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第三日目 19

19

 


 どうでもいいんだが立村相手に三時間近くツーショットってのはどんなもんなんだろう。 提案した私も私なんだけど、相手も当然かなりご不満のご様子。そりゃそうよね。自分の彼女とほんとはふたりっきりになりたくてなんなかったんだろうね。ストレスはたまってるし、たぶん集団生活だと男子たるもの一発抜くこともそうそうできなかっただろうし。かわいそうだと思うんだけど、やっぱり美里のためだ。けど美里の彼氏よりもなぜ羽飛に預けるのだ私?と思ってしまった私も私なんだけどね。

「観光名所には行く気さらさらないから、その辺でお茶しよ?」

「古川さんとだと話のネタが尽きるかもな」

 はは? とんでもない。もしかしたら羽飛といるよりも盛り上がるかもよ。エロ話にすぐ反応して真っ赤になったりするとこが、結構弟と同じでおもしろい。最近はあまりからかっていなかったから、これからゆっくりオンステージ、突入しましょうか。

「ま、あんたも明日に勝負をかけるってことで。この辺はモーテルないからねえ」

「モーテルって、いったい何考えてるんだよ!」

「説明はあとあと、さ、そこのすっごく雰囲気いい喫茶店に入ろうよ」

 おごらせるかどうかは、食べたものの金額で判断ね。


 さっきハンバーガーを食べたばかりだし、それほどお腹もすいていない。私はそれでもメロンパフェ、立村はサイダーを注文した。見た目はずいぶん童話に出てくるお菓子の家っぽい可愛い雰囲気なんだけれども、なんか奥に行けば行くほど、暗くなる。しかもわざわざついたてで区切っているところ。前の方に誰かが来てもわからないぞきっとって感じだった。

 入り口の席には「不思議の国のアリス」風の衣装を来た外人の女の子ポスターが飾られている。どうしようもなくゆいちゃんを思い出してしまうのは私だけ?

「俺も霧島さん思い出した」

 水を向けると大きく頷いた。と同時に勢い良くサイダーをストローですすっている。かなり咽が渇いたんだねこいつ。咽の渇きは性欲に直結するとあるエロ本に書いてあった。彼も思春期なんだねえとひとり納得する。

「ところでなんだけどさ、昨日の評議委員会で何かあったの? なんか美里ずっと落ち込んでたよ」

 パフェが運ばれてくるまでの間に一つ尋ねておきたかった。

「昨日か、ああ、少しな。でも清坂氏がどうのこうのってわけじゃないよ」

「美里、哲学の人、してたよ。いろいろ悩んでいるみたいなんだよね」

「そうなんだ」

 うっかり変なこと口走るとまた、私につっこまれるとでも思っているんだろうか。残念ながら立村の想像は当たっているかもしれない。美里が旅行とっぱじめに生理になっちゃって大騒ぎしたはいいけども、それに巻き込まれた私、立村も相当大変だったはず。立村も「俺の女をばかにしたらただじゃあおかねえ!」発言を男子どもに放ったおかげで、今のところ美里はそれほどいじめられずにすんでいる。若干一名、「せいりー、せいりだってっ」となんとかの一つ覚え見たく叫んでいる学年トップの少年がいるけれどもそれはおいといて。

「普段の美里だったらねえ、たいしたことじゃあないんだろうけど、今さあ、うちのクラスの女子も少しだけ、美里に反逆気味なんだよね」

「反逆?」

 声がいらだった風に聞こえた。また唇の端でストローをくわえている立村。

 自分の彼女のことだってのに、まだ気付いていないみたいだ。

 美里自身も自覚はないみたいだし切り出すのも迷ったけれども、

「ほら、美里、今回のことで弱み思いっきりみせちゃったでしょうが。いつもの美里なら、あっさりぶちかまして終りなんだけど、ねえ。たかがあれくらいでってことで、殿池お嬢のお部屋に泊まっちゃったりなんなりしちゃったでしょ。ほんっと、あれが引き金よ。私もできるだけ目配り気配りはするつもりなんだけど、限界がねえ、やっぱ、あんのよ」

