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第二日目 10

10

 

 



 朝六時。時計の針が縦に一直線。枕もとの時計が見えた。そろそろ起きないとまずいかな。上半身を起こした。隣で寝ていた殿池先生はもう布団を畳み、部屋備え付けの黒電話に向かっていた。誰かと話をしているみたいだ。

「……ああ、そう。それはよかった。それでは朝食もそちらの方がいいかもしれないわね。おかしいもの口にしたら大変だから。それではこれから行きますね」

 受話器を置き、私の方を振り返り、殿池先生は顔をくしゃくしゃにして笑った。

「清坂さん、おはよう。だいぶ楽になった?」

「は、はい」

 ほんとなんであんな大騒ぎしてしまったんだろう。思い出すと恥ずかしくってならない。こずえにも「あんた、誰でもなることなんだからそんな騒がないでさ」と叱られたし、何にも出来なくてただ泣きじゃくるしかなくって、まるで赤ちゃんだった。カーテンを開けて入ってくる光が白くとろけていて、なんだか気持ちがすうっとした。

「そろそろ朝食だけど、気になるようだったらもう一度シャワーを浴びる?」

「え、いいですか?」

 夜、シャワーを使わせてもらって、おさかな臭い匂いも消えていた。でも、やっぱり気になるものは気になる。殿池先生は頷いて、

「あとで古川さんが着替えと荷物持ってきてくれるって言ってたわよ。だからゆっくりしてらっしゃい」

「ありがとうございます」

 やっと冷静にお礼が言えた。

 いつもの私だ。


 ちゃんと寝る時に大きめのタオルをしいて寝たのでよかったけれど、着替えの汚れとかしみとか、あとで片付けなくちゃいけないと思う。なんだかみっともない。もし、この状態をD組女子部屋で見られていたらと思うと、怖くなる。

 シャワーを浴び、こずえの持ってきてくれた制服を着て、髪の毛を梳かした。

 少しごわついている。なんか似合わない。直すのが面倒だった。

 やっぱりおなかもまだごろごろしているし。

 ──だって、しょうがないじゃない。

 自分につぶやいてみる。こんな自分がひょこっと顔を出してしまうなんて思ってなかった。うちのお姉ちゃんだって妹だって、生理になったからといってそんな大騒ぎなんてしたことなかったし、ただ単に「あのさー、私アレだから、ナプキン借りるね」と母さんに話しているくらいだった。お姉ちゃん、おなかこんなに痛くなかったんだろうか。こんな、寝ている時にいつのまにか、シーツに血がついてしまっててあせったりしなかったんだろうか。私が「生理」で習ったことは「女性の身体が成熟に向かうにしたがって怒る自然なこと」という程度だった。修学旅行前に見せられた古臭いビデオでも、生理が始まってパニックになって、男子たちにからかわれて先生に泣きつく、そんなヒロインが登場していたけれど、あれって今の私そのものだ。映像で見るんだったら指差しして笑えたのに、今の自分そのものになってしまったとたん、恥ずかしくて目をそらしたくなる。

 恥ずかしい、その一言。

 ──立村くん、も、知ってるんだ。

 立村くんとよりによって顔を合わせなくちゃいけないなんて、思ってもみなかった。本当だったら立村くんと四日目の夜について相談しなくちゃいけない計画があったんだけど、今の私は顔を合わせるなんてこと、絶対にできない。あの魚臭い匂いを全部かがれてしまい、男子評議にもさんざん物笑いにされて、それに、立村くんにだって。

 ──立村くんに限って、そんなことないって信じているけど。

 私はそう信じたかった。

 ──貴史にもっと気が楽だったのにな。

 

「美里、髪の毛直したら? 私、やったげるよ」

 来てくれたこずえが私の返事を待たずに、素早くブラシを手に襟首を押え、なでなでしはじめた。髪の毛を整えるというよりも、犬や猫の毛並みを整えるグルーミングのようにだった。

「こずえ、ありがとう」

「いいっていいって。しょうがないじゃん、初めてなんだからさ」

 殿池先生が出してくれたローズヒップのお茶を二人でいただきながら、食事をする準備をした。集団でみな、大食堂で食べる予定なんだけどもまだ時間がある。

「他の人たち、変なこと、言ってなかった?」

「ううん、別にね」

 ちょっとこずえが口篭もった。なんかいやあな匂いがする。

「ねえ、ほんと? うそじゃないよね」

「変なことったって、うちのクラスの女子なんだからしょうがないじゃん」

 こずえは曖昧な答えをまたした。

「まああんた少し変だったからねえ」

「変もなにもないけど」

わかってる。私、昨日はすっごく変だった。こずえは

「わかってるくせに」

と唇とんがらせていた。

「いつもの美里なら私がやってたことをいつもしてたよねえ」

 なんか今朝のこずえは意地悪だ。

「ごめんって何度も言ったじゃない!」

 いらいらしてきた。せっかくこずえのために、四日目の予定こっそり立ててあげてたのに、そんな嫌味言うんだったらもうなんにもしてやんない!

