第二日目 16
16
「私、頭の悪い人、嫌いなのよ」
人気のない自動販売機前の丸いパイプ椅子に腰掛けてすぐ、近江さんは大きくため息を吐いた。浴衣の裾をぱさりと直して、足首のところで交互に組んだ。
「だって疲れるでしょ。清坂さんみたいに切れる人の方が好きよ」
──え、私が?
思ってもみないことを言われてしまい、返事に困った。私のどこが、頭切れるっていうんだろう? さっきまでゆいちゃんに「あんたは騒ぎすぎ」と怒られていたのに、それのどこがなんだろう?。
「信じていないでしょ、やっぱり可愛いわ」
「あ、ありがとう」
誉められているんだから素直にお礼を言う。近江さんは、つい数分前まで部屋でゆいちゃんを言い負かした時とは打って変わった表情で、さらっと笑った。
「素直だし、優しいし、それに切れるし。三拍子揃ってたら、委員長も手放したくないわよね」 最後の言葉がどうもきつめに聞こえたのだけれども、やっぱりこの人も、私と立村くんが似合わないと思っているのだろうか。うまく返せなくてまた、うつむいてみた。 廊下に出ると空気もだいぶ冷えてきて、少し呼吸しやすくなった。ほっとした。やはりゆいちゃんたちと言い合っている間、息がつまりそうしそうだった。近江さんが割って入ってくれて少し楽になった。感謝、感謝だ。
聞かれていたらいやだな、って気持ちもある。
──あのこと、ばれてないかな。
──だって、よりによって昨日が初めてだなんて、遅れてるよね。
今まで気にならなかったことが、今、どうしようもなく恥ずかしい。
──近江さんはやっぱり、絶対、始まってるよね。きっと。
背が高くて、すらっとしていて、腰が細くって、凛々しい人が、まだ生理ないなんてこと、絶対ないだろう。なんだか私だけが赤ちゃんのままだったんだと思うと、それだけでまた落ち込みそうになる。
「どうしたの?」
また優しく聞いてくれる。どうして近江さんは私に対してだけこうも暖かいんだろう。こんなにいい人なんだから、ちゃんと評議とかA組の女子とかにも声かけてあげれば、きっと人気者になるだろうに。
きっと小春ちゃんも、最初から近江さんのいい人らしいところを見抜いて、懸命にクラスへなじませようとしていたんだろう。結果、小春ちゃんは心をずたずたにされてしまったけれど、近江さんの隠れたよさを評議のみんなに知らしめるにはよかったのかもしれない。そう、無理やりにでもあの事件をプラスの方に持って考えようと思った。
「ううん、さっきは、ありがとう。なんだかみっともないんだけど、ね」
「みっともないのは霧島さんの方よ。今の悪口、私と清坂さんとの内緒ごとね」
口元に人差し指を立てた。
「ああいう頭の悪い話聞かされていると、だんだん私もいらいらしてくるのよ。無視しているのが一番なんだけど、清坂さんの立場を考えるとそうも行かないしね」
「え、私の立場?」
近江さんは肩を怒らせて、ゆっくりと下ろした。
「三年も顔つき合わせているんだから、波風立てたくないわよね。あの人たちにいくら頭にきても」
──え、そんな。
違うよって言い返せなかった自分にまず戸惑い、私は近江さんの顔を見つめた。横顔全然、かわっていない。他の女子たちが、「ねえねえ、すっごいむかつくよね!」と人の悪口を言っているのと違う、さっぱりしたほっぺたが印象的だった。
「自分の実力が伴わないくせに、人が輝いていることみて嫉妬して、八つ当たりして、同じところに置いとこうって感じの人。ああいうの観ていると、あなたひとりで片付けてよって言いたくなるのよね」
──あなたひとりで片付けて?
なんだか、近江さんの言葉は突き放しているようだけどもところどころ、悪口ではない私の本音、って気がしてくる。何でだろう、不思議な感覚だった。こずえとか他の女子たちと話している時とは違った雰囲気だった。近江さんは続けた。
「大抵の場合は言われている相手にも、十分すぎるくらいの責められる理由があるんだもの。でもね、清坂さんの場合は違うと思うのよ。自分ではどうしようもないことをあげつらって、霧島さん自身が自分のことを『私はえらい、すごいんだ』と確認したがっているだけ。何か違うと思ったわけよ」
ゆいちゃんの目つきが思い出された。もっとも私はずっと、ゆいちゃんよりも琴音ちゃんの媚びるようなまなざしの方がむかついたけれども。ゆいちゃんはストレートに感情が見えてくるから、返ってほっとする。言ったあと、すっきりする。今のけんかもきっと、あやまったら全て終わる。
「いざとなったら私が少し、何か言えるかもしれないから頼ってね」
「うん、ありがとう、でも、ゆいちゃんだってきっと、悪いつもりで言ったんじゃ」
言いかけたところ、また近江さんはため息を。
「清坂さんってほんと純粋で可愛い。だから大好きよ」
「私のどこが純粋なの?」
何気なく聞いてみた。今、ここに来てからの近江さんはずっと、私のことを褒め称えてくれている。もともと四月以降、いつも評議委員会は私と一緒に行動してくれたし、私と仲良くしたい風な態度を取ってくれていた。小春ちゃんとの交代劇、天羽くんを奪った恋愛事件、それぞれの事件が絡んでいて、近江さんはダーティーガールというイメージが強く出ていたように思う。ほとんどの問題は天羽くんのいいかげんな態度が全てだと思うんだけど、女子としては最大の悪女として近江さんを捕らえていたんじゃないかと思う。本当はこんなに優しい人なのに。もったいない。
だから私はできるだけ、近江さんと仲良くしたいって思っていた。おいしいケーキで有名らしい喫茶店にも連れていってもらったこともあったっけ。こずえとも相性が合って、修学旅行グループの仲間に入れてあげたりもした。さっぱりしていて、クール。そんな近江さんだけど本当は熱い。冷たいように見えて、時々優しい。不思議な人だ。
──あ、そうだ。さっき何か用があるって言ってなかったっけ?