 昨日の夜、D組女子同士でおしゃべりしていた。美里がいなかったんで当然、会話は美里に対する不満の嵐ときた。私も、ちょっと疲れていたこともあって、話だけ聞いてすぐ寝ちゃった。美里に振り回されたからだよきっと。でも私が目を閉じている間、美里の悪口はとうとうエスカレートしていき、ありもしない噂に膨れ上がってしまっている。誤解をされるようなことを、美里はしているからしかたないんだけどね。

「女子同士だし、あまり口出ししない方がいいんだろうな」

「あーら、あんたの彼女なのに、気になんないわけ?」

「だって古川さんがおしゃべりしたら、清坂氏、怒るだろ? きっと秘密ばらされたって」

 ずいぶん腰の引けた彼氏だ。なんだかむかっとくる。ちょうどいいタイミングでメロンがどでかく突き刺さったパフェの登場だ。まずはメロンそのものをつまんでむしゃむしゃやる。

「古川さん、手、汚くなるぞそれだと」

「いいのいいの。ほら、あんたもストローですくって少し食べる?」

 立村はしばらく黙っていたが、思い切った風にストローをグラスから抜き出し、ほんの少しだけアイス部分をすくいなめた。

「もっと食いなよ」

「遠慮なく」

 こういうのって、ふつう甘い恋人同士のすることだよね。

 姉弟の関係でなら、まあするか。まあいっか。美里には内緒。


 しばらくパフェをつつきあいながらも私なりに考えてはいた。

 ──話した方がいいのかなあ。

 立村も時折心配そうに見守っていたけれども、「初潮」についてはだいぶおちついたみたいだった。お腹の痛みはまだ残っているみたいだけども、うまくコントロールするこつを覚えたみたいだった。ナプキンの使い方もだいぶ慣れて、

「今朝は、汚さないですんだ!」

 布団が無事白いままったのが嬉しかったらしくて、さっきふたりの時に報告してきた。

 だから。そっちの方は心配してない。

 ただ派生したいくつかの問題が絡んでいるのも確か。

 一年前から絡んでいる問題っていった方がいいんだろうか。

 ──美里は知らないうちに敵作ってるもんねえ。

 これはチャンス、とばかりに悪口言われてもしかたないのはしかたないと思う。

 ──小学校の修学旅行、おねしょする子はひとつの部屋に集められたもんね。みんな、無言ながらも了解していたしね。それ考えると、美里の行動は確かにと思われなくもないんだよなあ。だからはっきりと「私、あれなの」って言っとけばよかったのにねえ。

 そう、昨日の夜、はっきりと噂が確定しちゃったわけだ。

 ──清坂さん、まだおねしょの癖が直ってなくて、一日目、殿池先生の部屋に泊ったんだって。もしばれたらどうしようってパニックになって大泣きしたんだって。中学にもなってまだ直ってないんだねえ。清坂さん。

 いくら殿池先生が否定してくれても無駄。女子同士の噂は七十五日なんて大嘘。永遠に続いちゃうことさえあるって、みんな言っている。


「美里はねえ、自分がふだんてきぱきできるから、調子よくできない子には冷たく聞こえるようなこと、結構言いがちなんだよ。あんたに対するみたいにね」

「そんなことあまりないよ」

 うそつけ、二年の秋にさんざん美里から罵倒されていたのは、あんたじゃないのさ。

「だから、自然と敵が増えているのよね。もちろん、口にはみな出さないけれど、チャンスあらばいつでも殴れるようにって気持ちみたいよ」

「怖いな女子は」

 今更わかってどうするあんた。

 立村はしばらく考え込んでいたけど、すっかり気の抜けたサイダーをすすりながら、

「俺もあまりよくわからないんだけど、女子のする嫌がらせってどんな感じなんだ?」

 尋ねてきた。

「手はめったに出さないね」

「やはり口か」

「そ。口も陰口悪口のオンパレード。あと根も葉もない噂よね」

「火のないところに煙は立たないてっていうあれか」

 その通りだ。大きく頷いた。

「けど、クラスの中は平和に見えるんだけどな。俺もそれなりに様子うかがっているけど」

「今までの美里はパーフェクトだったからね。自分の言ったことやったこと、ばりばりとがんばってこなしていたもんね。でもさ、この一回でパー」 「この一回って、たった一回だろ?」

