十八話 父と子
「どうぞ。粗末なものしか出せませんが」
そう言って神父は、俺たちの前に飲み物をそっと置いた。
テーブルを挟んで向かいに腰を下ろすと、柔らかな微笑みを浮かべる。
「お噂はかねがね。ダレン様がここまでご成長されて……光栄です」
「そうでもない。神父様は、ここで何を?」
問いかけると、神父はふっと遠い目をして、あの日――街が炎に包まれた日の顛末を語り始めた。
あの日、襲撃の混乱のなかで、彼は辛くも命をつなぎとめたという。
生死の境をさまよいながらも、奇跡のように助かったらしい。
その後は街の再建に奔走し、移住者たちを迎え入れる準備を手伝い、今では小さな学習塾まで営んでいるという。
「これが、あの時負った傷です」
神父が袖をまくると、焼けただれた黒い皮膚が露わになった。
その無惨な痕が、あの日の惨劇を雄弁に物語っていた。
俺たちは言葉を失い、ただ沈黙する。
しかし、神父は気負った様子もなく、どこか達観した笑みを浮かべた。
「それでも、もう過去のことです。私たちは今を生きるしかありません。今の私にできることを、精一杯やるだけですよ」
「……あの墓は、神父様が作ってくれたのか? 俺の教え子の……分まで?」
師匠が静かに問いかける。
「私にとっても縁のあった子どもたちですから。幼き日のダレン様たちも、よくここで遊んでいましたね」
「小さな頃は世話になったな……カイルもよく怪我をしていたものだ」
懐かしさに胸が詰まり、俺も目を伏せながら微笑む。
キールの話をここでするのは、あまりに野暮だ。
――過去は過去。神父の言う通りだ。
「見知った者に会えただけでも、ここまで来た甲斐があった」
「街も昔と比べて随分変わりましたからね。それより……当主様に会いに来られたのでしょう?」
頷くと、神父は場所を教えようとしたが、その言葉を俺は手で制した。
「大丈夫だ。場所はわかっている。今から向かうさ」
椅子を引いて立ち上がると、神父は察したように眉を下げた。
俺は仲間に視線を向ける。
「行ってこいよ。俺はここに残って、子どもたちと絡んでくるかね」
「それは助かります。子どもたちも、私だけでは飽きていましたから」
フィデルの気遣いに、神父は嬉しそうに頬を緩めた。
「なら、私も残ろうかな」
「私もそうします。ダレンさんたちは行ってきてください」
「いい……のか?」
「お父さんと久しぶりなんでしょ? 私たちがいてもね」
「はい。家族水入らずでお話ししてきてください」
二人の温かい言葉に、俺は「ありがとう」と短く返した。
その一言に、二人も柔らかく笑い返す。
「師匠――」
「俺も残る」
共に行くつもりで声をかけたが、師匠は頑なに首を振った。
「どうしたんだ?」
「まずは二人きりで話してこい。俺はその後で十分だ」
「だが、師匠だって久しぶりだろ?」
「それでもだ。……まずはお前の今の姿を、しっかり見せてこい」
――その言葉に、胸の奥から熱いものが込み上げた。
「ああ。……じゃあ――行ってくる」
皆にそう告げて、俺は父様がいるはずの場所へと、一人歩き出した。
ーーーー
太陽は既に沈みかけている。
赤く染まった空を見上げながら、俺はゆっくりと丘を登っていく。
その足取りにはどこか軽さがあるのに、不思議と胸の奥ではずっしりとした重みがついて回った。
かつてここへ来ていた頃の俺は、今の俺よりもずっと小さく、弱かった。
けれど今なら胸を張って父様と向き合える。
その確信が、揺るぎなく俺の中にあった。
ここは──『リオルの丘』。
かつて父に連れられ、母と三人で訪れた場所。
そして、母を失った後も父と共に語り、誓いを立てた思い出の地。
母が眠り、俺が初めて喪失という重さを知った場所でもある。
僅かに吹く風が頬をかすめ、木々を揺らす。
その澄んだ音に背中を押されるように、俺は丘の頂上へと辿り着いた。
沈みゆく太陽に照らされた雲と山々。
その先に、静かに三つ並んだ墓石がある。
そして、その前に佇むひとつの人影。
背を向けていても、それが誰なのかは分かっていた。
大きな背中。昔は遠く感じたはずなのに、今はもう、手を伸ばせば届きそうな距離に感じる。
──その時。
彼は、こちらの気配を感じたのか、ゆっくりと振り向いた。
沈む太陽を背に、その顔が温かな光の中に浮かび上がる。
「……ダレン──」
つぶやくような声。
けれどその声音はどこまでも強く、深く俺の胸に刺さった。
熱が込み上げ、言葉が震えそうになる。
「父様──」
一呼吸。
胸の奥で長い旅路が音を立てて結ばれていくのを感じながら、俺は言うべき言葉を放った。
「ただいま──」
「ああ……おかえり」
その一言が、全てを受け止めてくれるようだった。
長いようで短かった旅を経て、俺は今、ようやく胸を張って父様と再会を果たした。




