第三日目 21
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夕食の後も、お風呂の中でも、ゆいちゃんと難波くんとの大喧嘩に関しての憶測情報は大量に流れていた。私もちょこっとだけ知っていることがあったりしたので、話をあわせていたりもしたけれども、おおむねきっかけは以下のようなことだったらしい。
やっぱり、ゆいちゃんが可愛かったのが一番の原因だ。
三日目、C組女子たち何人かと真面目に一日中スタンプラリーを行なっていたゆいちゃん。一通り終わって、他の女子たちの希望もあって、お買物ストリートと呼ばれる通りに出かけたという。もともとゆいちゃんは洋服とかそういうおしゃれにこだわりまくるのはよくないと思っているみたいで、一応、付き合いという程度だったそうだ。他の女子たちが色々洋服を試着している間はたいくつそうにしていたみたいだ。
大抵、ゆいちゃんが暇を持て余したかっこうでいると、いつものことなんだけれども知らないカメラマンのおじさんたちが寄ってきてゆいちゃんに「写真、取らせてもらえませんか」と話し掛けてくる。これはゆいちゃんに、だけだ。他の子たちがいても全く目も留めないで無視。とにかくゆいちゃんしか見ていない。そしてもっというなら、そのカメラマンの人たちの多くは、ゆいちゃんに対してポーズをああしろこうしろと指示してくる。私は現場にいたことないけれど、いつぞやはゆいちゃんが「少しなら」と答えただけでカメラを持った男の人が十人くらい取り囲んで、ぱしぱしやったらしい。帰りには名刺をそれぞれ押し付けた上で、
「あとでここにぜひ連絡を!」
ほとんどがモデルのスカウトだったみたいだ。取り残された他の女子たちが呆然としている中、ゆいちゃんは彼らがいなくなったあと、あっさりと名刺を破り、
「私、モデルになんてなる気ないのに」
露骨にいやあな顔をしたという。
とにかく、ゆいちゃん狙いのカメラマンたちが青潟にはうようよしていた。全くゆいちゃんにその気がないので、そういう気配を感じたらすぐに逃げるようにしていたはずだ。
ところが今回、声をかけてきたカメラマンは違っていた。
ゆいちゃんではなく、他のC組女子たちにまず最初、声をかけ、
「ねえ君たち、修学旅行生? 一枚撮らせてもらえる?」
と話し掛けたのだそうだ。ゆいちゃんを無視して。
ほとんどそういう経験のない子たちだったしかなり舞い上がってみんな、写真を撮ってもらっていたのだそうだ。もちろんうちの学校でそういう行動は禁止されていたけれども、かなりハイテンションだったらしい。様子をうかがっていたゆいちゃんも最初は、
「やめなよ、そういうことしてると先生たちに怒られるよ」
と注意していたらしいのだが、
「ゆいちゃんは撮られなれているからいいじゃないの、ここだったらばれないよ」
もう盛り上がりまくり。ひとり蚊帳の外にいたゆいちゃんは何を考えていたのかわからないけれども、とりあえずは落ち着くまで待とうと決めたらしい。
ところがだ。
ここからが卑劣極まりない展開となる。
しばらく撮影会は盛り上がっていたのだけれども、突然そのカメラマンたちが、
「そういえば、青大附中の制服着ているけどこういうことしてよかったの?」
「学校の先生たちにばれたら困らないの?」
といろいろ因縁をつけてきたという。
ゆいちゃんの恐れていた通りのことだ。
「学校側に持っていったらきっと、退学、停学だよねえ。もし黙っていてほしかったら……」
C組女子たちはそりゃあ慌てたと思う。ゆいちゃんだけは何度も止めていたし、言い訳できるけれども、他の子たちはすっかり有頂天になっていたんだもの。この気持ち、私はわからなくもない。
「雑誌にも載せたいんだけどねえ。学校側に許可もらわないとだめかなあ」
「隠しておきたい? だったらネガを買ってもらわないとねえ。お父さんお母さんに連絡しないと」
話を聞いている限り、ていのいい脅迫だ。しばらくゆいちゃんは様子を見ていたらしいが、とうとうあまりの酷い言いがかりにぶちぎれた。ゆいちゃんの性格なら当然だ。
「写真をとらせてくれと言ってきたのは、そっちじゃないですか! 最初いやがっていたのを無理やり話し掛けたのは、あなたたちじゃないですか! それをいきなりなんでそんなこと言うんですか!」
