を膨らませて、派手なくしゃみしてやんの。

 近づいてみるとちょっと汗臭かった。何してたんだろう。聞いてみることにした。


「羽飛、なんか凄いことになってるよねえ」

 ひとまずロビーで一度、先生たちのご注意を受けた後、荷物をそれぞれ抱えて自分らの部屋に戻ることになっていた。本当だったら最後のクラスミーティングが予定されていたらしいのだけれども、先生たちもかなり疲れていたようで急遽、風呂・夕食・即、就寝に切り替えられたようだ。ありがたかった。やっぱりお笑い楽しんだら腹の皮思いっきり避けそうになるもんね。

 羽飛はロビーに黒いボストンバックを置いたまま、その上にどかっと座った。立村が私たちの目の前をすうっと通りぬけていった。私の見る限り、美里に声はかけていない。やっぱりやましいことしてきたんだなあいつも。

「ったく、なあ」

 短く答えを返してきた。もっと詳しく聞きたい。私も自分の鞄をお尻に敷こうと思ったけど、やめた。ポテトチップス、入っていることをかがむ寸前に思い出したから。仕方なく突っ立ったまま羽飛を見下ろした。

「立村、あの馬鹿、また何かやらかしたの」

「まあな」

「轟さんとのこと?」

「古川もよく知ってるなあ」

「知らないわけないじゃないのさ。だってもう、うちのクラスの男子どもみなトドさんトドさんの連呼じゃんねえ」

 まだ数人、私たちと同じように友だち連中と語らっている奴がいる。先生たちが私たちに、

「早く荷物置いて、風呂に入れ。明日は早いぞ、早く寝ろ」

 一声かけて入っていった。早く寝たいのは、多分先生たちなんだろう。菱本先生だけが私たちに近づいてきて、

「よ、どうした。結局スタンプラリーはうまくいったのか?」

 にまにましながら雰囲気の合わない笑顔を見せる。

「全部押したっすよ」

「午前中、にだな?」

 えっ、と羽飛の奴、絶句している。

 この辺、言葉を返すのは難しい展開だ。私としては黙っている方がいいと判断。羽飛も同じだった。だんまりでへらへらしようとする私たちふたりの顔を面白そうに先生は眺め、

「ま、これは学校に戻るまで、内緒にしておくからな。立村にはあくまでも、ばれていないことにしておけや。本当になあ、あいつらも悪さしようとするくせに、全部ばればれだってのが気づかないのかって感じだな」

 ひとりごちた。

「あの、先生、まさか」

「とっくの昔にお見通しだ。この辺、お前らふたりにだけ言っとくな」

 また唇をにやっとさせる。

「去年も、またその前の年も、同じこと三年生はやらかしてたんだ。ばれないようにってことなんだろうが、こちらもちゃあんと全部、裏を取ってお前らの行動監視してたんだからな。ま、今年はみなおりこうさんで、あいている時間はみんなデートしたりする程度だったからよかったもんだが、もし万が一、補導でもされてみろ、来年から修学旅行なくなるぞ」

「えー、そんなあ」

 こつっと指で菱本先生は私の額を押した。お釈迦様の額の点、のとこだ。

「最近もうるさいんだぞ。遊び目的の修学旅行なんてやめて、体験学習旅行にしないかって話がしょっちゅうきているんだ。もしそうなってたらどうする? ひたすら田植えの手伝いをさせられているかもしれないし、牛の乳搾りかもしれないしな」

