十九話 答え合わせ
「おかえり、ダレンーー」
久しく聞くことができなかったその懐かしい声に、俺は目を見開いた。
父様の姿は、記憶の中よりも少し皺が増え、年を重ねたように見える。
あの日からの時の流れを、否応なく感じさせた。
けれど、昔から変わらなかった“大きな背”は、今もなお俺の前に確かにあった。
俺はゆっくりと前へ進む。
強く踏みしめるその一歩一歩は、なぜだかいつも以上に重く、そして遅く感じられた。
目の前まで近づいたところで、父様は目いっぱいの微笑みを浮かべた。
「ただいま、父様」
そう言って、俺たちは互いに腕を広げ、久方ぶりに抱き合った。
肌越しに伝わる温もり、厚み、そして懐かしい匂い。
すべてが胸を締め付け、目頭が熱くなる。
しばらくして、ゆっくりと身体を離し、目と目を合わせた。
「よく帰ってきてくれたな」
「ここが、俺にとって帰るべき場所でしたから」
そう言って、俺は父様の隣を通り、墓石の前へと立つ。
母と、俺を幼いころから世話してくれた二人の女性ーー
彼女たちの墓が静かに並んでいた。
「ただいま、母様」
俺は静かに手を合わせ、道中で摘んできた花を墓前にそっと添えた。
「ダレン、立派になったな」
「そう、見えますか?」
「見ればわかる。……いや、ダレンは昔から誇れる息子だったさ」
その言葉に、俺は思わず笑みを返した。
父様も一呼吸置いたのち、あの日の続きのように、深い声で言う。
「ーーあの時の『問い』に答えられるか?
今のダレンは、自分らしく生きられているか?」
かつて交わした大切な誓い。
あの頃の俺は、生きる意味も、自分の価値も見いだせず、ただ日々をやり過ごすだけだった。
未来など見えず、過去の痛みに囚われ続けていた。
けれどーー
今は胸を張って、その問いに答えられる。
「俺は……今でも一人でできることなんて、そう多くはありません。
それでも、旅を通じて多くを学びました。
したいことを。すべきことを。
そして、俺自身の形を見つけることができた」
クラリスが気づかせてくれた本当の自分。
周りがどう変わろうと、自分だけに残る意志の力。
「人を信じ、仲間を信じ、共に歩む強さを知れた」
フィデルが体当たりで教えてくれた信頼。
「罪の在り方を、背負い方を知った。少しだけ……自分を赦すことができた」
ルシアが、皆が、一緒に背負うと言ってくれた。
赦しがどこにあるのかを教えてくれた。
「だから今なら胸を張って言えます。
今の俺は……少しだけ、自分を好きになれそうです。
生きることを……楽しいと感じられます」
俺がまとめてそう告げると、父様は静かに目を細め、口元を緩めた。
「ーーやっぱり立派になったな、ダレン。
お前は十分、頑張った。今までよく頑張ったよ」
父様の大きな手が、そっと俺の頭を撫でた。
その瞬間ーー
今まで背負っていたものすべてが、ふっと解き放たれたように感じた。
「……ありがとうございます、父様。俺なんかを……ずっと待っていてくれて」
「最初からずっと信じていたさ。
お前は俺の自慢の息子だ」
父様も涙をこらえているのが見えた。
互いに泣き笑いのような顔になり、思わず笑い合う。
その声が風に乗って流れていく。
「ーーきっとマリアも……」
父様が母様の名前を懐かしむように口にした瞬間、
前から強い風が吹き、俺たちの髪を撫でた。
太陽の光が墓石に反射し、一瞬だけ強く輝きを放つ。
「……きっと母様も、見てくれています」
その光の中に、確かに母様の姿が浮かんだ。
優しく、穏やかに、俺たちを見守るように微笑んでいた。
「そう、だな……」
父様もきっと同じものを見ていたのだろう。
俺たちは紅く染まる空を前に、ただ静かに並び立ち、
この瞬間を噛みしめるように、ゆっくりと空を眺めていた。
ーーーー
「アルケ……久しぶりだな」
「兄貴……」
父様と師匠ーー。
二人の視線が交わるだけで、胸の奥が温かくなる。
俺と父様はリオルの丘を下り、すっかり沈んだ夕日を背に街へ戻った。
家々の灯りが道を照らし、静かな夜がゆっくりと街を包み始めている。
そのまま学習塾へ戻ると、そこで父様と師匠は再会を果たした。
「よくダレンの傍にいてくれたな。助かった」
「へっ。あいつは勝手に強くなっただけだ。やっぱ親子だな。兄貴と揃って、ちゃんと強ぇじゃねぇか」
「それは昔から、俺も知っているさ。
アルケ……お前も、何かを見つけられたようだな」
二人の間に流れる時間は、短いようで長かったのだろう。
味わうように、噛み締めるように、少しずつ過去と今を重ねていく。
師匠は深く息を吐き、そして静かに言った。
「ーー兄貴には、もう迷惑かけねぇよ」
「迷惑をかけられた覚えはないがな。……任せたぞ」
二人は拳を合わせた。
不器用で、けれど深く通じ合う兄弟の姿。
その笑顔は、俺の胸の奥にしっかりと焼き付いた。
俺は二人の姿を横目に、先ほどまで茶を飲んでいた部屋へ向かう。
扉を開けると、三人がそれぞれ椅子に沈み込み、魂の抜けたような顔をしていた。
特にフィデルは椅子にもたれたまま天井を見上げ、生気が完全に抜け落ちている。
「今戻った。待っていてくれてありがとう。それで……何があったんだ?」
俺が声をかけると、死にかけていたクラリスが急に生き返ったように顔を上げた。
「あっ! ダレン! 帰ってきたんだ! お父さんとは会えた?」
「ああ。無事にな」
「それは……よかったね」
そう言いながらも、声にも動きにも疲れが滲んでいる。
気になって続けて問うとーー
「ーー子供たちの世話がね、想像以上に……体力使うというか……」
「無邪気さというのは侮れませんね……。教会でやっていたのが、ままごとのように思えてきました……」
ルシアは少し自信を失ったように肩を落としており、俺は苦笑するしかなかった。
「フィデルは特にやられた顔してるな」
「……貧民街のガキどもがどれだけおとなしかったか、今日でよくわかったぜ……」
完全に魂が燃え尽きた男の声だった。
その様子に、俺たちは思わず笑い合う。
そして、俺は皆へと向き直り、少しだけ真面目な声で言った。
「疲れてるところ悪いんだが……ちょっといいか?」
「どうしたの? 改まって?」
クラリスが首を傾げる。
俺は息を整え、正直な想いをそのまま伝えた。
「父様に紹介したくてなーー
俺の、自慢の仲間たちだって」
あまりに直接的に言ったからか、三人は同時に目を見開き、それから少し照れくさそうに視線を逸らす。
だが、立ち上がらないわけにはいかないーーそんな雰囲気になる。
「……自慢だって言われたら、行くしかねぇな」
「私は騎士だった頃、遠目に見かけたことはあるけど……ちゃんとご挨拶するのは初めてね」
「ダレンさんのご家族と会えるなんて、光栄です」
疲れ切っていたはずの三人が、しっかりと背筋を伸ばし立ち上がる。
その頼もしさを背中で感じながら、俺たちは父様の待つ部屋へと歩き出した。