食ってかかったという。けど、悔しいことにみんなカメラマンは大人だった。
「撮っていくうちに、青大附中の制服だったと気付いたから……やはりこれは断りを入れないとまずいかなと思ったわけで。もし本気でモデルになりたいというのだったら、プロダクションへの紹介にまつわる大人たちへの話合いも必要だし……」
ふざけるな、と当然ゆいちゃんは思ったらしい。
「そんなに写真撮るのに大人の許可が必要なんでしたら、この子たちではなく、私にしてください」
凛と言い放ったという。
「私、モデルとして過去グラビア写真集出してますから、そういうのなれてますし、先生たちもその点は知ってます。制服のままだったらどんなポーズでもします。この子たちは全然そういう経験ないし、いきなり知られたら困るに決まってます」
この辺、ちょっとびっくりした。ゆいちゃんのはったりかもしれないけれども、「グラビア写真集出してる」とか「モデルしてました」とか。ゆいちゃんのような可愛さだったら当然あってしかるべきなんだろうけど、普段から写真大嫌いのゆいちゃんがそんなことさせるとは思えない。
カメラマンたちはその申し入れに、即、手を打った。
ゆいちゃんはおびえている他の女子たちに、すぐに旅館へ戻り先生に報告するよう指示を出し、ひとりだけカメラマンの前に残った。どういう撮影が行なわれていたのかは、全くわからない。ただ、ゆいちゃんひとりだけが一番後に戻り、片手に名刺らしきものを何枚か持ち、すぐに殿池先生の部屋に向かったことだけは聞いている。近くの部屋の子によると、あの先生にしてはめずらしく、かなり厳しく叱っていたという。けどゆいちゃんは素直に、「ごめんなさい」と謝って、「もし、まずいようなら私、明日の自由行動何もしません。他の女子たちは悪くないんです、私だけを罰してください」と申し入れたそうだ。
──悪いのは、C組の女子たちじゃないのよ。
ゆいちゃんはちっとも泣いてなんてない。それどころか、他のC組女子たちに一生懸命、
「大丈夫、親に報告なんてされないわよ。みんなあんなこといきなりされたら怒って当然よ。ああいうカメラマンの類はね、無視するのが一番だけど、あれだけしつこくよってこられたら、振り払っていきなり飛び掛られるかもしれないじゃない。大丈夫よ。私がちゃんと名刺もらって、先生に報告するからって言ってきたから」
笑顔で声をかけていた。たぶんゆいちゃん、写真関連のトラブルは経験済みだったのだろう。
まさかその後で、難波くんが血相変えて飛んできて、いきなりゆいちゃんを、
「ばかやろう!」
と怒鳴りつけるなんて、誰が思いつくだろう?
「お前なあ、一度だけならともかくなんで二度も同じことされて、気付かねえんだよ!」
最初はいつもつっかかってくる難波くんの、ごあいさつみたいなものかなと思っていたんだけど、どうやら後半から話がどんどんエスカレートしていっちゃったらしいのだ。ゆいちゃんが以前、モデルさんやっていて、写真集まで出していたなんてこと自体、私はびっくりしちゃったけれどもそれ以上のことを難波くんは、確かに言っていた。
「写真取らせただけよ。何勘違いしてるのよ」
落ち着いているゆいちゃんに向かい、周りの男子たちになだめられながらも難波くんてばさらにわめきつづけていた。
「霧島、写真取る男ってのは何考えてるか知ってるのか? 知るわけないよな。お前の写真を全部保存して、スケベなことばかりに使ってるんだってこと、想像しろよ! お前、誉められてることとなめられていることと、区別できねえくせに、簡単に写真なんか取らせるんじゃねえよ!」 そんなのわかるわけないじゃないって私だったら言うだろう。ゆいちゃんも同じだったみたいだ。「あんたたちが喜んで見ているエロ雑誌なんかじゃないわよ。難波、あんたほんっとスケベなのね」「いいか霧島! いいかげんお前も覚えろよ! お前にそんな隙があるから、あいつらはパンツ下げて手を突っ込もうとするんだぞ! なんでそんなとこにお前、自分から飛び込もうっていうんだよ!」
やっぱり難波くんってば見境なくなっちゃうと怖い。外で聞いていた私たちは、ゆいちゃんの次の言葉にそれほど関心もたなかった。その時だけは。
「よく調べたわね。小学校の連中から聞いた? ひとつだけ間違い言っとくわ。下げたのは、私の方からよ」
──下げたのは、私の方からよ、って、それって、パンツのこと?