「ごめんごめん、けどさ、美里もちょっと耳貸しな」

 私にまたささやこうとする。殿池先生が顔を洗っているのを様子伺いながら、

「うちの女子たちと合流することになったら、少し覚悟はしといたほうがいいと思うんだ」

「覚悟ってなに」

 いやあな予感がする。やはりいろいろと悪口言われていたんだろうな。人がいないところでは大抵女子ってそうだもの。髪の毛をごしごし梳かしているこずえの手、痛い。

「まあ、いろいろ言われるよね。火のないところに煙を立てたいって人たちがいるじゃない。うちのクラス、あんたに対しては永年の恨みはらさでおくべきか、って忠臣蔵めいた発想の人たちが」

 ──いるよね、確かにね。

 思い当たらないわけじゃない。けど私は私なりに、正しいと思ってしてきたことを、逆恨みする人たちがクラスにたくさんいるってこと。球技大会、宿泊研修、遠足、クラスのロングホームルーム、その他いろいろ。評議委員会でもごたごたがないわけじゃあないけれど、他クラスの子たちとは一日中顔を付き合わせるわけじゃないし、お互い話し合う時間も濃い。クラスの女子の場合、ずうっと同じ教室に閉じ込められていて、ひとつところの空気を吸う時間は長い。けど、しゃべることったら大抵つまんないことばっかり。

 「なんで清坂さん立村と付き合うわけ」とか「羽飛とはほんとになんでもないの?」とか「清坂さんはいいよね、いつもいいほうにばっかり考えるから。そんな甘いことばかりじゃないのにさ」とか「自分がしゃきしゃきと物片付けられるからって、出来ない人を馬鹿にするのはやめてよね」とか。

 ──そんなの私の勝手じゃない!

 最初の一、二問についてはもう言い返す気なんてない。こずえにだっていっつも言われていることだし、他の子たちと私の好みが違うこと、文句言われたってしょうがない。まあ、言われてもしかたない相手ではあるんだけどね。 けど、「いい方にばかり考えるから」なんて、そんなことでどうしてふくれられるのか、私にはわからない。だって楽しいじゃない。いいことを考えておけばいいことが起きるって、なんとなくほんとのことだと思うから。悪いこと考えてるとろくなことないもの。なんでひがむんだろう。

 「出来ない人を馬鹿にするのはやめて」ったって、私、馬鹿になんてしてない。ただ、いつもとろとろしている人とか、先生たちに「すぐに並べ!」と怒鳴られているのに身体くねくねさせてとろとろ歩いている集団見ていると腹が立ってくるだけ。すぐに整列させて「もっと早く来なさいよ!」と言うくらいのことだ。どうして馬鹿にしてるなんてことになっちゃうんだろう。

 ──あ、そうそう、もうひとつあった。

 「清坂さんって男子にばっかり色目使ってさ。女子を馬鹿にしてるって感じ」

 いいかげんにしろって怒鳴りたい。そりゃあ私は貴史と親友付き合いしているし、立村くんともそれなりにそうだし、他の男子たちとも普通に話をしている。小学校の頃からそうだった。いつか貴史とはそういうこともできなくなるかも、と思ったことがあるけれども、そんな取り越し苦労、まさに、「いいほうばかり考えていた」からうまくいったってこと。こずえだって男子にエッチ交じりの話をかましたりしているし、目立つようなこと、私、していないと思う。

 ──普通にしているだけなのに、みんなが勝手にいろいろ想像力たくましくするだけなのよ。なんでだろ。

「美里、もう一回言っとくけどさ」

 私のかばんに入っているブロースプレーを吹きかけ、こずえは怖い声で続けた。

「何言われても、あんた、黙ってなよ。そう思われて当然ってシュチュエーションなんだから」

「なにそれ? だからなんなのよ!」

「ほら、修学旅行で先生と同じ部屋に泊まる人ったらどういうパターンが多い?」

 これは地声。聞きつけたのかもしれない。殿池先生が丁寧なお下げ編みの髪型でトイレから出てきた。洋服はカラーデニム、黄緑っぽい色合いのワンピースだった。小学校の卒業式でよく女子が着たような、縦ピンタックをたくさん取っているぶりっこ服だ。

