自己憐憫の夜
リビングの片隅、ソファの肘掛けに体を預けて、私はテレビ画面を見つめていた。
──『世界名作劇場』。
昔、夜に放送されていたアニメだ。確か、日曜の七時半頃だったと思う。
我が家では、ほとんどのアニメの視聴が禁止されていた。母が言うには「子どもの教育に良くない」「暴力的な表現が多い」「現実と空想の区別がつかなくなる」──そんな理由だった。
でも、『世界名作劇場』だけは違った。
「これは文学作品が原作だから」
母はそう言って、唯一視聴を許してくれた。
リビングの電気を少し暗くして、家族三人でソファに座る。父は新聞を広げながら、母は編み物をしながら、私だけが食い入るようにテレビを見つめていた。
画面の中では、また今週も、主人公が苦難に直面していた。
『フランダースの犬』のネロは、おじいさんと二人きりで貧しい暮らしをしている。『母をたずねて三千里』のマルコは、遠い異国で働く母を探して旅をしている。『赤毛のアン』のアンは、孤児院から引き取られたものの、本当は男の子が欲しかったと言われてしまう。
物語の主人公は、子どもながら多くの苦労を背負っている。貧困だったり、両親がいなかったり、劣悪な環境で働いていたり、施設で暮らしていたり、旅芸人に混じって旅をしながら暮らしていたり。理不尽で不当な扱いを受け、罵声を浴びせられる日々を送る。
幼い私は、そんな主人公たちに自分自身を重ね合わせていた。
六歳だった私の胸には、ある「秘密」があった。
──私は貰われてきた可哀想な子。
いつからそう思い込んでいたのか、もう覚えていない。ただ、自分は両親の本当の子どもではないのだという確信めいたものが、心の奥底に根を張っていた。
証拠なんてなかった。
母は優しかったし、父も休日には公園に連れて行ってくれた。二人とも私を大切にしてくれているように見えた。でも、どこか、何かが違う気がした。
──私だけ髪の色が少し明るい。
──私だけ目の形が違う。
──私が泣いても、両親は冷静すぎる。
些細な違いを、私は必死に探していた。そして見つけるたびに、心の中で呟いた。
「やっぱり、私は本当の子じゃないんだ」
自分も不幸だと思い込むことが、何故か気持ちが良かった。
画面の中で、ネロが理不尽に叱られている。私の目から涙が溢れた。でもその涙は、ネロのためだけじゃなかった。
「私も、ネロと同じなんだ」
心の中で、そう呟いた。
私は不幸な子ども。きっとそうなんだ。
──そう信じていた。
物語と現実を重ね合わせて自己憐憫に浸り、気持ち良くなっていた。奇妙な陶酔感があった。自分の不幸を確認することで、なぜか心が満たされた。
──主人公は不幸であればあるほどいい。
私は歪んだ視聴者だった。
学校で嫌なことがあった日は、特にその傾向が強かった。給食当番で失敗して怒られた日、体育の時間にボールをぶつけてしまった日、友達に仲間外れにされた日。
そんな日の夜、私は『世界名作劇場』を観ながら思った。
「私は可哀想な子だから、しんどいのは当然なんだ」
現実のつらさは、はっきりした原因がなく、他人から見えず、「それくらい普通だ」と流されることが多かった。
給食当番での失敗を先生に報告しても、「次は気をつけなさい」と言われるだけ。友達に仲間外れにされたことを母に話しても、「あなたにも悪いところがあったんじゃない?」と返された。
誰も、私のつらさを分かってくれない。
でも物語の主人公は違った。
誰が見ても「可哀想」で、「同情される資格」がある。貧乏であること、孤児であること、虐げられていること──すべてが明確で、疑いようのない不幸だった。
そこに自分を重ね合わせることで、初めて私の苦しさに筋が通った。
「私は可哀想な子だから、しんどいのは当然」
「弱くてもいい」
「救われなくても仕方ない」
そう思えたのかもしれない。
自分の苦しさに、初めて筋が通る瞬間だった。その「腑に落ちる感じ」が、気持ちよかった。
エンディングテーマが流れる。画面には次回予告が映し出される。
「来週も、きっとつらい展開なんだろうな」
私はそう思いながら、少しだけ期待していた。主人公がもっと苦しめばいい。そうすれば、私ももっと自分を可哀想だと思える。
──でも、心のどこかで、小さな違和感もあった。
本当は知っていた。私は貰われてきた子なんかじゃない。両親は私を愛してくれている。学校でのトラブルだって、誰にでもあることだ。
でも、その事実を認めてしまったら──。
私はただの、普通の子どもになってしまう。特別な理由もなく、ただ「ちょっとつらい」だけの、ありふれた子どもに。
それが、怖かった。