思い出して尋ねることにした。そうだ、目的があったんだ。近江さんが私を呼び出した理由。「あああれね」
近江さんは、ゆいちゃんへの悪口をいったんひっこめて、修学旅行明日の自由行動に戻した。
「実は、本当に残念なんだけど、私、明日とあさってどうしてもひとりで行動したいことがあるのよ」
明日は午前中だけ観光スポットを一回りして、午後はそれぞれ分散して行動する予定だった。たぶん天羽くんのいる男子グループと一緒に動くんだろうと思っていた。午前中から、ということだろうか。ごまかさないと大変だわ。
近江さんは、はにかむように口元を緩めた。
「清坂さんにだけは言っちゃおうかな。実は、明日とあさって、若手芸人たちの野外オーディションがあるらしいのよ。ほら、私、漫才好きだから」
近江さんの、普通の女子と違うところ。熱狂的お笑い・漫才・あと落語・そういうのが大好き。はまったのは中学三年になってからだと言っていたけれど。天羽くんと初めてのデートに誘われた場所が、落語の会だったと教えてくれた。それ以来らしい。天羽くんがもともと関西系のギャグ番組大好きでしょっちゅうしらけるギャグを飛ばしていたことを思い出すとわからなくもない。けれど近江さんによれば「もともとはまり込む素質があったから、運良く目覚めただけよ」ということだった。なんだか変。
「漫才なの?」
「たぶんね。人気はまだまだないかもしれないけれども、これからのスター誕生かもしれないでしょ。そういうのってかなりわくわくするよね」
──歌手のオーディション番組を観ているような感覚なのかな。
残念ながら私は、そちらの方に共感できない。ごめんね、近江さん。
「私、自然よりも合成品の方が好きな、変わった性格なんだわ。未完成な努力の結晶よりも、つくりものでも完璧に見えるものの方がね。だから、本当だったらトップの人のいい芸を観るほうが好きなのよ。でも、やっぱりそういう人たちはどんどん歳とっていくでしょ」
「うん、そうだよね」
頷くしかなかった。近江さんの口調が熱篭ってきている。クールな表情がいつのまにか、漫才のことになると親しみやすいあったかいものにとろけてくる。こんな表情、どこに隠してきたんだろう。小春ちゃんには悪いけど、天羽くんが近江さんに心動かしたのは、そういうギャップのある表情なんじゃないだろうか。わかるような気がする。
「私、デビュー前からどんどん実力を挙げていく人を追っかけてみたいって、この三日間くらいいろいろ考えていて、思ったのよ。完成品が好きだとか言ってみたけど、最近私のしていることってどう見ても信じられないことばかり。第一、一年前の私なら、天羽くんとの『お付き合い』なんて絶対考えられなかったものね」
──やだ、うわ、言っちゃった!