「おねしょ、って言いたいんでしょ。古川さん?」

 露骨にいやあな顔をするこずえ。こっちの方が恥ずかしくなる。さっきはぎとったタオルに、寝ている間ついた血が残っていることを思い出してしまったから。殿池先生はどう思っているのかわかんないけれど、私とこずえの顔を交互に見て、空のカップを両手で手に取った。

「誤解されるのもしょうがないかもしれないわねえ。清坂さん。でもね、今回はちょっと違うわよ」

「どう違うんですか?」

 思いっきり反抗心まるまる見え見え、こずえの言葉。刺がある。 

 殿池先生はスカートの裾を広げるようにして私の隣に座った。正座した。

「この学年、いろいろな事情を持っている人がいるの。さっきのおねしょが直らない人ももちろんいるかもしれないけれども、それは理由のひとつだけかもしれないのよ。あまり他の人のプライバシーに関係することを話すわけにはいかないけれども、特別な病気のために病院から配布されたものしか食べられない、そういう子もいるのよ」

 ──病院で配布って、けどそれって、お菓子も駄目ってこと? なんのための修学旅行かわからないじゃない!

 信じられない。こずえと顔を見合わせた。またこずえってばひょっとこみたいな顔をして首を振る。

「私も何度かいろいろな生徒さんと一緒にお泊りしたけれども、生理が始まってって人もたくさんいたわよ」 

 つつかないでよ、こずえって言いたい。殿池先生は私の前髪を指ですくい、

「清坂さんの髪の毛って素直できれいね」

 と、わかりきってるお世辞を言った。

「人それぞれいろいろな事情がある以上、詮索されてもしょうがないのよ。清坂さん、なに言われてもこの旅行中は堂々としていれば大丈夫よ。古川さんもいるし、恥ずかしいこともないのよ。そうね、仮に清坂さんが、おねしょの理由だったとしても、決してそれは恥ずべきことじゃないの。そうだから、そうなった、それだけのことよ」

 ──そうだから、そうなった、それだけのことって、それだけのことじゃあ! 「もし何か、困ったことがあったら、まず古川さんに相談してみれば一番よね。先生の立場としては、一番最初に頼ってもらいたいのが本音だけども」

 ──絶対、いや!

「いやに決まっているわよね。だから、まずは友だちに話してみて、ちょっと手に負えないなあって思ったところで初めて先生、という方が楽かと思うのよ」

 殿池先生という人については、評議の霧島ゆいちゃんから聞かされているんだけど、ちょっと不思議な雰囲気の人という印象をもっていた。二十四時間生徒のことばかり考えているといううちの菱本先生みたいなタイプでもないし、かといって狩野先生みたいにある程度放任してよっぽどのことがなければクラスのことには手を出さない、って人でもない。いつもにこにこしながら教壇に上がって、男子たちがいろいろ問題起こしたりするたびに軽く流して、それに反発した女子たちに全部言い合いをまかせてしまう。いつのまにかそれで問題は収まってしまい、「ああ、うちの担任ってほんっと世話が焼けるおばちゃまなんだから!」とため息がひとつ残る。そんな感じらしい。普段からズボンは大嫌い、女性らしいお上品なワンピースかフレアスカートばかりはいているのだけれども、メイクや髪型もそれに合わせるもんだから顔のしわとつりあいが取れなくて、日々馬鹿にした笑いがこぼれてしまうという。C組アマゾネス軍団の統帥、と呼ばれているけれども、女子が元気いっぱいで男子がちょっと地味なくらい、D組のように評議と担任が最悪の相性だったり、A組みたいに恋愛感情問題爆発で手に負えない、なんてことはない。

 身支度を整えて、まずは朝ご飯を食べに食堂へ向かった。場所は夕食と同じところだと聞いている。私とこずえが廊下に出てきたところをちょうど見られてしまったのが、うちのクラスの女子集団だった。

「おはよ! 美里ちゃん大丈夫?」

「ちゃんと挨拶しときなよ」

 こずえにささやかれてすぐに手を振った。

「大丈夫、ごめんね騒いじゃって」

 かえってきた一人の返事。

「元気ならいいんだけど、もし何かできることあったら言ってね」

 こずえの言ったことって取り越し苦労っぽい。そう思って少しほっとした。にっこり笑えた。

「あーあ、表面と裏ってあるよねえ」

「なにが裏なのよ」

 ちょっといやみっぽい。むっとした。

「ま、いっか。美里もさ、なんでもないんだったらなんでもないってことにしときなよ。どうせ生理なんて誰にでもあることなんだからさ」

「だからそれは言わないでよ!」

 もうばればれだってわかっていても、やっぱり隠したい。これって変? 「立村だってわかってるんだから、あと誰にばれたっておんなじじゃあないのさ。すいくんあたりがリビドー爆発させそうだけど、ああいう輩の扱い方、美里はわかってるでしょ」

 ──真っ正面で「しょちょう」だなんて言わないでよ、ほんっともう!

