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第一日目 2

 

 昨日の大雨が一転、青一色の空。風もほとんどなかった。大抵、バスの中で半分死人みたいな顔してひっくり返っているのがいつものパターンなのに、ほんと奇跡としか言いようがない。地上よりは確かに揺れているはずの甲板で僕たちはジュースを飲みながら椅子に腰掛けた。赤・青・黄色とやたら鮮やかな椅子が縦五列横八列ずらっと並んで固定されている。こんなに気分よく乗り物に乗っていられるなんてこと、今まで一度もなかった。

「と、いうことでだ。立村、もう一度あれを読ませろよ」

 B組評議の難波が、僕のショルダーかばんを引っ張った。

「激愛するお方からのラブレターだってことはわかってるけどさあ、な、俺たちにも読ませてくんろ」

 昨日、カラオケボックスで恋愛沙汰のけりをつけ、今はすっきりした顔のA組評議天羽が背中から抱きつく。気持ち悪い。

「お前の言う通り例のものを用意はしてきたけどさ、ほんとにいいのか」

 気弱そうな言葉をもらすのはC組評議の更科だ。

 僕は目で三人に合図し、背中の天羽の腕を無理やり引き離し、かばんに手をかけた。ふと気になってC組評議の更科に尋ねた。

「用意って、更科、お前荷物の中にそのまんま入れてきたのか?」

「ばれないように、袋には入れておいた」

「旅館に着くまでは持ち物検査なんてしないだろうしな」

 うっかり足が着いたら一貫の終りだ。青潟大学附属中学三年D組評議委員会、男子評議たちに与えられたいくつかの裏任務。先生たちにばれたらたぶん停学だ。

 ──けど本条先輩も、これ本当にやったのか?

 周りには女子たちも、他の連中もいない。弁当を食べたりして盛り上がっている一部の男子グループにも聞こえないよう、僕はかばんの中から一冊、ノートを取り出した。

 本条先輩直筆「修学旅行裏マニュアルブック」である。


 ──修学旅行を迎えるにあたって・男子評議委員へ愛をこめて。

 なにが愛、なのかよくわからないが、そう灰色の表紙には黒マジックでそう綴られている。ぱらりとめくり、まずは椅子の背にしがみついている難波へ渡す。周りに人がいないのをいいことに、朗朗と読み上げる難波。

「えっと、一つ目は。『その一、持ち込み禁止ではあるが持ち込まねばならないもの一覧』かあ。お前、電話で言ってた通りのこと、書いてるなあ」

「エロ本ってか?」

 これは更科。ボーイソプラノの声が響く。天羽が更科の後ろに回り、羽交い絞めにした。僕は人差し指を口に当てる程度にとどめ、頷いた。「ここに書いている通りなんだ。本条先輩のようないかにも精気溢れんばかりの人を基準にするのはどうかなって思うけどさ。でも、四泊だろう。人によってはまあ、必要かなと思うわけでさ」

 いくら人気がないとはいえ、船上は有る意味密室だ。この辺は曖昧にぼかす。

「男子用の臨時トイレ用ペットボトル、これはわかるよな」

 僕が去年の宿泊研修でクラスの男子連中に必ず持っていくよう厳命したものだった。実際使用者がいたかどうかはさだかではない。とはいえ精神的そなえがあれば憂いなしだ。

「けどさ、『ゴム』なんてなあ」

 あえて「コンドーム」とは言わない天羽。小声だ。お笑い番組演芸舞台に通いつめるおちゃらけ者、結構わかっているところはわかっている。あれでも気を遣っているのだろう。

「ほんと、本条先輩ならともかく使う奴いるのかよ」

「本条先輩だってたぶん使わなかったと思うよ」

 僕はこの辺軽く流した。うちの学校はわりと、具体的な保健体育の授業……いわゆる性教育だ……を行うとこらしいのだが、二年最後の授業で男子たちに配られるとは思わなかった。あれ以来、ひとり一枚携帯することが常識化している。もちろん規律委員会の持ち物検査で見つかっても没収されることはない。ちなみにその授業前から日々携帯していた男子を僕は知っている。現規律委員長の南雲秋世である。実際使用しているかどうかまでは僕の知ったことではない。