だんだん身体に効いてくるこの言葉。部屋に戻ってから私も、だんだんわけがわからなくなってきた。ゆいちゃんの言葉は、どこまで本当なんだろう? どこまで難波くんに対するはったりだったんだろう。そして何よりも、ゆいちゃん、本当にモデルしていたんだろうか?
「C組の霧島さんの噂、男子の先輩から聞いたことあるよ。ほんっとに噂だけどね」
同じ部屋の子たちが固まっておしゃべりしているところに私は戻った。こずえが他のクラスの部屋に遊びに行っている。彰子ちゃんの姿が見えない。ちょっと同じグループの子が少なめなので居心地が悪いのだけれどもしかたない。分けてもらったキャンディーをほおばりながら、私はゆっくり着替えをした。もちろん浴衣に薄い帯。
「小学校の時に、男子あつめていっぱいやらしいことさせてたんだって!」
「えー? でもそれってガセネタでしょ?」
「わかんないけど。でもさっき言ってたよね、B組の難波もきっとそれ言ってるんだよ。男子たちに霧島さんいつも、パンツ下げられて触られてたらしいってこと」
「えーうそ、でもあの人言い返してたよね、自分の方から下げたって……?」
口篭もる女子の集団。私も背を向けたまま耳をそばだてた。
「つまり、やらせてたってことじゃないの? あの人、そういうの好きらしいから。それにさ、みんなに言ったんでしょ。モデルやってて写真集とかって。あれきっと、やらしい写真なんじゃないの。隠してたってことはさあ」
なんでモデルさんやっていることイコールやらしい写真なのか、私には理解できない。
「男子たちが隠し持ってるあれ?」
「そ、あれよ。大股おっぴろげて、指パンツの中に入れてたりするの。それ考えると、写真なれしている霧島さんってすごいよねえ。年季入ってるし、好きだしねえ」
「そっか。だからか」
「何が?」
妙に納得した口調でひとりがつぶやいている。
「あんなに可愛い人なのにどうして南雲は振ったのかなって思って。それも告白された瞬間でしょ。なんで彰子ちゃんに行ったのかって不思議だったんだけど、そうだよ。そういう汚い女だったら、断然清純派の彰子ちゃんの方が上よね! 南雲もまんざらばかじゃあないってことね」
頭の中が混乱してきて、帯がうまく結べない。だいぶ乾いた髪の毛を一つに束ねて私は布団の上に座った。背を向けたまま、後ろの情報と自分の気持ちの訴えをごちゃまぜにして聞いた。
「だって考えられる? 男子の前でさ、足広げるなんて、普通できる? 恥じらいあったらできないよね。パンツ脱ぐなんて信じられる? 私たちだって、ジャージに着替える時男子たちのいないところに行くでしょ。トイレに行く時だって、男子たちに気付かれないようにってふつう思うじゃない? とんでもないよね。なんでもさ、小学校時代触らせてた方法てのがね」
声を潜めているけれども私には丸ぎこえだ。
「自分から手をひっぱっていくようにして、指つっこませてたんだって。そういうこと、平気でしてたんだって! こういう人こそ退学にしてほしいよ! 本当かどうかわかんないけど今となったらさ。そういう子がだよ、C組の評議委員やってるんだもの、許せないよね」
──なによ、ゆいちゃんのことを罵る権利あるの? それが本当のことじゃないかもしれないのに!