彼氏の話なのに全然赤くならない。むしろ冷めた口調。そういえば天羽くんと近江さんは、おとといの弾劾裁判に出席したはずだ。本当はそのことも聞きたかったのだけども。チャンスだろうか。どきどきした。袖をひっぱってみた。
「近江さん、そのショー、天羽くんと行くの?」
「まさか、ひとりよ。それぞれ用事があるのに無理やり巻き込んでどうするのよ」
「ごめんね」
「ううん、でも私のこと、気にしていてくれてありがと」
近江さんは何にも照れのない表情で私を見つめた。
「本当だったら清坂さんと二人でデートしたかったんだけど、やっぱり委員長がいるとね、そうも行かないでしょ」
「あ、あのね、近江さん」
ゆいちゃんのお説教で、立村くんの話が出てきたのもあって、つい頬が熱くなるのがわかる。やっぱり私って子どもだ。近江さんには気付かれたくないな。頬に手は当てない。
「もし、よけいなことだったらごめんね。私、ずっと聞いてみたかったんだけど」
「清坂さんにだったら、教えてあげる」
「どうして、天羽くんと?」
付き合ったの、とまでは聞けなかった。私の本音は、「近江さんに天羽くんは、絶対もったいないよ!」ってことだった。悪口言うわけじゃないけれど、近江さんのようなしっかりして凛々しい人に、お調子者の天羽くんは似合わない。別に小春ちゃんがしっかりしていないとは思わないけれども。小春ちゃんはむしろ、私と同じぽよんとした感じ、近江さんはずっと上に立って、周りを見下ろしているって感じ。最初から足下が、違う。
「天羽くんと付き合ったわけ? 聞きたい?」
「だって近江さん、たくさんの男子にもてそうだもの」
私が男子だったらきっと、近江さんに憧れただろう。よく女子校の話で「お姉さま」と憧れの先輩を呼ぶ慣わしなどを聞くのだけれども、近江さんを見ればそれも頷ける。かっこいいもの。何をするにしても、自分の考えをしっかりもっていて、揺らぐことがないんだもの。私もさっきのように、ゆいちゃんの言い分が八つ当たりそのものだって思っていても、言い返すことができなかった。あんなふうにきっぱり、ぐうの音も出ないくらいに言い返せたら、かっこいいだろうなあと思う。でもやっぱり納得いかない。
「天羽くんの悪口を言うわけじゃなくて、近江さん、物凄く天羽くんのことが好き、っていう雰囲気じゃないのに、仲良しなのが不思議なの」
うまく言えない。一応、A組の評議委員同士のカップル。三年では私と立村くんに続くカップルなのだろうけれども、あまり甘ったるいものがない。私だってあるとは言えないけど。でも、近江さんと天羽くんの付き合いって、私と貴史の繋がりに似ている。好きとか嫌いとか、そういう単純に割り切れないものがある。
「世間一般で言う、好きってイメージじゃあないかもね」
近江さんは私をじいっと見つめた。内緒ごとを告白するみたいに、私のほっぺたに口を近づけた。
「天羽くんは私と感覚が似ているのよ。付き合うとか付き合わないとか、そういう以前に感じることがすべて近いのよ。落語とか漫才のよさが分かり合えるというところもそうだし。だから一緒に話をしていると楽しいのよ。うん、それだけだしそれだけだからこそ、貴重なのかな」
「え、もっとゆっくり、教えて」
「うーんとね」
近江さんは足を組み直し、また浴衣の裾をぽんと叩いて直した。
「本物を見抜く感覚、かな」
──それってもしかして……。
──小春ちゃんの、こと?
思い当たるふしがある。天羽くんは小春ちゃんにはっきりと別れを告げた時に「お前は偽善者だ、だから俺は大嫌いなんだ!」と言ったらしい。ショックで小春ちゃんは言葉がいまだに話せなくなってしまった。元気を無くしただけでない。A組でばかにされている男子と無理やり付き合うように命令された、とも聞いている。それを知ったゆいちゃんの激昂は当然だと思う。天羽くんを罵るならわかる。小春ちゃんが天羽くんに尽くしたことが「偽善」といわれてしまうんだったら、もう怖くて恋なんてできなくなってしまう。私だって、似たようなことしているかもしれないんだから。立村くんに、私も「偽善者!」と罵られる可能性、大なんだから。
「もし、話したくないなら言わないでもいいんだけど」
言葉を選び選び、私はきっかけをこしらえてみた。
「近江さん、小春ちゃんはやっぱり、偽善者だと思う?」
驚いた風な目で私を見つめた。言葉に詰まっていた。
「私、他の人とか、立村くんとか、そういうところからきた情報しか持ってないし、どうしてもそうなると、近江さんの方が悪いってことになりそう。でも、私、直感でなんだけど、近江さんは悪くないような気がするの」
畳み掛けた。黙っていた近江さん、天井から光る蛍光灯で頬が蒼く見えた。
「だから嫌いになんてならない。けど本当のことは知っておきたいの。近江さんの今から言うこと、私信じたいの」
立村くんが口癖のように「俺は直感でなんでも判断するからな」と言うけれど、そのくせ、私にうつっちゃったらしい。今の私は、近江さんのことを直感で、いい人だって決め付けたいみたいだ。別にゆいちゃんのことが絡んでいるわけではないのだけれど。
「本当?」
妙に真剣なまなざしにちょっとびびったけど、頷いた。
「嬉しいな」
うつむき加減でかすかに口元をほころばせると、近江さんはちょっと、彼女らしくないあどけない表情でうつむいた。こういうところも、やっぱり天羽くんはチェック済みなんだろうなと思った。
「もちろん私と天羽くんが、西月さんに言ったことは残酷だったんだと今は思う。でも、ずっとしつこく付けねらわれて、断りたくても断れない天羽くんに張り付いて、さらにものまでねだって、最後まで苦しめた結果として私は見てきたのよ。たぶん天羽くんじゃなくて委員長だったとしても、私は西月さんを軽蔑したと思うけれども」
「そうだったんだ」