「あれだけおおっぴらに授業中渡されたら、隠すものでもないんでないか」

 難波の言う通りだ。僕はページをめくるよう難波に指で合図した。

「で、次だ。『エロ本持参』って。ああ、まじで書いてるな」

「本当か?」

 いまだに信用していない顔をするのは更科だった。女子が圧倒的に権力を握っている通称「青大附中の邪馬台国」C組の男子評議。かなりストレスが溜まっていると見た。僕が「グラビア本持参」を伝えた時、一番喜んだのはこいつでないかと思う。

「本当だ。『健康な中学生の男子たるもの、一日一度は励みたくなるだろうし、ただでさえ修学旅行はストレスもたまる。特に評議委員たる君たちは、それぞれの肉体が訴える激しい欲望を排泄したくてならないだろう』。さすが本条先輩、よくわかっている」

 ──難波、お前って結構、本条先輩と意見同じかもしれないなあ。

 最後まで抵抗があった。自分の名誉のために言っておきたい。

「まあなあ、溜まる感覚って、なんか、すっきりしねえよなあ」

 天羽のわき腹がちょうど僕の片手ぶつかる場所にある。思いっきり突いてやった。「あいってえ」と天羽の奴、僕の髪を引っ張って抜こうとした。この年で髪の毛なくしたくない。そのまま顎を脳天にのっけたまま、僕の首を軽くしめた。

「『もちろん君たちの脳内細胞に巣くうアイドルたちをイメージしつつ、励むのもまた一興。しかし、大抵はできるだけ可愛い子のグラビアなどがあった方が、色々好都合なのではないかなと思うのだが、いかに』本条先輩、やっぱわかってるよ」

「難波、そんなに納得しているんだったら、当然、持ってきたんだろうなあ」

 無表情で僕は尋ねた。

「ああ、『日本少女宮』の最新写真集」

 船の中で持ち物検査がないことを祈りたい。

「立村、そういうお前は何を持ってきたんだ?」

 天羽が肘で頭をぐりぐりする。昨日いじめた恨みを今になってぶつけるのはやめてほしい。

「本条先輩がくれた古い写真集だよ」

「使用済みかよ。お前の抜いた後ってものを使うのか? D組は」

 天羽の手首を思いっきりひねったのは条件反射だった。

 別に昨日、面倒な仕事をした恨みがあったわけではない。

「じゃあ天羽、お前はどんなの持ってきた?」

「今朝、コンビニで買ってきた」

 恐れ入りました。誰も「使用」していない、旬のものを持ってきたってわけだ。


 なぜ僕たちが午前中のさわやかな青空の下、グラビア誌の下ネタに興じているのか。一応評議委員としての仕事なのだ。表向き、評議委員の修学旅行関連業務は「旅行のしおり」「クラス内の班振り分け」「事前学習」などなどあるのだけれども、他の人たちに代行してもらってもかまわないことばかりだった。修学旅行が終わったらすぐ、水鳥中学との学内交流会が行われるのでその準備なども重なっている。ほとんど女子評議の清坂美里、通称清坂氏にまかせっぱなしだった。実際、細かい作業は清坂氏の方がこなすのがうまいので百パーセント信頼して任せている。向こうも僕に頼まれるのが嬉しいみたいだ。僕の頼りなさゆえかもしれないけれども、考えないことにしておく。


 三日前、卒業した一学年上のの先輩、本条里希先輩から封筒が届いた。

 しばらく忙しくて電話連絡しかしていなかったのだけれども、やっぱり僕のことを忘れたわけではなかったらしい。

「先輩、修学旅行のときって何してました?」

 何気なく質問してみたところ、わざわざノート一冊にまとめて送ってくれた所、義理堅い人だ。

 女ったらしの学年トップとして異名を馳せた本条先輩は、現在公立の青潟東高校で演劇部に入って、遊び人に徹しているらしい。ほんと、青大附属高校、惜しい人材を手放したものだ。

 そのノートを全部読み終えて、僕は即、評議委員連中男子限定で連絡を入れたというわけだ。一応A組の天羽には、前日顔を合わせる用事があったこともあって曖昧に説明した。学校だと女子の目が怖い。電話で簡単に用件だけ話した。なんせ内容からしてまずい。


 一、男性向けグラビア雑誌を一冊持参すること。

 一、コンドームを各クラス人数分用意すること。

 一、バス内トイレに使用できるように、ペットボトルを持参させること。


 こんなこと、女子に知られたら即、評議委員から罷免されること間違いなしだ。ただでさえ今年の二月以降、三年評議の間で男女の不協和音が流れているっていうんだから。比較的うまくいっている僕と清坂美里……通称「清坂氏」と呼んでいる……が懸命にとりなしているにもかかわらず、状況は悪化する一方だ。きっと言われるだろう。「男子って最低! スケベ!」ときっぱり切り捨てられ先生に告げ口され、評議四人とも停学・旅行中旅館内にて座敷牢の可能性、ありだ。

