一話 前夜
朝日が顔を出し、俺たちを照らし出す。
長く続いた闇は静かに明け、柔らかな光が大地へと舞い込んだ。
「いよいよだな……」
俺は、やがて戦場となるであろうその場所を見渡し、独りごちた。
――――
あれから俺たちは故郷を離れ、ペンタグラムとの最終決戦に向けて準備を進めてきた。
クーリン帝国、エイドリア王国、ルミナス神聖王国――そして同盟国。
各国が手を取り合い、慎重に、しかし確実に話を進めてきた。
そして今、決戦を控えた前日を迎えていた。
決戦の地は、探索者協会本部を擁するアドル共和国。
その本部に面した湖畔には、各国の兵士たちが集結し、大きな塊となって陣を構えている。
ペンタグラムの首魁、ヴォイドは、明日の満月の夜を合図として動くという。
空気は重く、嫌な予感が立ち込め、不安が胸に満ちていく。
――それなのに、なぜだか笑みが零れた。
「どうしたんだい? ダレン君」
声をかけてきたのはユリウスだった。
「ああ。ユリウスか。いいのか? 今回の指揮を執るんだろ」
「既に作戦は決まっているからね。それに、こちらは後手に回るしかない。結局は戦が始まってからが本番さ」
ユリウスは、次期皇帝の名に恥じぬ働きを見せていた。
各国をまとめ上げ、ここまで事を滞りなく運んできたのは、紛れもなく彼の手腕によるものだ。
「ユリウス皇子。いらっしゃいますか」
「お、ルイか」
「なんだ? ダレンもいたのか」
フィデルを連れ立って、ルイが姿を現した。
別れてからというもの、ルイの雰囲気は明らかに変わっていた。
王として民を支えるその姿は、かつての迷い揺れる彼の面影をほとんど残していない。
「ルイ王。どうしたんですか?」
「少し、話があってな」
「そうですか。ダレン、席を外すよ」
「ああ」
そう言いながらも、なかなか場を離れようとしないユリウス。
首を傾げる俺に向けて、彼は静かに手を差し出した。
「絶対に勝とう。ダレン」
その瞳には、揺るぎない確信と覚悟が宿っていた。
俺はその手を取り、力強く握り返す。
「ああ。もちろんだ」
そう言って、ユリウスはルイの背を追い、歩き去っていった。
「なんだか、ルイも遠くに行っちまった気がするな……」
「そうは言っても、普段通り接してるじゃないか?」
「ふと思うときがあるんだよ。あいつはもう王なんだってな」
フィデルの表情には誇らしさと、わずかな寂しさが同居していた。
だがすぐに、その眼は鋭く吊り上がり、俺に向かって笑う。
「――ま、ここで俺が戦果を挙げて英雄になれば、あいつに並ぶ。いや、越えられるだろうな」
フィデルらしい強気な言葉に、俺も思わず笑った。
「譲らないぞ」
「ああ。望むところだ――頼んだぜ、相棒」
そう言って、彼もまたユリウスと同じように手を差し出した。
幾度となく弓を引いてきた、厚く、硬い手のひら。
俺はそれを固く握りしめた。
「じゃあ俺は、知り合いの探索者たちに挨拶してくるわ」
軽い口調でそう言い残し、フィデルは俺に背を向けて歩き去っていった。
――――
夜を迎え、俺たちは自陣の中で焚火を囲んでいた。
父様と師匠は酒を酌み交わしながら笑い合い、そこにフィデルも加わって談笑している。
少し離れた場所では、ルシアとクラリスが果実酒を少しずつ口にしながら、つまみを片手に語り合っていた。
その光景を眺め、俺は自然と笑みを浮かべる。
決戦前とは思えないほど穏やかな空気に、かえって心が落ち着いた。
俺は静かに腰を上げ、その場を離れた。
平原の向こうまで広がる夜空には、無数の星が瞬いている。
奇妙なほどに明るい星々が俺たちを照らし、薄く、それでいて確かな存在感を放っていた。
俺は腰を下ろし、その空をただ、黙って見上げていた。