立村くんがカラオケボックスに席を用意して、最後の話し合いを天羽くんと小春ちゃんにさせたという二日前のこと。私は参加させてもらえなかったけれども、それは近江さんの味方が多すぎると小春ちゃんの立場が辛くなるからという心遣いだったらしい。私どちらでもかまわなかったのに、と思うけど。
「さっきの霧島さんのこともそうだけど、私、基本としてあまり人と関わりたくないのよ。特に頭のあんまり良くないやり方する人とは付き合いたくないのよ。さらっと流したいだけなの。でも、世の中そういうわけにいかないし、何よりも、それで迷惑かけられる人のこと考えてよって言いたくなっちゃうの。さっきの清坂さんのようにね」
──え、私、迷惑かけたほうじゃ。
いくらゆいちゃんの八つ当たりとはいえ、私にも落ち度はあったのだから。
「西月さんは天羽くんのことが好きだった。それは勝手よ。クラスを情熱的に燃え立たせたい、これも彼女の本音ならしょうがないわよ。でも、そこから逃げたい人、それが苦痛な人にま無理やり押し付ける筋合いはないんじゃないかと私は思うわ。誰もが球技大会で一位を取りたいわけでもないし、誰もがクラス一丸で合唱コンクールに燃えたいわけでもないはず。もちろん義務は果たします、でも心の奥に隠している本音だけは口出さないでほしい、そう思うのよ」
──わかるなそれ。
近江さんがD組にいなくてよかった。菱本先生の性格とだったら水と油だっただろう。
「だから、言ったのよ。うちの担任に。『これ以上西月さんを傷つけない代わり、私たちにも西月さんのやり方を嫌う権利をください』って。けんかして、握手して、仲直りしてほしいってのが大人の本音だと思うのだけど、どうしようもないのよ。西月さんのやることに対しての嫌悪感は拭えないの。西月さんがクラスのために努力している姿は見せられたわ。いやというほどね。でもそれを見てどう感じるかは、私の自由のはず。むりに共感させられる意味はないわ。それに努力したことで満足するのは、自分だけでしょう。なぜ、みんなのためにという大号令で、私たちは西月さんの努力を褒め称えなくちゃいえないのかしら」
──クールでも、なんだかわかる。
「ここまで言って、私のこと、嫌いになった?」
おそるおそるといった風に、静かに尋ねてきた。私は急いで首を振った。
「たぶん、私の感じ方は異常なんでしょうね。共感してもらえないのもしかたないことだわ。でもそれを他人に共感しろとは言いたくない。そうされたくないもの。押し付けがましく、『私はこんなに努力しているのに、どうしてみんなやらないの』って顔で見上げられるとひっぱたいてやりたくなるのよ。私はただ無視するだけよ。でも天羽くんに対しては、酷すぎるわ」
「天羽くんって、『奇岩城』以降のこと?」
「ううん、違うわ。天羽くん、最初っから西月さんのように人の顔色見ながらいいことしようとする人が大嫌いだったのよ」
──やはり、そうなの?
「俺は最初から、西月のことが大嫌いだったんだ!」と叫んだ天羽くんの言葉は知っている。宗教上の理由でどうしても、嫌いな人間を作るわけにいかなかった天羽くんは、大嫌いな小春ちゃんを「友だちとして」好きな振りをし続けた。評議で一緒になってからも同じく演技していたらしい。でも、近江さんと出会ってからは考えが大きく変わって、「嫌いなものははっきりと嫌いと言うべき」という結論に達したんだという。残酷だけれども、ずっと生ぬるいままでいるよりは、きちんとけじめをつけるべき。迷惑なことにはNOというべし。それは間違っていないと私も思うけれども、ただ傷ついた小春ちゃんの立場も否定できない。そこまですることだったんだろうか? ふつうに「俺、好きな子がいるんだ、ごめん」で終わらせられないなにかがあったんだろうか?
「天羽くんは、懸命だったのよ。ぎりぎりまで西月さんのことを傷つけないように遠ざけようとして、一生懸命だったのよ。でも、どんなに訴えても西月さんは迷惑行為を止めなかったのよ。指輪を作れとねだられて、薔薇がほしいといわれてね。清坂さんも想像してみて? 清坂さんの大嫌いな男子に、毎日くっついてこられて薔薇の花差し出されたりしたら。断っても断っても、わかってもらえない日本語が理解できない相手だったとしたら? それが善意だと言い切られてしまったら?」
「でも、それならもっと方法が」
「そうね。私と見え見えなかっこうで付き合ったのもそうだし、うちのクラスの男子を代わりに用意してあげたのもそうよ。天羽くんの努力はそれこそ涙ぐましいものよね。でも、どんなに苦労しても西月さんには伝わらなかったのよ」
「え、小春ちゃんが?」
そんなことないよ、と言おうと思えば言えただろう。小春ちゃんはばかじゃない。天羽くんの態度をあえて見ないようにして、必死に好きになってもらえるよう、努力したに決まっている。でも、もし私が男子で同じことをされたとしたらきっと天羽くんと同じことしそうな気がするのも本音だった。
小春ちゃんがもともと世話好きで、クラスから浮き上がっている人たちをなじませようと骨を折るこだということは有名だった。ちょっと暑苦しいと思われるところもあるのだろうけれども、純粋に、笑顔でしていたことだし私は別に驚くべきことではないと思う。でも、もしその男子をだしにして、天羽くんに「私ってすごいでしょ!」とアピールしていたとしたら……考えられないことではない。そう言う答えが出てしまうのが悲しかった。
──そういうとこ、確かに、あった。
「修学旅行前に委員長主催の弾劾裁判がカラオケボックスであったでしょう。あの時、天羽くんは、西月さんに通じる言葉を使って、なんとかして別れようとしたの。本音を伝えても逃げられるだけならば、嘘でもいい、やさしい言葉をいっぱいまぶして、それで納得してもらおう。真実を受け入れない耳の持ち主には、受け入れられるような表現をして、なんとかこれっきり付き合いをやめさせてほしい、そう訴えたの」
「受け入れられるような表現って?」
「西月さんを持ち上げて、ちっとも嫌いじゃないというような大嘘をついて」
──ちっとも嫌いじゃない、という言葉が大嘘なの?