 本条先輩にお礼がてら質問したところ、

「お前、四日間、抜かないで平気でいられるか? いや、いられないとは言わないだろうが、いらつかねえか? いらついたらどうする? 誰かに八つ当たりしねえとも限らんわな。その相手がお前、もし清坂だったらどうするんだ? 清坂ちゃんを泣かしてしまったらお前どうするんだ? とにかく、俺の経験で言わせていただければだ。自分の身体をこの長丁場、ベストコンディションに保つためには、一日一回、きっちりと排泄するってことが大切なんだぞ。お前、またつらっとした顔でいるんだろ? 人間はな、抜くべき時にきっちり抜いておいて、女子たちには紳士でいる振りをする、それこそ大切なんだぞ。ま、教師連中にそのことわかる奴いるとは思えねえから、評議のお前らが少しでもトラブル防止できるよう、準備しておくんだな」

 もう一つ重要事項が記載されている。


 一、朝五時前後、男子評議委員は必ず、旅館・ホテル内の男子トイレに集合し、情報を交換すること。 

 一、他の連中がやってこないうちに、心行くまで快便を楽しむこと。


 なにが「楽しむ」んだか、とは思うのだが、必要性は痛感する。

 男子の場合、トイレの個室にこもるということは、かなりのストレスとなる。学校では決して立ち寄らないようにしているのも当然のことだ。でも四日間、便秘で過ごしたらそれこそ「抜く抜かない」以前の大ストレスになること極まりない。せめて評議連中だけでも、朝の内に済ませることはちゃんと済ませ、仲間内で見て見ぬふりをし、ひとりが篭っている間は誰にも邪魔させないように見張りを行う。なるほど本条先輩、頭いいと思う。これから説明するつもりでいた。


「つまりさ、本条先輩が言うには」

 僕は一通り、三人に説明した。先輩のノートは僕宛に向けて書いているところがあるので、他の三人にはわかりづらいところがなきにしもあらずだ。全部目を通した三人は、にまにましながら僕のネクタイあたりを眺めている。

「四泊五日の間、できるだけみんなにストレスを溜めてほしくない、ってことを言いたいわけなんだ。まあちょっとさ、まずいよなってとこもあるけど、先輩から話聞いたらそれは確かになって思った」

「エロ本のこともか?」 

 だから声が大きいぞ、更科。天羽にまたヘッドロックを掛けられている。

「そう。誰かかしら、こっそり持ち込んでいるとは思うけどさ。一日目の夜の段階でまず、その写真集を分解して、男子たちに各一ページ渡すんだ。使う時は当然一人だろうし、人の前ではやりたくないよな。小さく破いて自由時間あたりに外で捨てれば問題もないしさ」 「本、破くのかよ! 書物に対する冒涜だ!」

 難波が悲鳴をあげる。こいつは自称「青大附属のシャーロキアン」だが推理能力についてはあえて何も言わない。もうひとつの一面「古本屋マニア」という顔を持つ難波にとって「エロ本」であっても、本を破く、なんてもってのほかなんだろう。

「お前がかまわないんだったら、回し読みでもいいけどさ。ただ、見つかった時は言い訳できないだろ」

「もっと絞りだしてかすかすの奴、持ってくればよかったよ、もったいない」

 今更後悔しても遅い。天羽がまぜっかえした。

「難波のはあはあ言った後の女で抜くなんて、B組もやだろうなあ」

 ──だからなんでそんなことこだわるんだよ!

