7 王から 王妃への贈り物
常用漢字ではない漢字の使用が多々〜、以下略。
また『話なげーよ、メンドクセェ』と感じた方も〜、以下略。
まぁ、いつも通りです。
___視点:〔森之妖精〕-リーゼロッテ=サフィール___
この王国へ来て、4日目の朝である。
早朝の エスファニアへの定期連絡を済ませ、ラノイ達との 朝食を済ませた彼女は、後宮へ戻って来た。
蒼い瞳を持つ 姚しい娘は、自室に と与えられている小宮殿から 更に北にある小宮殿のほうを見詰め、小さく溜息を咐く。
王宮とは、幾つもの宮殿が集まって形成されている。
表の庭の東には、軍部の施設や 警備・衛兵の機関が集約されている建物がある。
表の庭の西には、独身の官吏や 侍従・女官などの居住区となっている。
この2っの建物と 表の庭は、王宮を包む城壁の中にあって『王宮の外』に近い括りになっている。
勿論、南の正門の中になっているので 王宮の敷地の中ではあるし、市井の者達が 南の正門を通る事は出来ない。
そう云った意味では、確かに 王宮の中ではあるのだ。
しかし、南の正門から 表の庭を北進むと、其処には壁が存在する。
高さにして、10メートル程の 堅牢な石垣だ。
その上に、主要な宮殿が建っている。
門はないが、石垣を登る大きな階段が 表の庭から伸びている。
南の正門の北にある この階段を陟った先にあるのは、祭事用の広間を含め 外来客を迎える宮殿だ。
謁見の間から 遠方からの客をもてなす客室などは、この宮殿-外殿に集約されている。
その北に建つのが、執務・政務の機関が集約された宮殿-内殿だ。
この4っを纏めて、外宮と聘んでいる。
毎朝、官吏や侍従・女官達は、此処を陟って登庁する形になっている。
王宮の外に居を構える官吏や大臣達も、例外ではない。
外宮の北に位置するのが、内宮と聘ばれるエリアだ。
今-現在は、ラノイとシズが暮らしている 王族の為の巨大な宮殿と、小さな宮殿の集まりになっている後宮を示す。
魔法使いのいる後宮は、王宮の 更に北に位置し、王の住まう巨大宮殿-正寝殿の北の区画にある。
後宮は、王の妃となった娘達が入る為の 小体な宮殿が 幾つも建てられている。
広大な庭の中に 幾つもの小さな宮殿が建てられているイメージを持って頂ければ、概ね 間違ってはいない。
18棟ある 妃-専用の小宮殿と、その間にある幾つもの庭と 池を纏めて『後宮』と聘んでいるのだ。
魔法使いがいるのは、最も正寝殿に近い 小宮殿である。
つまり、魔法使いしかいない 今の後宮には、多くの妃が暮らしていた 幾つもの小宮殿は必要ない。
その為、殆どを閉鎖しているのだ。
奥の17棟の小宮殿は、掃除をする者もなく 無人の状態である。
魔法使いは、北西の方角を見て 僅かに首を傾げた。
《 出入りしている者達の事を お談ししておくべきかしら。》
後宮の閉鎖区域に、複数の者達が出入りしているのだ。
奥の小宮殿に出入りしている者の数は、多くはない。
魔法使いに見付かる事を懸念してか、彼女の小宮殿には近付かない。
その為 姿を見た事はないが、彼女は、人の気配で それを察知していた。
《 今の攸、害は ないのだけれど。》
昨日までは、見付かって咎められる事を避ける為に 来なかったのか、偶然 手が空いてなかっただけなのかは 判らない。
だが、今日は、朝から 2〜3人が入り込んでいる。
もしも、王宮で働く女官達の 息抜きの場になっているのなら、そっとしておきたい。
しかし、時期が時期だけに 孰れ害となる者達かもしれない。
数10分-置きに、1人ずつ やって来ると云う念の入れ様が 少々 気になる。
《 様子を見て、出入りしている人達を 特定してから………。》
報告は、それからでも遅くはない。
そう決めて、この問題は先送りにした。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森之妖精〕-リーゼロッテ=サフィール___
後宮の自室で、魔法使いは 本を読んでいた。
彼女がいる 窓際の椅子の傍には 小さなテーブルがあり、その上には 何冊もの本が積まれている。
女官達に頼んで この国の歴史書を用意してもらい、朝から読み耽っているのだ。
「お妃様」
アイシアの声で、魔法使いは 本から顔を上げた。
「宰相-シズ様が お呼びになっておられます」
この言葉に、彼女は 外を見た。
晴天の今日は、陽の位置も良く判る。
「まだ……… 」