「あ、俺そういうの好きだあ!」

 話をひっくり返そうとしているのか、いやそんなこと考えないで単純にわあいって思っているのか、その辺はあまりつっこまない。私も、きっと、羽飛と一緒だったら、

「私もいいなあ。だって生の牛乳飲めるんだよね、最高!」

 二人ぱちぱち拍手する。ここも息合わせたわけじゃなくって、なんとなく合っちゃったってだけだ。

「お前らみたいな奴だったらなあ、俺も疲れないですむんだよなあ」

 ふう、と菱本先生はわざとらしい溜息をつき、私と羽飛の頭をがしがし撫でた。

「羽飛、立村のお守りはまかせたぞ、古川は清坂な」

「なんでだよお、先生、教師としてなにかこう、がしっと決める必要なくねえか?」

 なんか羽飛も投げやりだ。受けを狙っているわけじゃあないんだろうけど、笑える。

「そうですよお、菱本先生、私だってもう美里のお守りたくさんよ」

「そうだなあ。じゃあ今度、この前連れてった美味しいラーメン屋、御褒美に食わせてやるぞ」

 ゴールデンウイーク前、たまたま羽飛と私が菱本先生のうちへ遊びに行き、その流れで物凄く汚いけど美味しいラーメン屋のちっちゃい店に連れて行ってもらったことがあった。ほんと、ラーメンってこんなに美味しくていいの?って感動ものだったっけ。思わずつばが溜まってくる。隣りの羽飛は、と見ると同じく目の色変わって舌なめずりしているじゃあないの。羽飛、私、なんか食い意地の張り方まで似てるって奴?

「そうもの欲しそうな顔するなよ、ほらほら、連れてってやるからな。とにかくお前らも部屋に戻れ。ったくほんとお前らも大変だよなあ」

 菱本先生は白いポロシャツにすっかり日焼けした顔でもって、ちょうど開いたエレベーターのドアに吸い込まれていった。

 取り残されたのは、羽飛と、私だけ。


「お見通し、かよ、なあ」

「まあそれもそうよねえ。あのうるさい先生たちがだよ、全然何にも雷落とさないでいるんだからね。もしかしたら、とは思ってたけどね」

 菱本先生の爆弾発言、だけど私はある程度予想していたことだったし、さほどの驚きはなかった。だって考えてもみなよ。いくら評議委員会で上級生から情報を仕入れて行動パターンを決めたったって、百二十人もの生徒が全部秘密を守ってられるわけないじゃないの。しかもA組には担任の妹までいるんだもの。どっかから情報の水漏れがないとも限らない。むしろ、先生たちが気づかない振りしてずっと、とぼけ通してくれたことに私はびっくら仰天だ。いつぞやの宿泊研修のように、立村を一発張り倒して「お前、いつになったら先生のことを信じてくれるんだあ!」とか言って号泣するんじゃないかって心配していたんだけども。

「やっぱりさあ、菱本先生も、大人になったのよねえ。チェリーボーイ卒業したかな?」

「ばか、あの歳でやってねえわけねえだろ」

 軽く言ってのけた羽飛に突っ込もうとして、もう一回見下ろして今度は私が絶句。

「あんた、なあに真っ赤になってるのさ! ははん、さてはあんたもチェリーボーイ卒業してない……」

「そういう古川はどうなんだ? さんざんスケベねたかますわりには純情そうに見えるんだが」

 どつぼにはまっているのに羽飛ってば気づかない。私が「純情」に見えるのは、みんなあんたのせいだって! 背中を一発どんと叩いてやった。

「ばあかねえ! 羽飛限定じゃんよそれは!」

 私が羽飛以外誰も見つめてないってこと、こいつも知ってるはずだ。

 それを受け入れられないって何度も言われていることも、私は承知している。

 けど、やっぱりこんないい奴、振られたって嫌いになれるわけないじゃないのさ!