 思いっきり露骨に顔をしかめた難波。そりゃあそうだろう。天羽の女子好みがいかにくせあるか、みなここ数ヶ月の騒動でよく実感している。

「とにかく。四日間もの間、いつもすることができないと思考能力を落とすもんだと本条先輩は言いたいらしいんだ。別に、その、あの、色情狂になれってわけじゃなくってさ。俺たちがまず、四日間きっちりと生活することが大切だってさ」

「立村そんなこと言うんだったら聞くけど、お前、一日一回抜かないとしんどいの? すげえ溜まりやすいタイプ?」

 気弱そうだが実は結構言うこという更科が尋ねてきた。本当のこと答える必要はないように思う。笑ってごまかした。

「想像に任せる」

「清坂ちゃんいるんだから、本人に抜いてもらえばいいのに」

 間髪入れず僕が更科の頭をはたいたのは、当然のことだと思う。たぶんこういう時に冷静さを失ってはいけないから、本条先輩は「エロ本」持参を進めてくれたのだろう。納得だ。  さわやか、青空、快晴の下で話すようなことじゃない。


「あのなあ、立村、そうかっかすんなよ」

 ──天羽、お前には言われたくないよな。昨日の今日でさ。

 怒涛の雨嵐の中、なんのためにわざわざカラオケボックスまで行って、こいつのクラス内恋愛問題の仲裁をしてやったというんだろう。肩を不必要にもむのはやめてほしい。小さな声で「落ち着け、ほら、大きく息を吸って、ほーら吐いて」と、ラジオ体操ののりでささやいてくる。

「単に俺たちはだなあ、唯一生え抜き評議同士うまくいっている三D評議コンビを応援しているだけなんだわな、だろ? 更科、難波」

 僕の前で椅子をまたぐようにして、難波も天羽とこくこく頷く。

「天羽、さすが話が早い」

 ──難波よ、お前もそんなクールな顔して、つらっとした顔でさりげないこと言うしな。

「だよなあ、俺たち、間違ったことしてないぞ。立村、お前と清坂がうまくいってるから、なんとか青大附中評議委員会も空中分解しないですんでるんじゃないのかなあ」

 ──ずっとそんなこと関心なさげな顔をして何考えてるんだか、更級よ。

 僕が黙っているのをいいことに、三人言いたいことを言い合う。

「まあ、俺が言えた義理じゃあねえよ。この前はほんっとすんませんでした! 俺個人のことをさ、立村に手伝って片つけてもらうなんてみっともねえったらねえや。けど、これでも責任は感じてるんだぜ」

 ──責任感じてるならこれ以上何も言うなよ。俺だって水に流そうとしているんだからな。 天羽がひとりでまた演説をぶとうとしている。いわゆる「委員会内恋愛」の失敗により一方的な相棒交代を要求し、しゃれにならないくらい相手の女子を傷つけてしまったという過去を持つ。過去というにはまだ時間が経っていない。なにせ昨日、僕の意思でもって初めての「弾劾裁判」みたいなものを行ったのだ。別に裁判官になったわけではなくて、お互いの話をすべてきいた上で一番いい方法を取ろうと思っていただけだ。元天羽の恋人だった女子が別の男子と付き合うことで丸く収まったようだった。この件については僕個人として、いろいろ言いたいことがあるのだけれども、天羽やその女子を傷つけるだけだ。どしゃぶりの雨の中、思いっきり水に流したつもりだった。だったら忘れさせてくれよな、と僕は言いたい。

「まさかさあ、評議の女子たちがここまで俺に、いや男子連中に噛み付いてくるとは思わなかったしなあ。あれだけ団結力強いと言われてた俺たち三年評議グループがだぜ。あれはあれ、これはこれって割り切ってくれたのは男子連中だけ。女子たちからはまあ、覚悟はしてたけど、総すかんって奴か。これもしょうがないわな。俺の身から出た錆だ」

 ──よくわかってるよな。

 心で突っ込みをいれて天羽に肩をもませたままにしておく。気持ちいい。

「けど、それをうまーく、バランスとってくれてるのがお前、立村と清坂の三年D組評議委員名コンビじゃねえかよ。ほんっと、お前ら付き合っているいない関係なく、鉄壁って感じだよな。立村がテーマを決めて、清坂が割り振って意見をまとめ、最後にやっぱ立村の決断でまとまるってさあ。しかもお前なんも、いやな気分させないで俺たちに仕事押し付けてるし」

 ──押し付けてなんかないってさ。

 かなりむっときた。でも返事をしない。

「これ誉め言葉だぜ、立村、すねるなよ」

 難波に今度は頭をなでなでされる。ガキじゃないんだから。頭を思いっきり振って振り払った。

「とにかく、俺たちは立村を評議委員長に選んでよかったって、強調したいわけ。女子とのごたごたさえなければなあ、ほんっと最高だぜ、今の評議委員会。修学旅行が終わったら今度は水鳥中学との交流会も待ってるだろ? お前がここでへばっちまったら俺たちも困るしさ」