「女子にとって、一回の失敗は一発でアウト。ゼロの掛け算みたいなものよ。どんなに百積み上げていっても、ゼロを掛け算したらゼロになるでしょ。あ、あんた数学わからないか」

「悪かったな」

 でも、まあ理解はしたみたいだった。

「敗者復活のチャンスもないのか」

「あたりまえでしょが。あったとしても、そのゼロが土台となってまた積み上げられていくから、過去の失敗は許されないままよ。美里もねえ、もう少し冷静になってくれればねえ」

 ただ、美里が今まで正義という名でしてきたことの数々を考えると、当然の報いのような気もする。決して悪意があってしたことじゃないにしても、美里によって恥をかかせられた子もたくさんいるのだし、傷ついた子もいる。そしてもっといわせてもらえれば、恥かかせられた恨みというのは、決して女子、忘れない。理由の反省なんて決してしない。少しずつ、反撃のチャンスを待って、いざつけこめると思った段階で爆発させる。うまくいえないんだけど、気の弱かった女子たちが、いきなり掌返したように相手を罵ったり開き直ったりする、そんな感じかな。

「俺は評議の中でのことしか見当つかないんだけどさ、古川さん」

 立村はほとんどからになったサイダーのグラスをストローでかき回した。氷がまだ堅く残っている。

「うちのクラスで、一番清坂氏が敵を作ったであろう事件ってなんだろうな」

「あんたと付き合ったことじゃないから安心しな」

 思いっきり機嫌悪げに立村はストローを噛む。

 

 ──やっぱり、宿泊研修の時の、あれかなあ。あーあ、すっごく恥ずかしいぞあれって!

 

「いろいろあるんだけど、まあ一番わっかりやすい事件がいいかな。けど立村、あんた美里をあとで罵るんじゃないよ。美里は基本として、悪くないんだからね。それとここで話したことは絶対内緒だよ! 美里はあんたにこのこと知られたくないって思っているんだから」

 私としても、登場人物としてはかなり大きな役割を担ってしまった事件。

 乙女心にも忘れたい過去の場面がいくつか溢れ帰るあの事件。

 本当ならば、口にも出したくないけれども、やっぱり美里の二面性をちらっと覗いたものとしてはこれが一番って気がした。男子たちの間で事情そのものは情報として流れていただろうけれども、実際どういう状況だったかは当時バスに乗り込んでいた女子しか知らないはずだ。

 名前はもちろん仮名で行きましょう。

「もちろん言わないけどさ、俺がすでに知っていることだったらごめん」

「絶対知らないよ。羽飛がしゃべっていなければね」

 私はパフェを半分残したまま、覚悟を決めて話し始めた。

 目の前の立村は、静かに頷きながら、時折驚きながら、私の眼を見つめていた。


「ほら、あんたが熱出してぶったおれて、ホテルに残ったことあったでしょ」

「ああ、宿泊研修か」

 二年の八月末、宿泊研修のため黄葉町に泊りにいった私たち当時二年D組一同。

 車酔いと発熱でひっくりがえった立村と、腹下しでバス長時間乗るのが堪えられないと訴えた……明らかにあれは仮病……南雲、ふたりを残し、黄葉町見学へと出かけたはいい。その時バスを使って移動していたんだけれども、結構融通の利くバス会社だったらしく、

「じゃあな、これから先生のお勧めコースがあるんでそっちいくぞ!」

 とわめいた担任・菱本先生の命により、二時間ほどドライブが長引いた。ふつうないよね。決まったコース以外移動しないよね。でもなぜかそれがOKになっちゃったのだ。その時は大喜びして拍手した私たちだったんだけど、その後「女の子の口に出せない悪夢」に突入しちゃったなんてさ。

