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第二日目 11

11


 うちの学校の修学旅行ってのは、どうも公立と全然違っているみたいで、結構自由時間というものが多い。俺も公立の連中から噂で聞いた程度だし、はっきりしたことはわからないけれどもだ。いかにもお寺とか、いかにも博物館とか、いかにも遺跡とか、そういったご立派なものを見て歩く予定というのがそれほどない。

 三日目、四日目がまるまる自由時間で、いろいろと好きなところを自分らグループで組み立てて歩け、っていうのもさっすが私立、太っ腹だなあと思う。まあ、俺からしたら「見るところのないところへ行くんだから、自分らで少しは行くとこ考えろ!」っていう、学校側の手抜きだと思うんだが、いかに?

「四日目の夜は、一応最大イベント、ほたる観賞ってのがあるぞ」

 バスの中で相変わらず、菱本先生は熱く男子連中と語り合っている。どうやら一日目夜、深夜の野郎部屋見回り時間を活用して、他のクラス男子たちに「人生とはなにか?」「将来の夢とはどんなだ?」などなど、いろいろと吹っかけたらしい。俺たちのクラス部屋にはちらっとしか顔出さなかったのはそれで時間食ったせいだろう。昼間、しゃべるだけしゃべったからまあいっかってことだろうか。その辺は俺も知らん。

「青潟から中学修学旅行で行くことのできる距離は、限られているからなあ。そのくせ四泊五日なんていうとてつもなく長い旅行ってのは、やはり、人間形成のためってことでな、少しでもお前らが自分の力で楽しんだり勉強したり、努力したりすることを学べっていうことが目的なんだぞ」

 ──よおわからねえなあ。

 俺からしたら、修学旅行のお約束みたいに、みな列に並ばされてつまらん博物館を見せられて、ちょっと騒いだら怒鳴られるってパターンから外れるだけでも満足なんだが。明日から始まる自由行動予定は、二日分かなり細かく設定させられたけれども、まあそれはそれでいいっかって感じだ。

 立村曰く、

「本条先輩が教えてくれたよ。最初の一時間で行くべき場所のスタンプとか、写真とか、そういうものをカメラで撮っておいて、残りの時間は好きなところに行くんだってさ。本条先輩が行くところといえば決まっているけれど、そんなとこでもなくていいんだってさ。あ、そうだ、カメラの日付、解除しとくのは絶対忘れるなよ、って念押された」

 ──なるほどな。こうやって、ガキは大人になっていくわけだ。

 つくづく知恵がついてきたなと俺は思う。えらいぞ、立村。


「でなあ、羽飛、お前も知っていると思うが、いかにも修学旅行の行事ってのが、今日一日こっきりしかないんだぞ。帰ったら修学旅行文集作るからな、このあたりのレポート必ず書かせるから、しっかり聞いておけよ」

 ──有名な画家さんが坊さんしている寺だもんなあ。

 後ろの方で水口の隣に座り、さぞやどきまきしているであろう金沢の顔を見たかった。

「おーい、金沢、いるかあ、こっち向け!」

 バスの中でのゲーム大会を行うに当たり、俺としてはだいたいどういう顔をみんなしているか、チェックしておきたかった。前々からわかっていることだけれども、バスの中で評議委員長の立村はまったく使い物にならない。俺が完全、バスの中限定、D組のリーダーにならざるを得ない。それにもっと痛いことに、

「おーい、美里、生きてるか」

「死んでないわよ」

 ──死んでる声しているくせに。

 あいつが無理しているってことは、腹をしぼったような声を出していることからして明らかだ。こういう病人を場の盛り上げのためにだけ引っ張り出すのは人道的にもよろしくないと俺も思う。美里がどうして死んでる声出しているかについては、昨日いろいろあったし、いやおうなしに俺たちも保健体育の試験内容思い出すはめになり、最後は立村に怒鳴られるという前代未聞のおまけ付きで理解するに至る。

 今俺の隣でしっかり寝た振りしている立村をそのまんまにしておき、俺はバスガイドのおばさんに、

「すいません、マイクもう一本貸してほしいんですけど」

 にっこり笑顔で尋ねさせていただいた。最近の俺は妙に、全年齢女性に受けがいい。なぜなんだ。

「はいはい、毎年担当させていただくけれど、本当に青大附中の学生さんって、明るくてのりがよくていいわよねえ」

 ──一部、除く、な。

 すっかり乗っている担任もいるしだ。お世辞か本音かわからんが、菱本先生はすっかり乗り気、下手したら音痴な唄をひとりで熱唱しかねない。バスの空気をにごらせるくらいの、音程の外れ方。あれを一度聞いたらバス酔い者続出だ。俺は腰を上げかけた。しっかりチェックされた。さすが担任。

「羽飛、よっし、お前に任せた! じゃあお前の仕切りで何をやるんだ? 『古今東西』か『男女対抗歌合戦』か」

 やっぱりこれっきゃないだろう!

「とりあえずは校歌斉唱で行くか!」

 後ろ側から女子の声援が飛んでくる。約一名、割り込む声もある。

「鈴蘭優の新曲、はとばあ、振りつきで歌ってよお」

 どうやら俺の永きファンのお声らしい。しかし今回の優ちゃんの曲は、夏向けアップテンポってことで、かなり恥ずかしい。いや、踊れないわけがないじゃないか。新譜発表の段階で雑誌の付録を手に入れ、そこから振りまでちゃんとマスターした。すごいだろ。がしかし。

「一緒に踊ってあげようかあ?」

 あわわ、と両手を合わせておちゃらけるしかない俺。

 ──古川頼むそれだけはやめてくれ!