「頭悪いし、どうしてうちの学校に入ること出来たんだろうって、みんな不思議がっているけれど、もしかしたらそのあたりに理由あるのかなあって」
──そんなのわからないじゃないのさ。自分で確認してないこと言うの変だよ。そりゃ確かにゆいちゃんは頭よくないかもしれないけど。 なんか評議仲間の一員として言わなくちゃと思って、私は仲間に入れてもらうことにした。
「なあに美里」
「C組のゆいちゃん、そんなことしないと思うなあ。同じ評議として思うんだけどね」
三人が私の顔をまじまじと見た。この子たちとはあまり仲よくない。けんかするほどではないんだけれども、本音の話をするまでにはいたらない。三日目の夜はとにかくD組女子同士でというお約束だったので、向こうの三人組と、私、こずえ、彰子ちゃんの三人がセットアップになったってわけだ。けど、彰子ちゃんの荷物がいつのまにかなくなっている。布団も五人前しかしかれていない。なんだか嫌な予感だ。
「あっそうか、美里は知ってるんだよねえ。あの子のこと」
「そう。たぶん男子がそんなことさせてって言おうもんなら、思いっきりひっぱたくと思うよ。ゆいちゃん気強いから」
「ふうん」
納得しているような、してないような顔をして頷き、ゆいちゃんの悪口についてはひと段落した。私も納得いかないことをあまり耳に入れたくないし、話しているのを聞くのもいやだったから。
しばらくこずえが帰ってくるのを待っていた。なかなか戻ってこないのはよその組でいろいろ盛り上がっているからなのかもしれない。こずえって結構他のクラスの子とか、私があまりしゃべらないような子とも平気でおしゃべりする。もちろん嫌っている子については近寄らないかもしれないけど。でも、あの杉浦加奈子ちゃんにもいまだにおしゃべりができるってとこみると、あまり物事を気にしない子なんだろうなって思う。
──私、真似できないけどな。
あの杉浦加奈子ちゃんが、立村くんに対してしたことの数々を思い出すと、今でも腹が煮え繰り返りそうになる。班ノートをめぐるいろいろなトラブルから始まり、立村くんに付けねらわれたとかいうありもしないデマを流したこととか、とにかくいろいろある。ずっと前に南雲くんからはっきり言われたことがあるんだけど、男子たちは杉浦さんのことをとにかくみんな嫌っているんだそうだ。いじめはしないけれども、一歩ひいた感じで付き合っているんだそうだ。立村くんを傷つけたということで、うちのクラスの男子たちはそうとう怒っていたようだ。
けど、女子たちは余りその辺気にしていないみたいだった。私だけが加奈子ちゃんの態度に対してむかむかしていただけだったようだし、加奈子ちゃん本人もうちのクラスにそれほど携わっていたいとは思っていなかったらしい。小学校の頃から付き合っていた男子……立村くんといざこざのあった、本品山中学の浜野って言ってたっけ……と、去年の夏休みに初体験したらしいという噂は聞いていた。なんだか気になってお風呂場で身体をみたけれど、こずえの言うとおり「出るとこどーんと出て、しまるところきゅっと締まってる。あれはやっぱり、彼氏の作品かもね」って感じだった。ああ、私なんていつになったらそんな出るところが出るんだろう。
そういう子たちとも平気でがははと笑えるこずえのことだ。いろいろとエッチな情報を仕入れてまた私に話しかけてくるんだろう。そういう性格がうらやましいと思う反面、なんだかなあって思わなくもない。こずえって信頼できる相手にしかいえないことって意外と少ないんじゃないだろうか。節操ないっていうのかな。今夜もきっと、ここにいる三人と何事もなく平気でゆいちゃんの話に調子合わせるんだろうな。で、いつのまにかうまくいってるんだろうな。私みたいに納得いかないところはとことん突っ込んだりしないんだろうな。
気のない調子でしばらく私は、前の三人と話をあわせていた。
ふと、ひとりが私の顔をじいっと見つめると同時に、他のふたりに目線を絡ませるようなしぐさをした。なんか私、悪いこと言った?」
「そういえばさあ、美里ってさあ」
「ん?」
「今夜、大丈夫?」
言っている意味がわからない。のほほんと問い返した。
「何が?」
「だから、その、一番気になるとこって」
──こずえってば私のあれのこともうしゃべったの!
男子たちにばれているくらいだから、知らないわけがないとは思うけれども、焦ってしまう。もう一緒のお風呂に入ることができるくらいには落ち着いたし、ナプキンも一枚でなんとかなりそうだったし、その辺は「うん、平気」とこたえればいいだろう。でもなんか、この三人のしぐさに、気持ち悪いものを感じてしまい、うまく答えられなかった。
「ううん、大丈夫だよ」
「そっか、ならいいんだけどね、ほら」
また三人、物言いたげににやにやし、またいきなり言葉を飲み込む。
「昨日の夜もみんな美里のことで心配してたんだよねえ」
「なあに? それ?」
とぼけたほうがいいのかどうかもわからず、ただ戸惑った。
「きっと言いづらいんだろうなって。けど、同じ部屋にいる子たちが協力すれば大丈夫じゃないかなって」
さらにわけがわからない。なんで同じ部屋にいる子が協力するわけ? もし生理のことだったらもう大丈夫なのに。自分でできるのに。赤ちゃんじゃあないんだから。それにこずえがいるし。 三人はとうとう、真っ正面から私に、じわじわと笑顔を向けた。
優しさなんてない、ただ面白がっているような。
「夜、何時くらいに起こしてあげればいい? 大丈夫よ、美里、私たちが責任もって、失敗しないようにってしてあげるから」
本当に言われている意味がわからず、私が口をあけかけているところに、とどめをさされた。
「中学になってもおねしょが直らないことなんて、たいしたことじゃないよ。みんな美里の秘密知ってるけど、隠すって決めてるから大丈夫」
完全に思考回路が止まった。
──ちょ、ちょっと待ってよ! お、おねしょっていったい?」
想像してない展開だ。なんで、どうして、そういうことになっちゃったのか私にもわからない。
「なんで? なんで私がおねしょしているなんてことになっちゃうのよ!」
声を押える余裕なんてない、叫んでしまい、口を押えてしまった。不覚。誤解されちゃう。なんでこういう時にこずえがいないんだろう。こずえ、本当のこと知ってるくせに。なんで? そりゃこずえも言ってた。「美里、おねしょしていると勘違いされてるかもよ」って。でも、男子たちに私が生理になったことばればれなんだから、女子たちが気付かないわけないってたかをくくっていた。なんでだろう? なんで、クラスの女子たちが私をおねしょしたことに決め付けてるんだろう。まさか、私、物心ついてから、おねしょなんてしたことないのに! まさか中学にもなってしているなんて、よっぽどのことがない限り、ないに決まっている!
