二十五話 授かり
目の前に佇むように置かれた鏡に、俺たちは思わず目を見張った。
普通の人間であるセイドですら、その威容に圧倒されたように、口を開けたまま固まっていた。
「こんな代物が見られるなんて……来た甲斐があったぜ……」
「それで、これはどういったものなんだ?」
俺は、その圧倒的な存在感こそ感じるものの、見た目としては“鏡”に過ぎないそれについて、サクラに尋ねた。
サクラは言葉を制するように、鏡の前へ静かに歩み寄ると、そっと目を閉じた。
そして――
「シンノ鏡……。神様に選ばれた者のみが、対話をすることができます」
「神様、ですか……。大陸とは、神様の概念が違ったりするのでしょうか?」
ルシアが慎重に言葉を選びながら、サクラに問いかけた。
「神様についての文献は、そう多く残っているわけではありません。ですので、断言はできませんが――」
一拍、言葉を溜めるようにしてから、サクラは続けた。
「恐らく、世界を守る神様は……すべて同一の存在なのだと、私は考えています」
「慈愛の女神も、戦の神も……同じってことか?」
大陸には数多くの神と宗教が存在する。
だがサクラの言葉通りなら、そのすべては“同じ存在”を異なる側面から崇めたものということになる。
「ええ。あくまで、私個人の考えですが」
「そこから先は……神様本人に聞くしかない、ってことか」
「はい」
サクラは小さくうなずいた。
「ですが、私自身も対話できたわけではありません。お声を、ほんの僅かに聞けただけです」
「……それでも、聞いたことはあるんだろ?」
「はい。会話として成立したのは、初代巫女姫様のみだと伝えられています」
現巫女姫であるサクラでさえ、この程度だ。
そう考えれば、俺たちが神の声を聞ける可能性は、奇跡と言って差し支えないだろう。
「それでは――どうしますか?」
サクラが、俺を促すように視線を向けた。
師範の言った“後悔”。
その先にある答えを見つけるため、前へ出ようとした――その瞬間。
ルシアが、俺よりも先に一歩を踏み出した。
「私が――行きます」
その横顔には、迷いがなかった。
覚悟を決めた者の静かな強さが、そこにはあった。
俺は思わず足を止め、彼女の瞳を見る。
確認するような視線に、俺は無言のまま、しかし確かにうなずいた。
「……分かった」
「それでは、ルシアさん。鏡の前へ」
サクラの言葉に従い、ルシアは静かに鏡の前へと立った。
「あなたなりの願いを。祈りを捧げてください。神様は……答えてくださいます」
ルシアは膝をつき、両手を組む。
瞳を閉じ、真摯に、まっすぐに鏡と向き合った。
彼女が何を願っているのかは、分からない。
けれど――ルシアであれば、きっとうまくいく。
理由のない確信が、俺の中にあった。
それは、俺だけでなく――この場にいる皆が、同じだったはずだ。
ルシアの後ろ姿を見つめていると、突如――
鏡が、強烈な光を放った。
「ぐっ――!」
「なっ――!?」
俺たちは反射的に腕で目を覆い、咄嗟に光を遮る。
最後に見えたのは、光に呑まれ、遠ざかっていくように見えるルシアの背中だった。
それは、ほんの数秒にも満たない出来事だった。
やがて光が消え、恐る恐る目を開ける。
「……何が、起きたんだ?」
「ルシアは……大丈夫、なの?」
クラリスが目をこすりながら、掠れた声で言う。
完全に視界が晴れた、その先――
俺たちの前には、まるで眠っているかのように、静かに倒れ伏すルシアの姿があった。
「ルシア!」
俺は駆け出し、ルシアの元へ向かうと、抱えるようにしてその身体を起こした。
「サクラ!どういうことだ……?」
「今のが神様の導きなのですが……それにしても、光が強すぎました……」
サクラも困惑した様子で呟き、目を見開いたまま驚きを隠せずにいた。
その言葉に眉をひそめながら、俺はルシアの様子を伺う。
すると――目を見開いた。
だが、ルシアの瞳は金色に輝き、人ならざる何かを宿しているように感じられた。
「ダレン……さん?」
「ルシア、大丈夫か?」
しかし、ルシアは少し気だるげな様子のままだった。
呼吸も安定しており、特に異常はないように見える。ひとまず胸を撫で下ろした、その時。
「ルシアさん……もしかして……」
覗き込むようにサクラが声を掛けた。
未だ何かに驚いているかのように、サクラは口を開けたまま問いかける。
「――はい。授かりました」
そう答えると同時に、ルシアは俺の手からすっと離れるように立ち上がった。
俺たちはその言葉の意味が分からず戸惑っていたが、サクラだけが理解したように息を呑み、目を見開いていた。
そして、ルシアは静かに両手を広げる。
すると――
光がその手のひらから溢れ出すように広がり、無数の光の粒子となって俺たちへ舞い降りた。
その幻想的な光景を、思わず見惚れるように眺めていると、粒子が身体に触れた瞬間――
「体が……軽い……」
全ての疲れが吹き飛んだかのように、身体が軽くなる。
皆同じ現象を受けているのか、それぞれ自分の身体を見つめていた。
俺は、この奇跡を起こしたルシアへ視線を向ける。
「ダレンさん、私はやりましたよ。お力を授かりました」
「神様と……話せたのか?」
「口を開くことが、なぜかできなかったのですが……貴方を支えるための力を頂きました」
そう語るルシアの様子から、確かに尋常ではない何かがその身に宿ったことを、俺は肌で感じ取っていた。
「すごいですね……ルシアさん。ここまで認められるなんて……」
「ルシアは、聖女候補でもあったからね」
補足するようにクラリスが言う。
そしてルシアを支えるようにその隣へ立ち、互いに微笑み合った。
「すごいな、ルシア」
「はい。これでもっと、皆さんのお役に立てます」
自信を纏い、輝くように微笑むルシアに、俺も自然と笑みを浮かべた。
「――次はお前の番じゃねぇのか、ダレン」
不意に背中を叩かれ、師匠の声が響く。
押し出されるように前へ出され、ルシアの微笑みに背中を押されるようにして、俺は鏡の前に立った。
妙な緊張感が走り、辺りは静まり返る。
俺はそっと手を組み、祈りを捧げた。
今までの全てを吐き出すように。
俺にとっての後悔、そのすべてを。
心の中で唱え終えた瞬間、俺は光に包まれた。
放たれた強烈な光は、暖かく、まるで迎え入れるかのように俺を呑み込んでいく。
恐怖も緊張も、もうなかった。
俺は受け入れるように、その光の中へと身を委ねていった。
『ようこそ、ダレン。ずっと待っていましたよ』
見えない視界の中で、透き通る声が俺に耳に響いた。
だいぶ前置き長くなりました。
そろそろ終盤。
今年中に完結は無理そうです....