 つくづく、今年のバレンタインデーにこいつからチョコレートを単独でもらうことを拒絶したことを後悔した。

 古川の性格がそういうことをねちっこく覚えているようなタイプではないことを二年の付き合い上、知らないわけではない。決して悪い奴ではないのだ。むしろ、恋愛感情なんて余計なもんなければいい奴なのだ。ただまあ、俺としては優ちゃんへの操を立てたいとばかりにつき返してしまった。ちなみにそのチョコは立村に渡り、立村が俺たち仲間内に細かく砕いて配り、一応俺も少しかけらを食った。悪い、古川、これが今の俺の誠意なんだ。ということで。けどやっぱり感情を傷つけたことを反省せざるをえない。ごめん、悪かった。俺が悪かった。と立村みたいに頭を下げたくなる。

「羽飛、俺も見たいぞ、やれやれ。場所もほら空けてやる」

 ひっつめ髪のバスガイドさんも自分の椅子に座り、ちゃんと俺用のダンスステージ空間を通路に作ってくれている。もっと頭痛くなることに、運転手さんとバスガイドのおばさん、目と目を合わせて頷いてるぞ。いいのか仕事こんないいかげんで!

「はーとーばっ! はーとーばっ! 待ってましたっ!」

 暖かい声援は全員からと言えない。一部の男子どもが胡散臭そうに俺をにらんで、無視してジュース飲んでいるのを見た。

 こういうのって、宣戦布告っていうんだよな。よっし、やったるか!

「任せろ! じゃあ行くぜ! 『ダンシングロリータ』の常夏バージョンだあっ!」

 狭いバス内空間が一気に汗臭くなったのは気のせいだろうか。俺が動いたら熱気でたぶん、空気はすごいことになるだろう。たぶんその犠牲者として酔っちまうだろう、今寝ている隣の奴は。起こさない方がいいかもしれない。

 うるさそうな顔して、窓を見ていた立村が薄目を開ける。頭が痛そうだ。

「頼むから、音程外すなよ」

 それだけつぶやき、またあいつは目を閉じた。


 アンコールも入って三曲熱唱した後、ようやくバスは本日のメインたるお寺さんへと到着した。「聡明寺」とかいう、禅寺だと一応「修学旅行のしおり」には載っている。けど俺たちにそんな詳しい歴史なんて知る必要さらさらない。唯一、金沢から教えてもらった、超有名な画家さんが住職だっていう情報だけだ。なんでそんなところにまる一日、いなくちゃいけないのか、そっちの方がなぞだ。俺には今だに理解できない。

 いかにも寺、だけどやたらと建物の雰囲気は、今建てたばっか、といった感じだった。

 物凄く古い寺とは聞いていない。きれいなことはいいことだ。門の奥には、だだっぴろそうな建物がどかんと待ち構えている。けど果てしなく遠く見えるのは、その前にやっぱりちょっとした公園程度のめちゃくちゃ広い芝生が広がっているからだ。途中に鯉が何十匹か泳いでいそうな池とか、石橋とかそういうもんもあったけれどもその辺のよさは俺もよくわからない。名所としてくるようなところではないな、というのが正直な感想だった。

 外の空気を吸ったとたん生き返った立村にその辺は聞いてみることにした。

「あのさあ、なんで俺たち、こんな寺なんかにさあ」

「ここで昼を食べて、それから中に並んでいる庭とかを見学して、それから少しこの中で自由時間をとって、って形の方がいいんだってさ。俺もこの辺よくわからなかったけれど、やっぱり広いな。一日いても飽きない寺って本当だな」

 修学旅行前の情報集めおよび資料では、かなり広い仏教の寺らしくて、写経だとかお坊さんのありがたいお言葉とか、その他墨絵などなど体験学習ができるようになっているらしい。俺の聞いたところだと、当日何をやるかなんて全然聞いていない。立村も情報をかなり集めたらしいけれども、本当のところはわからないらしい。

「体験学習ってのやるのか? 俺やだぞ。正座して黙って文字書きつづけるなんてさ」

「こんな暑い中でやるはめになったら死ぬよな」

 六月だってのに妙に暑い。立村きっと長そでの上にブレザーなんて非常識な格好できたことを絶対後悔しているに違いない。でもまあ、立村に対しては、少し写経でもやって、自己を振り返ってもらった方がいいんでないだろうか。特に昨夜の言動、ありゃあ、ちょっと頭冷やせって言いたくなるぞ。いくら惚れた女のためといってもな。理性を一応は取り戻したらしい立村は、「修学旅行のしおり」本に貼り付けたパンフレットを開き、ご丁寧に読み上げた。

「『写経・墨絵・写仏』のうちどれかをたぶん、やらせられると思うんだ。けど、一体何考えているんだろうな。俺だったら学校にいる間にみな、誰が何をやりたいか、振り分け終わらせるけどな」

「振り分けって、おい、もうされてるんでねえのか」

 ちらりと、「墨絵」をやりたいであろう金沢の顔が掠めた。あいつどこいっただろう。

「希望者が殺到すると困るから、先生たちの方でその場になって発表だってさ。本当は最初、女子全員精進料理作りに割り当てて、男子だけこの三つにしようかって話があったらしいんだ。けど、一部から『男女差別』って声があがって、急遽中止」

「おお、俺だったら精進料理やりてえなあ。だって食えるだろ?」

 家庭科は結構好きだ。もちろん調理実習限定だが。野郎だったらこれは本音だろう。けどそういう声が男女差別のお声により却下された以上、あるものを選ぶしかないってわけだ。俺は立村と並んで歩きながら、なにげに尋ねた。

「お前、何やりたい?」

 立村は白い砂利を踏みしめながら、でっかい松の木を眺め、やたらときんきらした寺の門の前で立ち止まり、頷いた。

「やっぱり『写経』が楽かな」

 ──わかってるじゃん、お前、自分に何が必要かって。

 

 ばらばらに寺の芝生に入ってきた我が青大附中一同だったが、全員揃ったところで一応整列させられた。同時にでかくて白い普通の建物から、暑苦しそうな袈裟姿のお坊さん五人がそろそろと現れた。あの中に、その有名な絵描き坊さんってのはいるんだろうか。ちらっと金沢の方に目で聞いてみると、なんとなく、「いる」って顔で大きく頷いた。本当なんだろうか。全然なんでもなさそうな顔しているし、そんな有名人がなぜ、修学旅行生なんかを迎えねばなんないんだろう。

 一番えらいんであろう、その坊さんはめがねをかけた、ずいぶん若い感じの人だった。  ──いや、ほんと、こいつなのか?