 なんだかまた思い出したくないことを言われてしまった。水口くんどうして、あのこと、気づいたんだろう? こずえがもしばらしてないとしたら、あと思い当たる節ってなんなんだろう。立村くんだってどうして、あんな変な態度取ったんだろう? わからなくなりそうだ。うつむいて廊下を歩いた。

「おはよ、美里、大丈夫?」

 背中から声をかけてくる人がまたひとり。こずえが先に振り返り、

「あ、ゆいちゃん、おっはよ!」  と元気に挨拶を返した。


 霧島ゆいちゃん、C組アマゾネス軍団の評議委員だ。私の前にすぐ回ってきて、いきなり頭を下げた。びっくり、立ち止まるしかなかった。

「あ、ゆいちゃん、どうしたの」

「ごめんね、美里、私、守ってあげられなかったね」

 朝っぱらから、あの気の強いゆいちゃんがしおらしくうなだれている。声を詰まらせているってことは、泣きそうってことなのかな。私よりも先にこずえが顔を覗き込んだ。

「どうしたのさ、ゆいちゃんももしかしてあれになっちゃったとか?」

 からかうこずえの額をこつっと叩き返すゆいちゃん。無理やり笑顔を作ろうとする。こじんまりとしたかわいらしいお顔は、童話に出てくる親指姫の雰囲気。こんな可愛い子なのにどうして彼氏がいないのか?といわれるけれども男子たちからすると、ゆいちゃんの言いたいことなんでもいう気性がどうも苦手らしい。もったいないな。私の代、評議委員の女子の共通点、とにかく一途な恋をすることだった。

「ばーか、そんなんじゃないって。けど、やっぱりあいつら、最低よね」

「あいつらって?」

 そういえばC組評議の男子評議、更科くんも、そういえば私のことを知っているっぽかった。なんだか男子の視線が怖くなってしまう。勝手にどきどき心臓が鳴っている。

 ゆいちゃんは唇をぎゅっとかみ締め、天井を指で指した。

「うちの男子評議連中よ、ほんっと腹が立つ!」

「またなにかあったの?」

 こずえと顔を見合わせてみる。ゆいちゃんが二年の終りから三年に入って以来、評議の男子たちと折り合いが悪いことは気になっていたし、私も立村くんに相談したりしていたから驚きはしない。けど、よりによって私のことがきっかけなんだろうか。もっと恥ずかしい。

「なんであんなこと言いふらすんだろうね。あの馬鹿も。修学旅行中に一発、ぶんなぐってやんないと納まらないわよ。それか解剖してやるか!」

 よくわからない。同じことを思ったのかこずえが、ゆいちゃんと並んでゆっくりと話を聞きだそうとしはじめた。廊下で立ち止まったままだとやっぱりまずい。


「へえ、ホームズ様とまた」

 ホームズ様、とはB組の男子評議、難波くんのことだ。コナン・ドイルの傑作「シャーロック・ホームズ」シリーズをこよなく愛し、冬のビデオ演劇で「奇岩城」を推した張本人だ。ちなみに「奇岩城」の作者はドイルじゃなくてルブラン。「怪盗ルパン」シリーズの作者だ。いろいろごたごたが起こったきっかけの「奇岩城」ビデオ演劇。思い出すと泣きたくなる。「なあにがホームズよ。あんな骨ばっかの身体してさ、女なんて一生より付いてこないわよ。さいってい!」 ゆいちゃんの親指姫顔からは全く想像ができない言葉の羅列。私は慣れているからいいけど、ゆいちゃんの外見から入った人はきっとショック受けるんだろう。「あの更科日記にちゃんと抗議したのにさ、何を血迷ったのかわかんないけど難波が入ってきてさ、『評議委員会がおかしくなったのは女子のせい、特に私のせいだ! 女子は大人しくやまとなでしこでいろ!』みたいなことを言うわけよ。なあにが、ってふざけんなばかって言いたいよね。私たちがいたから、評議がうまくいってたんじゃないのさって言いたい!」

 ──ゆいちゃん、どうしたんだろう。やっぱり相当ひどい言い合いしたみたい。

 更科日記、とはC組の相棒評議委員、更科くんのこと。苗字が古典の「更級日記」とは微妙に違うんだけれども、その辺も知らんぷりしておく。

「そりゃあ、小春ちゃんと天羽とのことは私も読み間違いしたし、反省してるわよ。まさか天羽の馬鹿があんな思わせぶりなことしておきながら、小春ちゃんをもて遊んでただけだなんてさ。けど本気だったんだよ小春ちゃんは純粋に想ってたのに。口利けなくなるくらい、傷つけられる筋合いないじゃない!」