時刻は、11時になった攸だろう。
執務室での お茶の時間は済ませているし、昼には 早すぎる。
そう思っての呟きだ。
「はい、少々 ご用だそうですよ」
何故か、アイシアは 嬉しそうな顔で邀う事を促している。
《 何があるのかしら。》
アイシアの考えを詠めば判るのだろうが、躇われた。
直感でしかないが、詠めば ダメージを受けそうな気がしたのだ。
「判りました、ご案内ください」
結局、直感を信じて 詠む事は自粛した。
「はい」
椅子から竚ち上がった魔法使いを、アイシアが先導して歩き出した。
後宮から 案内されたのは、外宮にある 小さな応接室だった。
小さいと云っても、18畳もの広さがある。
その室内に、2人の青年がいた。
1人は、上座に竚つ 宰相-シズだ。
「アシュリー姫」
部屋の入口に現れた魔法使いに気付いて、シズが 手招きをする。
彼の 3メートル下座には、床に膝立ちになり 礼を執っている青年がいる。
膝立ちをしている青年は、魔法使いが来たと知って 振り返った。
「!」
自分を見て喫驚している青年を 敢えて無視して、彼女は シズを直視する。
趾は、部屋の入口で停まっていた。
「お呼びだ と…… 」
何だか 入りたくない、と感じての行動だ。
しかし、当然だが、この場に留まる事は 適切ではない。
呼ばれて やって来たのだから、さっさと入室すべきである。
「ええ、こちらへ どうぞ」
やんわりと入室を促されて、魔法使いは 足取りも重く 応接室に入った。
その耳に、青年の声が届く。
「ああ………將に、女神…… 」
うっとりと見惚れたままでの賛辞に、後ろに附き従うアイシアが 勝ち誇った様な顔になる。
何故か 我が事の様に嬉しがる女官を余所に、魔法使いは 膝立ちの青年を見た。
紱っている装束は、ラッケンガルド王国で着用されているモノではない。
良く似ているが、次第に広がる袖の型といい 生地の染めの模様といい、東の国から来た者である事を表していた。
多民族国家-ヴェルツブリュン王国からやって来た と判る青年は、雍かな印象を与える 中々の美丈夫だった。
魔法使いは、普段は王宮にいる筈もない人物に 軽く会釈をするが、彼女が視ているのは 相手の容姿ではなかった。
《 この人……。》
何か 引っ掛かりを感じはしたものの、偵る事はせずに シズを見た。
「何事でしょう?」
ゆっくりと近付きながら問い掛けたが、返答を聴くまでもなく 呼ばれた理由が睛に映った。
シズの傍にあるテーブルの上に、それはあった。
「異国の商人に因り 搬ばれた、金銀宝珠の細工物です」
見ろ と云わんばかりに高級な箱を示され、魔法使いは 仕方がなくテーブルに近付いた。
赤い天鵞絨の生地が敷き詰められた 高級な箱の中には、緻い細工が施された装飾品が収められていた。
「これは、ヴェルツブリュン王国で珍重されている宝玉と 細工ですね」
魔法使いは、箱の中身を 無表情で見詰める。
《 ヴェルツブリュンの 王族-御用達………女性用……。》
ヴェルツブリュン王国には、滞在した事があった。
文化や 歴史については、大まかに理解している。
何が珍重されてきたのか も、何を好む国なのか も、だ。
その経験で、この宝飾品が かの国の王家へ献上される最上級のモノである と見抜いてしまった。
《 何故、この様な 高価なモノを………。》
眼の前の 豪華な宝飾品から、視線だけを乖らす。
「流石ですね、アシュリー姫」
シズは、にこやかな声で こう続けた。
「こちらの品々は、今回 特別に取り寄せたんです」
どうやら 隣国-ヴェルツブリュン王国からの献上品ではなく、態々 取り寄せたモノらしい。
そして、これを見せる為に 呼ばれたのだ、最早 厭な予感しかしない。
「噂に忒わぬ……いえ、噂-以上に…… 」
少し離れた場所から 異国の青年の声が聴こえた。
呟く程の声であったが、魔法使いには 聴こえてしまった。
これについては、軽く無視をする事にした。
今 重要なのは、この高価な宝飾品の行方についてだ。
《 聴きたくは ない、の だけれど。》
綺麗ですね、遥々(はるばる) 取り寄せたのですね、では わたしは これで! ーーーーで 解放してはくれないだろう。
万が一の時は 返品可能なのか、などと考えていると、商人だと云う 異国の青年が、改めて 口を敞いた。
「様々な場所に赴いて参りましたが、これ程 お姚しい方を、見た事がございません」
