第三日目 18
18
前もって立村から状況を聞いていたことと、美里の説明が結構わかりやすかったこともあって、すぐに状況は理解した。やはり、女子同士のごたごたした問題だったらしい。美里がそういう関係の出来事に巻き込まれやすいのは、俺も物心ついた時から気が付いていたし、しょっちゅう俺も加勢したもんだ。最近はあまり手を出さない方がお互いのためじゃあねえかという判断のもと、観察だけしている。俺が口出し手出しするのは、立村の関係することくらいだけだろう。
「そうなんだ、立村くん、やっぱり心配してくれたんだ」
ほわっと笑う美里。やっぱ嬉しいんだな、ダーリンのことが。
「そりゃあそうだろ。仮にも自分の彼女だぜ、評議委員長、その辺はお見通しってことだぜ」
「何にも私には言わなかったけどね」
「言えるわけねえだろ。お前があんなにぶすっとしてたら」
「そっか。反省だね」
自分でわかってるからいいじゃねえか。あまりぐちぐち言うのもなんなんで、俺はさっさと具体的問題点に入りたかった。美里を含めて女子の場合、問題そのものをどかんと出すんではなく、「こういう考えどう思う?」という風に、いささか抽象的、雲つかむような言い方をする。さっさと「鈴蘭優と結婚するんだったらどうする?」とか、今のように話してくれりゃあ、俺だって三枚目さらけ出すことなく返事ができるんだが。
「霧島はなあ、悪い奴じゃあないからなあ。あの顔が、ネックなんだよなあ」
「あれだけ可愛いのに?」
「お前がさんざんばかにしている『ロリコン』だったら、さぞ喜ぶだろうがなあ。俺たちのようなタイプにはノーサンキューってわけだよ、ああいう系統の顔はな」
「ふうん」
俺からしたら、優ちゃんみたいな可愛さの方が好みなんだが、世間さまはどうも美里や古川タイプの女子を好む。言いたいことをずばずば言って、顔は十人並みだがやたらめたらけらけら笑って、しゃべると楽しい相手。俺はそういう奴を「親友」にこそできるけれども、「恋愛」とはまた違うんだなと思う。他の奴らからすると贅沢言っててなに考えてるんだこの野郎、ってことになるらしい。
「可愛いだけじゃあだめなんだよね」
「人の好みもあるしなあ」
──美里には言わねえほう、いいだろうな。
俺はC組女子評議の霧島に関する、極秘情報を腹の底にしっかり収めた。
A組女子評議の近江が霧島相手に一回戦KO勝ちを果たし、さっさと美里をさらって語り合ったというのがおおむねの内容だった。最初は霧島が、美里の態度にぶっちぎれて説教していたらしいんだが、それを聞いてうんざりした近江が割って入り、
「見下されているのは霧島さんが霧島さんだからでしょ」
みたいなことを言ってのけたという。霧島としては、自分がどうして男子および家族の連中に見下されているのいか、その理由を「女子だから」という男女差別の問題に持っていきたかったらしい。悲惨な情報を考え合わせるに、そう思うのも無理ないわな、とは思う。けど、それは「勘」であって、周りからすると近江の言い分の方が正しくあったまいい考えだというのも頷けるわけだ。たぶん百人中九十九人は、近江の肩を持つだろう。
サンドイッチ状態となった美里だが、その後評議に関する運営のアドバイスを近江より一方的に受け……俺が思うに、近江の狙いは美里といちゃつくことだけだったのではないかと思うんだがな……美里はその毒気にやられてしまい、修学旅行残りの二日間を哲学するはめになったわけだ。
「あくまでもだな、俺個人の考えだぞ。男子連中がどう思ってるかは知らねえぞ」