「だって、殿池先生のところに一日目泊ったでしょ」
ひとりが言う理由その一。震えが来て、言い返せない。
「去年旅行に行った先輩から聞いたんだけど、毎年先生と一緒に泊る子は、おねしょが直っていない人がほとんどなんだって。夜起こしてあげるのもそうだけど、おむつ持参で行く子もいるし見えないようにって心配りなんだって」
「違うってば!」
もうひとりが言う理由その二。言い返したくても、入っていけない。
「最近美里、トイレが近いって悩んでなかった? 授業中美里、トイレ行くなんてことめったにないのにこの前の数学の時間、真っ青になって抜けたじゃない? みんな言ってたんだよ。美里もきっと膀胱炎かなんかにかかってるんじゃないかって」
まとめをするひとりの発言に、完全完璧、私は血が昇った。
「私もまさか、美里がおねしょ直ってないなんて思ってなかったけどね。でも去年の宿泊研修ですい君がおねしょのことで先生に起こしてもらうって約束だったみたいだし、中学でもやっぱりあるのかなって思ったのよ。絶対美里って、おねしょしそうに見えないし、トイレに行く時でもめったにあわてたりしないよね。だからかえって口に出せなかったのかな、悪かったなとか思って。だからみんなで、美里のあのことについては、D組の女子たちの秘密にして、ばれないように協力しようって話になったのよ」
「こずえがそんなこと言ったわけ?」
さらさらそんなこと思ってないけど聞くしかない。
「ううん、こずえはなんかごまかしてたよ。美里が言わないでくれって言ってるから言わないって。でも、そんな恥ずかしがったって、おねしょが直らないんだったらしょうがないじゃない。みんな協力してあげなくちゃって思ってるんだもの。それにさ、おねしょしちゃったら布団水浸しになって、弁償しなくちゃいけないんだよ。男子にばれたら一大事だよ。立村に振られたらどうするの。美里、お願いだから信用してよ。私たち、真夜中二時くらいに起こしてあげる。その時トイレに行けるようにしてあげるから!」
「私、おねしょなんかしてないもん! なんでそんな勝手なこと決め付けるのよ!」
悲鳴みたくなってしまった。かぶりをいくら振っても、目の前の三人は落ち着いたままだ。私の言い分なんて聞いてくれやしない。いつ、どうやってそんな結論に達しちゃったんだろう。こずえも何にも言ってなかったし。とにかく、違うって話をしなくちゃならないってわかってるのに言葉が出ない。
「美里、去年の宿泊研修の時にさ、私たちがバスの中で出した時、一生懸命間に合わせようってしてくれたよね。あの時のこと、みんな忘れてないんだから。一生懸命に私たちを恥ずかしい目に合わせないようにしようってしてたこと、みんな見てるんだから。だからこの機会に私たちに恩返しさせてよ、みんな、大賛成だって言ってるんだから! ねっ、ねっ」
背筋が寒くなった。首を思いっきり振った。
「それとこれとは違うでしょ! 私、あの時は評議委員としてできるだけのことを確かにしたけど、それはみんなが追い詰められてたからしたことであって、今の私、そんなおねしょのことなんかで悩んでないもん! 私のため私のためって、そんなんじゃないよ!」
うまく言えず舌がからまる。真っ赤になっていくのに、どうして目の前の人たちこんなに落ち着いているんだろう。悔しくてならない。こずえ、早く戻ってきて証言してよ、そう言いたい。いつまでたっても戻ってこないこずえに、だんだん頭がかあっとなってくるのを覚える。
去年の宿泊研修の二日目、バスの中でトイレがピンチになった女子四人がいて、結局、バックをトイレ代わりにして難を逃れたことがある。全くもってその通り、今、私を「おねしょ」していると決め付けている女子ふたりは、その当事者だ。必死にトイレ我慢している様子に私としては、なんとしても恥をかかせたくないと思って、男子たちに席を移動してもらうよう頼み、歌を歌って女子たちが何をしでかしてもばれないように音消ししてもらい、なんとか女の子のプライドを守ったつもりだった。だってあんなところでしちゃったら、学校卒業するまでずーっと言われるに決まってる。バックにした人は四人だったけど、他の女子たちもみんな我慢ぎりぎりだったんだなってことは顔見ていたらわかる。絶対他の子には気付かれたくなかったから必死で平気な顔してたけど、あと十分到着するのが遅れていたら、私もどうなっていたかわかんない。
けど、それとこれとは別だ。あの時はみな、ほんとぎりぎりで我慢している状態だってことが、ばればれだったし、私がもし指示を出さなかったらD組の大恥としてみなきまずい思いをしたに違いない。ちゃんと目に見える証拠があったのだ。
私がおねしょしている証拠なんて、どこにあるんだろう?