感動を込めた声が、感涙に潤む睛が、最上級の賛辞が、魔法使いへ向けられた。
「お睛にかかれて 嬉しゅうございます。お妃様に お会い出来ましただけで、綜てが報われる思いです」
更に深く 礼を執った商人に、彼女は 緲かに眉を寄せた。
蒼い瞳には、商人の容姿や 仕草-以上のモノが見えていた。
《 何処となく、胡散臭い。》
善良な笑顔の奥に、ちらちら と『何か』が視え隠れする。
悪い人物とは、得てして こう云った『匿し事』をしているモノだろう。
そんな事を、ぼんやりと推う。
拙いとは云え『魔法使いの眼』を使っても視る事の出来ない『思考』を 推察していると、シズから 決定的な言葉を掛けられた。
「こちらは、陛下からの贈り物ですよ」
最も聴きたくなかった言葉に、魔法使いは 表情を変えた。
「これを、ラノイ様が わたしに……?」
驚いていたのは、真実だ。
魔法使いである自分に 何かを渡そうとする、その『意味』を ラノイは知っている筈だ。
ならば、これを受け取る事は 危険である。
拒絶するべき 高価な品だ。
頬が引き攣りそうになった。
《 代価は、一体 どれ程の………。》
基本的に、魔法使いに、無償の贈り物は 存在しない。
何かを贈られる時は、その場で何も言われなくとも 代価が必要になる事を覚悟しなければならない。
使え と言われて渡された魔法薬の代価を 数年後に要求される事もある。寧ろ、それが常識となった世界だ。
ラノイは、魔法使いに准ずる能力と 魔力を具えている。
そして、何撰りも、魔法使いについて 審らかな知識を持っている。
だからこそ、勘繰ってしまうのだ。
「 ーーーーーーこれを、わたし に……… 」
一体 どんな裡があるのか、と勘繰る余り 声が小さくなっていた。
「はい」
室内にいる2人の青年は、魔法使いの困惑には 気付かなかった様だ。
「どうぞ ご覧ください」
手に把り 身に着けて良い、と云う意味を含んだ言葉だと判っていても、手を伸ばす事が出来なかった。
箱を瞰したまま 硬直してると、背後から 声がした。
「アシュリー」
真後ろでの声に喫驚してはいたが、表面には出さず 振り返る。
いや、振り返ろう とした。
「っ ラ ノイ様」
首を巡らせるよりも早く 後ろから抱き竦められていた。
《 っーーーーーーっ、ゃああぁ⁉︎ 》
怺えようとしたが、耐え切れずに 悲鳴をあげる……心の中で。
全身の硬直から この事を察していても、ラノイの態度は変わらない。
「どうだ? 気に入ってくれたか?」
「は、はい」
肩越しに顔を覗き込まれての問いに、小さく頷いた。
この国の若き王が 寵愛する唯一の妃、である以上 それ以外の返答はない。
「無論、そのままでも姚しいが、時には 美しい装いで 私の睛を愉しませてくれ」
色気-だだ漏れのラノイに 耳許で囁かれれば、腰から砕けそうになる。
勿論、魔法使い以外ならば、である。
《 この お役目、本当に辣い。》
この王宮へ来てから、何度 そう思ったか知れない。
逃げ出したくなる気持ちを扼えて、愨しく震えているしかなかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森之妖精〕-リーゼロッテ___
後宮へ戻り 独りになって、漸く 重い息を咐いた。
彼女の眼の前には、先程の高級な箱がある。
自室へ持ち帰って来てしまった 高価な宝飾品の扱いに、困惑していた。
あの後、応接室での遣り取りを思い出し 浅く項垂れる。
異国の商人が退室した後も、魔法使いは 悩んでいた。
《 …………受け取らなくては、駄目なのかしら。》
勿論、見詰める先にあるのは ラノイからの贈り物だと云うアクセサリーだ。
「こちらは レンタル品になりますので」
人払いが済んだ途端、シズが 事務的に言った。
これに、魔法使いは 心から ほっとした。
《 良かった。》
本当に贈られるとなったら、どう拒絶しようか と思案していただけに、救いの一言だった。
しかし、ラノイは 違っていたらしい。
「ごめんね、アシュリー」
「はい?」
「うち、結構 財政が厳しくて……これも ちゃんとプレゼントしてあげたかったんだけど」
甲斐性なしで申し訳ない、とでも言いたそうに ラノイが呟いた。
どうやら、彼は、本気で プレゼントしたかったらしい。
「お気になさらないでください。国民の血税で成り立つ贅沢など、わたしは 希みません」
「アシュリー」
「どうか、国費は この国の方達の為に、大切に お使いください」