前置きしておいた。この辺、誤解されることもねえと思うんだが。
「近江が言うには、霧島を『壁の花』扱いにしといて、轟を裏の番長に祭り上げて、美里は立村といちゃついてって形にした方がいいってことか」
「違うってば! 私は関係ないの! ただ、ゆいちゃんにはあまり重要な仕事を任せない方がいいんじゃないかっていうのが、近江さんの意見なの」
鋭いところを突くなあと素直に関心する。霧島は裏表のない味のある奴だと思うんだが、いかんせんおつむが少し弱い。一生懸命勉強して、入学以来逆トップの座を譲らないというのも泣かせる。周りが見えない性格ってのもマイナスだ。たまたまC組男子評議の更科が裏に手を回していろいろフォローしているので二年の頃まではぼろが出ずに済んだらしいが、最近の評議委員会はかなりごたごたが続き、立村もベルトの穴が二つくらい縮むような精神状態らしかった。霧島が見た目を利用して「評議委員会のかわゆいアイドル」と売り出せば、問題の半分は解決するような気がする。
「美里はどう思うんだよ」
「私? 私は」
どうもこのあたり歯切れが悪い。以前の美里だったらもっとはっきりと、「私、近江さんも言いすぎだと思うけどゆいちゃんも悪いと思う」とか言うんじゃないだろうか。だいたいあいつの思考回路は読めているところがあるんだが、それでもだ。ずいぶんぐちぐちしている。後ろから軽く頭をはたいた。
「あのなあ、美里、俺は直接聞いたわけじゃねえし、どっちがいいとも言えないってことわかってるだろ!」
「わかってるってば。けど、だから困ってるんじゃない!」
頬が少し焼けていた。頬をこするようにして美里は深呼吸し、
「近江さんの言うことは、その通りなんだって思うの」
「簡単じゃねえかそれなら」
「違うってば! けどね、貴史」
言葉をとぎらせるようにして、
「じゃあ、やっぱりゆいちゃんに言うべきだと思う? 『評議委員会ではあなた迷惑だから、私たちの邪魔しないでお人形さんになっててよ!』って?」
「それをうまくおだてろって言ってたのは、近江だろ?」
「わかってる。おだてればゆいちゃん簡単に喜ぶってのはわかってる。けど、そんなことしたら、相手を裏切ることになっちゃうんじゃないの? 本当のこと、知ってるくせに。それにね」
美里はまた、別問題を引っ張り出してきた。具体的内容だ。まだいける。
「ほら、あんたも知ってるよね、西月小春ちゃんと天羽くんのこと。修学旅行前、小春ちゃんに天羽くんはちゃんと謝って許してもらったらしいけど、最初に酷いこと言って小春ちゃんを傷つけちゃったでしょ。けどそうしないと、わかってもらえなかったんだって天羽くん言ってたらしいんだ。私、話最初きいた時は小春ちゃんかわいそうだって思ったよ、けどね」
深刻な話は聞いていた。A組評議同士の恋愛トラブルだ。
美里はまた一呼吸おき、つぶやいた。
「そこまで言わないと、伝わらないってことも、あるんだなって」
ポテトチップの袋を開けた。美里が膝に広げてぱくぱく食いはじめた。俺も手を伸ばした。
「今だに、西月は口きけねえのか?」
「うん。それで、今噂になっている男子がずっとくっついていて、小春ちゃんのこと見守ってるんだって。私も見たよ」
ああ、金沢の美術的ライバルの片岡だな。
「じゃあいいじゃねえか。天羽も近江とべったりだし。それぞれハッピー」
「そうだよね、今の小春ちゃんは絶望しちゃってると思うけれど。でも、本当のことをちゃんと伝えたんだからしかたないんだよね」
新しい男子がいればそれはないんじゃないのか?