 元A組女子評議だった西月小春ちゃんのことがからんでいたのか。

 このあたりは私も一枚かんだし、同罪かもしれない。

「それにまだ言うんだから。杉本さんのことをさ、勝手に煽り立てたのが私だっていうのよ。男子って人を好きになるって知らないんだろうね。ガキだから。あんなに一途に、水鳥の副会長にお花捧げたいって訴える杉本さんをよくそんなひどい言い方できたわよね」

 現在二年、やはり元女子評議だった杉本梨南さんのことだ。これも私、一生懸命杉本さんを応援していたしいろいろ準備手伝いもした。あとで立村くんにいろいろ文句言われたけど、そうしてあげなくちゃ杉本さんだって想いを伝えることできなかったんだからしょうがないじゃないの。

「美里には悪いけど、立村もそうとうのボケよね! もっといい男たくさんいたじゃない! 美里っていい男見慣れているから変なのがかっこよく見えちゃうんだよ。あんないつもぼんやりしてて、みんなに文句言われていても頭下げまくってるだけなんてさ」

 ぐざりと刺さる言葉。立村くんと付き合っていると、これは避けられない。

 もう男子たちが相当揃っている中でゆいちゃんを怒らせるわけにはいかないし、私も立村くんの悪口を聞きたくない。

「ごめんね、ゆいちゃん。かばってくれたんだね」

 話を逸らすことにした。ゆいちゃんは背伸びして私の頭に手を伸ばし、

「大丈夫、また馬鹿男子どもが変なこと言ったら、私が守ってあげるからね!」

 いい子いい子してくれた。ほんとは、見かけでいったら私が「いい子いい子」する方が自然なんだけどな。

 頭を上げてゆいちゃんと顔を合わせようとした。真横を向いていた。誰かいるのかと目を凝らした。

「おはよう、彰子さん、遅いよ」

 話し掛けながら南雲くんが私たちの横をすり抜けていった。声の向きは食堂に入る直前の彰子ちゃんに向かってだった。ゆいちゃんはその姿を黙って見つめていた。こずえが意味ありげに私の方をちらっと見るけれども、私は答えることができなかった。だって、みな、知っていることだ。南雲くんと彰子ちゃんが大の仲良しだということを認めると同時に、ゆいちゃんはたぶんずっと、叶わない恋のままなんだということを。

 

 ゆいちゃんにとって憧れの王子様が南雲くんだったということ。私の恋する相手が立村くんだと、評議の女子に知られた時、ゆいちゃんはいつもぶつぶつ言っていた。

「美里ってレベル高い男子の多いクラスにいるから、目が曇っちゃったんだよ」

 と。女子の人気は私たち同学年では貴史、上級生が南雲くんそれぞれトップだったと聞いて、正直青大附中の鑑識眼っていったいなに?と思ったことを覚えている。ちなみに立村くんは現在過去ともにランキング外。今だに「立村のどこがいいの?」の声がかかるのが何よりもの証拠。

 たぶんゆいちゃんは南雲くんをD組男子の基準として考えていたんだろう。しばらくは胸に隠していたようだけど、とうとう二年の四月くらいに南雲くんを呼び出して告白し、瞬時に玉砕した。なんでも、「俺、あまり話をしたことない人といきなりそういう関係になるのは苦手なんだ、ごめん」だったらしい。当時の軟派な南雲くんだったらそのくらい言いそうだ。

 見た目お姫さまだけど、内面アマゾネスC組の女酋長とまで呼ばれているゆいちゃん。その実面食いだった。

 とにかく南雲くんは全校の女子から学年問わずもてていたし、もし振られてしまったとしてもそれはしかたないこと。競争倍率が高いのは覚悟の上だったはず。振られた直後はゆいちゃんも、

「しょうがないっか。私、やれることはやったし。今度は新しい恋に生きるんだ!」

 と笑顔で敗戦の弁を語っていた。まさか、その直後に同じC組の女子が南雲くんの彼女になっちゃうとは思っていなかっただろう。さらに、その何週間か後、南雲くんがその子を振って、彰子ちゃんに激しくアタックするなんて、どんなに想像しようったって難しかったに決まっている。私だって、こずえだって、想像していなかったんだから。初めて南雲くんと彰子ちゃんが自転車で連れ立って朝学校に来た時のゆいちゃんは顔面蒼白だった。