「 ーーーーーーうん」
嬉しそうに、ラノイが頷いた。
「でも、此処にいる間は 使ってね? 折角、択んだんだから」
「 …………はぃ」
笑顔満面のラノイに言われては そう返答するしかなく、断れずに 部屋へ持ち帰るしかなかった。
そんな訳で、今に至る。
《 使え、と 言われても。》
美しい布の敷き詰められた 高級ケースの中に、煌びやかな装飾品が陳んでいる。
豪奢な首飾りと 髪留め・額飾りに 揃いのピアス、煌びやかな ブレスレットや アームレット・アンクレットの数々。
総額 幾らになるのか、想像したくもない 高価な品々だった。
それ等を じっと見詰めて、溜息を零す。
決して 感嘆の息ではない、重い溜息だ。
《 高価な物など、きっと 似合わない。》
自分の容姿を どう思っているのか、魔法使いは 本気で そう考えていた。
旁から見れば 誰よりも似付かわしい宝飾品であるのに、本人は そう思っていないのだ。
着飾る暇もなく、着飾っていられる環境になかった事もあるのだろうが、理由は それだけではなかった。
《 母さまが 王族でいる事を拒んだ様に、わたしも 煌びやかな暮らしなど……。》
欲しくないし、自分には 似付かわしくない、と 彼女は思っている。
基本的に、生活の殆どが 魔法使いとの攻防であったが故の鈍感さである。
血筋は 兎も角、生まれは 深い森の中だ。
育つ過程で あちらこちらの王侯貴族と関わってきたが、それも『魔法使いとして』だ。
着飾らされた事はあったが、幼い頃の暮らしとは掛け離れたモノ達に 戸惑いしか懐かなかった。
着飾っていては、魔人や魔女と闘えない。
譬え 安全な結界の中にいる時であったとしても、いつでも 万が一の事態に備えておくべきだ。
魔法使いは、常日頃から そう考えていた。
《 これは、特別な時に》
贈られた装飾品を棚に残し、視線を乖らす。
ラノイには悪いが、身に付けている自分など 想像出来なかった。
《 この後宮は、質素で 過ごし易いけれど。》
ラッケンガルド王の後宮は、そもそもは 煌びやかな場所だ。
曾ての王の頃は、何10人もの 姚しい妃達がいて、其々が 競う様に咲き乱れていた場所だ。
建物も 施設も、調度品も 庭も、綜てが瀟洒で 高級なモノだ。
しかし、今は たった1人の妃が独占し、女官の数も 最低限である。
《 エスファニア城よりは、居心地がいいけれど。》
絢爛豪華な住居も 高級な衣服も、華美な宝飾品も 豪勢な食事も、魔法使いは 希まない。
同様に、ラノイも 華美な暮らしは好まない。
そのせいか、今の王宮には 新しい調度品はなく、綜てに於いて 節約の限りが尽くされている。
政務室の傍に造られた休憩室の家具も、使用しなくなり 奥に仕舞い込まれていたモノを出してきたに佚ぎない。
そもそもが 贅を尽くした調度品であり、眠らせておくのは 勿体無い調度品ばかりでもある。
《 陛下も、ラノイ様くらいの倹約を………。》
してくれれば と思うが、しないだろう とも推っている。
故郷-エスファニア王国は、高原国家だ。
広い国内の10パーセントが 山岳に、30パーセント弱が 森林に、10パーセント未満が 河川湖水になっている。
国土の30パーセントを占める草原があり、残りの20数パーセントが 農地と市町村で成り立っている。
数字で見ると 緑-豊かな国家だが、標高で云うと 500〜1200メートルの台地の上に市町村が築かれている。
山脈の標高は 3500〜4000メートルに至り、昼夜・夏冬の寒暖差が大きく 厳しい環境になる……筈だが、エスファニア王国は 異なっている。
この国は、国家として形が定まる以前に この地を支配していた魔女が、様々な『施し』を与えていた。
固い大地を解し 豊穣の恵みを齎す〔鎮守の森〕を、枯れた大地を潤し 土地を浄化する〔浄蓮の水〕を、其々 創っていた。
長い年月を経て、それ等の効果に因って 高地は 草原に変わってゆく。
そもそも 高原に住んでいた者達は、作物の収穫量が増えるに攣れ 数を増やし、軈て 国家となる。
その地に、18年前、魔法使いが産まれた。
生来 生命を育む能力を具え、産まれた地を 豊かにしてゆく。
これは、幼子の魔法使いには 無自覚の恵みだったが、確かに エスファニア王国の一部が この恵みを享受してきた。
そして、13年前、彼女が『妖精』として覚醒した時から エスファニア王国-全土は〔森之妖精〕の恵みに包まれている。