「なんだよ、口に出せない悪夢って」

「あんた想像つかないの? 生理が女子の凶暴になる日だって認識のあんたがさ」

「ごめん、ほんとわからない」

 またはにかみながらも首を振る立村。ほんと、見当がつかないらしい。あんたほんとに彼女持ちかね、と突っ込みたいのを我慢する。

「あんた、美里とデートした時にさ、休憩とか気を遣う方?」

「なんとなく清坂氏の方が休みたがるから、適当に座ったりする。公園とか、デパートの休憩所とか」

「やっぱり美里の方だよね、言い出すのは」

「ああ、まあな」

「どうしてそういうこと、女子から言うかわかる?」

 いらいらしてくるけど、問い返しする。

「疲れたからだろう? やはりさ」

「もちろんそれもあるけど、おおむね女子の本音はね。あんた覚えときなさいよ」

 私は力を込めて、声低くつぶやいた。

「自然との戦い真っ最中なのよ、ほら英語であるよね、花を摘みに行かせて下さいってさ」

 さすが英語のエキスパート立村、すぐに気が付いたらしい。

「トイレか……」

「そうよ。男子は今ひとつぴんとこないみたいだけどさ。女子の方からはなかなか言えないもんなのよ」

「こっちは言ってもらえたほうが助かるけど、やっぱり恥ずかしいのかな」

 納得した表情ながらも、ぽつっとつぶやく立村。やっぱりわかってないお子様だ。

「もっというならね、待ったなしって状態ね、大抵の場合は。言う前の一時間近くはがまんしていると考えた方がいいよ」

「こっちはそんなに気にしないのにな」

 頷く立村は、その後はっとした表情でもって、

「まさか、『口に出せない悪夢』って」

 本当にこいつ、噂ひとつ聞いてなかったみたいだ。

「あんた本当に知らなかったの? あれだけの騒ぎをさ。羽飛とか、他のクラスの奴とかから」

「いや、トイレに行きたがってばたばたしたって言うのは聞いたような記憶あるけど、でもすぐどっか休憩所で止めただろうなって思ったからそれほどつっこまなかった」

 改めて思う。親友にも話さないでくれた羽飛、あんた、紳士だよ。

 目の前の立村無視して、羽飛に惚れ直しちゃったよ。


「この辺からは美里と私以外仮名でいくからね」

 きちんと断った後、話し始めることにした。

「バスの中でいきなり、菱本先生がバスツアー延長するなんて言い出したのはいいのよ。それでみんなは盛り上がっていたんだけど、やっぱり自然の要求というのは人間誰にもあるものでね。それにたまたま私を含めた女子たちは、結構水分とってたりもしたわけ。パフェとかジュースとか、あと水とか」

 身動きせず立村は私に頷いた。

「男子にはわかんないかもしれないけど、女子って、いったんトイレに行きたくなると、限界ってあっという間なんだよね。今も言ったでしょが。どこかで休みたいなって言われたら、だいたい八十パーセントくらいは膀胱に溜まってるって考えた方がいいよ。あとの二十パーセントなんだけど、これがね、もしいつでもトイレいける環境だったらまだ余裕。でもさ、バスの中よ。バスの中にふつうトイレなんてないじゃん」

「俺、男子連中には緊急トイレ用にペットボトル持たせたけど」

「女子にそんなはしたないこと、させられるかっての。あんた、ほんと童貞よね。女子の体の仕組み全然知らないでしょうが。いつか大人になったら覚えようね」

 また真っ赤になる立村が面白い。話している内容は私の恥みたいなものだから、語るのに抵抗がないわけではない。少しほっとした。

「がまんがだんだん限界に達してきた女子たちは、四人くらいだったかな。そのうちの一人がね、はっきり言っちゃうともう時間の問題って感じになっちゃったわけ」

「限界ってったって、でもさ」

 遮る。そこからが本番なんだから。

「渋滞にもつかまっちゃったし、トイレはないし、もう四面楚歌って奴? その子はずっと腰ふりふりのスネイクダンス状態だし、百パーセント、間に合わないねってみんなで言ってたんだ」

「なんだよそのスネイクダンスって」

「見ればわかるわ。とにかくひとりがぱにくると、もうひとり、ふたりと連鎖反応起こすのよ。女子って特にね。あんた車酔いで酷い匂いかいだら一発でアウトでしょ」

「わかるなそれ」

 なんでそうも納得するのかな、立村。

「そこで、しっかりもの評議委員の清坂美里さん登場ってわけ。なんとかしてあげなくちゃって気持ちがあったんじゃないの? すぐに立ち上がって、男子たちを前、女子を後ろの席に固めたわけよ。ほら、今回のバス席と一緒」