「なんで、あの子なの?」

 ゆいちゃんの名誉のために言っておくけれども、一時期の彰子ちゃんバッシングは決してゆいちゃんの差し金ではない。むしろゆいちゃんはクラスの女子たちを押えようとしてくれたはずだった。本心不承不承だったかもしれないけれど、私や小春ちゃんたち二年評議が懸命に「お願い、これ以上いじめみたいなことになるのはやめて!」と頼んだのもあったんだろう。結局南雲くんが彰子ちゃん一筋を貫いてきたこともあって、最後にはみなあきらめムードに入った。今までのアイドル南雲くんがいなくなった後は、自然と第二のアイドル探し。ひとり身の貴史に人気が集中するようになったわけだ。あいつが鈴蘭優しか見ていないことはさておいても、まあ南雲くんと彰子ちゃんのカップルに余計なちゃちゃが入らなくなったのはいいことだと思う。

 もちろん、南雲くんを「学校のアイドル」として見ている人たちはそれでよかったかもしれない。

 けど、ゆいちゃんにとっては、それだけではきっと終わらなかったんだと思う。

「男子って結局女の子らしい子が好きなんだね」

 評議委員会の夏合宿、女子たちみんなで恋話をしていた時、天井見上げてつぶやいたゆいちゃんの言葉を思い出す。

「性格が女の子らしくて、男を立てる奴でないと、だめなんだね」

 ──女の子らしい? 

 問い返そうとしたら、

「結局、男のご機嫌取りをしないと、誰も好きになってくれないってことだね。けど私」

 ぐいっと私たち女子評議をにらみつけた。お人形さん顔が般若に化けた。

「男に頭を下げるくらいだったら、一生嫌われものになってもいい!」

 あの時の迫力を思い出すたび、私は怖くなってしまう。女子にはめちゃくちゃやさしくて、けど男子に対しては決して頭を下げない、そんな意地、どこから来るのかなんとなくわかったような気がしたからだった。

 

 食堂に入ると、もうD組の男子連中は席に着いていた。各クラス一列ずつ、向かい合う形になっているのだけれども、前側に女子が、出口側に男子というふうに分断されていた。いつも男子と女子一緒でいることが普通だったせいか、違和感ありだった。貴史たちは女子たちと顔を合わせて「早く食わせてくれ、頼む!」と手を合わせていた。立村くんは入り口の方で何か小さい声で挨拶してくれたみたいだけど、私の顔を見ようとしなかった。眠いのだろう。

「ねえ、どうしてなんだろうねえ、納得行かないよねえ」

 せっかく貴史と一緒に顔つき合わせて朝ごはんぱくつくつもりだったんだろう。こずえがぶつぶつ言っている。

「うーん、ご飯の奪い合いになるからじゃあないかなあ」

 私の隣に座って、女子グループみんなにご飯を盛り付けている彰子ちゃんがにこにこしながら答えた。二の腕のところが少し揺れているのが目についた。

「彰子ちゃんナイス! 鋭いねえ。そりゃあうちの男子どもの食欲、性欲、共にマックスだと思うなあ」

 一人で納得してるんじゃないの、と言いたいところだけど余計なことを言うと悪目立ちしてしまいそうなので言葉を飲み込む。彰子ちゃんとこずえの間に挟まっているおかげで、他の女子たちから「ねえ、どうして昨日先生のところで」みたいな質問を投げかけられずにすんだ。結構多いんだ。女子同士って。ちょっと髪型を変えたくらいで「彼氏が代わったんじゃないの? 立村と別れたんじゃないの」って聞かれるし、先生に貴史と一緒に呼び出されたりすると……別に怒られるために呼ばれたわけじゃないのだけども……「やっぱり清坂さん羽飛と付き合っているんでしょ。立村はカモフラージュなんでしょ」って言われる。 全員揃ったところで菱本先生の号令により、「いっただきまーす」の大合唱。

 小学生じゃないんだから。それに意味なくなっている。もうとっくに貴史とか他の男子たちはのりと卵を混ぜ混ぜしながらご飯にぶっかけて食べまくっている。こずえじゃないけど「食欲」はマックスな連中だ。

「ほら、立村がこっち見てるよ」

 男子たちの席は私たちの真後ろだった。大きな炊飯器を二台、男女の境とて置かれている。わりと私の方からは男子連中がどんな顔して私たちを眺めているかとか、何を平らげているかとか、だいたいわかる。でも昨夜のことがあったし、きっとすい君を代表としていろいろ「やーい、お前『日の丸』なんだろ!」とか言われるのは覚悟していた。騒ぎすぎた私がいけないだもの、しょうがない。

「ほらほら、立村も低血圧な奴だから、ぶすっとしてるねえ。はっとばー、なんか分けようか?」

 こういうところでアピールを欠かさないのもこずえだ。ちびっこい誰か……たぶん水口くんだろうな……が、

「お前今日は大丈夫なのかあ?」

 と意味不明な言葉を発し、貴史に頭をはたかれている。妙にみな、私の顔を見て意味ありげに立村くんに話し掛けるのだけれども、すい君以外変なことを言ってこない。助かるけど、かえって緊張しそうだった。

「美里も元気だってこと言ってやんなよ、ほら立村、あんたもなんとかいいなよ!」

 ──言わなくたっていい!