「貴史、そうだよね、やっぱり言うしかないよね。ゆいちゃんに」
「そうすべきだと思ったんだったら、そうすりゃあいいじゃねえか?」
そこまで言ってふと、かきーんと頭が鳴った。
別に太陽の熱で頭がぼーっとしたわけじゃあない。
──美里、お前、霧島と近江、どっちと仲いいんだ? それによって判断変わるぞ。
「美里、ひとつだけ聞きてえんだけどさ」
俺は、ポテトチップを五枚くらいまとめて分捕り、口にほおばった。
「お前、ほんとは、霧島のこと対して好きじゃねえんじゃねえの」
こほこほ美里がむせた。どうやら、俺のかきーん直感は当たっていたようだった。
いや、たいしたことじゃない。
俺も女子に関してのうっとおしい情報についてはあまり知ることもない。
立村に言ったことだが「女子のことは女子に任せておけ!」なのだ。
ただ、なんとなくなんだが、美里は霧島よりも近江の方に最近べったりし始めてるような気がしてならない。いつだったか視聴覚教室で二人語り合っていて、かわいそうな立村が待ちぼうけ食らわされていたことがあった。妙にいちゃいちゃした雰囲気が残っていて、むしょうに腹が立ったことを覚えている。決して嫌いな女子タイプではないんだが、なんだか気になる。
霧島タイプの腹にはなんもない、単純明快な女子とばかり美里は今までつるんでいたような気がするんだが……例・古川だな……、近江タイプの女子とはあまりお付き合いがなかったはずだ。なんかなあ、思いっきり、影響されちまってるんじゃねえか。
──あまり、俺の好きでない方向にさ。
「嫌いじゃないんだよ。私、ゆいちゃんのこと」
あっさりと美里は認めた。
「けどね、考え方がちょっと違うんじゃないかってことは、よく感じるよ。誰でもそういうのあるよね」
「じゃあ、近江はどうなんだ? 明らかに俺らの繋がりにはねえタイプの女子だわな」
「そうだね。近江さんタイプの子ってはじめてだね。たぶん、去年の私だったら、小春ちゃんみたいに文句言ってたかもしれないな」
A組の西月に関しては、正直あまりいい感情を持っていない。なんというか裏のありそうな親切でアピールするってか、そういうタイプの女子がどうも俺は好きになれなかった。立村もたぶんそうだろう。ぼそっと「なんか女子版菱本先生って感じなんだよな、西月さんは」とつぶやいていたし。真面目で尊敬すべき性格だってことはわかるんだが、俺の知る三年男子の九十九パーセントは「天羽が振って当然」と判断しておる。まぶしすぎる日の光を浴びせ掛けられすぎて、俺たち葉っぱたちはすっからかんに乾いてしまうような感覚だ。
「やっぱり近江さんの言うことは正しいように思えてならないんだ、私」
「そっか」
「もしも小春ちゃんが、天羽くんに振られることをさっさと受け入れてくれてれば、こんなにことが大きくなることもなかったんじゃないかって思う。ゆいちゃんがもし、杉本さんの恋を応援していなかったら、交流会サークルが解散させられることもなかったかもしれない。ゆいちゃんがもし評議にならないで地味ににこにこしていたら、絶対彼氏できていたかもしれないし」
霧島にはかわいそうだが、俺もそう思う。同学年少数とはいえ、ロリコンはいるもんだ。何も、南雲みたいな女ったらし……現在は奈良岡のねーさんが餌食だが……のことばっかり考えなくても、いくらでも男は反応するぞ。。
「美里、お前、それいつぐらいからそう思ってた?」
「四月くらい」
意外と早い時期からだ。少し驚いた。
「じゃあなんで言わねかった?」
「言えるわけないじゃない。近江さんと小春ちゃんが入れ違いになるまでは、そんなこと私も気付かない振り、してたし、それに」
言葉を切って、かけらのポテトチップを口に含んだ。
「今はまだ、私が近江さんとゆいちゃんとの間に入ってるからうまくいってるけど、もし私がここで、近江さんにつくなんてことになったら、どうなると思う?」
「そりゃあ、修羅場だな」
美里は大きいチップを口にくわえがりりと噛んだ。野獣だ。その顔。