気候は安定し、豊穣な土壌は 豊かな恵みを齎し、災害は起こらず 国内の動乱もない。
眼に見えて豊かになってゆくのだから、誰も 財を惜しまない。
国王-フェイトゥーダに至っては、そう云ったモノに頓着しない。
これは『好んで贅沢をしている』のではなく、そもそも『贅沢だと思っていない』のだ。
絢爛豪華な城も それに見合う豪奢な調度品も 贅の限りを凝らした祭りも、何等 特別な事だと思っていないのだ。
倹約など する筈がない。
その思考-そのモノがない。
《 せめて、わたしの身の周りだけでも、もう少し………。》
エスファニア王国で 12〜13歳の少女の姿をしているせいか、フェイトゥーダは 彼女の衣服をオーダーメイドで用意しようとした。
魔法使いが それを遠慮すると、今度は 数10年前の『お古』を持ち出させた。
何10着と出してきた衣服を見て、魔法使いは 頬を引き攣らせた。
《 伯母さまや 母さまの『お古』だなんて………。》
先代の王妃や 亡き母の 子供の頃のドレスを持ち出し、今風のアレンジと サイズ調節の為のリフォームをしたのだ。
大国の王女だった 2人の衣服だ。
普段着と雖も、豪華で 高価なドレスになっている。
魔法使いが『メイド服で良い』と言っても、これを聆き入れる者はない。
城に迎えられる前から『国王の恩人』だった彼女は、下へは置かない扱いを受ける事になる。
魔法使いにとっては、苦行に近かった。
侍女も 何人か付けられ、5階建ての塔を 丸々 居室に与えられての歓待だ。
萎縮するな、と云うほうに無理がある。
《 でも、拒めないと云う意味では………此処も。》
大差はないのかもしれない、と思う。
仮初めとは云え 対内的に『唯一の妃』である彼女は、ラノイの腕を拒めない。
役目だと言われ セクハラに耐えねばならず、厭がらせに近い 高みの見物。
ラノイと シズに付き合っているだけで、かなりの苦労だ。
《 帰りたい。》
切実に そう思う反面、この後に エスファニア城にいるのも 拮い、と考えてしまう。
何処か 静かに穏やかに過ごせる場所へ逃げたい、と願ってしまう。
勿論、可能か 不可能かで問われれば『可能』だが、出来るか 出来ないかで問われれば『出来ない』行為だ。
この状況で ラノイ達を放り出していける程、魔法使いは非情に出来ていないのだ。
《 本当に………辣い。》
読みかけの歴史書を手に把る気にもなれず、魔法使いは 深い溜息を零すばかりだった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:側近-クランツ=バルトロメイ___
遠くから、鐘の音が響いてきた。
この国に 国家が定めた国教はないが、幾つかの宗教がある。
この音は、寺院の鐘だろう。
ゆったりと響く この音が心地良く感じるのは、音色のせいだけではない。
「先に行くぞ」
15時の鐘が鳴り終わるより早く、シズ様が 政務室を出て行かれた。
この時ばかりは 周囲に官吏達がいても敬語ではなくなるが、これにも もう慣れた。
陛下も、午後の休憩の時間を迎えた攸で、政務室を迹にする。
宰相と陛下が執務室を出てから、官吏や大臣達が ぞろぞろと廊下へ出る。
皆の顔が ほっとしている様に見えるのは、私の気のせいではないだろう。
大臣達も 官吏達も、足取りが軽い。
あっと云う間に、政務室から人がいなくなってゆく。
15時から30分は、午後の休憩時間だ。
休憩-自体は 以前からの習慣だが、政務室が空になる様になったのは つい最近の事である。
本来ならば、政務室で 休憩を取れば良い。
一々 移動する必要はないし、休憩に合わせて お茶を持って来させれば 時間の無駄にならない。
同時に、陛下に逃げる機会を与えずに済む。
すぐに サボろうとする この方を一箇所に止めておく事が、能率向上にとって 肝要になってくる。
だから、今までは 休憩時間と雖も 政務室から出る事はなかった。
しかし、政務室にいては あの美味は口に出来ない。
《 アシュリー姫は、政務室へは いらしてくださらないですからね。》
アシュリー姫が 王宮に現れてから、まだ 4日でしかない。
だが、食事の時は 勿論、午前中の 執務室での お茶の時間も、午後の 休憩室での お茶の時間も、すっかり愉しみになっている。
欠かせなくなっている、と云う点では 中毒症状と表現しても良いのかもしれない。
だが、アシュリー姫は 政務室へは いらしてくださらない。