そこへ、小さな足取りだが、既に聞き慣れた足音が二つ、近くへ寄ってきた。
「ダレン、隣いい?」
「私も、いいですか?」
「ああ。もちろんだ」
俺の両脇に腰を下ろしたクラリスとルシアは、俺と同じように夜空を見上げた。
言葉はなく、ただ静かな空気が流れ、夜風が草を靡かせる音だけが耳に届く。
やがて、その沈黙を破るように、クラリスが口を開いた。
「ダレンは、どの星が一番きれいだと思う?」
その言葉はゆっくりと、確かに俺の耳へ届いた。
何度も聞き慣れた声なのに、今はただ心地よい。
「どれ、と言われてもな……」
言い淀む俺を見て、クラリスは小さく笑った。
「――私にとっては、ダレンだよ」
意味が分からず固まる俺に、クラリスはくすっと笑う。
夜空を見上げていた碧眼は、いつの間にか真っ直ぐ俺を捉えていた。
「暗く沈んだ空の中でも、ひときわ輝く星。私にとってダレンは、ずっとそうだったんだ」
「なら、クラリスは俺にとって太陽だな。地に沈む俺を、いつだって照らしてくれた」
「それじゃ、相容れないじゃん」
軽く突っ込むクラリスに、俺も思わず笑った。
「――でも、確かにここにいるだろ?」
「うん。ずっと隣にいるよ」
その言葉には、確かな重みがあった。
俺の胸の奥へ、静かに染み渡るような安心感。
「お二人ばっかり、盛り上がってませんか?」
そう言って、ルシアが俺の顔を覗き込む。
呑み込まれそうなほど深く澄んだ、紺碧の瞳がすぐそこにあった。
「すまんな……」
「もう、ルシアったら。邪魔しないでよー」
「クラリスばっかり、ずるいです」
拗ねたようにそっぽを向くルシアを宥めるように、俺は彼女の方へ向き直った。
「ルシアは、旅に出てどうだ? 後悔は……してないか?」
「するわけないです。新しい発見ばかりで、新鮮で……私にとって、かけがえのない時間です」
夜空を見上げながら語るルシアの口元は、確かに微笑んでいた。
かつて湖畔で見せた、不安に揺れる少女の面影は、もうそこにはない。
「それも、私を連れ出してくれたダレンさんのおかげです」
「成り行きだ。それに最後の選択は、ルシア自身がしたことだろ?
――それに感謝するのは、俺の方だ。俺が自分自身を赦す“きっかけ”をくれたのは、まぎれもなくルシアだ」
正面からそう告げると、ルシアは風に揺れる白髪を指で押さえ、流し目に俺を見る。
「それこそ、ダレンさん自身ですよ。私はきっかけを渡しただけ。最後に踏み出したのは、ダレンさんの手です」
互いに譲り合うような言葉に、自然と笑いがこぼれる。
それにつられて、クラリスも笑った。
「ダレンさん、少し借りてもいいですか?」
「ん? 何を――」
問いかける間もなく、ルシアは俺の手を取った。
そのまま肩に頭を預け、白髪が俺の首元をくすぐる。
続いて、反対側の手も握られる。
クラリスも肩に頭を預け、両肩には心地よい重みが乗った。
時が止まってしまえばいい――
そう思ってしまうほど、穏やかな瞬間だった。
夜空に照らされた草原に、寄り添う三人の影だけが、静かに浮かび上がる。
「――あ、流れ星!」
空を裂くように、一筋の光が舞い落ちた。
二人はその光が消えぬうちに、そっと目を閉じ、祈りを捧げる。
何を願ったのか、俺には分からない。
けれど俺も、その光を瞳に焼き付け、確かな願いを胸に刻んだ。
これまで歩いてきた、長く険しい道のり。
その先に何が待っているのか、未来を知る者などいない。
――それでも。
守りたいものがここにあり、
帰る場所が確かに背後にあると知った今、
俺はもう、逃げるために剣を握らない。
明日、戦う理由は揃った。
この一歩の先で、俺は俺の選んだ未来と――正面から斬り結ぶ。
ついに最終章突入。
終わりが見えてきましたね