「はっきり言ってゆいちゃんが評議を降りた方が絶対、うまくいくと思うんだ。小春ちゃんが近江さんに負けたのも、かわいそうだけど当然なんだって思ってるとこあるもん。天羽くんが露骨に小春ちゃんを嫌う理由も、私わかんなくない。しつこすぎるってとこ、あるもんね。近江さんの言う通り、ゆいちゃんは言われるとおりのことして、可愛くにっこり笑って、周りから憧れの的として見られるような扱いが一番似合ってると思う。それにゆいちゃん、このままだったら絶対に青大附高に進学できないもん。評議から降りて、必死に勉強する時間に当てた方が絶対いいと思うんだ。私、これが本音。だけど」
まくし立てた後、美里は俺の方をひょいと見た。
「それは違うよな、美里」
俺はたどり着いた答えを、ぼそっと出した。
「霧島に余計なこと言うのやめとけ」
「え……?」
「お前にはそれ、霧島に言う権利ねえよ。美里、お前霧島のこと、馬鹿にしてるだろ」 「そんな」
美里は絶句していた。考えたこと、そんなことない、そう言いたそうだった。
「お前さ、前から思ってたけどな、霧島の顔とかにすげえいらいらしてたんじゃねえか」
少し方向を変えてつっこんでみた。これも前から気になっていたことだ。
「どういうことよ」
「ほら、良く言ってただろ。霧島と一緒に歩くとやたらとカメラ持ったおっさんたちに付けねらわれるってな。ほとんど撮られるのは霧島一人で、美里はいつも刺し身のつま扱いだってな。この前も言ってたじゃあねえか」
「だってゆいちゃん、写真撮られるの苦手なのよ。すっごく嫌ってる」
「美里、お前いつもそれでむかついてただろ?」
俺は無視してたたみかけた。
「霧島みたいな女子ばかりちやほやされて、どうして私は無視されるんだか、って風に俺には聞こえたんだよなあ。いや、美里だけじゃねえよ。他の女子たちも似たようなもんだろ。あいつになびかないのは性格が野獣だからであって、顔だけだったらその手の男子連中にいくらでも好かれるだろってな」
だんまりを決め込む美里。自分でもどういうことかわかっているからこそ、だ。
「けどな美里。俺からするとそっちの方でお前が八つ当たりしてるとしか思えねえんだよな」
「私八つ当たりなんか」
「美里、お前、霧島には顔でいくらしても勝てねえから、成績上だし頭悪いしってことで、見下し直してるようにしか見えねえんだよな」
「貴史、そんな、なんでよ! 私をそんな奴だって思ってたわけ?」
「違う少し落ち着け、ばか」
こいつを冷静にさせるには、軽く頭をぶってやるのが一番いい。やはりおとなしくなった。ただ唇をおもっきりとんがらせていた。
「俺が言いたいのは、ただ霧島を馬鹿にしたいというだけで、近江の言うことうのみにすんのやめろってことだけだっての。近江はしゃあねえよ。いろいろあったみたいだからなあ。けど、美里は霧島に同じことされたわけじゃあねえだろ。少し考えりゃあ一発だろうが」
すっかりむくれた美里がうらめしげに俺を見返す。
「だったら別の方法考えろよな」
「どんなよ」
「そうさなあ、どんなんだろうなあ」
具体的になにが、と問われると、俺も返事ができない。しばらく首をぐるぐる回し、
「俺も、そんなんわからねえよ。女子のことだしな。立村にそこんところ相談しろよ」
ごまかした。美里もしばらく考え込んでいたが、すぐにもう一杯茶を飲み干し、
「ごめん、ここ、トイレないかな」
立ち上がった。
美里がきったねえ公衆便所に駆け込んだのを確認し、俺は側の別ベンチに腰を下ろした。このあたりはやたらと烏がうごめいていて汚い。こんなとこで俺も小便なんぞしたかあねえよ。美里もちらっと覗き込み、
「貴史、ごめん、いいわ」
浮かぬ顔で戻ってきた。俺からすると美里、かなりやばそうなんだが。
「大丈夫かよ」
「平気、平気。たいしたことない」
また顔を真っ赤にした。俺は知らん振りを決め込もうと決めていた。古川相手だったらまた下ネタトークで盛り上がれるだろうが、今の美里にはそんなことできそうにない。それにまた、例の「あれ」がからんでいるみたいだし、俺も女子のヒスには余り付き合いたくない。