確かに、政務室は、国の内外の 有りと有らゆる情報と報告が集約される場所だ。
何人もの大臣達がいて、沢山の官吏達が出入りをする。
そのせいか、アシュリー姫は こちらへ来てくださらないのだ。
お越し頂く時間を休憩時間に限定しても、姫の意思は変わらなかった。
根気良く譲歩しても、アシュリー姫が政務室への立ち入りを拒まれる為、シズ様は 政務室から遠くない一室を『休憩室』にした。
一昨日の事だ。
午前中の お茶の時間に これを決定し、午後の お茶までの数時間の内に、資料庫にしていた部屋を 休憩室へと改装させてしまったのだ。
あっと云う間の決断と、呆気にとられる程の 実行力だった。
以前から 行動の迅い方だと思っていたが、今日は 流石に驚いた。
部屋を埋め尽くしていた資料が撤去されているのは 勿論、内装から調度品に至るまで 寛げる空間にする為 調えられている。
而も、完璧に。
本当に、こう云った事への気配りまでしてしまう攸が シズ様らしい。
お茶の度に入れられる毒に対する処置でもあるが、1番は アシュリー姫の淹れる美味なる お茶の為に違いない。
シズ様は、陛下と同じで 躬らの欲求には とても正直に出来ておられるから、怕らく 間違いはないだろう。
今では、休憩の時間になるや否や、シズ様が率先して 政務室を空にしてしまう。
そして、毎回 陛下よりも先に、とても愉しそうに、休憩室へ足を搬ばれる。
《 確定ですね。》
現在、最も アシュリー姫の お茶の俘になっているのは シズ様だろう。
斯く云う 私も、あの お茶に侑けられている。
磨り減った精神力の恢復-然り、消耗した忍耐力の再起-然り、である。
更には、2頭の猙ぶる猛獣の如き陛下達の怒気に曝され 縮まったであろう私の寿命も 延びる気がする。
飽く迄も『気がする』と云うだけだが。
今日も、政務中は 酷かった。
相変わらず、仕事の出来ない大臣や官吏達は 大勢いるし、そのせいで 陛下もシズ様も 殺気に近い何かを振り撒いてくださるし。
気の弱い官吏達は 震え上がり、結果、報告の際に 聴き取れない程 訥る始末だ。
逆に 効率が悪くなり、更に 不機嫌になった陛下が 慄しい事になる。
勿論、報告している官吏も『威圧』と評するだけでは足りない 重苦しい空気に、震えが益す。
つまりは、己れが原因で 陛下が怒っている、と 否応無しに察してしまう訳だ。
こうなると、撰り一層 焦る事になる。
そもそも 気の弱い官吏などは、パニックに近い状態になる。
終いには、自分が何を談しているのかも判らなくなる程 取り乱してしまう。
その頃には、当然、陛下の機嫌は 最悪になっている。
そして、私の精神と寿命が 激しく削られるのだ。
全く 冗談ではない、本当に 勘弁して頂きたい。
私は、休憩-直前の事を思い返して 溜息を零した。
そうして、手許の資料から顔を上げると、政務室は無人になっていた。
気付いたら、政務室の中にいるのは 私のみになっていたのだ。
大臣も官吏も、誰一人としていない。
《 まぁ、判りますけどね。》
シズ様は 疾うに休憩室へ邀われたし、陛下は 私の事など気にもせず 廊下へ出てしまわれた。
………スキップでもしそうな感じで。
陛下は、シズ様に文句も言われず 休憩が出来る事と、休憩の度に アシュリー姫に会える事から 上機嫌なのだ。
斯く云う 私も、この時間が待ち遠しかった。
アシュリー姫の お茶は、本当に美味しい。
疲れは飛ぶし 気分は霽れるし 味は絶品だし、いい事-尽くめである。
私としても、アシュリー姫の齎してくださる影響は 有難い。
昨日も今日も、執務室での休憩の後や 昼食後は、陛下やシズ様の機嫌は 頗る良くなっている。
陛下達の機嫌がいい間は、官吏達の緊張も 僅かに解れるし 仕事の効率も上がる。
そして 何撰り、私の寿命も縮まずに済むからだ。
《 本当に、このまま 正妃になって貰えませんかねぇ。》
不可能に近い未来を、つい 希んでしまう自分がいる。
そう、この願いは 不可能だ。
自分でも 図々しい希みだと 判っている。
アシュリー姫は、大国-エスファニア国王の 従妹で在らせられ、高位の魔法使い-〔森之妖精〕でも在る。
多くの魔法使いの 垂涎の的であり、多くの国家に欲される魔法使いで在るそうだ。
私には 理解が及ばない部分があるが、魔法使いの中でも特殊な存在。
それが『妖精』の称を冠する者達……らしい。