 こずえって私のことを理解してるのかしてないのかわかんない時が、たまにある。顔、正面から見られるわけ、ないじゃない。

 男女の境に位置しているのは彰子ちゃんと南雲くんだった。彰子ちゃんの名誉のために言っておかなくちゃいけないことなんだけど、決してD組のらぶらぶカップルが計画立ててそういう並びにしたんじゃない。少なくとも彰子ちゃんは。南雲くんがどう思っているかはわからないし段取りを立てていたのかもしれないけれども、彰子ちゃんは絶対、関係ない。べたべたしたいわけじゃあないと思う。

「ねえねえ、彰子さん、魚半分食べてやろうか?」

「ううんいいよ。あきよくんこそ、納豆私もらおうか?」

 ──けどやっぱり、いちゃついている。

 きっと彰子ちゃんは他の男子たちにもこうやって笑顔のまま、かわしているんだろうなと思う。えこひいきしないところが彰子ちゃんの良さだってわかっているんだけど、他の女子たちにはきっとそう見えないんだろう。反対側の女子たちと、私たちの隣列に陣取っているC組女子たちの視線をじんじんと感じてしまう。男子たちからはそれほど聞こえてこないけど、女子たちにだけははっきりと感じられる空気の冷たさ。きっと南雲くんはわかっていないんだろうな。こんなおおっぴらに彰子ちゃんへ甘えるなんて。

 ──ゆいちゃんも、見てるんだろうな。

 さっき、「ごめんね、美里」と頭を下げてくれたゆいちゃん。

 彰子ちゃんともゆいちゃんとも友達だから何にも言えない。今の立場だった。

 このふたりが仲良くなればなるほど、悔しくてならない人がたくさんいる。

 決して彰子ちゃんのせいじゃないけれども、一途な思いって男子にとっては迷惑でしかないのかもしれない。

 評議委員の女子たちに関係する、恋の出来事を見つめているうちに、私がなんとなく感じたことだった。

 ──男子って。自分からいっぱい好きになれる人には、一生懸命になれるのに、男子って残酷だね。

 けど、誰にも言うことができなかった。

 男子には、たぶん立村くんも含まれているから。

 

 D組の男子ときたら、南雲くんがそれぞれに耳打ちしたとたんみな、一斉に食堂を出て行ってしまった。食事の後は後片付け。これが常識。当然男子連中もみな、手伝ってくれるもんだと思っていた。なのにだ。立村くんがなんだか何度も後ろを振り返っていたのだけが救いだった。もっとも南雲くんに背中を押されて出て行ったのは同罪だけども。

「ねえさん、サンキュー」「ほんっと、日本の女の鏡!」「今度肉まんおごるぜ!」

 やたらと威勢のいいお礼の言葉は、どうやら彰子ちゃんに向けられているらしい。本当はクラス全員で片付けるのが当然なのに。しかも女子だってそれに釣られた振りして戻ってしまった子もいる。彰子ちゃんは全然困った顔しないで、鼻歌歌いながらお茶碗をまとめている。C組みたいに、男子たちがなんと言おうときちんと命令させて、全部片付けるのが正しいと思う。ずるいと思う。私もこずえと同じ意見だった。

「ほら、あんたら、早く片付けな! ほらあんたも味噌汁せっかく出されたもん、残すんじゃないって。箸はちゃんと男女分けて!」

 C組側の食器を片付ける係はゆいちゃんのようだった。うちのクラスみたいに一部の女子たちだけが全部片付けの手伝いをしているのとは違う。おびえているのかC組の男子たちも必死にお茶碗を重ねたり箸をまとめたりしている。言い返そうともしないのは、あとが怖いからだろうか。他の女子たちもまだテーブルを囲んで男子たちの行動を監視している。ちなみに女子たちは、やっぱりゆいちゃんの号令で片付け終了している。

 後ろを見やってこずえも頷く。

「彰子ちゃん。やっぱりここはC組を見習って、男子連中にも一声言うべきだよねえ。これってずるいって」

「いいよいいよ。さっきね、あきよくんが言ってたんだけどね」  私も焼き魚の盛られていた皿を、残り物と一緒にまとめる手を止めず、耳を傾けた。またにっこりと、彰子ちゃん。