 なんか、A組の狩野先生を思い起こさせるあくのなさ。

 ──芸術家ってもっと、キーっとか言って猿みたく騒ぐってイメージあるんだけどなあ。  ごめん、世界の芸術家のみなさま。

 ──けど、芸術家だったらもっと、情熱的なごあいさつとかするんじゃないかなあ。

 俺なりに期待はばりばりにしていた。が、しかし。 

 穏やかな顔でもって、静かに一礼した後で、

「今年も青潟大学附属中学のみなさまをお迎えできて、私たちは大変嬉しく思っております。人と人との出会い、一期一会と申しますが、この一日においてみなさんの心に何かを、ほんの少しでも残すことができれば、幸いです。本日はどうぞよろしくお願いいたします」  と、めちゃくちゃありふれたお言葉のみ。見かけだけじゃない、内面もなんだかA組担任の乗りだ。悪いけど、金沢の描いた風景画を見た時と同じような感想を持ってしまった。  ──ごめんな、金沢。やっぱし俺は、アバンギャルドな方が好きなんだ!


 今日の予定は集団でうろつくのが目的ではない、という別の坊さんの説明の後、とりあえずは各クラスごとに行動するように指示された。広い敷地っていうのには意味があるらしく、俺たちみたいな修学旅行生とか、観光客を相手に、「体験学習」みたいなことをさせるのがメインだということを、やっと俺は理解した。だから「写経・墨絵・写仏」だったんだろう。俺にはこの三つ、何をやるんだか全く見当つかないけれども、もしやるんだったら墨絵の方がいいと遠慮がちに思う程度だった。絵を描くのはやっぱし、好きだ。

 三十人で男女二列になり、立村と美里が先頭となり、案内してくれる坊さんの後ろについて、まずは寺の中を一巡りした。いや、寺という感じじゃあない。ごくごく普通の旅館、って雰囲気だ。和室ばっかり、唯一奥の方に仏像っぽいものが覗いていたけれども、なんだかありがたみが全然感じられない雰囲気だった。同じことはみな思っていたらしく、ありがたい部屋それぞれの説明にも、誰も聞いちゃあいない。みな一つのことしか考えていないんだろう。「昼飯まだか」って。

「それでは、まず、昼ご飯にしましょうか。では、よろしくお願いいたします」

 菱本先生とお坊さんは二言三言、なんやかんやと話をした。その後、静かに坊さんが去っていった。ちゃんと了解済みって感じだったけれども、立村も美里も、その辺全くわからないらしい。おとなしく様子をうかがっていた。いつもだったら立村がこの辺、さっさと仕切るところなんだが、宿泊研修と違ってやっぱり修学旅行は大人の権限が強いってことなんだろう。くやしいべな、とちょっとばかし同情じた。

 ──まあいっか、美里とこの旅行中、かなり進展しそうだしな。俺なりに応援してやっか。 

 にんまりと俺はウインクを送ってやろうとした。後ろの南雲と目が合い挫折した。


 まあいつもよりも朝飯は軽かったし、入らないことはない。好き嫌いなんてない、とにかく食いたい。寺の中に入ってみると、なんというか、やたらと広い。池と橋があってあとは砂利と芝って感じの、一種の公園だ。せっかくだったらここで敷物広げてねっころがっていたいのが本音だが、そこが禅寺。しっかり修行させようってことなんだろう。

 菱本先生は俺たちD組一同をざざっと眺めた後、立村と美里に、

「まず、背の順で先頭から五人ずつに分けてくれ。評議はみな自分の背の順のところに並んでくれよ」

 と指示を出した。これって立村にはかなり酷だろう。特に背丈についてかなり気にしている性格の奴にはだ。哀れだがしかたない。立村がまんなから辺に入り、その後で数字点呼を取り、

「それでは、悪いけど五、十、十五のところで分かれてもらえないかな」

 立村は数えるのが非常に不得意なので、D組でこういう風に数字が絡む場合は、こうしてやっていた。ちなみに美里のアイデアだ。さっすが彼女。奥が深い。

 背の順番となると、当然俺は当然後ろの五人組に混じることとなる。立村は十で区切られたグループに入っている。あいつ、背の高さをやたらと気にしているから相当悔しかったんだろう。思いっきりむっとした顔をしている。もっとも俺だって南雲と同じグループってのがかなりむかつく。何を好き好んで、だ。

「なんだよ、これって。先生、五人ずつ分けてどうするっすか?」

 南雲が面倒くさそうな声を上げた。たぶん俺と同じこと考えていたんだろう。お互い様だ。天敵同士が同じグループってのを知ってか知らずか、菱本先生は答えた。

「一部屋五人ずつに分かれて、まずは精進料理を食うことになる。いいな。楽しみだろ」

 いきなり俺の頭をぽんと叩く奴がいる。木魚じゃあないんだから。振り向くと相手は菱本先生だった。

「どうした納得いかなさそうだなあ、羽飛どうした」

 ──まさか南雲と別のグループに入れろなんてガキじゃねえし言えねえよ。

 その辺、俺だってそれなりにデリカシーってもんがあるんだ。ちらっと南雲と目が合った。思いっきりむっときた。こいつもたぶん、俺と顔つき合わせるなんてたまったもんじゃねえと思っている。たぶんだけど、俺と立村をトレードしたいんだろう。立村がもし前もってクラスの食事組をまとめてくれていたら、火と油の俺と南雲を組み合わせるんてことしないだろう。なにげに立村の顔を覗き込むと、すっかりふてくされているってのが見え見えだ。女子たちも似たような感じらしい。好きな奴同士のグループで大抵動くのがいつものパターンだったんだが、この旅行については基本的にみな、「背の順」を最優先するらしい。大人たちの発想だ。立村ならば決してそんなことしなかっただろう。