「ま、それはともかくとして、ちょっとご相談なんだけど、エレベーターの中で密室プレイなんぞいかがでしょう? 襲ってもいいよ、これも羽飛限定」

「襲われるのは俺だろうな、やれやれ」

 エレベーターの昇りボタンを押し、私はよっこらしょとおっきな鞄を背負った。どこぞの彼氏彼女と違って、重たい荷物をもってくれるなんてこと、羽飛はしない。

 せめてエレベーター、一時間限定、閉じ込められるなんてことないかなあ。


 残念ながら、三階にはあっという間に到着。

「あいつ、戻ってきているかなあ」

 ぼそっと呟く羽飛に、私も思いっきりおっきな溜息をついてやった。

「立村ねえ」

「ああいうことやらかして、俺の前でどういう言い訳するんだかなあ」

「だから何があったのさ」

 本当は女子と男子、階が分かれている。そりゃそうよね。不純異性交遊の温床になるなんて溜まったもんじゃないもんね。ほんとは私も四階まで昇ってってもよかったんだけど、男子連中からある程度、立村の件について情報を仕入れておかないと、泣き虫お姫さまの美里に言い訳が立たない。たぶん今夜もずっと愚痴ってるに決まっているんだから。それにさっき、近江さんとお笑いネタについてさらに語りたかったみたいだし。近江さん、相当美里のことお気に入りだ。馬鹿笑いして、例のことあっさり忘れてくれてたらいいんだけどな。

 羽飛には「荷物半分もってやろうか?」と声をかけた。いつもだったら「そんな俺に腕力ねえと思ったか?」と振られるのが常。だけど今日の羽飛には全身すっかすか、隙だらけ。私がそれを見逃すわけがない。なんというか、そう、理科の人体模型状態に近いかな。

 今なら、羽飛と語り合うチャンス、ありかもしれない。

 ずっと羽飛と、二人きりで語る機会、ないわけじゃあないけど短かったり、あっさりしてたりと私としては物足りなかったのだ。別にさ、立村との三時間ツーショットがつまらなかったってわけじゃあないけど、弟とダーリンの差、埋められるわけないじゃないの。

「じゃあ、わりい、来るか。立村いたら二人で締めるか」

「賛成」

 たぶん、あのなまっちょろい評議委員長は他の男子たちからそろそろ質問攻めに合っているはずだ。廊下にはまだ何人か男子女子がたむろっていた。委員会関連の人たちかもしれない、彼氏彼女かもしれない。別に目立ったこともなく、私は羽飛にくっついて、ツインルームの鍵を代わりに開けてやった。ふうん、閉まってるんだ。立村の奴、鍵かけたのかなあ?


 起立・礼・着席!と怒鳴られているような空気の匂いがした。ホテルにせよ旅館にせよ、どうして「宿」ってところはそういう匂いがするんだろう? 思ったよりも手狭だった。左側にはユニットバスの扉が開いたままになっていた。右側にはクローゼットが引き戸形式で開きっぱなしになっていた。物置はその辺にしとけばいいよね。羽飛の荷物を入れるのを手伝った。立村の荷物らしいものは見当たらなかった。まだ来てないってことか。そりゃそうだよね。顔出しづらいだろうね。

「あの野郎……」

 苦々しいって顔でもって、羽飛は唇を思いっきりひん曲げた。

「評議連中とたむろってたって聞いたが、あいつ何にもわかってねえよなあ」

 私に聞いてる? 嬉しい。すぐに答える。

「あんたたちと一緒じゃあなかったんだあ」

 轟さんとずっと一緒ってわけでもないわけね。

「そんなの知るかよ」

 ブレザーをそのまんま床に投げ捨て、貴史はベットに大股開いたまま腰掛けた。中の机と椅子、ライトとお茶を沸かせるようになっている機械あり。私は羽飛の真ん前に椅子をひっぱってきて足を組み座った。

「とにかく、これから美里の『お守り』をする以上、ある程度の情報は欲しいわけよ」

「そりゃあなあ。古川も大変だよなあ」

 妙に優しいぞ。変だぞ、羽飛。

「私の知っている情報だけだと誤解の種になるだけでしょうよ」

「別にお前ら、あいつと轟が仲良くツーショットで歩いているのを見たわけじゃあないんだよな」

 この辺は難しい。私たち三人……美里、近江さん、そして私……は見ていないけれど、D組の女子たちは午前中、仲良くスタンプを押しながら歩いている立村をチェックしていたらしい。さっき玄関から入ってきた時もちらちらっとそんなことを囁いていた。ただ、D組の場合それ以上に謎の膨らむ「南雲は昨日の夜、彰子ちゃんに何をしていたのか?」という疑問の方が重要だったらしくって、それ以上のつっこみはなかったように思う。私と同じ聴力を持っているんだったら美里もそれらの噂を聞いていないわけがない。たぶん今ごろ、他の女子たちからもいろいろと話を聞かされているころじゃあないだろうか。