小春ちゃんの涙顔が思い浮かんだ。
「西月さんが幸せになってもらわないと悲しいとまでね。本当は天羽くん、一刻も早く縁を切りたくてならなかったらしいのよ。しつこい相手を振るために、どうしてここまで自分の真実を曲げなくてはならないか、そうとう苦しんだらしいわ。私も最初その言葉を聞いた時は耳を疑ったけれどもね。もし本心でそんな言葉を言うのだったら、私も天羽くんと付き合いやめていたわね。でも、どうしようもなく嫌いな相手だからこそ、どんなに嘘をついてでも遠ざけたかったのよ。そのくらい、西月さんは天羽くんに嫌われていたわけよ。他の人はどう思うかわからないけれども、西月さんの行動は嫌われて当然だと私は思うわ。一生懸命やるのはいい。努力するのもかまわない。ただ、他人に迷惑をかけないところで、ひとりでやって。一人で自分を誉めて、自分で満足して。自分で自分を誉めてあげることが大切だとよく言うでしょ。他人に誉めてほしがらないでよ迷惑だから、って意味がたぶん、あの言葉には込められてるのよ」
──決め付けたらいけないと思うよ、近江さん、けど。
本当は仲良しの友だちの悪口なんだから、怒ったりなんなりしてもいいのに。でも、思わず頷いている自分がいた。ひとつひとつ、思い当たるふしがあったから。
小春ちゃんとは、評議委員会で初めて顔合せした時から、すっごく一生懸命でいい子だなと思っていた。すぐに仲良くなっていろんなおしゃべりをするようになったし、恋の話とかも始まったのは早かったと思う。私は当時、絶対に立村くんへの想いを知られてはならないと思って必死に隠してきたけれども、小春ちゃんは天羽くんへの気持ちを女子たちには隠さなかった。
「あのね、天羽くんがね、今日私に、『球技大会、男女一緒に一位になれたらいいよな、がんばろうぜ』って言ってくれたの。それでね、初めて私のこと、ちゃん付けで呼んでくれたの。だから、私もがんばる。これからA組で朝練するように言わなくちゃ」
大抵の子から聞けば、単なるのろけにしか聞こえないのかもしれないけれど、小春ちゃんの場合はすぐに、ひとつの目標を設定してそこに向かうという癖を持っていた。天羽くんに「ちゃん付け」で呼んでもらえた。がんばろうって言ってもらえた、だから、その分A組に還元しなくっちゃ、って感じだった。自分だけでわあいっと喜んでいるだけではだめ、みんなにもそのおすそ分けをしなくっちゃという風に。もちろん、球技大会にせよ学校祭にせよ、小春ちゃんの目標が達成されることはそうなかったけれども、その努力だけはびんびんと伝わってきた。だから私も、ゆいちゃんたちも小春ちゃんに負けないようにがんばらなくちゃ、といつも思っていた。特にゆいちゃんは、私よりももっと小春ちゃんと仲良しだったから、ふたりでいつも励ましあっていたはずだ。
「一生懸命やればかならず、夢はかなうものだと思うの」
それが二人の口癖だった。努力家同士。もちろんゆいちゃんの方はかなりきつい言い方で、「やる気のない男子どもを面倒みていくためには、女子ががんばらないとね!」
ふたり手と手を取り合って。
こんなふたりの夢がかなわないなんてこと、ありえないって去年までは思っていた。
一足先に私が立村くんと付き合うことになったのが二年の六月だった。こっそりと恋の打ち明け話をしたりもしていたのだけれども、告白まで持って行っていたのはゆいちゃんだけだった。もともと親指姫のかわいらしい雰囲気をもつゆいちゃんだ。外見だけならば絶対に男子で断る奴はいないだろうとみな思っていた。当然、「南雲くんってかっこいいよね、いいなあ、女子に対しても思い遣りあるし、いいよね!」
と、ひそかに狙っていたゆいちゃんが体当たりしたのはむしろ当然のことと思っていたし、むしろ振られてしまったことのほうが意外だった。その後で南雲くんの本命が奈良岡彰子ちゃんだったことを知った時は、正直驚いた。
「ま、こんなこともあるよね! でもまだチャンスがなくなったわけじゃないしがんばる!」
「そうだよゆいちゃん。ちゃんと一生懸命がんばればいつか、南雲くんも振り向いてくれるよね!」