アシュリー姫は 光りを司り、闇と虚無に湮む魔人や魔女達に 心を取り戻させる事の出来る 唯一の救い。
それを 陛下が独占するとなれば、彼等とて 黙っていないのではないだろうか。
現在の この国には、アシュリー姫の障壁が張り巡らされているので、魔法使い達が入って来る事はないそうだが、喧嘩を売る形になる事は 間違いないだろう。
そして、もう1っが 姫の祖国-エスファニア王国だ。
内密に 此処にいて頂いているが、それですら 不敬に値し、エスファニア王国に知られれば 敵と見做されかねない行為である。
あちらの国では、アシュリー姫が『国王の従妹』であると知る者はないそうだが、だからと云って、事態は 何等 好転しない。
アシュリー姫は、エスファニア国民に好かれているのだ。
魔法使いである と広く知られる前から、かの国の者達は 彼女に敬意を払っていた節がある。
アシュリー姫は 余り多くは語ってくださらないが、お茶の時間に エスファニアでの事を訊いた事がある。
何処に居室を構えているのか とか、どんな者達に囲まれているのか とか、普段 王城でしている事などを、陛下が尋ねたのだ。
言い渋っておられたが、これを訊いたのは 陛下だ。
戒縛の仂の前に、魔法使いであるアシュリー姫は 忤えない。
ぽつり ぽつり、と 談してくださった。
その譚の中で 私が重要視しているのは、以下の2点だ。
『登城した その日から、小さな塔-1っを居室として与えられた事』
『幼い姿でいる上、国王の側付き と云う役職であるにも拘らず、当初から 侍女官を 3人も付けられている事』
これだけでも、特別な方だ と公に認識されている気がする。
寧ろ、アシュリー姫の譚を突き詰めると そうとしか推えない事ばかりだった。
怕らく、この印象も 間違ってはいないだろう。
《 無理ですかねぇ。》
正妃になってくだされば、ラッケンガルドにとっても 陛下にとっても、そして 何撰り 私にとっても、喜ばしい事-尽くめだ。
そんな事を思いながら、政務室を出る。
長い廊下に、陛下の姿はない。
目的地は、この廊下の先だ。
シズ様も 陛下も、もう 休憩室で寛いでいる頃だ。
もう お茶を堪能しているかもしれない。
あの義兄弟は、私の事など 待っていてはくれないだろう。
少し足を迅めて 廊下を進みながら、今後の課題を考える。
正式に、アシュリー姫を この国の正妃に迎える為の難関は、幾つもある。
現在 反対を唱えている者達や、暗殺者を送り込んでくる者達を黙らせる事は 容易い。
アシュリー姫の素性を知れば、出来よう筈もない愚行だからだ。
しかし、それでも 問題はある。
主に、対外的な難題だ。
《 しかし、何と云っても 最大の難題は 陛下ですね。》
アシュリー姫を正妃に迎える と云う事は、陛下の許に『嫁いで頂く』と云う事だ。
まず、アシュリー姫が 陛下を好いてくださらなければ、この未来は有り得ない。
今-現在、奇蹟でも起きてくれないと 叶いそうもない気がする。
思わず、溜息が零れた。
私は、項垂れたくなる気分のまま 休憩室に入った。
「っ⁉︎」
引き開けた扉を閤るや否や、私は 息を飲んだ。
否、正確には『声を飲んだ』だろうか。
陛下は、お茶の準備をしているアシュリー姫に抱き付いていたのだ。
《 罷めんか! この エロ国王が‼︎ 》
叫びそうになった この言葉を発しなかったのは、休憩室に 後宮付きの女官がいた為だ。
何と云う名前だったか、最近 王宮へ上がったばかりの、やたらと背の高い女官だった。
女官は、アシュリー姫を後ろから抱き締めている陛下の様子に驚いているのか、瞠目し 硬直している。
喫驚しすぎていて、姫の反応には気付いていない様だ。
《 放しなさい! 悚がっておられるじゃないですか!》
今すぐ 陛下を引っぺがしたかったが、この女官がいる限り そうも出来ない。
私は、既に ソファに座っているシズ様を見た。
勿論、あの女官を退室させてくれるか、または 陛下を懲らしめてくださらないか、と思ってだ。
しかし、シズ様を見た途端、私は 失望に似た感情を懐いた。
《 駄目だ、こりゃ。》
シズ様は、高級ソファに 深々と掛け、肘掛に右腕を預けた姿勢で 笑っていた。
陛下の腕の中で 小さく震えておられるアシュリー姫と、脅えた様子を『可愛い』などと ほざいている陛下を観て、とても 愉しそうに。
基本、この兄弟は 人が悪い。
特に、シズ様は 本当に性格が さいあ………っ。