「けど、見ていた証人はたくさんいたみたいだけどねえ」

「万事休すって奴だよなあ」

 指の関節を何度も鳴らしながら羽飛は呟いた。

「まあ見ての通りだ。いろいろなんか事情はあるらしいけどな。ただ美里がヒス起こすようなことはねえんじゃねえの?」

 この辺り、私の眼を見ないでつぶやいている。かんにさわった。

「ちょっと羽飛、こっち見な」

 羽飛の膝小僧を軽くタッチした。びくっと動いている。はは、面白い。

「あんたさ、なんか言いたいことを隠してるよね」

「やぶからぼうに、なんだよ」

「あんたって、ポーカーフェイスできない奴だよねえ」

 ひょいっと奴の股座に手を突っ込む真似をするがさすがにはたかれる。まあね、女の子だもんね。「お前も女子ならもう少し『たしなみ』ってもんをだなあ」

「あんたに説教されたくないよね。それよかさ、羽飛」

 一番のきもを確認する私。

「立村と、轟さんは、絶対、できてないよね?」

 すぐに「んなわけねえだろ!」と笑い飛ばしてくれりゃよかったのに。

 すぐに「立村は美里一筋だっての、昨日でよっくわかっただろ!」って思い出させてくれればよかったのに。

 両膝にそれぞれ手を置いて、羽飛は思いきりかがみ込み、ぶるんと首を振った。覗き込むと、やっぱりみしみしっと顔が張り裂けそうな感じだった。言いたいことあるんだろうにね。言えないことなのかねえ。

「ほんとのこと知ってるのは、立村だけだろ。あいつに直談判するしかねえだろ」

 ぼそっと呟くと、ぐわっとベットに転がった。埃が舞ったように見えたのは空気がやっぱりぴんと張っていたからだろうか。私は暫くあいつを覗き込んだ。

「言い訳、まだできないってことかな」

「真実は、当人同士しかわからねえってこと」 ずいぶん羽飛、哲学的なお言葉を口走る。

「俺が知ってるのは、あいつと轟が仲良しこよし、お手手つないでいなくなったってことだけだ」

「けどあんた、追っかけたんだよね。金沢やすい君たちが話してたよ」

「追いつけねかった、ってそれだけだ」

 私は羽飛の投げ捨てたブレザーを拾い上げた。ポケットにはスタンプ帳の青い色がちろっと舌を出していた。

「羽飛、スタンプは当然全部押した……?」

「金沢にやってもらった。で、午後からは金沢たちと合流だ。立村? あんな奴、知らねえよ」

 知らねえよ、のアクセントがか細かった。羽飛、相当、疲れているんだなって思った。

 こういう時美里だったらどうするんだろう。いろいろと黙って話を聞いてやるんだろうか。それとも「ばっかだねえ、そんなことで落ち込んでるんじゃないよってば!」と背中を叩いてやるんだろうか。それとも。

「こう言う時、慰めてほしいって思わないわけ、あんた」

 私の口から出た言葉は、決して下ネタがらみの意識から出たものじゃなかった。

 決して。

「別に」

 喉の奥から答える声は、あっさりしたものだった。

「あっそ。じゃあ美里の様子を一通り見てくるよ。風呂にも入らないとね。ユニットって狭そうだよねえ。なんだかなあ。そうだあんたんとこの部屋電話番号教えてよ。あとで連絡しようよ」