でも、奈良岡彰子ちゃん以外に目を向けない南雲くんの姿が、だんだんおおっぴらになってくるにしたがって、ゆいちゃんの「一生懸命」が全く役立たないものになってくるのに気が付いた。小春ちゃん自体はもともと彰子ちゃんとも友だち同士だったし、それもしかたないと思ったらしいけれどもゆいちゃんはそうじゃなかった。なんというか彰子ちゃんって子は、いつもにこにこ笑顔で誰にも抱きしめたいって思わせる性格の持ち主だった。ただぽっちゃりタイプで、某学年トップの男子からは「ドラム缶のねーさん」と呼ばれている。顔だけだったらゆいちゃんにはかなわない。そんな彰子ちゃんに南雲くんがのめり込んでいく姿を見つめているのは辛かったことだろう。他の南雲くんファンと称する女子たちが、「なあんだ、別の男子だっているしいいや」と割り切り早かったのに対して、いくらでも男子選び放題に見えるゆいちゃんがどうしてあそこまで、南雲くんにこだわりつづけるのかが不思議だった。ちょっとおとなしい顔をしていれば、ラブレターの嵐になること、想像するの難しくないのに。
あれ以来ゆいちゃんは変わったんじゃないかって思う。
南雲くんに秒速で振られた後、
「顔なんて何にもなんない。好きな人に振りもらえない顔なんてどこがいいのよ」
ぼそっとつぶやいたのを聞いたことがある。
みんながゆいちゃんのことを可愛い可愛いと誉めても、
「こんな顔のどこがいいのよ」
とすぐに冷たく返すようになった。ゆいちゃんだって南雲くんに振られるまでは自分の顔やプロポーションにちょっとは自信を持っていたんじゃないかなと思う。少なくとも彰子ちゃんに外見上では勝っていると自覚していたんだろう。一時期は雑誌のおしゃれヘアスタイルコーナーを必死に研究していたところも見たことがある。
どんなに努力しても南雲くんの気持ちは揺らがなくて、たったひとつの武器「一生懸命」すらも全く役立たず。どんなに努力しても、何にもならない。そんな現実をゆいちゃんは、必死にクラス運営で紛らわせようとしていたのだろう。
努力して、かなう夢。
懸命に夢見てかなえた青大附中への合格切符。
ゆいちゃんの一世一代の奇跡。
決して成績はいい方じゃない。数学もたまに立村くんに負ける結果だし、私たちにもわかるくらいだ。けど断言できる。私の知っている限り、ゆいちゃん以上に一生懸命毎日ガリ勉している子って、ほとんどいないと思う。評議委員会の時も、「絶対今度トップ狙うんだ!」と難しい参考書を読んでいた。あれだけ一生懸命勉強しているのに、どうしてテストになると最下位になってしまうのか、それが相当くやしかったらしい。けどめげないのは、青大附中に受かったという事実、これが支えなんだって、ゆいちゃんは話していた。。
小学校時代必死に勉強して、奇跡が起きて、ばかにしていた連中を見返せた時、
「私、きっと変わったと思うのよ。奇跡が起きて、あのにわとり頭の霧島があの青大附中に受かったんだって見せつけることが出来た時にね。だから今でも思う。一生懸命やれば必ず夢はかなうし、信じることによってきっといいことがあるんだって! だからC組の女子にもはっぱかけてるんだ。私みたいな頭でも、せいいっぱいやれば男子たちには負けないんだって! 小春ちゃんも一緒に頑張ろうね! 絶対、天羽くん振り向いてくれるよ。あんなに一生懸命だもん」
──そうだね、一生懸命だもんね。
小春ちゃん、ゆいちゃんにとって「一生懸命」という言葉は、決して裏切られることのない魔法の言葉だった。私にだってそうだ。去年の十月頃、立村くんと一時期険悪になった時も、信じれば必ず仲直りできると信じてきた。一生懸命、努力すればなんとかなる。そう信じていた。結果ちゃんと夢はかなったし、今でも私の「彼氏」でいてくれるのは、あの時私が「一生懸命」ぶつかった結果だったんだと思う。私はうまくいったのに、でもどうしてゆいちゃんと小春ちゃんには魔法の言葉が全く効果なかったのだろう? 私もがんばったけど、ゆいちゃんも小春ちゃんも、自分の持てるだけの力を尽くして、必死に夢に向かってぶつかっている。女子としては痛いくらいに伝わってくるのに。でもどうして。
小春ちゃんがどうして天羽くんに、「うざったい」とまで言われて言葉がなくなるくらい嫌われてしまったのか。
ゆいちゃんが二年の杉本さんの恋を応援したくて手を回したことが、かえって青大附中評議委員会を揺らがせるだけの大事件になってしまったのか。
どれもこれも、ふたりの「一生懸命」が裏目に出た結果だった。私もかんでいたし、その辺は何もいえない。でもゆいちゃんも小春ちゃんもただ、二人の夢をかなえようとして、できれば友だちもうまくいってほしい、みんなも仲良くしてほしい、そういう善意でもってぶつかったはずだ。生半可な努力じゃないのに、どうしてふたりが好きになってほしい男子たちははみなあの二人を拒絶するのだろう。迷惑をかけたいわけじゃない。ただひとつだけ、好きになってほしい、嫌わないでほしい、それだけなのに。