 けど、つまらない思い出ばっかりで終わらせたくない修学旅行ってのもある。

「先生、あのさ」

 思いついたことをだめもとで言ってみた。もちろん菱本先生の耳もとに、こしょこしょ話するみたいにだ。他の奴に聞かれたらまずいだろう。


「ちょっと、折り入って相談にのっていただきてえことあるんだ。金沢のことで」

「金沢か?」

 ちなみにあいつはちびだから前の第一グループ五人組に入っている。

「できればさ、金沢を混ぜた格好で話したいんだけど、だめかなあ」

 菱本先生は俺の顔をいぶかしげに眺めた。それほど「こいつばかじゃねえか」みたいなことを思われているわけではなさそうだ。変な話だけど、俺は菱本先生に思いっきりひいきされている自覚、大いにある。

「ほう、それはなぜに」

「ちょっと、できればさ、三人だけでさ、聞いてもらいたいんだわな」

 教師に対して敬語を使わないと怒られるのはよっくわかってるが、時と場合により親しみ出すと、この先生結構喜ぶことも過去三年間の経験でマスターしている。俺だって学習能力それなりにあるんだ。 「そうかそうか。今すぐなのか?」

「もちろん、この寺にいる間でねえとな」

「それはどうしてだ?」

「実はさあ先生」

 なにげなく「先生」と言う言葉も混ぜておくと、効果的だ。二十九歳、男、独身、彼女いるらしい。菱本守くんはさっそく俺にかがみこむようにしてきた。いい調子だ。後ろで露骨にいやな顔して空見上げているのは立村だ。何もそんな見え見えのことしなくたってよかろうに。

「金沢は今、人生の岐路に立ってるんだ。けどやっぱ、こういう時、人生経験豊富な男でないと、話にならねえって思ってさ」

 悪い、金沢。ちょっとばかし、フライングしちまった。でもまあ、たぶんうまくいくからいいよな。

 ぶるんと首を振って俺は金沢に呼びかけた。

「おーい、金沢、ちょっと俺のところさ来いよ!」

 ──あいつ、俺に人生任せたって言ってたしな、まあいっか。

 結局、菱本先生の判断により、俺と金沢が同じ班になり、立村がその穴埋めをする形で南雲たちのいる後ろ五人組に入った。一番いい形じゃねえかと俺は思う。


 俺が昨日の夜から今朝にかけて、金沢の人生相談を聞いているうちに思いついた案というのが、

「菱本先生を丸め込み、正々堂々と絵描きのお坊さまに会わせてもらう」

ってことだった。金沢の希望としては本当だったら、

「いつぞやの立村みたいにこっそり抜け出し、直接絵描きのお坊さまのいる場所に飛び込んでいって、『頼みます、どうか俺の絵を見てください!』と土下座する」

という形だったらしい。

 夢見る少年よ、それは甘いと俺は思った。

 だって、いきなりクラスから抜け出してみろ、まず誰かかしらにとっつかまってしまい、下手したら明日以降の自由時間、旅館の中に閉じ込められるはめとなる。冗談じゃねえ。しかも協力者も一緒におだぶつという可能性だってあるわけだ。俺としてはそれは避けたい。

 もっとも金沢にそのことを説得するには時間がなかったんで、結局こういう抜け駆けをするはめになってしまったんだが。悪かった。

「羽飛、なんでしゃべったんだよ。恥ずかしいよなんだか」

「まあいいってことよ。悪いようにはしねえよ。金沢、お前の心意気を無駄にはしねえよ」  金沢は怒っていなかった。ただ、顔をやたらと真っ赤にして、

「けど、やっぱり、目立つよ、恥ずかしいよ」

を連呼している。そりゃあ動揺しているだろう。結局担任にばらされちまったんだから。立村だったらこんなこと、絶対にしないだろう。菱本先生を天敵だと見定めて戦うことしか考えていない立村だったら、だ。たぶん俺にも金沢は、同じ対応を求めてきたに違いない。けどだ。

「大丈夫だっつうの。な、金沢」

 俺は菱本先生が入ってくる前、金沢へささやいた。

「楽なやり方だって、うまくいくことには変わりねえだろ。安心しろよ」

 

 菱本先生を丸め込むことにした理由。

 俺、金沢、そして菱本先生は三人前の方に固まった。他の三人、水口を中心とする輩はひたすら味の薄いごま豆腐とか、量の少ないお粥だとか、サトイモの煮っ転がしだとか、そういうものを食いまくっている。十五歳男子にはあまりにもカロリーが少なすぎる。なによりも精進料理って、肉がない。殺生を禁じているというのが、食う前に説明してくれたお坊さんのお言葉なんだが、俺はたまらなく肉が恋しくてならなかった。お膳のすみからすみまでなめまくったが、まだ腹が半分空いている状態だった。金沢はまだ、六面体のサトイモを口にほおばりながら、ぼそ、ぼそ、と言葉を発している。白い障子に六畳間、ちっとも旅行に来たって感じじゃない。水口たちを無視してひたすら俺たちはひとつの相談に専念した。

「いやな、本当は何か持ってこさせようかとも思っていたんだよな。金沢もめったにこういう直接、絵について話を聞かせてもらう機会少ないだろうしな。でも、他の先生たちがな、ひとりだけ特別扱いするのはちょっとな、というご意見だったんでな。いや、悪かった」

 菱本先生、完全に俺の読み通りだった。この先生、立村が思っているほど話のわからない大人じゃない。入学した時からその辺は十分承知していた。少なくとも俺が小学校五、六年の時に受け持たれた沢口みたいな奴とは違う。ちゃんと納得するまで俺たちの話を聞いてくれたし、時には徹底して俺たちの味方になってくれたりもした。立村は気付いていないかもしれないけれど、二年の夏、宿泊研修でやらかしたあいつの脱走劇、あれだって最終的に菱本先生が身体張って、他の先生たちに緘口令をひいてくれたから、なんとか停学食らわずにすんだらしいと聞いた。立村の奴、なんでここまで菱本先生を嫌いまくってるのか、俺にはとんと理解不能だ。そりゃあ、班ノートに熱く人生論を語られると、こちらとしては聞くしかなくて「はあ」しか言えない時もある。いろいろ裏で悪さやったこともある。けど、この先生の扱い方をマスターしたら、これほど味方になってくれる大人もいない。そう思うのだ。だから俺としては当然、金沢のために、