「で、悪いんだけど、できたら屋根のあるとこに移動したいんだけど、いいかなあ」
またうつむいてる。どうしたんだか。別に俺も異論はないが。
「じゃあさっきのハンバーガー屋に行くか?」
「ううん、あそこの喫茶店がいい」
美里が指差したのは、こじゃれた感じの喫茶店だった。白い煉瓦風の壁と真っ赤な屋根。なんだか俺ひとりだと絶対素通りするようなとこだ。こっぱずかしいったらねえ。
「なんかなあ、俺たち目立つぞ、制服だろ。それに立村がたとバッティングしたらどうすんだ」
「じゃあいい、別のとこでも、とにかく家の中に入りたいの」
「そんならゲーセンでも」
「いや、そういうとこは!」
しばらく互いの要求をすり合わせたけれども、らちがあかない。
「じゃあ外でも別にいいだろ、美里。食い物結構あるし」
「だって、あそこだと」
口篭もり、ちろっとさっきの公衆便所を見た。
「トイレあそこしかないよね」
「汚ねえけどあるだけましだろ」
「うん」
しかたなさそうに美里は元のベンチに腰掛けた。しばらく無言で膝をつつくようなしぐさをしていたが、
「貴史、覚えてる? 小学五年の時のこと」
小さな声でささやいた。誰も聞いてねえってのに。
「どんなことだよ」
「私が、教室で、白山さんとのことでしたこと」
──ああ、あれな。
わざと五時間目の授業中にしょんべんちびって自分で始末する、とかいう賭けをやったよな。たまたま体育館でちびった女子がいて、その女子をかばうつもりで美里が立ち上がったところ、たまたま俺と美里がターゲットになり怒涛のごとくけりいれられまくり、血迷った美里は「じゃあ、私教室でやってみて、自分ひとりで片付けて見せるから!」と宣言したという、あれだ。ある種のマニアには喜ばれるかもしれねえがとばっちり受けて隣で始末するはめになった俺の立場はなんなんだと言いたい。
「あの時ね、私、ほんとに、自分で片付けられるんだって思ったんだよ」
「片付けただろお前」
「ううん、できなかったよ。あんたが隣にいたから、なんとかなっただけ」
多少は俺の存在価値もあったってわけだ。あまり自慢できねえが。
「私、あの時、本当のことをちゃんと言ってあげるのが親切だし、自分でやらかしたことは自分で始末するのが当然だって思ってたんだ。だから白山さんがしちゃった時、どうして前もってトイレ行かなかったのかとか言っちゃったんだよね。間に合わないんだったら、どうして途中で体育館から抜け出さなかったんだって、言っちゃったんだよね。最近まで私も、そう思ってたんだ。その後詩子ちゃんが、すっごくやな感じに変わっちゃって、私もすっごくいやで絶交しちゃったりして。すぱすぱ言えることが一番大切なんだ、べたべたしないことが一番だって、思ってたんだ。だけど、どうしてもね」
耳までこいつ赤くなっている。いったいなんなんだ。
俺もかなりえらい目にあった。女子たちの戦いも相当なもんだったが、美里はもともとまっすぐすぎるくらいまっすぐな奴だったし、担任とのバトルも半端じゃなかった。なんというか、五年から六年くらいにかけての女子っつうのは、どうしてああも噛み付きたがるんだ? 霧島なんてまだ可愛いほうだぞ。しかも中途半端に「誰々は誰々のことが好き」とかいうありもしない噂を流しまくる。美里もそうだが俺もかなり被害をこうむった。第一言わせてもらえれば、なんで俺と美里が一緒に真面目な話していると、いやがらせしに水をかけたりなんなりするんだ? 話の合う奴なんだから男女関係ねえだろうが、と今なら平気で言えるだろうが。
「けど、今の私なら、そんなことたぶん言えない」
「そんなことってなんだよ」
またもじもじと膝をすり合わせるしぐさをする。
「なんで白山さんが、体育館でトイレに行きたくなったのにいえなくてそのまましちゃったのかとか、どうして詩子ちゃんがあんなに私に対してべたべたするようになったのか、今ならわかるもの。私、そうしたくなっちゃった気持ち、今になってやっとわかったんだ。正しいことを何でも言えば、いいんだって思っていたけど、そうじゃないんだね。本当のこと、言われて、傷ついてしまったら責任とらなくちゃいけないんだよね。だから、だよね、貴史」