そりゃ、私も生理になったことでみっともないくらい騒いでしまったのはまずかったなって思うけど、でもそんなありもしない「おねしょ」疑惑をかけられるほどのことじゃない。
「私、本当はね」
言いかけたのを遮られ、さらにまくし立てられた。
「美里、あれは生理だったのとかおなか壊してたのとか言いたいんだよね。でも、そんな嘘、言っててもいつかはばれちゃうんだから。私たちをもっと信用してよ! ね美里。私たちちゃんと目ざましかけておくから。他の部屋の子もね、美里が心配だから、部屋にその時間帯に電話かけて起こすって言ってくれてるんだ。だから、ね」
「私してないって何度も言ってるじゃない! 決め付けないでよ!」
「私たち美里が心配で言ってるのよ! 美里が中学三年にもなって、おねしょしたらすっごく恥ずかしいだろうなって思うから言ってるのよ。もしあれだったらこっそりコンビニ言って、紙おむつ買いに行こうかって言ってた子もいるのよ。みんな真剣に美里のことを思ってるのよ!」
「余計なお世話よそんなのは!」
追い詰められていく。嘘だ、嘘だ、冤罪よって叫びたい。私、ただ生理になっちゃって、それでパニックになっちゃって、殿池先生に世話してもらったってそれだけなのに。中学三年にもなっておねしょなんて、絶対にしてない。してないのに!
「美里、いいからいいから、もう安心してよ」
「決め付けないでよ、私してないんだから!」
何か言葉を投げつけようとしたのに、力が入らなかった。ひっぱたきたいのに、ひっぱたけないのは、あくまでもこの人たちが善意で言ってるってことになってるから。そんなの嘘だって感じるけど、でも言葉ひとつひとつは「おねしょが直らない私を守ってあげる」という好意からくるものだ。悔しい。露骨にもっと「あんたおねしょしていないけどしてるってことにしてあげる」って決め付けてくれたらいくらでも文句言えるのに。涙が出るほど悔しい。ほんとに涙が出てきた。頬を拭った。
「美里、ほら泣かないで。ほんとうのことはみんな知ってるんだから。三年D組の女子を信じてね」
「違う、違うってば」
もうこらえきれず私は首を振りながら布団にうつぶした。
慰めてくれる三人の声も、「おねしょが直らないで泣いている美里」へのねぎらいしか感じられなかった。
こずえの気配がした。
「あ、こずえこずえ、美里泣かしちゃったみたいなんだ」
「どうしたのよ」
かなりクールな口調に、私は顔を上げた。
「実はこずえに話してなかったんだけどね、D組女子同士で美里を夜、ちゃんと起こした方いいかなって聞いたのよ」
「起こすって……あっそっか。おねしょで?」
かっとなって叫びたい私。
「まさかこずえあんたが?」
「言ってない言ってない。そっかあ。美里がおねしょしているってやっぱりみんな、思ってたんだねえ。ふう」
やわらかい調子で、笑いを交えながらこずえは答えた。
「誤解されてもしょうがないシュチュエーションだって美里もわかってるって言ってたじゃん。ごめんごめんみんな。私もはっきり説明しておかなかったのが悪かったんだけどね。美里、おねしょで別の部屋に泊ったんじゃないんだよね。これ私が証言しちゃう」
「えー? でもみんな、美里がそうだって信じてるよ!」
「違う違う。要するに美里、初めての生理に一日目の朝、なっちゃってね。それでパニックっただけ。ほら、生理中ってやたらとおしっこ行きたくなるじゃんよ。それにはっきり言って、美里ナプキンの使い方も慣れてないし、生理用パンツも一枚しかないし、とにかく大変だったわけ。私ひとりで面倒みるわけいかないし、そこで殿池先生に預けたの。それが第一日目の真相」
みな、黙っている。不満そうな沈黙だ。
「みんな、次の日に美里がひとりで洗濯してたところ見たからそう言ってるんだよねえ。あれは血が思いっきりついちゃったから、さっぱりしたくて洗っていたっていうそれだけよ。私、証拠のシーツとタオルみたからね。もうまっかっかに染まってて、これじゃあ部屋に戻れないよね」 あっけらかんと言ってのけるこずえは、黙りこくっている三人をなだめるような口調でさらに続けた。