「だろだろ、金沢、俺がやっぱり正しいだろ!」

 ちゃんと、裏で手をひいてやったというわけだ。まだ納得いかないのか、金沢は食っているものを飲み込もうとしない。

「せめてさ先生、金沢が持ってきた絵くらい、その絵描きのお坊さんに届けることってできねえのかなあ」

 俺としてはその辺だけでもなんとかしてやりたかった。俺には理解できないシンプルすぎる絵だけれども、金沢にとっては、「俺って絵を描いていていいの?」と真剣に悩んでいるだから。たかが絵一枚くらい、外されたからって人生が真っ暗になるくらい悩まなくたっていいと俺は思うけれども、そういうことが人生の大事だって奴もいる。俺は立村と付き合ってからそのことを、いやというほど教えられたと思う。

 俺と同じ腹の軽さなんだろう。ぐうっと腹の虫が鳴いている菱本先生。

 縁側から風が吹き抜けてきた。暑いからか、水口が細く障子戸の細長い部分だけ開けたらしい。

「そうだな。せっかく持ってきてくれたんだ。よしわかった。お前たちふたり、これからちょっと来い」

 ご馳走さまを言わないうちにいきなり、菱本先生が立ち上がった。水口たちがきょとんと見上げている。つられて立とうとしたところを、しっかりと阻止された。

「すぐに戻ってくるからな、お前らはここで待ってろ。金沢、それと羽飛、俺について来い!」

 ──ひゃあ、かっこつけてやんの。昔の青春ドラマそのまんま。

 だから菱本先生ってそんなやな奴じゃあねえと俺は思うんだが。

 金沢がおどおどしながらも、筒の小さい入れ物を抱えて立ち上がり、俺の方をじっと見た。なんだか思ってもみない展開にどきどき状態のようだ。そりゃあそうだろう。夢がかなうんだから当たり前ってことだ。

「俺もついてっていいのか?」

「だって、菱本先生が来いって」

 すがるように俺を見るのはやめてくれ。その目は優ちゃん以外からほしくねえよ。

 けどすがられたら、ついていくしかねえじゃねえか。

「羽飛、遅いぞ、来い早く」

 我らが担任のフライング行動。きっと修学旅行終わったら、さんざん他の先生連中にいじめられるなあ。同情するぜ。


 俺たちは菱本先生の後ろにくっついていき、線香くさい廊下をたったと走っていった。金沢もさっきまでの「どうして内緒話先生に言うんだよ!」というような不満げな表情はなかった。卒業証書を入れる筒みたいなものを、しっかりと握り締めていた。あいつの渾身の作が、きっと入っているんだろう。

「本当はいけないんだがな、礼儀知らずかもしれないがな、芸術にはそんなこと関係ないだろう。直接、渡して来い」

 菱本先生は、廊下の突き当たりで顔を合わせた、いかにも坊さんらしい格好をした人をとっつ構えた。この暑い中、真っ黒い着物にど派手な袈裟をかけている、けど髪の毛はちゃんと生えている人だった。後ろの俺たちふたりを従えて、菱本先生は、

「申しわけありません、住職をお願いしたいのですが」

 と、金沢の会いたがっている絵かきのお坊さんの名前を告げた。ごめん、俺、その住職の名前覚えていない。金沢がその名前聞いた瞬間、しゃきんと凍りついたところみると、その人なんだろう。菱本先生はさらに続けた。

「この子は、住職の描かれる絵を深く敬愛しております。本当でしたらこういうことは許されないのでしょうが、自分の絵を一度でいいから観ていただきたい、という思いから、こっそり絵を持ち込んだそうです。せめて、お渡しするだけでもお許しいただけませんでしょうか」

 俺の聞いている限り、菱本先生もものすごい説得をしたわけではない。ごくごく普通に、そんなことを丁寧に言っただけだった。OKしてくれるか、それとも「非常識な!」と怒鳴られるか。あまりにも行動が早すぎて、俺も金沢も、ただ立ちすくむだけ。

 いや、ほんとにあっという間だった。

 難しいこと考える間なんてなかった。

「それはお安い御用ですよ」

 話し掛けたお坊さんときたら、あっさりOKしてくれたばかりか、金沢ににっこり笑顔まで見せてくれたじゃねえか!

 一番驚いていたのは、目の前の展開をあんぐり口あけて見るしかなかった金沢だろう。絵の情熱に燃える少年が俺ではなくて、このちんまい神経質そうな奴だとすぐに見抜いたのか、金沢に向かい、

「さ、こちらにおいで」

 目の前のふすまを開けると、地下室へと続く、下りの急な階段が見えた。

「こちらは住職のアトリエなのですよ。ご希望のある時はいつも、こちらにお通しするようにと申し付かっております」

 ──あ、あいつ足踏み外すんじゃねえか?

 俺、そして菱本先生。男二人、しばらく呆然としたまま、降りていく金沢を見送っていった。たぶん、菱本先生だってここまですんなりいくとは思っていなかったんだろうなあ。


 ──世の中、こんなうまくいくもんか? いっちまったよな。

 金沢が真夜中泣きながら語った「自分の絵を尊敬する人に見てもらいたい」という夢。

 俺が菱本先生を動かし、直接話を通してもらうことによってあっさりと解決したわけだ。泣きおとしをかけたとか、土下座したとか、そんなこともしないで、あっさりと希望をかなえることができたわけだ。

 ──ほらな、金沢、俺の言った通りだっただろ?


 計画をすぐ実行した俺も、正直びっくりしている。立村みたいに命がけ、停学覚悟での行動なんてやだったし、だったらおおっぴらに問題なくできることを、としたことがこんなにあっさりOK出るなんて、普通思わないだろ?