だから私は、自分を不幸な物語の主人公に仕立て上げ続けた。毎週日曜の夜、テレビの前で、自己憐憫という名の甘い毒に酔いしれていた。
転機は、意外なところから訪れた。
五年生になった春のことだ。
クラス替えで同じクラスになった田中さんは、明るくて人気者の女の子だった。いつも笑顔で、誰とでも仲良くできる。私とは正反対の存在だった。
ある日の放課後、図書室で一人で本を読んでいると、田中さんが話しかけてきた。
「ねえ、何読んでるの?」
「『小公女』……」
私は小さな声で答えた。また『世界名作劇場』の原作だった。主人公のセーラは、裕福なお嬢様から一転、使用人として虐げられる身になる。完璧な「不幸の物語」だ。
「あ、私もそれ好き!アニメ見てた!」
田中さんが目を輝かせた。
「セーラってすごいよね。あんなに辛い目にあっても、品位を保ち続けるの」
私は少し戸惑った。
「……うん」
「でもさ」
田中さんは本の表紙を見つめながら続けた。
「私、最初は可哀想だなって思って見てたけど、だんだん違う気がしてきたの」
「違う?」
「うん。セーラって、不幸なだけの子じゃないでしょ。どんな状況でも、自分の心を守り抜いて、想像力で辛さを乗り越えて、他の人にも優しくできる。それって、すごく強いってことだと思うんだ」
その言葉が、胸に突き刺さった。
私は今まで、主人公たちの「不幸」にしか目を向けていなかった。でも田中さんは、彼らの「強さ」を見ていた。
「……そっか」
私は小さく呟いた。
その日から、少しずつ、何かが変わり始めた。
次の週、また『世界名作劇場』を観た。その日は『小公女セーラ』の再放送だった。
使用人として働かされているセーラが、屋根裏部屋で一人、想像の世界に浸るシーン。
「ここは魔法の部屋。暖炉には火が燃えていて、テーブルには温かい食事が並んでいる」
セーラはそう言って、微笑んだ。
私は、その笑顔を見て、ハッとした。
セーラは、ただ不幸に耐えているだけじゃない。現実は変えられなくても、心の持ちようは自分で選べる──そう信じて、自分の内側に希望を灯し続けている。
私は、どうだろう?
私は不幸に浸ることで、何かを得た気になっていた。でも実際には、何も変わらなかった。学校での嫌なことも、心のモヤモヤも、そのままだった。
ただ、「私は可哀想だから仕方ない」という言い訳ができただけ。
それは、本当の意味で自分を助けることじゃなかった。
画面の中で、セーラが言った。
「どんな状況でも、私は私。それは誰にも奪えない」
──私は、私。
貰われてきた子でもなく、不幸の主人公でもなく。
ただ、時々嫌なことがあって、時々悲しくて、時々寂しい、普通の女の子。
それでいいんだ、と思えた。
テレビの電源を消した後、私は母に聞いてみた。
「お母さん、私って……お父さんとお母さんの本当の子?」
編み物の手を止めた母が、驚いた顔でこちらを見た。
「何を言ってるの。当たり前でしょう。どうして急にそんなこと聞くの?」
「……なんとなく」
「あのね」
母は編み物を脇に置いて、私の隣に座った。
「あなたが生まれた時のこと、今でも覚えてるわ。すごく小さくて、でも元気な産声で。お父さんなんて、嬉しくて泣いてたのよ」
「……そうなんだ」
「どうしてそんなこと考えてたの?」
私は少し考えてから、正直に話した。アニメの主人公に自分を重ねていたこと。不幸だと思い込みたかったこと。
母は少し悲しそうな顔をした。でも、怒らなかった。
「そっか。つらかったのね」
そして、私の頭を優しく撫でた。
「でもね、あなたは特別不幸でも、特別幸せでもない。ただ、大切な、私たちの娘なの」
その言葉が、不思議と心に染みた。
特別じゃなくていい。
物語の主人公じゃなくていい。
ただ、自分として生きていく。それが、一番大事なことなんだ。
──あれから何年も経った今、私は時々、あの頃のことを思い出す。
自己憐憫に浸っていた夜のことを。物語と現実を混同していた、幼い自分のことを。
恥ずかしくもあるけれど、否定はしたくない。あの歪んだ視聴者としての日々も、私の一部だから。
ただ、今ならわかる。
物語の主人公たちが本当に教えてくれていたのは、「不幸でいること」の気持ちよさじゃなかった。
どんな状況でも、自分の心だけは自分で守れるということ。
そして、辛さに負けないで、一歩ずつ前に進んでいく強さ。
それを、私は学び損ねていた。でも、遅くはなかった。
今、私は普通の大人になった。特別な物語の主人公ではない。
でも、それでいい。
自分の人生という物語の、主人公として、今日も生きている。
──完──