「それか、そうか」

 初めて理解したんだろうな。立村は納得しつつ細かく頷いた。

「男子たちには羽飛が指揮して、鈴蘭優の歌を合唱させ、女子たちには万が一の時に備えて臨時トイレをこしらえたりしたわけ。ほら、後ろの席ででもし洪水警報ぴぴぴって発令されても、出所がどこからなんて男子には気付かれなくてすむじゃない? なるほどなって思ったね」

「知りたがる男子なんているか? ああ、いるかもな」

 ひとりごちる立村。やっぱり男子たちの本音は「立っちゃう」んだなあ。

「席替えして十分後くらいかなあ。よく持ったなって誉めてあげたいくらいなんだけど、第一号の勇気ある女子が口火ならぬ「尻火」を切って、あとは連鎖反応でぞくぞくと。表向きはなんとか誰一人席をぬらさないでですんだってわけよ。粗相なし」

「粗相なし……? 『尻火』を切った……?」

 またきょとんとした目を向ける。ほんとわからんのかこの鈍感男。

「その第一号の勇気ある女子ってのが私。座席の陰で美里のかばんを貸してもらって、その中に勢い良くさせていただきました! 残念でしょ、立村、せっかくのエッチなショーが観られず今後のおかずにできなくて!」

「古川さん、冗談じゃないんだよな。嘘だっていうなら今のうちだぞ」

 せっかくまぜっかえしてお笑いに紛らわせようとしたのに、立村の奴本気で青ざめている。

「本当の話に決まってるでしょうが。ただ鈴蘭優の歌を合唱してくれた男子たちのおかげで音声は一切発生しなかったわよ。鈴蘭優に感謝ね」


 ──こずえ、この中にして! でないとぜったいもらしちゃうよ! 

 ──で、できるわけないでしょうが! 美里あんたのバックだよそれ! 

 ──いいの! 私、あんたまで巻き込みたくないの!

 美里のバックは真っ赤な合皮のトートで可愛かった代物。いくら私が切羽つまっていたといっても、そう簡単に思い切りついたわけじゃない。けど予断を許さない状態だってことは当の本人が一番よくわかっていた。よりによってこの日、私はキュロットも穿いていた。絶対絶命。

 ──美里、ごめん、あとで絶対弁償するから。

 さすがに後ろの女子たちも、私がいきなり尻丸出しにして席の蔭にしゃがみこんだ時はぎょっとしたみたいだった。けど、みな多かれ少なかれおんなじ追い詰められ方していたはずだった。

 ──こずえ、あのね。他の人も、こずえの真似したよ。

 ──私の真似って、おいおいってまさか!

 美里が通路に立ってついたてがわりになり、すべてが終わった私ににっこりとささやいた。

 ──彰子ちゃんがね、こずえみてて、ぽんって手を打って、すぐに自分のビニールバックを他の子たちに「使って!」って差し出してたの。ほら、あんなにいやがってた杉浦さんまで。

 ──確か、南雲からのプレゼントだと言っていたっけ?

 ──惜しげもなく差し出せる彰子ちゃんってやっぱりすごいよね。

 席に座りなおしてちらっと後ろを覗き込むと杉浦加奈子ちゃんが中腰の姿勢から立ち上がるところだった。顔を覆っていた。他の子ふたりも、さっきまでの我慢ポーズはとっていなかったけれどもショックだったみたいで、すすり泣いていた。

 ──大丈夫だったのに、ね。

 突き放した言い方の美里が、どことなく気にかかった。


 ──じゃあ、私先に立村くんに話してくるね。

 ホテル到着後、かなりの男女は一刻も早くトイレに飛び込みたい顔をしていた。しかし美里は妙に冷静だった。周りの子たちとほとんど変わらないくらいに飲み物飲んでいたはずなのに、ずるいな、と正直思わずにはいられなかった。でも体質なんだからしょうがない。私は先に自分の部屋へ戻り、美里のかばんを丹念に洗っていた。