「うん、青大附中評議委員会発展のためにも困るよね」

 ──倒れて海上自衛隊の救急ヘリコプター呼んでもらおうか。

「残念ながら、俺は評議委員会をごたごたにした張本人だ。女子連中からは一切口を利いてもらえねえ、淋しい日々だが後悔しちゃいない。けどな、立村。お前にはなんとしてもハッピーになってほしいんだなあ。だろ? これ、友情だよな」

 ──何が友情だっての。余計なお世話っていうんだよ。

「だからな、俺たち青大附中三年男子評議委員一同は、道中、とことんお前らふたりを応援したいのだよ、なあ、みな、賛成だよなあ!」

 ──人の応援するより自分のこと気にしろって感じだよな。 僕がひとり黙りこくっているのをいいことに、みな言いたい放題のことを言っておる。本当だったら僕も思いっきり言い返したいことがあるし、どうせだったら一発ずつ拳骨をお見舞いしてやりたいところだ。ちゃんと三人のアキレス腱たる恋愛事情を握っている僕としては。


 ──天羽は言うまでもないよな。西月さんがしゃべれなくなったのはどう考えたってお前のせいだろ? そりゃあいろいろ問題あったのも認めるさ。あれだけ張り付かれたら気持ちもわかるよ。うちの女子評議たちが勝手に西月さんを応援して、天羽がいやがるのを無視してカップル化しようとしていたのはまずかったよな。けど、お前やりすぎ。よりによって次の彼女を評議委員の女子後釜に持ってくることはないだろ? プライドずたずたにされて傷ついて自殺されても、俺は驚かないぞこの状態。


 ──難波だって人のこと言えないだろ。シャーロキアンだとか言って硬派気取っているのは悪くないけどな。いいかげん「日本少女宮」の人を基準にして女子の外見を評価するのはのはまずいと思うよ。プロポーションがいいとか、顔の作りが整っているとか、それにくらべてうちの学校の女子は……って面と向かって言ったら、そりゃあ誰だって怒るだろ? 本音と建前ってもの、使い分けろよな。


 ──更科も、保健室の都築先生に熱上げているのはわからなくもないけどな。あいつ年上好みだし。チャンスあらば寝込みを襲おうとでも思っているんだろう? 見た目はそういうことに関心ないように見えるからな更科も。油断していたら危険だぞ。こいつは。

 

 これだけ個性の強い三年男子評議からどうして僕が、本条先輩に気に入られたのか不思議でならない。いつ誰かが対抗馬にしゃしゃりでて邪魔してもおかしくないのにだ。こいつらみな、僕が何をするにしても立ててくれたし、下級生や女子たちからの反対意見を無視して評議委員長に持ち上げてくれた。

 評議委員長として今学期一番の課題「水鳥中学との全校交流会」も無事に開催できそうだ。いろいろな方面から横槍が入ったり、予定とは少し違った形になってしまったけれども、その辺はまだカバーできる範囲内のものだ。

 天羽は最近こそ女子たちがらみの問題を起こして株を落としているものの、派手なパフォーマンスでもって話を下級生に通してくれたりした。笑いで受けを取るのがこいつ、天才的にうまい。

 難波も僕の苦手な論理的部分をカバーしてくれて、具体的な例を適度に出しては先生たちや理屈っぽい下級生たちを説得もしくは丸め込んでくれた。女子たちに対しての辛らつな態度はちょっとまずいなあと思わなくもなかったけれども、かえってそれが効果的だったことも認める。

 更科も見た目がとことんお坊ちゃんで先生受けナンバーワンという人徳を利用して、評議委員会のため先生たちに取り入ってくれた。みんなのマスコット的扱いをされていて、別の意味で「ガキ」と思われがちなのだけれども、結構頭の回転がいい。難波がびしばしと言いたいことを言って女子たちを叩きのめすのに較べて、更科はとことん人の顔を見つつ意見をするする通す。鞭とアメコンビと呼んでやりたい。