「ほら、美里って意地っぱりじゃん。絶対、自分がぱにくってるところ知られたくないって意地になってるのよね。だから私も早いうちに、初めてのあれなんだって言い訳しなって言ったんだけど、がんとしてそれ聞こうとしないのよ。ナプキン集めるのだって、本当はみんなに頼めばよかったんだけど、とにかく誰にも生理のことは知られたくないってがんばっちゃったからさあ。ほんっと、これは美里の自業自得ってことよね。あれだけ私が言ったじゃないの、ったく」
なんか目の前の三人、むすっとしたまま黙っている。なのにこずえはあっけらかんと、
「美里の負けず嫌いっていうか、見栄っ張り。そういうとこって去年もあったじゃん。ほら、宿泊研修のバスの中で私が、トイレがまんできずにバックにジャージャーした時のこと覚えてる?」
顔を見合わせあう三人。そのジャージャーがふたりいるんだから、知らないわけない。
「美里、あの時なんでもないって顔してたじゃん? 私と同じ量のパフェとかジュースとか飲んでたはずなのにって思ってたんだけどね。もうほんっと頭に来るかって思ったわよ。みんなバス降りる時、男女関係なく前抑え状態だったってのにさ、美里だけ一番後から降りてって、『立村くんの部屋に行ってくる』とか涼しい顔で言うんだもん。もう思いっきり腹立ったよ。なんでそんな余裕しゃくしゃくなわけ?って聞きたかったんだ。だって悔しいよね。私とか加奈子ちゃんがもう人生の終りを感じていたところで、美里ってばそんなの知ったことじゃないって顔してるんだもの」
そんなの知らない。私だって、他の子たちの目の前だから、なんでもないふり必死にしてただけ。
立村くんの部屋に行くちょっとくらいの時間だったら、たぶんがまんできるって思ってたし、そんなみっともない格好で降りたくなかったもん。
なんでこずえ、いきなりそんなこと言い出すわけ?
「これはねえ、みんなに内緒にしとこって決めてたんだけど、いいかげん美里の見栄っ張り直してほしいから言っちゃうわ」
大きなため息をついて後、こずえは私の頭に片手を置いた。
「その後美里ってば、スカート真中で握り締めるようにして、部屋のトイレに駆け込んでったよ。もう典型的な、トイレの限界ポーズって感じだったね。ほんとはバスの中でも私たちと同じだったんだなってその時思ったよ。あんなえらそうなこと言っちゃった手前、言えなかっただけなんだよね」
悔しくて、別の意味で泣けてくる。なんでそんなことまで知ってるのか。思い出すといやな気持ちがまた蘇る。
「だからさ、美里。見栄を張るのはいいかげんにしなよ。生理でもいいじゃん、トイレがまんしてるの知られたっていいじゃん。ま、男子にはちょっとなあって思うけどね。でも、みんな同じ状態の時にさ、私だけ平気ですって済ましているふりしてどうするのよ。みんなあんたがそういう風にしてるから、美里はお高く止まっているんだって決め付けるんだよ。ほんっとにもう、だからだよ。みんな、美里がおねしょしているって本気で思うのも無理ないよね。反省しな!」
声を出して私は泣き伏した。修学旅行に来てからというもの、私、泣き虫になっちゃってる。こんなに涙もろくなんてなるわけないのに。うれし泣きじゃなくて、悔し泣きばっかりだ。みっともない自分ばかりが突きつけられていく。こずえの言葉に、もう自分がどうにかなってしまいそうだった。
「美里、少し落ち着きな。こっちにおいで」
すっかり腰が抜けた状態で私はこずえの腕をつかんだ。腰に手を回すようにして、私は部屋の外に出た。こずえは何も言わず、廊下をちらっと見た後、例の自動販売機の前に私を連れて行った。
「いいかげん泣きやみなよ、美里」
「だって、だって」
こずえがなだめるように口を尖らせる。
「だから言ったでしょが。おねしょしてるって思わせるようなことしてるからああなっちゃうのよ」「けど、あんな昔のこと言わなくたっていいでしょ!」
