八話 崩壊
眠りについたその夜、妙に外が騒がしく、俺は目を覚ました。
状況を確かめるため玄関へ向かうと、父が何やら報告を受けている最中だった。
「なんだと……?今から向かう。馬を用意してくれ」
父は使用人であるナズリーに頼み、外出の準備を進めていた。
そこへ同じく目を覚ました母が歩み寄る。
「何かあったの?」
「ああ。隣街が盗賊か何かに襲撃されたらしい。逃げてきた住人たちが報告してきた」
隣街の襲撃――。
この世界に来て初めて身近で起こった荒事に、俺は思わず身構えた。
「大丈夫なのよね?」
「心配するな。俺は帝国五剣の一人だ。……行ってくる」
「行ってらっしゃい」
母は不安を抱きつつも、そう言って父を送り出した。
俺もすかさず口を開く。
「父様、気をつけて」
「ああ」
短い返事。しかしその言葉は重く、力強かった。
そして父は馬に跨り、遠くへ走り去っていった。
母は「帰りを待つ」と言い、ナズリーと共にリビングに残った。
俺は寝るよう言われ、寝床に入ったが――落ち着かず、眠ることはできなかった。
窓を開けて夜空を見上げる。
雲がかかり、不吉な気配を孕んだ空。だがその中で、一つだけ奇妙な星が煌々と輝いていた。
その光に目を奪われ、ただぼんやりと見つめていると――
バリィィン!
ガラスが割れる音が、リビングから響いた。
俺は立てかけてあった剣を掴み、音の方へ駆ける。
「きゃあああ!」
母の悲鳴。全力で階段を駆け下りると――
目に映ったのは、母を庇うナズリーと、それを取り囲む黒いローブの三人組だった。
「母様!」
俺は鞘から剣を抜き、ローブの集団へと距離を詰めようとする。
「させませんよ」
直後、足に鋭い痛みが走り、俺はその場で崩れ落ちた。
「ぐっ...!」
「これで危険人物は無力化しました。……ノクス様」
聞き覚えのある声。視線を上げると――そこにいたのはテドス。
わが家の使用人長にして、長年仕えてきた人物。だがその顔にかつての温もりはなく、冷たい目で俺を見下ろしていた。
「テ……ドス? 何をやっているんだ……?」
「マリア様、ダレン様。これまでお世話になりました。――ここで死んでください」
吐き出された言葉は、今まで一度も耳にしたことのない冷酷さを帯びていた。
「いいねぇ、その絶望した顔。すごく好みだぁ」
テドスの背後から、青髪の女が姿を現す。まるで闇夜から這い出てきたかのように。
その手には黒い塊が握られており、そこから赤黒い液体が滴っていた。
「ああ、これぇ? 二階にいた女の子だよぉ」
女はそれをこちらへ投げつけてきた。
「リ……リなのか? うっ……おえっ」
それはリリの頭部だった。血の匂いが鼻を刺し、足元に滴る生温い血を感じ――俺は吐き気を堪えきれなかった。
「リリちゃん!? あなたたち……!」
「マリア様! 危険です! 前に出ないでください!」
二人の声が頭に響き、頭痛が襲う。
込み上げる吐き気を必死に抑え込んだ。今はそんなことをしている場合ではない。
俺にできることは――この状況を打破することだ。
「私たちをどうするつもり?」
「テドスさん、これは一体どういうことですか!」
母とナズリーが問いただしている間に、俺は足に刺さった短剣を力任せに引き抜いた。
「ぐっ……!」
鋭い痛みに歯を食いしばり、立ち上がる。何らかの毒のせいか、足に痺れが残っていた。
「おっと、動かないでくださいね。マリア様たちが危険ですよ」
「私たちを殺して……どうするつもりだ、テドス」
「あなた方は餌に過ぎません。目的は当主様――アレス・クローヴァンですよ」
父。やはり狙いは父か。状況から大方予想はついていた。
「我らの組織からすれば、五剣の彼は危険だからねぇ。遺物の反応もあるしぃ」
「その弟、元特級探索者『虚剣』アルケ。そしてその二人に並び得るダレン様。……この三人を分断するのは必須だったんですよ」
師匠までもが狙われているのか――。嫌な予感が脳裏をよぎった。
「疑問に思っているでしょう。最後なので教えてあげましょう」
テドスが静かに語り始める。
「まず、私の生まれはクーリン帝国ではありません」
「え? そんなはずはないわ。あなたは帝国生まれで、男爵家を解雇されたあとだって……」
母の言葉に俺も同意した。座学でもそう教えられていたし、帝国の始祖アベル様を尊敬しているとも言っていた。
「半分正解です。私はベタレイ皇国――今のダムナ紛争地の出身です」
驚愕の事実。だが思い返せば、紛争地にやけに詳しく、どこか秘密を隠している節はあった。
「私は皇国で貴族の端くれでした。しかし全面戦争で全てを失い、違法探索者として日々を生きていた。――そんな時、当主様を見ました。圧倒的な強さに惹かれると同時に、嫉妬しました。力があれば....統一を成せると」