近江さんは今の話を聞いている限りだと、一生懸命というお守りをあまりありがたく思っていないようだった。むしろ、小春ちゃんの、「天羽くんへの努力」を、「大迷惑」と受取っているようだった。付きまとって、苦しめて、最低の人間だと。しかも、小春ちゃんが「善意」でしてあげたことが実は「偽善」だったとも。そんなわけない!と以前の私だったら近江さんを怒鳴ることができたように思う。でも、それができない、むしろ近江さんのそばで頷きたいって気持ちにぐらぐらさせられているのはどうしてなのか、わからない。
「近江さん、一生懸命やることって、迷惑なのかな」
「え?」
はっとわれに返った風に、近江さんは私を見た。相変わらず私に対しては優しかった。
「今、近江さんの言う、小春ちゃんのしてたこと、もしかしたら私も立村くんに、してたかもしれないから」
「委員長に、清坂さんが? まさか」
声を出して笑った。廊下に響かないかと思ってどきどきした。
「違うわよ。私が西月さんのわざとらしい行動を許せないのは、関係ない人に迷惑をかけてくるからよ。自分だけで自分の夢をかなえようっていうんだったらそんなことどうだっていいけれど、私にまでそれをごり押しするのはやめてよねって、それだけ。それも自分は正しいんだと信じきってて」
「でも、それ私きっとやってる!」
やっぱり私は、近江さんみたいになれない。大人になれない。なんだか悲しくなってきた。また泣きたくなりそうだった。立村くんが私のやり方に耐えられないといって別れようって言った時、私は無理やり条件だして、付き合いを求めてしまったってことになる。いつ、立村くんに三行半を突きつけられてもしかたないってことになる。だって、そうしないと耐えられなかった。立村くんと、別れるなんてこと、考えたくなかったもの。小春ちゃんだってきっと同じなのだ。天羽くんに嫌われないことだけが唯一の望みだったはず。
「清坂さん」
近江さんの手が肩に置かれた。浴衣の薄い布地から、ふんわりと伝わってくるぬくもり。
「私、評議委員会に入って思ったのは、清坂さんを除いてどうしてみな、こうも自分に自信のない人たちばかりなんだろうってことなのよ」
「自信がない? そんなことないよ!」
だってゆいちゃんだって小春ちゃんだって、堂々と自分のやりたいことを訴えている。琴音ちゃんはちょっと二股膏薬でどんなものかな、って気はするけれども、小春ちゃんとゆいちゃんが自信ないなんてこと、絶対にない。
首を振ってまた微笑んだ。やはりきれいだ。大人だ。いいなあって思った。
「今の霧島さんだってそうよ。私の想像なので違っていたら悪いんだけど、霧島さんは自分の能力や顔に自信がないのよ」
「あんなにゆいちゃん可愛いのに?」
頷きながら近江さんはさらに、私の肩を引き寄せるようにした。
「第三者から見たら、確かにあの人は美人の部類に入るわ。ああいう幼く見えるタイプって、女子を押さえ込んで我が物にしたい性格の男子に受けるのよ。そうね、さっき私が言った通り、女子を見下したがるタイプの男子のご用達ね」
──ちょっと、それはまずい。ゆいちゃんの大嫌いなタイプじゃない! 外見だけじゃ。
ついさっきの難波くんとのバトルを思い出した。下手したら難波くんとお似合いってことになってしまう。
「だからそういう相手向けに媚びを売ればいいのに、勘違いした相手にばかりアピールするから、顰蹙買うだけなのよ。もし霧島さんが少し視点を変えて、西月さんのように別の相手を選んだらまた、満足できるかもしれないのに」
──でも小春ちゃんだってそれは本心じゃないと思う。
下着ドロした男子と付き合わなくてはならないなんて、考えるだけでも怖い。
「一生懸命勉強しているのはよくわかるけれども、成績が上がらないのだったら別の部分でたっぷりアピールすればいいのよ。運動部に入ればああいう根性一途な人は活躍できるはずだし、へたにリーダーにならなければきっと輝くはず。どんなにしごかれてもあきらめないあの性格は、評議委員会やC組、清坂さんを責めることに使うよりも、他人に迷惑をかけない個人の部活動で発揮してもらったほうがどれだけ助かるかしれないわ。あとそうだわ、旅行が終わったらすぐ水鳥中学との合同交流会があるでしょう。ずいぶんヒステリー起こしていらしたけれども、もし私が委員長の立場だったら、霧島さんに原稿を渡して、読み上げるだけの司会をさせるわ。ちゃんと原稿は振り仮名つきのものを渡して、一言一句、読むだけ。アドリブなんて絶対にさせないの。霧島さんは人の与えてくれた原稿を読むだけだったら絵になるし、いかにも前線での仕事をしたって思い込んでごきげんになるだろうし、男子たちはあの人の美貌に見とれるものね。そう、そうなのよ」