「んだな」

 羽飛が寝っころがったまま指差した、ダイヤル式の白い電話には、大きく「305」と記されていた。そうだね、とりあえずは。


 あまり長居するとまた、女子たちからあらぬ疑いをかけられないとも限らない。美里はともかく、羽飛をひそかに想う女子が複数存在することは、元祖羽飛ファン第一号の私も調査済みだった。あいつの操は鈴蘭優に捧げられちゃってるし、勝ち目のない戦いだとはわかっていてもどうしようもない。羽飛だって落ち込んでいるんだったら、手元にいる女子で慰めてもらったって罰当たらないじゃない、って思ったりする。たとえば今の私とか。

 エレベーターで四階まで上がる。男子が二階と三階、女子が四階と五階。先生たちはそれぞれの階に振り分けられているので、そうそう身動きは出来そうにない。でも本当だったら、美里だって立村をとっつかまえて「あの噂、いったいなんなのさ!」と詰め寄りたい気持ちでいるだろう。私だったらそうするだろう。今ごろ美里、轟さんを捕まえて「私と立村くんが付き合ってるってこと、知ってるよね!」とか罵ってないだろうか。もともと轟さんのことを好きじゃない美里だし、その辺はどうなのかな。

 415号の部屋に向かう。女子たちはとりあえずお風呂タイムってことで、みな静まり返っていた。思ったよりも防音が利いている部屋のようだった。軽くノックして、鍵を開けてもらう。

「美里、ただ今、入るね」

「遅かったね、どうしたの」

 すっかり美里は靴下を脱ぎ、普段着に着替えていた。部屋の形としては男子のところとほとんど変わらなかったけれども、壁紙だけが淡いクリーム色で、メルヘンチックな緑色の草原を描いた絵が飾られていた。可愛い。

「まあちょっとね」

 羽飛と二人で話をしていたってことは、言う必要もないかも。

「それより美里、近江さんと何話してたのよ」

「評議委員会のこと」

 美里もちょこっと口ごもり、唇を尖らせた後に呟いた。

「いろいろね、あるんだ。大変なんだよ評議って」

 そうだよなあ。立村だってそうだしね。

「ふうん。じゃあ美里、お風呂何時入る?」

 時計を覗き込むと、ただ今六時前。夕食は一階のホールでいただくことになっている。

「ごはん六時半だよね。三十分しかないよね。いいや。食べてからでいい」

「それもそうだよね」

 そういえば美里、もう生理四日目のはずだ。私の経験からいくと、たぶん出血は納まっている頃じゃないかなって思う。本当だったら一日目、二日目がこういう、ひとりでゆっくり入ることのできるお風呂だったらよかったのにね。そんなことを思う。

 私は壁際の、ユニットバスに近い方のベットを選び、座った。やっぱり先に足だけでも洗っておきたかった。

「じゃあ私、先にシャワーだけ浴びるね。お風呂はその後でさ」

「うん、いいよ」

 美里は髪の毛を鏡に向かい何度かほつれ毛を直す仕種をした。見た感じ、羽飛が心配しているようなヒステリーの発作もなさそうだった。もしかして美里ってばかなり鈍感で、轟さんのことなんて気がついていないのかもしれない。美里の性格からすると考えられないことではあるけれども、私としてはできればそうであってほしい。ただD組をはじめ女子たちの反応を考えると、そ知らぬ顔をしているのもよくないんじゃないかなって思う。

 しょうがない。爆弾落とすか。

「美里、一つ聞きたいんだけどさ、いい?」

「なに?」

 髪の毛を梳かし、さりげなくリップクリームを塗りなおしている美里。後姿に声かけた。

「あんた、立村と轟さんの噂って知ってるんだよね」

「ふたりで午前中歩いてたってこと?」

 あらら、知ってるじゃないの。なんでヒス起こさない? 彼氏の浮気だぞ?