 ──清坂さん、平気なんだ。あんな長い時間バスの中でも。

 ──なんだか、ずるいよね。

 そんなささやきを耳にしていたかどうか私もわからないけど、美里はバスの中でも、玄関でも、全くトイレに行きたがるそぶりを見せなかった。他の女子たちも多かれ少なかれ、かなりきつい状態だった子が多かったし、そんな中での美里の態度はすっごく目立った。女子の場合だと、十人中九人が大しくじりした時、最後のひとりもしくじる真似をしてほしいと願うものだった。美里だけが落ち着いていることに、どことなくジェラシーが感じられたのも、否定できない。


「それはそれ、あとで一人で想像して抜いてちょうだいよ」

「古川さん、いったい何考えてるんだよ!」

 立村の反論を無視して続けた。

「クライマックスを迎える寸前にね、美里がその時、ちょっとした演説をしたの。『私も五年の時に教室でしたことがあるし、気持ちはわかる。男子のみんなにもどうか後ろの女子たちの行動を知らない振りしてやってください』って。心が一つになるって感じだったわね。男子たちはすぐにまとまったけど、女子がね。美里の次のお言葉にちょっとひっかっちゃったのよ」

「そんな余裕あるのかよ」

「『今、このバスの中で、絶対に持たない、間に合わないって人がいるんです』ってね。『絶対、このバスの中で、じゃあっとしちゃう人がいるんです』ってさ。いや、この言葉自体は間違っていないよ。ほんと、じゃあっとしちゃったからね。けど、その言葉によってさ、一部の限界すれすれ女子たちはパニックになっちゃったわよ」

「な、なんでだよ?」

「男子ってその辺わからないってねえばかよ。女子の場合、励まされているとなんとかがんばれるもんなのよ。もうちょっと、もう少しで休憩よ、がんばれ、がんばれって。たぶん隣にいた子たちもみな、パニックガールズを励ましていたはずよ。でもね、美里の言葉は一発でその希望を打ち砕いてしまったわけ。なんせ『絶対に持たない、間に合わない、絶対このバスの中で、じゃあっとしちゃう人がいる』だもんね。悪いけど私、『じゃあっと』っていうリアルなお言葉のせいで、頭の中恥さらし状態の自分が浮かんでしまって、限界突破しちゃったもんね」

 

 そうなのだ。「じゃあっと」。

 美里に悪意はない、と私は立村に話したけれども、そこんところは彼氏ゆえの嘘。  

「その時は美里によってみな危機一髪救われたし、男子たちも紳士だったし、それはそれでよかっためでたしめでたし。旅行中もみな、そのことについては全く触れなかったわよね。あんたの最大の脱出劇のおかげで、ほんとに些細な出来事の一つとしてまとまっちゃったわよ」

 脱出劇、という言葉に立村はまた顔を赤らめうつむいた。

「でもね、美里の言葉って、結構尾を引いてしまったみたいなのよね。確かにみんなを助けてあげたくてああいうこと言ったんだと、頭ではわかってるのよ。でもね、なんというのかな、美里の言葉によってもう少しがまんできたはずのものが、がまんできなくなって、とうとうはしたなくもってことに」

「はしたなくないだろ? 結局は大丈夫だったんだし」

「あんたさあ、いくらなんでもバスの中で、男子たちがいるところで、しかも密室で、他の子に見られながらするって正気でできる?」

 立村はやっぱり素直に黙った。

「やっぱり、非常事態よ。追い詰められていたからこそできたことよねえ。もし今この場でかばんの中にって、できないよ普通はね」

「そんなの見たくもないしな」

 どうやらこいつ、そちらの趣味はないらしい。

「女子たちとしては、やっぱり知られたくないわけよ。トイレに行きたいってこともそうだし、がまんできないほどばたばたしているなんてさ。美里は善意でやったことだけど、結果としては男子にみな女子のトイレ行きたい願望がばれてしまったわけでしょ。理屈ではしかたないってわかってるよ。けど気持ちでは受け入れられないのよ。実際、『じゃあっと』やっちゃったわけだもの。いくら正しいことを美里が言ったとはいえ、どうしてもね、感謝よりも、逆恨みってことになっちゃうわけ」

