二十六話 悔恨
光の中で、俺を誘うように甘く優しい声が響いた。
体は浮遊し、宙に漂っているような感覚が続く。
目を開いているつもりなのに、視界は光に包まれ何も見えない。
それでも、不思議と恐怖はなかった。
「いるのか……神様が……」
呟いた声は、光に呑まれるように静かに消えていく。
「ーーここですよ、ダレン」
突然、透き通るような声が耳元ではっきりと囁かれた。
その瞬間、濃い光が薄れ、視界がゆっくりと鮮明になる。
目の前には、白く透き通る羽衣をまとった存在がいた。
揺れる衣は風もないのにふわりと広がり、その姿はまるで神話に描かれる天女のようだ。
これが……神か。
人の姿をしているのに、俺の直感は「人ではない」と叫んでいた。
あまりに整いすぎた顔立ち、光そのもののような金色の髪。
ただ見つめているだけなのに、視線を離せなかった。
「よくここまで来ましたね、ダレン」
寄り添うような柔らかな声に、胸の奥がふっと軽くなる。
「貴方が……神様、ですか……?」
「はい。あなたをずっと心待ちにしていましたよ」
その微笑みに、胸の内側へ暖かいものが満ちていく。
だが、どこかで引っかかりがあった。
「そういえば……声しか聞こえないって、誰かが言っていた気がするんだが……」
神は小さく、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あなたは特別ですからね。異世界から来た人よ」
「ーーえ?」
その一言で、思考が止まった。
俺の秘密どころか、生まれ変わりすら知っているというのか。
神なら当然なのかもしれないが……あまりにも見透かされている。
「それは単なる偶然です。異界の核が乱れ、そのほんの一瞬の隙に、あなたは迷い込んでしまった。
ただ、それだけなのです」
まるで心を読んだかのように、神は俺の疑念へ静かに答えた。
その表情は、どこか申し訳なさそうでさえあった。
「前世と今世、どちらでも苦しむあなたをずっと見ていました。
けれど……本当によく、ここまで頑張りましたね」
「ずっと……?生まれたときから見ていたんですか?」
「ええ。迷い込んだ存在にはすぐ気づきましたから。
……けれど、世界そのものに深く干渉することは、私にはできなかったのです」
その眼差しは、まるで母のようだった。
俺のすべてを肯定するような視線に、胸が静かに震える。
「なら……俺が祝福を使えなかった理由は?
あれは……神様が与えるものなんじゃ?」
神はわずかに目を伏せ、苦々しげに答えた。
「異世界の魂には干渉できなかったのです。
本当はもっと早くに与えてあげたかった。
あなたの旅が少しでも楽になるように、と」
「それは……」
問い詰める意味がないことはすぐに分かった。
祝福があれば母を救えたかもしれないーーそんな責めを、神に押しつけるつもりもなかった。
「貴方は優しいですね。その穢れのない魂だからこそ、ここまで来られたのでしょう」
「そんな綺麗なものじゃない。……俺はただ、仲間たちや家族がいたから今があるだけです」
俺の言葉に、神は満足そうに目を細めた。
そしてふわりと近づき、俺の頬へ指先をそっと添えた。
冷たさと暖かさの両方を含んだ、不思議な触れ方だった。
「あなたがここへ来た目的……分かっていますよ。
どうしようもない過去の後悔を、晴らしに来たのでしょう?」
「もう叶わないことだと思っていた。……神様は、本当にどうにかできるんですか?」
「わずかな助けならできます。
けれどーー“結果”は、あなた自身の手で掴むのですよ?」
「ーーもちろんだ」
きっかけをもらえるだけで十分すぎる。
俺は光の中で膝をつき、深く頭を垂れた。
「ーー神様。どうか……俺の祈りを聞き届けてください」
「はい。聞き届けましょう」
優しい声とともに、神は俺の額へそっと触れた。
冷たさとぬくもりが混ざり合い、胸の奥へ染み込むように広がっていく。
再び光が溢れ、俺の全身を包み込んだ。
その眩さの中で、神の声だけが最後まで鮮明に響き続けた。
「ーーーダレン。
これからあなたが向き合うのは、試練であり……救いでもあります」
光が完全に満ちる直前、その囁きだけが静かに耳に残った。
ーーーー
ピッ……ピッ……ピ──。
妙な機械音が、鼓膜を突くようにはっきりと響いていた。
この世界では聞くはずのない音。
その音に引かれるように、俺はゆっくりと目を開いた。
視界に広がったのは、真っ白な天井。
何だ……ここは。
体を起こそうとしても、まるで石のように言うことを聞かない。
わずかに首を捻ると、カーテンで仕切られたベッドが並んでいるのが見えた。
その光景は、あまりにも懐かしくて、胸の奥をざわつかせた。
「こ、こは……」
病院だ。
前世で見慣れていたはずの場所。
なのに今は、ひどく遠く、夢の中の景色のように思える。
声を出そうとしたが、喉がうまく動かない。
気づけば口元には呼吸用のマスクがつけられており、
自分が重症患者として扱われていることが嫌でも理解できた。
そのときーー
「……大丈夫かッ!?」
押し殺したような必死の声が、耳元で爆ぜた。
聞きたくないと思っていた声。
しかし同時に、何度も夢に見た声でもあった。
その二つの感情が一度に胸へ押し寄せ、息が詰まるほどだった。
震える腕に力を込め、どうにか持ち上げる。
指がふるふると震えながら、顔のマスクへと触れた。
外すのに精一杯の力を使い、そしてーー
俺は、その人の名を呼んだ。
「……と、う……さん……」
声にならない声。
それでも、確かに届いた。
目の前に立つのは、俺の前世の父。
決して会えるはずがないと思っていた人が、
今、確かに、俺の目の前にいた。