「それで……お前は結局何がしたい」
「私の目的は世界の統一。そのために、すべてを更地にし、一からやり直す必要があるのです」
「統一? すべてを更地? ……寝言を言うな、テドス」
「こちらは大真面目です。ダムナのような悲劇を二度と生まぬためには、英雄は邪魔なのです」
――やはり。父が話していた暗殺事件の数々。こいつらの仕業に違いない。
「私たちの組織はヴォイド様の意思を継ぎ、破滅と創造のために動く。……ワタシは幹部の一人、ノクスだよぉ」
青髪の女が名乗った瞬間、姿を掻き消す。
俺は痺れた足を無理やり動かし、一瞬の隙に反射した。
かすかな風と共に頬へ痛みが走る。
「これをかわすぅ? まあいいや、計画に支障が出る前に――やっちゃおうかぁ」
黒ローブの三人も戦闘態勢に入った。
母とナズリーは完全に囲まれている。俺の正面には、テドスと女。
それに俺は手負い。状況は芳しくない。
「私たちは気にしなくていいから! まずは自分の身を守りなさい、ダレン!」
「母様! でも!」
「いいから!」
迷う暇はなかった。これは時間との勝負。
まずは目の前の敵を倒し、母とナズリーを救う。
俺はテドスへ剣を横薙ぎに振るった。だが――またも風が動き、攻撃は外れ、反撃をなんとかかわす。
「またかわすかぁ。正直、予想以上だねぇ」
仕切り直そうと踏み込んだ瞬間、閃光が走った。
テドスが鞭を手に構えている。
「これでも紛争地を生き抜いたんです。侮らないでもらいたい」
女の消える攻撃。テドスの鞭には電撃のようなものが走っている。どちらも強力な遺物か。
「こういうときは――」
俺は師匠の教えを思い出し、懐の短剣を二人へ投げる。
テドスが鞭で弾いたその一瞬を狙い、一気に距離を詰めた。
「見くびらないでと言ったはずです!」
鞭は蛇行しながらも直線的。手首から軌道を読み、最小の動きで避ける。
「なっ!」
間合いに踏み込み、剣先ではなく柄でテドスを殴り飛ばした。
「まず一人!」
続けざまに女へ詰め寄る。消える攻撃も、消えるだけで消失するわけではない。
消えた瞬間の重心を読み、予測した位置へ薙ぎ払う。
「なにそれぇ、反則ぅ!」
かわされる。しかしその動きも読んでいた。流れのまま蹴りを叩き込む。
「今行きます! 母様! ナズリー!」
闘気を纏い、黒ローブの三人を蹴り飛ばした。
振り返ると――
「ナズリー!」
そこにいたのは、全身血まみれで母を庇い続けたナズリーの姿だった。
「ナズリー! ナズリー!」
母の悲痛な叫びが木霊していた。
「マ……リ…ア様……ご無事で……よか……った。あとは……頼み……ます。ダレ……ンさま……」
ナズリーは母に抱かれたまま、静かに息を引き取った。
「あ……ああ……」
声にならない声が漏れる。
母を失いかけ、使用人に裏切られた。
見知った人の死をそう簡単に流すことなどできなかった。
これは本当に現実なのか。膝が崩れ落ちそうになる。
その隙を、風の気配が襲う。
「しまっ……!」
避けきれず、脇腹に鋭い痛みが走る。
ただの鍛錬では感じない痛みに俺は動揺していた。
「油断禁物ぅ! だめだよぉ、ちゃんと止め刺さなきゃぁ」
剣を支えに、必死に立ち上がる。
「何のための剣? 人を殺すためでしょぉ。その強さと裏腹の意志の弱さ……やっぱアンタ歪んでるぅ。ヴォイド様に似てる目だぁ。こっちに来ない? 歓迎するよぉ」
「ふざけるな……誰がお前らなんかと……」
「何もかも捨てて楽になりなよぉ。過去も、未来も、罪も。ぜーんぶ捨てちゃえ」
その低い声に心が揺れた。
楽に――なる? 全てを捨て、解放される……?
「だめよ、ダレン!」
母の声。
首にかけたペンダントが視界に入り、俺は我に返った。
そうだ。今は守るべきものがある。
「ああああああああ!」
闘気を無理やり練り上げ、女を睨み据える。
体が軋むような音がするが、気にしている余裕などなかった。
「なにそれぇ? 赤く……光ってるぅ?」
全力の剣撃。家具を粉砕しながら、容赦なく斬り込む。
「やっばぁい! 退散しまーす!」
女は軽やかに避けながら窓から飛び出す。
俺はローブ兵の剣を拾い、投げつけた。一本がかすった感触はあったが、致命には至らない。
女は闇夜へ消えていった。
「ぐっ……うう……」
無理に練り上げた闘気で、体は悲鳴を上げていた。立っているだけでやっとの状態だった。
だが母だけは守り抜いた。――それが唯一の救いだった。
「母様! やりました!」
俺が安堵し振り返った瞬間――
「残念ですよ」
母の腹に短剣を突き立てるテドスの姿が、そこにあった。