やっぱり美里、哲学している。俺もそんなすごいこと言ったつもりはなかったのにだ。
「さっき貴史が、ゆいちゃんには余計なこと言わないほうがいい、って言ったでしょ。最初、私がやっかんでるからだとか言ってたけど、そういう意味じゃないよね。私、もしゆいちゃんに本当のことを言って、傷つけてしまった時、ちゃんと責任とることができるかどうか、ってことなんだよね」
頭の中を整理しているつもりだった。黙るしかなかった。
「今までの私なら、そんな責任なんて考えないで本当のことずばっと言えたと思うんだ。天羽くんと同じく、もしゆいちゃんが傷ついて、言葉しゃべれなくなったとしても、ゆいちゃんがそれは悪いんだって言い切れたと思うんだ。でも、今は言えない。近江さんみたいに正しいって思うことをぱきぱき言えない」
俺としてはどう返事したらよかったんだろうか。しばらく残りの菓子パンを食いながら、俺は美里が唇をかみ締めながら一言ずつ絞り出すのを聞いていた。
「じゃあ、あれか、お前、これ以上犠牲者を出したくねえってことか」
「そう。だって、私、もしゆいちゃんみたいに言われたらきっと傷つくと思う。もし立村くんに、私なんていないほうがいいって言われたら、泣いちゃうかもしれない。今だったら私、泣かないって思ってるけど、いざその時になったら、どうなっちゃうかわかんないよ」
「それはねえだろ今んとこは」 茶々を入れてみるが、真面目モードに突入した美里には届かない。「でもこのまま何にも言わないでいることが正しいとも、思えないの。もし、小春ちゃんの時に天羽くんが、本当は近江さんのことを好きだったんだってみんなに知らせることができたら、小春ちゃんは傷ついたかもしれないけれども、もっといい方向に向けられたんじゃないかって思うもん。近江さんのやり方も間違ってないと思うけど、あのやり方でゆいちゃんがずたずたに傷つくもも避けたいし」
「ならなあ美里、俺なりにひとつ提案」
俺は美里に手付かずのクッキーを一枚手渡しした。
「それ、全部、立村にぶつけてみろよ」
目を真ん丸くするのは思っても見なかった提案だったからだろうか。
「あいつだって胃が痛いってぐちってたぞ。さっき俺も『女子のことには口だししねえほうがいい』って言っといたけど、お前から話を持っていけばそういうわけにもいかねえだろ。気が気でねえことだけど、男子側としては勘違いされたくねえし、本当は口出ししたくねえよ。けど、美里から女子の情報を出してみて、その上でだ」
「その上で?」
「お前一人の意見だったらな、さっき俺が言った通りやっかみって思われるかもしれねえよ。でも、立村含む男子側の都合と、あとそうだな、霧島の気持ちなんかも考えれば、近江案のような過激なことやらかさねくても、いい方法見つかりそうな気、するんだけどなあ」
ベンチを両手で尻に押し付けるようにし、美里はうつむいた。小さい声で、「見つかる?」とつぶやいた。
「わからねえけど、それだったら霧島を見捨てることにはならねえだろ」
答えを待たずに俺は時計を見た。まだ二時を回っていない。
「美里、とりあえずなあ、さっきの喫茶店入るか?」
ビニール袋に残りの飲み物とクッキーを詰め込んだ。ごみは燃えるごみ、燃えないごみに分けた。 「え? でもあんたいやなんじゃあないの?」
「あんなちかんの出そうなトイレだとお前、したくねえんだろ」
「た、貴史あんた!」
思いっきりけりをいれようとする美里。が、いきなりまたうつむいた。そっと膝をさするようにした。はにかむように、
「貴史、あんたの言う通り。ごめん。すっごく、助かる」
美里がさっきから、行きそびれたトイレのことばっかり考えているんだなというのは、足下の動きと落ち着きのない目でだいたい見当がついた。本当は聞かないほうがいいのかもしれないとは思うんだが、俺は立村のように気がつかないところでさりげなくレディーファーストをするってのが苦手なタイプだ。やたらとナーバスになった美里には、少し考えないとまずいかなとも思う。