「どうした、羽飛」

「いや、先生、やっぱすげえなあ」

 俺たちは元いた部屋に戻り、待ち構えしつこく問う水口を交し、

「いや、人生ってこんな、うまく行くもんなんだなあ」

 という真理について語り合うことにした。しつこいようだけど、俺は菱本先生が嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。だから、一対一で、お茶を酌み交わしながら語るのも悪くない。


「けどさあ、先生」

 まずは水口たちに、さっきの展開……金沢が敬愛する絵描き坊さんに、絵を観てもらうために飛び込み営業した……という話を説明した後、俺はため息つきながら茶をすすった。食い物は薄味だけど、ここのお茶、まじでうまい。濃くて、匂いが香ばしくて、いくらでも飲める。

「ほんとはさあ、金沢ももっと、派手にやりたかったと思うんだよなあ」

「どんなふうにだ?」

「ほら、去年の宿泊研修みたいにさ」

 立村のことを匂わせてみた。俺たちの間でもあの事件は、なんとなく禁句みたいになっていたからだった。水口が決まり悪そうにうつむいたのは、たぶんあいつがあの当時、寝小便直っていなかったってことを隠したかったからなんだろう。もう直ったからいいじゃねえか。

「立村みたいにか?」

「うん、まあそんな感じ。やっぱりああいう感じで、クラスの中からこっそり飛び出して、脱出、ってのは憧れるだろ。俺も最初その案を検討したんだけどさ」

 水口はやっぱりガキなんで、茶々を入れた。俺の真似をして襟のネクタイを緩めた。

「じゃあかっこよくやればよかったのになあ、羽飛ってやっぱ、地味だよ」 

 ──地味、かよ。

 ちょっとむっとしたけど、言われてみればしゃあない。後で後ろ手回してやる。

「だってな、俺、修学旅行しっかり楽しみたいしさ、後で立村みたいにさんざん惨めな思いするのはやだったしさ。俺はやっぱり一番ベストって方法を、ベストなやり方で決めたいなってことで、今回、優等生なやり方しちまったってわけ」

「教師に頭を下げるのが、どうして優等生なやり方なんだよ」

 俺は菱本先生にたいこもちよろしく、でかい急須を抱えて茶を注いだ。

「だってやに決まってるだろ。俺たち反抗期だし」

「服装違反している程度でやめとけよ。損だぞ校内暴力なんかやったってな」

「まあな、損だよ先生。言う通り」

 言葉を切った。なんとなく、立村の二学期以降しばらく気まずかったクラスの雰囲気を思い出した。

 あの後はなんどか修羅場があったんだよな、と思い返した。

「ま、今回俺は、金沢にとって一番うまくいくのが、菱本先生、先生、大将ってお願いだと判断して、ぶちまけたわけなんだけど、やっぱしなあ。水口、俺やったことって優等生に見えるか?」

 あっさり頷いた。やっぱりあとでこいつ、しばくぞ。

「だって、立村だったらこうはしなかったんじゃないか?」

 ──当たり前だっての。立村なら絶対こうしなかったよな。

 俺は頷いた。菱本先生はすっかりご満悦、にやにやしながら歯を爪楊枝でこすり始めた。つばを数回吸うようなしぐさをしてから、

「羽飛、お前って教師を利用するもんだ、と思ってるんじゃないのか? 生徒として」

「当たり前じゃん、そのために大人がいるんだからさあ」

 菱本先生の好きなところは、無理やり「これは正しい、これは間違っている」っていう枠にはめようとしないところだ。立村もそういうところに早く気付けよな、って思う。たぶんなんだけど、菱本先生、相当学校側とやりあってるぞ。俺たちのこと、特に立村とか金沢とか、あのあたりとさ。『E組』設立の時も、

「なんで子どもたちにいきなり差別化するようなことを行うんですか!」

って文句いいに言ったって話だし。立村からしたら、単に大学の講義を受けるたけの補習みたいな感じだと思っていたらしいけれども、あとから聞いたところによると、いらない奴の寄せ集め、しかたないから面倒みてやっかって感じの集団らしい。そんな寄せ集め集団の扱いされてプライド傷ついてねえのか、お前ってとづきたくなる。でも、立村はそういうところ意外と鈍感な奴だから、喜んで通っている。面倒みてくれているA組の狩野先生に懐いている。狩野先生なんて感情があるかどうかわかんない、建前でしか物事を見ようとしない奴だなって俺も美里も思っているんだが、立村にとってはそうじゃないらしい。世の中、やっぱり感じ方、違いすぎる。

 もう少し自分の担任をよっく見ろってことだ。俺の言いたいのは。

 立村がやらかした一年前のことは、俺なりにけりがとっくについているから言いたくもない。けどもう少し、あったかい人のことを認めてやれよって説教してやりたくなる。ま、そんなこと言っても立村は聞く耳持つわけねえんだが。

 しばらく俺たちは残った食い物を肴にしてしゃべり続けた。金沢はなかなか戻ってこなかった。

「まさかさあ、いきなり座禅させられて、どつかれてたりして」

 俺が冗談めかして言ってみると、その場にいた連中大笑いして、障子がかすかに揺れたような気がした。


「ところでだ、羽飛」

 いきなり暑苦しく肩に手を回すのは、いくらいい先生だとしてもやめてほしい。やっぱ、男同士だと暑いんだよな。これが。

「彼女にしてやんなよ彼女に、先生、そろそろ三十路だろ?」

「少しまっとうな話するから聞け。羽飛はお前、将来の夢とかそういうもん、持ってないのか?」

 ──ずいぶんストレートな話題できたなあ。

 俺が返事をする前に水口が「はいはーい」と手を上げる。

「どうしたすい君」

「羽飛の夢はさ、鈴蘭優のヒモになることでーす!」

 また爆笑。ほんと、あいつ、どっかで根性叩き直す必要あるな。当然言い返した。

「水口、お前もエロエロの医者になりたいくせに何言ってるんだよ」

「エロエロは余計だよ、もちろん医者になるに決まってるもんなあ」

 ──こいつのうちは病院だもんなあ。

 また笑い出す俺たち。菱本先生は、機嫌よく水口へ、

「そうかあ、すい君はもう今から医学部目指していると考えていいんだな?」

「もっちろん!」

 ──こいつ、本当に成長しているとことしてないとこ、露骨に分かれてるよな。

 変なところで感心した。旅行一ヶ月くらい前から始まった、水口の「性の目覚め」ってのは相当強烈なもんだった。昨日美里を相手に相当際どいことをねたにしたらしい。相手を選んだ方がいいんでないか、と俺は思うんだが、まあ暴走したくなる気持ちもわかるし、俺だって全く関心ないわけじゃあないからなあ。優ちゃんの水着ポスターまじでほしいしなあ。と思う。ただ、どこもかしこも隠すことなくしゃべりつづけるってのは、やっぱり女子に嫌われる第一段階だと思う。立村もそれを心配して、陰でいろいろ注意をしているらしいが、衝動が簡単に納まるわけないだろう。立村がおもちゃの短剣取り出したのは、その辺の危険性も考えたんだろう。やっぱり自分の彼女を守るなら本気になるんだ、あいつは。