い、いや、えーと………まぁ、何と云うか、いろいろと 屈折しておられる方だ。
困っている人が 眼の前にいて、その人を救う手段があったとしても、シズ様は 相手を援ける事はしない。
全く援けない訳ではないが、まずは、傍観に徹して 相手の困殆ぶりを堪能する様な、困った お方なのだ。
今も、アシュリー様と陛下の様子を 心底 愉しそうに観覧しているだけだ。
《 ーーーーーー仕方ない。》
心の中で舌打ちをしつつ、私は、動揺しすぎて放心状態になっている女官を 休憩室から摘み出した。
無言で 休憩室から出され、同じく無言で 後宮に続く廊下を指差しただけだが、彼女は かくかくと頷いて去って行った。
幾分、動作が ぎこちないが、其処は 見なかった事にしよう。
今は、アシュリー姫を お救いするのが先だ。
捷く 陛下とアシュリー姫を離し、安全の為、更に 陛下をソファのほうへ押しやった。
陛下が、何か苦情を言いたそうにしていたが 受け付ける気はない。
この状況で 優先すべきは、アシュリー姫なのだ。
《 陛下の過剰接触せいで エスファニアへ帰ってしまわれたら、私の今後に係る!》
この4日間、余りにも多く 同じ事をしている為か、陛下に対する恐怖心が薄れてきている。
勿論、アシュリー姫が絡んだ時に限定されるが。
以前から考えれば、私は 驚くべき事をしているのだろう。
「クランツ、邪魔を……… 」
「お黙りなさい」
ぎろりと睨み付けて、洌く突き放す。
「何度 申し上げれば判るんです?」
思いの外 冷え冷えとした声が出た事に、自分で驚く ーーーーそんな事も、もう ない。
たった4日とは思えない進歩だ。
しかし、シズ様が 傍観に徹している今、この先 アシュリー姫を お護りする為に必須な技能と云えるから 善しとしよう。
「いいから、愨しく座っていなさい」
「クランツ。忘れているのかもしれないが、それは、一応 国王だぞ?」
お言葉を返す様だが、私は 陛下が国王だと云う事を忘れてはいない。
第一、陛下に対して『それ』とか『一応』とか ほざく人に言われたくはない。
シズ様は、宰相である前に 陛下の義兄で在らせられるのだが、それを云うなら 陛下が絡んでいたのは〔森之妖精〕だ。
非公認とは云え、幼いながらに 高位の魔法使いで、エスファニア王家に聯なる血筋の女性でもある。
その彼女を困らせているのも、それを侑けずにいるのも、不敬罪だろう。
自国の王を蔑ろにするよりも、こちらのほうが タチが悪いと判断したまでだ。
「シズ様も、いい加減にしてくださらないと 困ります」
過剰接触に耐えかねて アシュリー姫が帰ってしまったら、本当に困るのは 毒を盛られている当人達だ。
判っておられる筈なのに、暢気に構えているなど 理解し難い。
私は、高級ソファに掛けている シズ様へ洌く言い放った。
シズ様は、軽く肩を竦める仕草をして 苦笑っている。
本当に、この義兄弟は 厄介な性格をしておられる。
熟々、アシュリー姫が不憫でならない。
「 ーーーーーー全く……… 」
我儘も 程々にしてもらいたい。
「アシュリー姫が 逃げ帰ってしまう様な事になったら、どうなるか………お2人共、判っておられますよねぇ?」
苛立ちが 前面に出ていたのか。
急に、陛下が 強張った。
同時に、シズ様も 表情を無くしている。
この義兄弟の この様な表情を見たのは、初めてだった。
頭の何処かで 面白がっている自分がいる様な気がしたが、此処は気付かないフリをするのが賢明だろう。
顔に出た日には、後が悚そうだからだ。
「愛想を尽かされる様な方々に、未来はありませんよ?」
嚇し文句を締め括り、そのまま アシュリー姫のほうに向き直る。
「済みませんね、こんな人達で」
ぞんざいな物言いだが、この際 これで充分だろう。
「お茶を 頂けますか?」
私の言葉に、アシュリー姫の表情が 雍いだ。
「はい、すぐに」
ほっとした様な顔をしてくださって 良かった。
安堵に胸を撫で下ろしながら、アシュリー姫に背を向ける。
陛下達へ向けた途端 私の顔が冷徹になったのは、致し方がない事だったと ご理解頂きたい。
《 全く、手の焼ける ご兄弟だ。》
何年もの付き合いで判り切っていた事を 再認識しつつ、私は、王と宰相に 睨みを利かせるのだった。
何と云うか、クランツさんが強くなってきてしまった。いや、バランス的に こうなっちゃったんだけど、仕方なかったんだけど。
それにしても、魔法要素もラブ要素も少ないなぁ。