 この三人が僕の敵だったとしたら、もう評議委員会にいられなかっただろう。

 味方になってもらえてよかった。この学年でよかった。よかったのはいい。だがしかし。

「だからさあ、立村、今回がチャンスじゃんかよ」

「なにがだよ」

 更科のにやにや面にとうとう言葉を発してしまった。ひっかかってはいけないと思いつつもついつい反応してしまう。

「だから、『卒業』さ」

 クールに言ってのける難波。まだ中学卒業まで半年あるだろうが。

「お前、ガキだよなあ。本条先輩じゃあねえけど、つくづくそう思うぜ」

 天羽がまた暑苦しく抱きついてくる。

「だからなにがだよ!」

「今回は四泊五日だよなあ。しかも最後の四日目は全員ツインルームに振り分けられるってわけだ」

「何が言いたいんだよ」

「先生たちも、他のくそ真面目な連中もみな疲れきって真夜中夢の中だ。最高のチャンスだよな。ツインルームったら、真夜中の入れ替えさえうまく行けば、しっぽりと」

 身動きしないで僕は静かに答えた。

「お前ら夜這いしたいっていうのかよ」

「俺らがしたいんじゃねえの。お前が、行けっていうの!」

「立村、お前いっちゃん最初に彼女作っておいてさ、全然進んでねえじゃん。まだちゅーもしてないんだろ? 清坂ちゃんとこのあたりで早く、なあ、一発」

「そうそう、初めての経験は一晩ゆっくり時間かけてやった方がいいっていうし、お前初めてだから時間かかるに決まっているしな。その経験談を俺たちの貴重なデータに還元してもらい、俺たちも今後に備えると。完璧だ」

 ──この青空、この青い空、このすがすがしい空気。

 ──三人もろとも海に投げ飛ばしてやろうか。

 瞬間、三人の額を手裏剣ではたき飛ばすにとどめた。

「ほーらほら、立村ってさあ、こういうとこがガキだよなあ」

 眉間を軽く押えながら相槌を打ち合う三人衆を背に、僕は言い捨てた。

「とにかく、例の物は旅館に着くまで命賭けて隠せよ。ばれた時は相手を売るな、いいな」

 聞いちゃいない。僕をじろじろ見ながら、さらに聞こえよがしのひそひそ話を続ける。

「立村ってなあ、俺たち男子評議四人衆の中では一番うぶだと思ってたんだがなあ。いっちゃん最初に彼女作っちまうとは、俺らも思わなかったなあ。あれは驚いたぞ」

 ──天羽よ、お前のようにさっさと乗り換えるよりはましだと思うな。

「そうそう、そういうことには関心ございません、って顔していながら、やばめの写真集とか持っているんだこいつ。この前立村のうちに行った時見たぜ。さかさまに人が吊るし上げられている女の官能写真集をな。かなり本には、開いた後がついていたように思うな」

 ──その写真集、俺が取り上げる前、真剣に見入っていたのはどこのどいつなんだ難波よ。お前みたいに「日本少女宮」ポスター貼っていないだけましだよ。

「この前もさ、二年の杉本のCカップに視線ちらちらさせてさ、言われてやんの。『そんなに贅肉がお好きなのでしたら、どうかお使いください。やはり立村先輩もばかな男子の一人という部分、あるのですね』ってさ。真っ赤になってるくせに、気付かないってのがやっぱり、立村らしいなあって思うよ」

 ──更科、俺は杉本の胸のサイズなんて目測量したことないぞ。第一、どうやって計算したんだ、そのCカップって。

 最後に言うではないか。

「本条先輩が言ってたよな。『立村ってな、一晩に二回が限度だけど、お前らの友情でせめて三回はいけるようにしてやってくれよ』ってな」

 ──本条先輩、なんでそんなことこいつらにしゃべったんですか!

 すべて事実ばかり並べ立てる奴ら。全部嘘だと言いたいのに言えない。とにかく声を揃えて言うなよお前ら。また肩を叩かれ、みな悪意のなさそうな笑顔で悪意としか思えない激励の言葉を賜った。

「この五日間で一番、ストレス解消が必要なのはお前だよ、立村」

「二日目夜は評議四人で同じ部屋だ。しっかり一時間お前のためにひとりの時間押えてやるから、しっかり励めよ」

「朝一番の集会の時も、ちゃんとプライバシーは保ってやるよ。清坂には内緒にしてやるし」


 これで怒ることができなかったのは、僕もこの三年間で全く成長していない証明だ。

 一言叫ぶのがせいぜいだった。致命傷を浴びせることはできない。

「人のこと言えるかよお前ら! 天羽、難波、更科、自分の願望を俺にすべてなすりつけるのはやめろよな!」


 船室には戻りたくなかった。港に近づくまでの間、僕は海の見えるデッキにて潮風を吸い込んだ。海の塩で、早く自分を清めてほしかった。

 ──本条先輩と約束したんだけどな。やっぱりうまくいかないな。

 先輩が心配してくれているのはずっと前から気付いていた。僕がもともと、下ネタ繋がりの話題に嫌悪感を覚えること、そのくせ人一倍そういう話題について興味を持っていること、周りには関心なさげに見せたいくせに、評議四人衆をはじめとして周りの友だちにはみな気付かれているということ。「あんた見た目よりずっとスケベだからねえ」とはある女子の言葉だがそれを否定できないところが痛い。