「話を逸らすなよ、羽飛。すい君を見ろ。お前と違ってちゃんと将来の夢、しっかり持っているだろ?」

「うん、えれえなあ」

 単純に答えると、またがしっと背中から抱きしめられるような格好で肩を組まれた。

「ここだけの話だけどな、金沢は本気で、美大に行きたいらしいんだぞ」

 ──誰もが知っていることでしょうが、先生。

 俺にも、他の奴にもしょっちゅう美大のことは話しているのを聞いたことがある。

「けどな、美大に行くとなると、別の勉強をしなくてはならなくなるし、塾とかそういうところにも行かねばならなくなるだろ。いろいろあるらしいぞ」

 ──なんかその辺難しいところわからねえけど。

 A組の奴に絵の勝負で負けた、って悔しがっているところみると、相当本気だとはうかがえる。でもいきなり俺にそんな話してどうするんだ。先生。

「早い段階で将来について考えた方がいいって先生、言いたいわけ」

「なんでもかんでも早く決めすぎるのはよくないと思うがな」

「じゃあ聞くけどさ、先生、教師になるって決めたのはいつくらいなわけ?」

 確か前に、青春ドラマの熱血教師に憧れたとかいう話を聞いたことがある。相当若い頃、って考えていいだろう。頭を掻きながら、やっぱり俺の思っていた通りの答えを返してくれた。

「高校の時だな、やっぱり。テレビドラマで、生徒に対して一生懸命だった先生がいてなあ、あとは学校にも本当にいい先生がいてなあ」

 ──ふうん、高校の時だったら、まだ俺にも時間あるじゃんかよ。

 心ひそかに余裕をかましたところを見抜かれたのか、またぐいっと両腕を絞られた。まじで痛い。

「羽飛、お前に前から聞きたかったんだがなあ、お前、今一番好きなことってなんだ?」

 いきなり聞かれたら答えるしかない。そりゃあ鈴蘭優ちゃんの……。

「鈴蘭優のおっかけだなんて答えはなしだぞ!」

「じゃあ何もねえよなあ」

 今度はぽかっと頭をはたかれた。茶、吹くかと思った。にやにやしながら水口たちが見守っている。俺ってばただいま、完全に見世物だった。まっとうに答えろったって、一番好きなこと、うーん、難しい。運動は大抵なんでもこなせるつもりだけれども、一番好きかどうかと問われるとうーんとなるし、勉強が好きだとはお世辞にもいえない。テレビドラマとか野球とかアニメとかも結構観るけど物凄くってほどではない。やっぱり優ちゃん一筋の俺には選ぶ範囲が狭すぎる。

 ──ほんと、狭いよな。

 頭をごちんと、電信柱にぶつけたような衝撃。がしんときた。

 ──俺、好きなことって、ないのか?

「……ねえなあ、やっぱり優ちゃんがらみかなあ」

 ぼつっとつぶやいてみた。ほんとに、なんも、ない。

 すっごく違和感ある空気が漂い出す。両隣の部屋では笑い声が聞こえるんだけど、なんか俺の将来に関する話題がきっかけで、ネタが切れてしまったって感じだ。

「じゃあ羽飛、今年の夏の自由研究、俺が決めてやろうか」

 菱本先生、こういうところがやっぱり好きだ。次の科白でかなり俺は救われた。

「鈴蘭優のよさについて、レポート、絵、曲、その他いろいろなものを集めて、俺に納得できるようなものを作ってこい。これなら、できるだろ?」

 ──なんで、今いきなり、夏休み自由研究ネタが出てくるんだよ!

 まあ、俺にとっては嬉しい内容ではあるのだけれども。ひゅうひゅうと騒ぎ出す水口にピースサインを送って俺はありがたく、その案を受けることにした。

「完璧に俺、すっげえレポート作る自信、あるぜ。先生、ありがとな!」


 金沢が戻ってきた。言葉は少なかったけれども、だいぶ目の輝きが戻ってきているようだった。うなぎを食った後って感じの精力ばりばり、お前のパンツと同じ情熱赤い、って言ってやりたいくらいだった。

「よ、どうだった」

 菱本先生が今度は金沢を隣に座らせて、肩を叩いた。頷いていた。

「ありがとうございます」

 ちゃんとお礼を言うってことは、うまくいったってことか。

 絵描きお坊さんとの対面は。

「絵、どうだった」

「そのままでいいって」

 か細く答えた。さらに菱本先生が、

「ほらほら、どんなだどんなだ」

 としつこく突っ込んでいたけれども、取り立ててそれ以上の答えを返そうとはしなかった。あとで写経か何かさせられる時、聞いてみようと決めた。


 ひとまず食事が終わった後は、もう一度クラスごとに集まって、それから「写経組・墨絵組・写仏組」に分けられることになる。こちらは一部屋ごとに固まってまとめられたわけだったが、女子たちの様子がなんだか妙だった。美里だけが気の強そうな顔でもって、唇をぎゅっと結んでいた。古川が困りきってあちらこちらの女子たちにお愛想を言っていた。女子どものことは面倒だから俺も入る気、さらさらない。美里だったら大丈夫だろうし。

