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第二話kサイド「ピアニスト」

モーターのうだるような音が鳴っている。まるで、それ以外の音が無くなってしまったのかと錯覚するくらい静かな夜。


僕は、後悔していた。志津さんに髪飾りを返すタイミングを完全に失っていたからだ。


自慢にはならないが、僕は社交的な人間じゃない。


接客などは慣れとマニュアルでなんとかなるが、自分から他人に関わるのが苦手な質なのだ。



それなのに、僕は柚木さんの家に居る。


暖かいミルクティーを飲みながら様子を窺うが、肝心の柚木さんは台所で何か作っている。


「音楽について、知りたいと思ったら私の家に来なさい」


柚木さんは、そう言った。そう言ったくせに僕は放置されていた。


本当は、髪飾りを返すのが目的だったのに強引に連れてこられたのだ。


他人の部屋にというのは、目のやり場に困ってしまう。

さりげない小物や、生活感のある家具をじっと見るのは後ろめたい。


柚木さんは、そんなことにも構わず


「まぁ、寛いでてよ」


と言うだけだ。

ふと見ると、ピアノコンクールの賞状が額に入っている。


二位と特別賞。


そんなに大事そうな物なのに、ホコリを被っているのが不思議だ。


「父はね、ジャズピアニストだったの。…はい、ビール。」


渡された缶ビールは、火傷しそうなくらい冷たい。


「だからね、五歳くらいからピアノをやってた。嫌々ね。」


嫌々という言葉に力が入っていた。


「ピアノを弾くのが嫌で嫌で仕方がなくて。ピアノを弾けると思われるのが死ぬ程、嫌だった。」


さっきまで柚木さんが作っていたのは、軽いつまみのようだ。

ベーコンをカリカリになるまで焼いたものと、イカを揚げたものがテーブルに並べられた。


「ほら、小学校とかで合唱大会や文化祭なんかでピアノができる子は絶対やらされるじゃない?

独りだけ。しかも間違えは許されないっていうプレッシャーが嫌だった。」



「父は、私のためと思って週に一度のレッスンをしてくれてた、でもその日の朝が来ると私は、吐き気がして胃に酸っぱいものが広がった。」



ベーコンをかじりながら話す柚木さんは真剣だった。

僕は、缶のプルタグすらまだ開けていなかった。



「ピアノは…父の呪いなのよ。コンクールの前に父は、高価な揚羽蝶の髪飾りをくれた。

呪縛になって私をピアノに縛り付けた。

その後、父が死んだ。死ぬ前に立派なピアニストになれって言って死んだ。

死んで永遠に私はピアノが嫌いだって、言えなくなった。」


柚木さんは、酔ったように独白していく。



「じゃあ…じゃあ柚木さんはピアノが嫌いなんですか?」


「嫌いよ」


躊躇することなく、はっきりと柚木さんは答えた。


「それならなんで、この髪飾りを捜してたんですか?」



僕は、丁寧にハンカチを開いて美しく翠色の羽をした揚羽蝶の髪飾りを取り出した。


「あなたは、髪飾りを探しにソルト・ビーンズを訪れた。それはなぜなんです?」


純粋な興味から出た言葉だったが、強い調子になってしまった。僕も酔ってしまったのかもしれない。



柚木さんは、少しの間黙ったままその髪飾りを見ていた。



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