てか、どうしてほしいか、言ってもらわないと困る。俺がずうっと立村に言いつづけてきたことだが、今回美里にまで言うことになるとは思わなかった。歩きながら、唇をぴんと張ったままの美里に話し掛けた。
「あのなあ、美里」
いくら幼なじみとはいえ、やはり緊張するものがある。こういう話題、生々しく言うの初めてだからなあ。
「なに?」
「今から聞くこと、スケベネタじゃねえからな」
「何よ、スケベって、またこずえみたいなこと聞くつもり?」
「絶対に怒るなよ、怒鳴るなよ」
「怒らないわよ。あんたのスケベなネタはこずえ経由で全部聞いてるもんね」
ほんとかどうかわからんが、ほんと、今後のためだ。聞くしかない。
「最近お前、すっげえ小便近くねえか? やっぱりお前、『生理中』だからなのか?」
「貴史!」
「だあかあらあ、スケベ心からじゃねえって言ってるだろうが!」
顔がまた赤らんでくる。俺もそうだが立ち止まった美里も凍りついていた。またもじもじと指を絡めて立ち止まる。
切り出し方、あやまったか? でも、明日の自由行動も考えたら、女子の体調をある程度知っておかないとまずい。保健体育では基本的なお話ばっかりで、実際女子をどう扱えばいいのか……いや、決してやらしいことをする方法とかじゃねえよ。ゴムの使い方とかでもねえし……特に美里は、いわゆるその、「初めて」らしい。古川にあそこまで当たり散らすってことは、そうとうしんどいんだろう。だったらどうすりゃいいのか、本人にインタビューするしかない。そこまで保健体育の教科書にも、エロ本にも書いていねえもん。俺たちが今すぐに知りたいのは、Cをする時のテクニックじゃねえ。どういう風に女子が自分らを扱ってほしいか、だけだ。
彼氏たる立村にそこまでの質問度胸を求められないというのは俺もよくわかっているので、こっちが切り出すっきゃない。
「貴史、あんた、本当にスケベな意味で聞いたんじゃないよね?」
「俺男なんだからそういうことわからねえし」
美里はぐっとうつむきながら、しばらく考えている様子だった。
「お前の例の話は、水口経由でそりゃもう派手に伝わってる。やっぱり俺も男だからそういうこと関心ねえってことねえよ。けどな、美里、お前が一番困ってることったらなんだろうなってこと、本人に聞かねえとわからねえことだろ?」
答えない。なんだかおかっぱの髪が揺れている。唇を噛んでいる。
「とりあえずは立村が、お前にそういうネタでからかわないようにとおふれを出した。けどあいつも、仮にも惚れてる女子に『生理で一番困るのはなんだ?』なんて聞けないぞ」
まだ美里は黙っていた。
「だからな、もしそういう時にやたらと小便に行きたくなるってのがわかってれば、さっきみたいな怪しい公衆便所しかねえとこには行かないようにするしな。腹が痛くてあまり動けないってんだったら、それなりに行動予定も変えるしな。しつこいようだけど、男にはそんなの全然わからねえんだよ。美里」
ゆっくりと顔を上げ、美里はこっくりと頷いた。相変わらず顔はトマトしていたが、
「ありがと、貴史」
それだけつぶやき、またはにかむようにうつむいた。
「三十分おきくらいにトイレのある建物の中に入ることができたら助かるんだ。迷惑かけて、ごめん」
俺だってやっぱし男だし、そういうスケベな本とか写真とかビデオとか、関心ないなんて死んだって言えない。正直、美里のあれのことにしたって、好奇心がむらむらしなかったとは言えない。嘘になる。
けど、そういう対象と美里とはやっぱり違う。
やはり俺の一番近い親友であって、そそり立つ対象ではない。
「女子って面倒だよなあ。無理すんなよ、美里」
ふと、こじゃれた喫茶店の壁がわに「不思議の国のアリス」の写真ポスターが飾られていた。金髪のめんこい白人の女の子だ。
目を留めると同時にちょっとびびった。
──美里には言えねえな。
男子連中一部の間で流れている霧島に関するある噂。今の俺は決して口に出せないだろう。