「逆恨みって? いまだに清坂氏、恨まれているのか?」

 ようやく気付いたか。この馬鹿弟が。

「そうよ。自分たちのしちゃったことを男子たちに暴露したってことがまずひとつ、美里は結局他の子たちよりも自分は上なのよって優越感を感じさせちゃったわけ。あんなみっともないところ、私はあなたたちと違って男子になんか、見せないわっていうようなものね。それと男子たちに貸しを作らせてしまったよね。鈴蘭優の歌で音消ししてくれたわけだもん。感謝しなくちゃいけないのはわかっていても、なんだか男子たちに顔あわせらんないっていうかな。あと、決して美里こういう時にああいうパニックにはならないだろうな、という嫉妬の炎ね。あの時の美里すっごく大人だったもん。他の子たちが赤ちゃん戻りしたみたいにべそかいているのにね、堂々としてたもんね」 「大体わかってきた」

「あれ以来一部の女子たちは、極端に言っちゃえば、教室の中で『じゃあっと』やってくれないもんか、とかいろいろ思っていたわけよね。男子たちの目の前で恥かかせたくてならないのよ。自分たちと同じようにね」

「女子って怖いな。男子はあまりそういうこと考えないよ」

「あんたがぼおっとしているだけよ。何はともあれ美里はがんばってきました。恥も晒さないようにして、きちんと評議委員のお仕事もしてきました。彼氏のボケぶりは頭が痛いけれど、とりあえずは別れてません。えらいでしょってことね。ところが今回、たかがあの程度のことでパニック起こすざまに、他の女子たちは『ざまーみろ』って気持ちで一杯なのよ。とにかくこのチャンスに美里を叩きのめして、男子たちからの評価をがたがたに下げさせてやりたいってね。そのひとつが」

 一呼吸置く。

「『清坂さんが一日目、なぜ殿池先生の部屋に泊ったの? おねしょが直っていないから真夜中、こっそり処理してもらうため』というデマよ」

「ああ、それよくあるデマだな。それ、本当のところは違うだろ?」

 立村はあっさりと答えた。

「確かさ、難病指定されている病気の人がいて、その人の場合、普通の食事が取れなくて、特別なものを食べなくちゃいけないって聞いたことがあるんだ。病院指定の食事というよりも、点滴で食わせるようなものをさ。それかもしれないな。他の人と一緒の部屋に寝泊りすると、どうしても間食の欲望に負けてしまう。だから、先生の見張りのもと、食事を管理するって人のことを聞いたことがあるんだ。その人たちは最初から先生と一緒の部屋に泊るという話、聞いているんだ。確か女子で、一日目は都築先生の部屋だったって聞いたよ」

 ──なんだ、都築先生、デートじゃなかったんだ。

 美里が泣き喚いていた時、相手にしてくれなかった都築先生のことを思い出す。

 そうか。生理はそれこそ「生理現象」だもんね。正常なしるしだもんね。

 保健の先生としたら、それよりも「病気」の人を最優先するよね。

「そうなんだあ。本当のことはそういう単純な理由なんだよね。大抵の場合、そうだよねえ」

 私はため息をついて、やはり続けた。

「けど、女子にはそんなの関係ないんだよ」


 たぶんこのままだと、修学旅行後美里は「一日目におねしょした人」という烙印を押されるだろう。もちろん、生理が終わったら精神的にも落ち着くだろうし、それほど心配はしていないけれども、いったんそういう下の噂を流されたら、美里を良く知らない男子たちからはどういう目を向けられるか、だいたい想像がつく。私もいろいろとかばうつもりではいるけれども、全てを網羅できるわけもないし、第一、自業自得だと思っているところもある。単純に「そんなわけないじゃない!」なんて言えないのだ。