 男子連中にはいつのまにか、金沢の突撃お坊さん絵を観てちょうだい事件が広まっていたらしい。南雲たち一団が「すげえなあ、やっぱ本気ってすげえよ」と褒め称えているのが笑えた。あいつらは本気で金沢みたく、真剣に考えることなんてめったにないんだろう。よおわからんがその辺は保留にしておいた。先生が心配していたよりも、みな、好意的に金沢の爆発行動を受け止めていたようだ。とあるどこかの誰かさんみたいに、いきなり面倒を起こすのとは違ってだった。

「金沢、あのさ」

 と、思ったらやっぱり、奴が金沢に話し掛けている。俺の隣ではにかんでいた金沢は、立村の顔を見上げて、小さく「ごめん」と言った。なんで謝る必要あるんだ。

「いや、謝ることなんて」

 ──立村、明らかにむかついてるな。

「ねえよ、こいつになんで謝るんだ、金沢」

 俺も親切に言ってやった。が、かえってご機嫌を損ねてしまったらしい。どうやら立村の奴、金沢から謝り文句がほしくて近寄ってきたらしい。立村との付き合いは長いし、その辺の読みは簡単だ。相当奴、むかついていると見た。

 ──ちょっと、後で言っといた方いいな。

 すばやく俺は割ってはいることにした。


「立村、あのなあ、金沢がなんで謝らなくちゃなんないんだ? お前には関係ないだろ」

「関係ないけど、ただあのさ」

 ──評議委員だから、義務だからってくるのかよ。

 頭に来たわけではなかった。一年前の俺だったら、たぶん「ちょっと外来い!」とか言ってびんた一発かましていたかもしれない。不思議なくらい俺は落ち着いていた。立村を見る時、ものすごくかっとなって怒鳴ったりわめいたりする必要がないんじゃないか、そんな大人っぽい気持ちになっている自分が、いつのまにかいた。南雲相手には一発に初殴りつけてやりたい、って気持ちが立村には湧いてこなかった。

 ──やっぱり、俺って大人?

 明らかにご機嫌斜めの立村に、俺はゆっくり、説明することにした。


「お前さ、本音言っちまえよ。本当は淋しかったんだろ?」

 ちょっと切り込んだだけで立村の奴、だんだん青ざめてきてやがる。こいつが動揺した時の行動というのは単純でただ黙る。言い返す余裕なく、ただ言葉を飲み込む。

「こういう時さ、大抵の奴は評議、しかも評議委員長さまたるお前に相談しなくちゃまずいって思うのが普通だろ。金沢もきっとそうだったと思うぞ、けどさ」

 俺はゆっくりと立村の前であぐらをかいた。

「お前、前科あるだろ」

 もちろん、にっと笑ってだ。奴の顔、まじでこわばっている。南雲たちには聞かれないように気を配った。

「もしさ、お前が金沢のために、とあるお坊さまへ対面させてやれるように取り計らったとする。きっとお前、大人なんて頼みにしようなんてしねえよな。絶対そうだぜ、お前絶対菱本先生なんか使おうとしないよな」

「だからどうなんだよ!」

 ──図星差されてあわててやんの、あいつ。

「つまりなあ、立村」

 俺の気持ちはやっぱり穏やかだった。俺って今、仏の心か?」

「お前が計画すると、大抵菱本先生との修羅場になる可能性大だろ? そしたら金沢もお前も停学食らうかもしれないだろ? けど、俺からしたらさ、どう考えてもあっさり大人たち利用すれば、丸く収まるものにしか見えないんだよな。だから、あっさり菱本先生に相談させたってわけ。簡単だろ」

「けどさ、もし駄目だっていわれたらどうしてたんだよ!」

 こいつ、完全に決め付けてやがる。菱本先生のいいとこ、全然見ようとしてないでやんの。俺はやっぱり腹が立たなかった。立村の細い腕をつかんで振ってやった。こわばってる。

「いいじゃんいいじゃんよ。今回は俺が全部まとめて簡単に面倒みたって。これでお前に前科二犯なんてつかなくなったし、金沢はあっさりお坊さんに会えたし、誰も傷つかないですんだし、俺は俺で陰のリーダーとして仕事ができたし。いいこと尽くめじゃねえか。お前、無理になんでも一人でやろうとしねえでさ、半分は仕事、俺にも任せろや、な」

 言い忘れていた。最後に一言付け加えておいた。

「大丈夫だっつうの、立村、あいつが今心配するべきことは、美里のことだけだっての。頼んだぜ、評議委員長様!」

 相当頭に来たんだろう。立村の奴、寺を出てからバスの中に戻るまで一言も口を利こうとしなかった。


 予想通り金沢と同じグループの「墨絵」で、手を真っ黒くしながらお絵かきに専念していた俺に、

「あのさ、立村怒らせたんじゃないかなあ。悪かった。ごめん、俺のために」

 さらさらとお得意の風景画を描き上げた金沢は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

 けど俺は全然心配してやしない。

「いいっていいって、どうせ一日寝れば、あいつのことだ、あっさりご機嫌直してるって。運良く今夜は、別の部屋で泊ることになってるしな。明日の朝、にっこり俺の方から『おっす、元気か!』ってやれば一発ってことよ」

「けどさあ、やっぱり、まずくないか?」

 芸術家の自信がついたのかどうか、それはあとで金沢に聞いてみよう。せっかく立村抜きの部屋に今夜泊るのだ。めいっぱい、例の住職さまにどんなお言葉をいただいたのか、金沢の芸術人生に役立つ何かを得られたのか、そして。

「金沢、後で聞きたいんだけどなあ、お前いつから、絵の道に進みたいって思ったんだ? その辺、後で教えろよ」

 どうやら、この旅行で最大の収穫は、将来の天才画家・金沢との語り合いみたいだった。  それもまあ、俺の人徳か、悪くない。

 

 立村が今日、精神集中必要な「写経組」に振り分けられたのはある意味必然だろう。あいつには少し冷静になる時間が必要だと、お寺の神様もそう思ったんだろうな。

 俺はひとりふてくされている立村に言ってやりたかった。

 ──そう簡単に、俺とお前の繋がりが切れちまうわけねえって。俺は二年間よっくお前に勉強させられてきたっての。な、立村?


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