 どきどきしてきたのは私だけかもしれない。美里は全然動じることなくリップをつけた唇を尖らせたりしていた。

「琴音ちゃんね、今日午後から親戚の人と会う約束があって、みんなと行動が取れなかったんだって。噂は聞いてるけど、天羽くんとか更科くんも一緒だったんでしょ。方向が一緒だっただけなんじゃないの?」

 あのねえ、美里にしてはずいぶん楽観的な発想なんだけど。まあね、あんたにヒス起こされるよりはましよ。

 うそっぽくない。

「だって、絶対考えられないもん」

 鏡を見据えて、背をぴんと張り、こくっと頷いた。私に振り返らなかった。

「琴音ちゃんと立村くん、だなんて、絶対ありえないよ。性格からして違うし。評議委員長としてなにか知りたいことがあったんじゃないかな、ってことくらいしか、想像できないもんね」

 

 わからない。

 私はシャワーを秒速で浴びた後、大急ぎで着がえた。

 なんかわからないんだけど、美里の言葉にはところどころ、骨が混じっている。

 昨日、美里が同室の女子たちに泣かされた時も思ったことなんだけど、自信過剰っぽいところがたまに鼻につく。そういうのってあるんじゃないかな。

 もちろんあの子の性格が悪いわけじゃないし、むしろまっすぐでひたむきだからこそ、気持ちいいって思っているけどもだ。

 曖昧さってのがないんだよな、美里って。

 今の言葉だってそうだ。きっと美里、轟さんのことなんて気にしてないよ、って言いたかっただけなんだと思う。それだけ立村を信頼しているのかもしれないし、評議委員会のことでってことならば、色々裏事情にも通じているのかもしれない。でも、どこかぬめっとしたところが感じられる。たまあに、美里ってそういう言い方をする。隠しているように見えて、実はばればれの言葉。

 

 ──琴音ちゃんと立村くん、だなんて、絶対ありえないよ。


 そうだろうか?

 頭をざざっと水シャワーで浴びてすっきりさせて、なおさら思ってしまう。

 私はそれほど轟さんと仲がいいわけじゃないけれども、性格はだいたい把握しているつもりだ。なんとなくなんだけど、立村にそっくりな性格かもしれないって思う。

 やたらと人の顔色をうかがうところとか、無理矢理話をあわせるところとか。

 最近はそれほどでもなくなったけれども、一年から二年にかけての立村はもろ、轟さんと同じ行動ばかりしてたんじゃないだろうかって気がする。

 美里だって一度はぶちぎれたことあるくせに。

 もちろん、美里からすると、「そんなのありっこない」って単純なことを言いたかっただけなんだろう。けど、今の口調を思い返すともっとどろっとしたものを感じてしまった。

 もし相手が、ゆいちゃんだったら美里はどう言ってただろう?

 「ゆいちゃんと立村くん、だなんて、絶対ありえないよ」って答えられただろうか?

 美里がしょっちゅうゆいちゃんの可愛さに溜息をついていたことを私は知っている。

 「ゆいちゃん可愛いもんね」ってしょっちゅう口にしていたし。

 ゆいちゃんだったら、いくら立村が朴念仁だったとしてもにたにたデートしないとも限らないし、男子は単純だから可愛い顔に落とされる。ゆいちゃんの性格がすぱっとしているからあまり気にしないけれども、もし女の武器を使って立村に近づいていったとしたら、今みたいに美里、冷静に対処できていただろうか?

 轟さんだから、安心しているんじゃないかな。

 轟さんの、顔だから。


 美里だけを突っ込むことはできない。鏡の向こうでずぶぬれの髪の毛を乾かしている私と比べても、歯は轟さんほど出てないし、目も飛び出てない。深海魚みたいな顔ではない。

 まさか、轟さんなんかに。

 思っている自分。美里だけを責められない。人は自分の鏡ってえらい人が言ったらしいけど、本当だ。今私、美里を鏡にして、本音語っているのかもしれない。

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