 一応、立村は美里の彼氏ということになっている。

 私だけでは面倒見切れないところを立村に背負ってもらおうかな、という計算もなくはない。

 そのためには、いくつか美里のやらかした事件なども知ってもらう必要があるように思った。

 あのバスパニック事件も、本当は私もしゃべっていないところがいくつか隠れている。やはり、露骨にそんなこと言えないじゃないの。アダルトビデオとかやばい雑誌とか読んでネタにするんだったらいいけど、仮にも自分の彼女が関わっている事件だ。立村も正気でいられるとは思えない。うちの弟も、最近どうも色気づいてきたみたいで、こっそりスケベな写真を手に入れている。美人じゃない、ブスばっかだけど。あれ一枚で懸命に抜いているんだねえとからかったら、一切口利いてもらえなくなった。淋しいね。


「だいたいわかった。今の話は一応頭に入れておく」

「そうだよ、もしまた美里に変な噂が流れたりしたら、あんたもかばってやるんだよ。恥ずかしがったりしないでさ」

「うん、そうだよな。事情がわかっていれば簡単だよな」

 すっかり解けてしまった氷とパフェの残りをつつきながら、もうひとつ私は記憶を呼び戻した。

 立村には話していない美里の、もうひとつの一面を。


 ──美里、あんたさあ、ほんとは。

 立村の部屋から戻ってきた美里はぶんむくれながらそそくさとユニットバスに入った。なんだか私はどうしてもなんか言ってやりたくなった。。

 ──加奈子ちゃんに、させたかったんじゃないの?

 ドアの向こうに呼びかけた。

 ──美里さ「絶対じゃあっとしちゃう人がいる」とか言ってたよね。あれでみんな、がまんが出来なくなったんだよ。もしピンチが加奈子ちゃんひとりだったら、あんた、あのバック、貸してた? 彰子ちゃんみたいに、すぐに他の子に差し出した? 

 小さい声で「ごめん」と聞こえた。

 ──こずえ、ごめんね。ごめんね、ごめんね。私、あんたがしたいなんて、思ってなくって、だから。巻き込んじゃって、ごめんね。

 再び激しく嗚咽する声が響いた。直感は当たっていた。

 

 スネイクダンス状態の女子というのは、一年の時に立村がらみで絶交状態となった、杉浦加奈子ちゃんだった。私はいまだに彼女と付き合いがあるし、今の彼氏とCまで行ったらしいと聞いたりしているし、まんざら嫌いではない。むしろ、美里の方が大人気ないところもあったんじゃないかって気がした。

 詳しい理由はよくわからないけれども、美里は心のどっかで、加奈子ちゃんに一発恥をかかせてやりたくてならなかったんじゃないだろうか。あの「じゃあっと」という言い方に何となく感じるものがあった。言葉の効果は絶大だった。確実に、美里の無意識の悪意は伝わっていたはずだった。言葉でもって、追い詰めて、女子にとっては最悪とも言える恥をかかせたい。加奈子ちゃん以外のパニックガールズも私以外は、あまり好意をもっていなかったらしい子だったし、必死に守りたいという感情からは遠かったのかもしれない。

 なんでそういうこまやかな感情とは関係ない私が感付くことできたのかは謎だ。

 立村だったら別かもしれないけれども。でも、私が気付いたということは、もしかしたら他の女子たちも美里のそういう一面を見てむかついている子がいるのかもしれない。自業自得とは、そういうこと。美里も百パーセント罪がないというわけではないのだ。

 だから、美里にはある程度、他の子たちからの怒りややっかみ嫉妬を受け入れる必要があるんじゃないか?と私は思う。あまり積極的にかばいたてするのは、その時「じゃあっと」で追い詰められた女子たちの気持ちを逆なでするんじゃないかと思ったりもする。表向きは「クラスの女子たちを守りたい」という意識でしたことだから決してばれることはないだろうけれども。

 立村にもしつこいくらい言ったことだけど。

 ──女子には、自分がどう感じたか、それが大問題なのよ。


 新しい客が入ってきたらしい。男女みたいだ。そっとついたての陰から顔をのぞかせてみると、うちの学校の制服で二人組が、さっきの「不思議の国のアリス」のポスター席についた。顔は見えなかった。

「誰だろね、うちの学校の誰かがいるよ」

「まずいなあ。声を出さないようにするか」

「大丈夫っしょ」

 私は今度、アイスティーを注文することにした。まだまだ時間はあるんだから。

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