 ──どうして、あんな感情が存在するんだろう。

 実感したのは中学一年の三学期前後だったと記憶している。

 本や保健体育の授業では男子の第二次性徴がどういうものか学んでいたから驚きはなかった。その時は冷静に受け止めたつもりでいた。自分の力で制御できるものだから隠し通せると思っていた。

 女子たちにはわかってもらえないだろう。どのくらい毎日、ちょっとした刺激で気持ちが高ぶりそうになっているのを押えているのか。匂いや写真やテレビ番組。今まで何事もなく流れていた空気のようなものが、いきなり僕にちくちくと突き刺さってくるような感じだった。思いがけず、自分の中にスイッチが入ってしまう。もろにその感情が身体に響き、時には露骨に表へ出てしまう。

 いつそのスイッチが入るのかがわからなくて、二年の一学期くらいまではありとあらゆる本の情報を集め、「どうしたら落ち着かせることができるか。ばれないようにするにはどうしたらいいか」ばかり考えていた。例の評議四人衆をはじめ、他の男子たちに「お前、あの時どうしてる?」と聞くことができる性格だったら、もう少し早く楽になったことだろう。今だからわかることだけれども、みなあの時期は多かれ少なかれ同じことで悩んでいたようだったから。


 運がよかったのは、僕の一年先輩に本条先輩がいたことだろう。

 なんであそこまでいろいろと面倒を見てくれたのだろう。初めて「使う」という意味での女性写真集をくれたのも、毎日どういう風にして欲求不満処理をすればいいか教えてくれたのも、女子との「付き合い」についてその意味を教えてくれたのも。けれど、決して本条先輩は面白おかしくそういう「性教育」をしてくれたわけではない。二年の夏休みに伝えられた言葉は決して「三年までに一晩三回は抜けるように腹筋を鍛えろ」ではない。 ──もっと、同期連中を信頼しろよ。まずは手始めに、毎日何回しごいているかを聞き出すとかな。

 聞かされた当時は、本条先輩から打ち明けられたもうひとつの秘密で頭が一杯だったし、それほど考えることもなかったけれども今ならばわかる。本条先輩はきっと、僕が今のように、もうひとつの感情で頭を悩ませる前に相談相手を用意してくれたのだろう。

 ──天羽・難波・更科。

 くせのある奴ばっかりだ。

 ──あんなこと言われたあとでもさ。

 遠くの水平線に、かすかに水色のひょろひょろ線と白い雲が横にたなびいていた。

 バスより揺れているはずなのに、酔わない。

 ──しっかり、二日目の夜のこと考えてるんだよな、俺は。

 一日目はD組男子連中と大部屋泊り、二日目は評議四人衆と一緒、三日目は南雲たちと、四日目は羽飛とツインルーム。以上が修学旅行中の部屋割り当てだ。僕の分はとにかく奴ら三人の個人的時間をしっかりと取ってやらないとまずいだろう。あれはほとんど、三人の願望に他ならない。  


 そろそろ下船準備をしなくてはならなかった。三年D組の集まっている座敷に戻ろうとして入ろうとすると、誰かとすれ違った。後ろに行った後で気がついた。

「清坂氏、そろそろ降りる準備だよな」

 振り向いた清坂氏は少し前髪をよけるようなしぐさをして頷いた。

「うん、すぐ戻るね」

 僕はずっとデッキでひとり、物思いにふけったり評議四人衆と下ネタかましあっていたから船酔いからは逃れられたけれども、清坂氏たちD組女子はほとんど、船の中から出てこなかった。空気がよどむし具合悪くなってもおかしくない。いつもだったらもっとはしゃぐ人なのに。あまり楽しそうな顔ではなかった。 

  ──外に出て潮風吸えば、だいぶ楽になると思うよ。

 一言伝えたくて振り返ったが、もう清坂氏はいなくなっていた。    

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