十七話 流転
快適な馬車に揺られたまま、昼はすでに過ぎていた。
太陽は高く昇りきったころから、ゆっくりと西に傾き、空の色にわずかな朱を差し始めている。
途中、持ち込んだ食事を挟みながら、俺たちは俺の故郷――父のいる場所へ向かっていた。
久方ぶりの帰郷に胸が落ち着かず、そのざわめきを抑え込むように、ただ馬車の揺れに身を任せていた。
「あとどのくらいで着くの?」
待ち遠しそうにクラリスが尋ねてくる。
俺が答えに詰まったのとほぼ同時に、手綱を握っていた師匠が振り返った。
「もうそろそろだ」
師匠の確信めいた眼差しを見た瞬間、馬車がふっと揺れを止めた。
進む気配が消え、ゆっくりと停まったことがわかる。
その視線の先――一棟の家があった。
そこは、俺が、そして俺たち家族がかつて暮らしていた家だった。
人影こそなかったが、外観は手入れが行き届いており、誰かがずっと守ってくれていたような整い方をしていた。
「懐かしいな、ダレン」
「ああ。師匠と初めて会ったのもここだったな」
「よく覚えてるじゃねえか。あの時のお前、緊張して“叔父様”なんて呼んでよ――」
「やめてくれ。恥ずかしい」
軽口を交わしながら、俺たちは家の周囲を確かめていく。
仲間たちは後ろから静かについてきて、俺たちの昔話を興味深そうに聞いていた。
そして、俺は彼らを背に家の中へ足を踏み入れた。
中に人の気配はない。
けれど、最後に見た荒れ果てた姿とは違い、そこには、かつての生活の形がそのまま残されていた。
まるで時間だけが静かに止まっていたようだった。
「兄貴はどこにいるんだ?」
「きっと……街の方だろう」
根拠はなかったが、そう口にした。
それでも、胸の奥ではなんとなく見当がついていた。
家の中を歩き回るたび、懐かしい匂いや記憶が蘇り、思わず瞳を閉じる。
「ここがダレンの部屋かー」
「結構簡素だな。ダレンらしいといえばらしいが」
クラリスとフィデルが感想を口にする。
案内した俺の部屋は、昔と変わらず、寝台と机、椅子、本棚だけがある質素な空間だった。
「ダレンさんもこういったものを読んでいたんですね」
ルシアが身を屈め、本棚の一角を見ながらそう言った。
そこには、母が読み聞かせてくれた絵本が並んでいた。
「……昔はよく母様に読み聞かせてもらってたんだ」
「にしては教材もありますよね?」
「使用人の人に教えてもらってたんだ」
言葉にするたび、懐かしい人たちの顔が思い浮かぶ。
「そろそろ街に向かうか。日が暮れる前にな」
師匠が声をかける。
名残惜しさを胸に、俺も仲間たちも家を後にした。
静かに閉じた扉の向こうには、確かに昔の俺たちがまだいたような気がした。
ーーーー
しばらく馬車に揺られて進むと、視界に広がったのは大きな街だった。
かつて燃え盛っていたあの光景が嘘だったかのように、建物が新しく建ち並び、人々の往来には活気が戻っている。
俺は言葉を失ったまま、ゆっくりと街の中へ入っていく。
見知った顔は一人もいない。だが、逆に住民たちは突然現れた旅人である俺たちを、不思議そうに目で追っていた。
そんな時だった。
頭の中に映像が流れ込むように、子どもたちが走り回る姿が目の前に重なる。
「おい、待てよー!」
「もっと早く走るよー!」
「二人とも待ってってー!」
馬車のすぐ横を駆け抜ける三人の子どもたち。
その先に目を向けると、師匠が小さく呟いた。
「話には聞いていたが……今は道場じゃなくて、学習塾になっているようだな」
いつもは飄々としている師匠の背に、珍しく哀愁のようなものが漂う。
師匠は学習塾の入り口の前で馬車を止めた。
俺たちはそれに続いて降り、改めて周囲を見回す。
はしゃぐ子どもたちの隣に、灰色の石で囲われた静かな一角があった。
そこには、数多くの墓石が並んでいる。
俺は自然と足を向け、刻まれた名を一つ一つ確かめながら歩いた。
見知った名もいくつか目に入る。
特に、多くの仲間を知っていた師匠は、無言のまま静かに歩みを進めていた。
そして、ある墓石の前で、俺たちの足は止まった。
「あいつら……」
そこに刻まれていた名は――
『カイル ミル キール』
彼らは確かにここで眠っていた。
キールも、あの炎の中で散ったのだろう。
カイルとミールの夢も、あの日のまま止まっている。
忘れるはずがなかった。
俺と師匠は手を合わせ、静かに目を閉じた。
しばらくして目を開けると、隣にルシアが立っていた。
「ダレンさん、これ……。申し訳なさも少しありますけど……」
彼女は墓の脇に咲いていた小さな花を一輪摘み、そっと俺へ差し出した。
か弱くも力強く咲く花を見つめながら、自然と微笑みがこぼれる。
「ありがとな。あいつらも、きっと喜ぶ」
花を墓前にそっと置いた瞬間、背後から誰かが近づいてくる気配がした。
仲間たちもその存在に気づいたようで、同じ方向へ振り向く。
そこには、教会装束を纏った老人が立っていた。
「あなた方は……?」
穏やかな声で問いかけてくる老人に、俺は口を開こうとした。
「俺たちは――」
名乗ろうとしたその瞬間、老人は俺と師匠の顔を見た途端、驚愕したように目を大きく見開いた。
そして、
「まさか――ダレン様と、アルケ殿……ですか?」
「あ、あなたは?」
老人がそう言い終えるのと同時に、俺の拳がじんと痛んだ。
あの時初めて見た、神の光のような祝福の輝き――。
その記憶がよみがえる。
「まさか……神父様か?」
俺の問いに、老人は優しげに柔らかく微笑んだ。
「まさか、あの時の神父だったのか……」
師匠もその顔に気づき、驚きを隠せない様子だ。
「よくぞ……よくぞ戻られました。ダレン様、アルケ殿」
神父の表情は、長い間胸に抱えていた重荷がふっと解けたかのように、安堵と喜びに満ちた微笑みだった。