ぽんぽんと肩をたたいた。
「霧島さんは本来、リーダーをするべき人じゃないのよ。いろんな場所の花として周りの目を楽しませるだけの人よ。そうすればいくらでも、水をやりたい肥料をやりたいと手を挙げる男子がたくさん出てくるわ。さらにあの暑苦しい努力と根性があれば、花はもっときれいに咲くはずよ。無理やり木の実をこしらえたいなんてこと考えないで、美しく咲くことだけ考えてほしいだけよ。花がきれいだと誉めて誉めてなんてこと言わないで、ただ黙って立っているだけでいいタイプの人よ」
言葉が出なくて私は凍りつく、ただそれだけだった。近江さんはやわらかく、でもはっきりと断言した。
「むしろ、怖がるべきはね」
次に発した近江さんの言葉に私はまた震えた。
「轟さん、彼女には気をつけたほうがいいわ。たぶん、轟さんはすべてを見抜いて、ああいう行動しているのよ」
──琴音ちゃんが?
「彼女は、自分の外見に自信がないからああいう態度取っているだけで、頭だけだったら私たちになんて負けないっていうプライドを持っているわ。見ていてなんとなくそれはわかったの」
確かにそうかもしれない。琴音ちゃんは決して不細工というわけではないのだけれど、ただ歯が不ぞろいで前歯が少し出ている。しゃべり方も空気を変に吸い込むくせがあるためか、アクセントが少しずれている。これは琴音ちゃんのせいではないことだとわかっているけれども、やっぱりゆいちゃんや小春ちゃんの顔を見慣れていると違和感がある。ただ、成績はガリ勉集団のクラスB組だけあって、かなりよい。いつも人目につかないところで書類つくりとか、机運びとかを積極的にしているのは琴音ちゃんだった。「私、ブスだから」というのが琴音ちゃんの口癖だ。目が深海魚のように飛び出ているように見えるのも、損している原因かもしれない。でも、ちょっとぽっちゃりタイプの彰子ちゃんが南雲くんにあれだけ想われているのを見れば、琴音ちゃんだってもっと自信を持ってもいいんじゃないかと思う。自信なさげに、媚び媚びする態度を見てどうしても私はむかむかしてしまう。
「媚びるのはね、きっと自分を下に見せておけば、周りは安心するからだと読んでいるからよ。霧島さん、成績のことでどうしようもなくコンプレックスもっているでしょ。そこらへんを刺激したらいじめられないとも限らないじゃない。でも、『私はブスで出っ歯、出目だし』って自分を馬鹿にしておけば、とりあえず霧島さんは安心するわけよ。私は轟さん以下に落とされることないわってね。でも本当のところは違うのよ。轟さんは霧島さんのことをとことん、馬鹿にしているわ。もし霧島さんが何かの拍子でボスから下ろされたら、大喜びで今度は自分の方から仕切り始めるわよ。だから、私がもし委員長だったらね」
もちろん全部小声だった。
「あの人を裏方に回して、全部難しい仕事をさせるわ。それだけの能力がある人だもの。自分を低くみせて相手を欺くことによって、なんとかなると思っている人だけど、いつかは自分もすごいんだって見せ付けたがってるわけよ。そして、『轟さん、ありがとう、やっぱり女子で一番頼りになるのは君だよ』みたいなことを言うのよ。すると、あの人は大喜びするわよ。自分は男子に相手にされないご面相だって思い込んでいて、お世辞言われても信じようとしないじゃない? その辺は霧島さんと同じだけれども、頭を誉めると変わるわよ。霧島さんよりも、たぶん私や清坂さんよりも頭の回転速いことはあの人の誇りのはず。その辺をうまく刺激してあげれば、委員会の仕事楽になるわよ」
どうしてたった三ヶ月でここまで見抜いたんだろう。私がなんとなく、言葉にできない感覚で捕らえていたものを、どうして近江さんはこうまで断言できるんだろう。頷くしかないのだ。私はゆいちゃんや琴音ちゃんをかばえない。そうそう、その通りとしか言えない。
「どうして、そんなにわかるの?」
「だって、自分に自信のない人たちに迷惑かけられるのは、明らかに清坂さんひとりだもの」
──私だって、自信ないのに。
震える声で私が尋ねると、近江さんは立ち上がり、私の頭てっぺんに、顔を軽くぶつけるようなしぐさをした。匂いかぐようなしぐさだけど、確かに髪の毛に近江さんの肌がくっついたはずだ。