「今朝はずいぶん男子、大人の行動してるねえって聞いたら、立村くんが男子たちに命令したんだって言っていたよ」

「え?」

 そんなふたりきりの会話に、立村くんの話が混じっているなんて思わなかった。こずえがまた私を肘でつつく。

「おもちゃの短剣片手に、もし美里ちゃんのことをいじめたりからかったりしたら、叩くぞってすごんだらしいよ」

「ま、まじ?」

 声が出るわけない。思わず口を押えるこずえがいる。相変わらずぽちゃぽちゃのほっぺたをゆらすようにして、彰子ちゃんは続けた。

「私ね、それ聞いて、やっぱりD組の男子はいい人ばかりなんだなって感動したんだ。だから、あきよくんに伝言したんだ」

「伝言って、何を?」

 彰子ちゃんは残りの残飯を小さく固めて、専用のトレイに全部放り込んだ。手が汚くなるのも気にしないで。

「その心意気、私が女子代表して、受取ってあげるって。立村くんがそう言ったのもえらいと思うよ。けど、もっとえらいのは、その言葉をちゃあんと受け取って、美里ちゃんに『紳士』の行動をしてくれたうちのクラスの男子じゃないかなって思う。だから、後片付けくらい、全部やってあげるってことにしたの。あきよくん、喜んでたよ。男子も、きっと嬉しいと思うんだ」

 ──彰子ちゃん、どうしてそう考えられるの?

 私が呆然とテーブルを押えていると、彰子ちゃんは空いたところをふきんで軽く拭いて、

「やっぱり、私の周りの人たちっていい人ばっかりだなあって思えたんだ。美里ちゃん。D組でよかったね!」

 みんな、私が前向きすぎるっていうけれど、彰子ちゃんにはかなわない。

 

 ──立村くんが?


 そっと目を閉じ、立村くんの食事中の表情を思い出そうとする。

 顔なんて見られなかった。

 どんな顔で私を見ていたかなんて、気づかなかった。

 不機嫌そうに箸の先かじっていたんだろうとしか思わなかった。


 ──私のために?


 荷物をまとめ、殿池先生にお礼を言って、旅館玄関前に整列し、D組一同の点呼を取っている間も、立村くんは私の眼を見ようとしなかった。どうしてだろう。合いそうになると逸らす。

「立村くん、あのね」

「荷物、持つよ」

 全員揃っている。そのことを伝えた後に、どうしても言わなくちゃと思って声をかけたのに、返ってきたのはその一言だけだった。私の返事を待たずに、立村くんは目を伏せたまま、私の一番大きい荷物を片手で持ち上げた。

「今すぐ使うものないだろ。なら預かるよ」

「え?」

「今日泊る旅館に着いたら、入り口まで持っていくからさ」

 どうして目を見てくれないのか、わからない。この人の癖で人見知りっぽいところがあるのはわかっているけれども、空が明るすぎてまぶしすぎるからだろうか、目をやたらと細めている。

「いいよ、だって立村くん、目立っちゃうし」

 いつもだったら私が立村くんの手伝いしてあげるのに。なんか順番が逆だ。私は指を絡めて、立村くんの顔をもう一度見ようとした。ついに視線がかち合ったとたん、びくんと身体をこわばらせた。

「私のことで、からかわれたりしない? 恥ずかしくなんない?」

 ──あんな、すごいこと、男子たちに言っちゃったなんて、いつもの立村くんなら絶対しないよ。

 ──どうして、私のことを?

 言葉を飲み込んで反応をうかがう。ゆっくりと立村くんは、私の方を見つめて言い切った。かばんの柄は手放さないままだった。

「恥ずかしくても恥ずかしくなくても一緒だ」

 また視線を逸らすと、立村くんは一番前に並び、菱本先生へ、

「全員揃いました」

 私のかばんを足下に置いたまま、報告した。


 ──やっぱり恋女房には惚れぬいてるんだなあ、あいつ。

 ──短剣持ち出してだぜ、「俺の女に手を出すな!」だもんなあ。

 ──アレになっちまった彼女だもんなあ。超恥ずかしいよなあ。

 

 他のクラス男子がささやき合っているのが聞こえる。

 ──立村くん、聞こえてないわけ、ないよね。

「それでは、A組からバスに乗り込んでください。順番を崩さないように」

 先生たちの指示に従い、バスの乗車口へ向かうまで、私の隣に立村くんはいた。移動する間何もしゃべってくれなかったけれども、両肩に重たそうなかばんを抱え、真っ正面を向いたままでいた。

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