十三話 郷関
あれから俺たちの旅は続いた。
といっても、師匠の活躍もあって受け取った遺物の馬車はあまりに快適で、移動に一切の疲れを残さない。
そのおかげで俺たちは、すでに神聖王国を出る寸前まで来ていた。
「はぁ……少し休憩しようか」
「そう、だね」
夕暮れが迫る頃、俺たちは草原の真ん中で野宿の準備を始めていた。
全員分の手は慣れたもので、焚き火・食事・寝床の準備が終わると、いつものように俺とクラリスは訓練へ向かった。
闘志という新たな力を得てから、訓練は以前よりも激しさを増している。
互いに草むらへ腰を下ろし、荒い呼吸を落ち着かせていく。
「師匠も加わるか?」
俺は、こちらの様子を眺めていた師匠に声を掛けた。
師匠は苦笑しながら静かに首を振る。
「いや、遠慮しておく。ついて行くのがやっとだろうよ」
「そんなわけない。詳しくは知らないが……師匠も『剣の聖地』で剣を磨いてたのは知ってるぞ」
俺は修行中、影で様子を見守り、すっと姿を隠す師匠を何度も見かけていた。
おそらく、師範も気づいていたはずだ。
「えっ、そうだったの?」
クラリスだけは気づいていなかったようで、目を丸くする。
確かに、毎日のように疲労が残っている様子は見て取れた。
「そりゃまあ、隠し玉ってやつさ」
「俺たちにまで隠してどうするよ……」
俺は呆れながらも、それ以上は問い詰めなかった。
そのとき――
「皆さん、食事ができましたよ」
「おう、ありがとな。ルシアちゃん」
鍋を抱えたルシアが笑顔でやって来る。
師匠が礼を言い、俺とクラリスも立ち上がった。
「そういえば、フィデルはどこに行ったんだ?」
「弓の修行だ。俺が呼んでくるさ」
そう言って、俺は森へ向かった。
夕暮れが深まり、森の中は薄闇が満ち始めている。
「これじゃ、探すのも手間だな……」
そう呟き、俺は空間認識――闘気を用いた感覚を広げた。
闘志によって洗練されたこの感覚は、以前よりもずっと精度が高い。
反応を捉えた場所へ向かって歩いていくと、
――トン、トン、と的に矢が刺さる音が森に響いた。
近づくと、フィデルもこちらに気づいたようだ。
「よくここがわかったな。何か用か?」
「まあな。飯ができたってさ」
「そうか。……あ、ちょっと見てほしいものがあってな」
フィデルはそう言うと、師範から受け取った矢羽根付きの矢を取り出した。
「この暗さなら、ちょうどいいだろう……見ててくれ」
俺は無言でうなづく。
弓の知識は多くないが、フィデルの立ち姿は前よりも明らかに無駄がなく、洗練されていた。
そして――
フィデルが弦を引き絞り、矢を放ったその瞬間。
空から月光を受けるように、矢がふっと銀色に光りだした。
放たれた矢の軌跡は尾を引く彗星のように輝き、まっすぐ夜の森を切り裂いた。
「――どうだ?」
振り返ったフィデルの表情には、誇らしさと喜びが混じった、晴れやかな光が宿っていた。
ーーーー
「いやー、うまかった。ごちそうさん」
「いえ。ダレンさん、もう少し要りますか?」
「ああ、頼む」
フィデルを呼び戻したあと、俺たちは焚火を囲みながらルシアが作ってくれた夕飯を食べていた。
こうした旅の生活がもうすぐ終わることなど、誰もまだ実感できていなかった。
やがて食事を終え、皆がそれぞれ眠りについた。
寝ずの番を交代で担う中、今は俺の番だった。
焚火の揺らめきを見つめながら、手元の剣を磨いていると、背後に人影が立つ気配がした。
振り返らずに、その名を呼ぶ。
「どうした? フィデル」
「なんで分かったんだ?」
「なんとなくだ」
俺の返答に、フィデルは苦笑しながら隣へ腰を下ろした。
炎は静かに揺れ、言葉を待つようにその音だけを響かせる。
「……俺はさ、お前らが『剣の聖地』で成長した姿を見て、ちょっと焦っちまってよ」
開口一番、フィデルは素直に胸の内を吐き出した。
あの二か月、俺とクラリスは師範の元で修行に打ち込み、師匠もまた個別の鍛錬に励んでいた。
皆、剣士。
一方でフィデルは弓使い。
ルシアは裏方に徹してくれていたから、余計に自分だけ違うと感じていたのかもしれない。
「俺なりに努力した。お前たちに置いてかれないようにな」
「フィデルは十分活躍してくれてる。それに俺は何度も助けられたんだぞ?」
そう言うと、フィデルはゆっくりと首を振った。
焚火の光と影がその横顔に深みを与える。
「ダレンの成長はすごい。力だけじゃない。心もだ」
「そんな実感はないが――」
「いや、ある」
俺の言葉を遮り、フィデルははっきりと言い切った。
「アルケも言ってた。『ダレンは常に自分と向き合い続けて、戦えてる』ってな。それを聞いて、俺は本当に成長できてるのか、ついていけるのか不安になったんだ」
その声音には自嘲が混じっていたが、どこか吹っ切れたような軽さもあった。
「だけど、もう迷いはない。俺は弓使いだ。後ろからお前たちを支えるのが、俺の仕事。それがようやくはっきりしたし――俺の弓も、まだまだ進化していくってことだ」
「ああ。これからも俺たちの背中、預けたぞ。フィデル」
「おう」
拳を軽く合わせ、互いに笑いあう。
その後の寝ずの番はフィデルが引き受けてくれ、俺は寝床についた。
横になりながら、先ほどの会話を思い返す。
あの場で言葉にされなくても、俺は知っていた。
フィデルはいつも先頭で道を切り開き、迷う俺の背中を押し続けてくれた。
それを感じていたのは俺だけじゃない。クラリスも、ルシアも、みんな同じだった。
——心配なんて、いらない。
もしフィデルが本当に迷ったときは、今度は俺が彼の背を押せばいい。
そう胸に刻み、静かに目を閉じた。
――――
「よし、出発だ」
朝になり、準備を整えた俺たちは馬車を進め、ついに帝国領へと足を踏み入れた。
ここはまだ帝国の北側。
帝都や俺の故郷へは、ここからさらに南下する必要がある。
それでも——
「帰ってきた、な……」
窓の向こうへ視線を向けながら、思わず呟いた。
冷たい風が頬を撫で、髪を揺らす。
その風景に、父の姿を重ねてしまう。
「やっとだな」
「ああ」
隣で同じように遠くを見る師匠に、俺は小さくうなずき返した。
帰るべき場所は、もうすぐそこにある。
久しぶりに見る故郷は、どんな姿で迎えてくれるのだろう。
父様は……今の俺を見て、何を思うだろうか。
巡る思いは風に溶け、俺たちを先へと運んでいく。