去年の宿泊研修のことなんて、そんな見られたくないところ、こずえしか知らないってわかってるけど、でもほんとは知られたくなかったのに。
「あれねえ、みんな、美里がなんでもないふりしててむかついてたから、言っただけだよ」
「え? だって私みんなのためにしたのに」
「それが思い込みって言うの。トイレに駆け込みたいって思っている時に余裕ありありな顔されたら、頭くるよ。ばかにしてるんだってみんな感じちゃうからね」
「そんなこといえるわけないじゃない!」
私はしゃくりあげながらつぶやいた。
「あまり言いたくないけどさ、もうD組の女子たちはストレスで一杯なんだよ。美里がなんでもできて、完璧で、しっかりものだってことはよっくわかっているけど、見下しているような感じが漂ってきてて、むかつくってみんな思ってるんだよ」
「そんなつもりない!」
「あんたはなくてもさ、周りにはそう伝わるの。一年前のことなんて恨み引きずるのかあんたらって私も思うよ。けどね、あの子たちがしたことは、私も気持ちわかるしね。それに美里」
こずえはいきなり真面目な顔をした。
「あんた、あの時、人間として最低なこと口走ったこと、忘れてないよね」
──忘れてないよ。
──あの時、ああ言っちゃったから、ああなったんだもん。
うつむいた。
「加奈子ちゃんに、あの場でさせようって思ってたでしょう」
悔しくてまた泣けてくる。自分が許せない。
「加奈子ちゃんにあやまるのは必要ないよ。そんな恥ずかしい過去引っ張り出されたらそっちの方が迷惑だもん。けどね、これから部屋に帰って、あの三人にはちゃんとごめんねって言うんだよ。納得行かないかもしれないけれど、あんたがしたことで確実に傷ついてるんだからね」
顔を覆ってしゃくりあげた。咽から魂みたいなものがえっ、えっ、っと出てくるみたいだった。背中をさすってくれるこずえの手が、浴衣の上から暖かくにじんできた。
「私、反省してる。後悔してる。ほんとだよ。あの時から、ほんとだよ」
「もういいって」
「だって、私、あの時言った後、すぐに後悔したんだもん」
思い出したくない記憶、こずえにしか知られたくない秘密。恥ずかしくてならないけどいわなくてはならないってわかっていた。
「あの、あの、みんなに席移動してって頼んだ後、それまで全然トイレ行きたくなかったのに、いきなり、だったの」
「え? いきなり?」
目をこすった。頷いた。
「加奈子ちゃんががまんしているとこ見て、つい、そう思っちゃったのはほんと。けど、それから頭に、そのかっこうと、自分で言ったこととかがずっと焼き付いちゃって、こずえもいたし、頭にその、やっちゃうとこが浮かんじゃって、だんだん私、がまんできなくなってきたんだ、けど、そんな、言えないし」
「そっか、きたんだ」
「悪いこと考えたら、その報いすぐ、自分に降りかかってくるんだなって、その時思ったの。加奈子ちゃんだけそうなればいいって、ちらっと思っちゃったら、まさかこずえまで。きっと罰当たったんだね。もう絶対、そんな人傷つけることなんてしたくないって、ほんとに思ったのよ。だから早く、トイレ行きたいって思いながら、もう二度とそんなことしないって、誓ったのに」
こずえは何も言わず、背中から私を抱くようにしてくれた。お母さんがちっちゃいころしてくれたような、だっこだった。
「もういいよ美里。もう、楽になりなよ。私は、あの時バックを差し出してくれた美里の気持ちの方が、加奈子ちゃんにやあなこと考えた時よりも面積広いんだって、信じてるからね!」
声を出して泣きつづける私を、ずっとこずえは暖めてくれた。
「さっきは、ごめんなさい。いっぱい傷つけちゃって、ごめんなさい」
こずえに付き添ってもらい、私は彼女たちに頭を下げた。少し不承不承だったけれども、とりわけ何かを言われることもなく、その夜は過ぎた。唯一変わったことがあったとすれば、彰子ちゃんが荷物ごと、どこかに消えてしまったことくらいだった。