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救いを貴方へ ~痛みの先に~  作者: 湘南乃炎
五章 回帰

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十二話 惜別

昨日の夜の騒ぎが嘘のように静かな朝。

俺たちはすでに旅立ちの準備を整え、外へ出ていた。


僅か二か月という短い時間だったが、この『剣の聖地』で過ごした修業の日々は、まるで何年もいたかのように色濃く記憶に刻まれていた。


「『黒曜』、大事にしてくれよ」

「もちろんだ、師範」


朝が早いためか、他の剣士たちの姿はない。

俺たちを見送りに来てくれたのは、ただ一人、師範だけだった。


「师匠の奴……遅いな」

「アルケさん、何かあったんですかね?」

「あいつなら、そのうち来るだろう。それより――」


師範は師匠を待つ俺たちの様子を手で制し、そこで言葉を切った。

そして、フィデルとクラリスのほうへ、何かを軽く放り投げた。


「うわっ」

「え、なんですか、これ?」


反射的に受け取った二人の手には、それぞれ別の品が握られていた。

師範は口元を少し緩めながら、静かに言った。


「餞別だ。受け取れ」


クラリスの手に収まっていたのは、剣の柄に巻き付ける革。

ただの部品に見えるそれを、不思議そうに眺めるクラリスへ師範が説明を加える。


「それは『剣理の紐』だ。使いこむほど持ち主と馴染み、その握りが革に刻まれていく。嬢ちゃんには、これが一番ふさわしいと思ってな」

「ありがとうございます。大事にします!」

「それと、弓の兄ちゃんには――」

「これは……矢羽根、ですか?」


師範の言葉を遮るように、フィデルは自分が受け取ったものを手の中で確かめた。


「『月詠の羽』という品だ。昔、東の国でもらったんだが、生憎うちには弓使いがいなくてな。ちょうどよかった」


確かに矢羽根ではあるが、名前ほどの特別さはぱっと見では伝わってこない。

それに気づいたのか、師範は頭をぽりぽりとかきながら言い足す。


「それは夜にのみ力を発揮するらしい。詳しいことは知らんが……使ってみてくれ。いいものには違いねぇ」

「ありがとうございます」


フィデルは深々と頭を下げた。

和やかな空気が流れた頃、ただ一人、ルシアだけがまだ期待を込めた目で師範を見つめていた。


「そっちの嬢ちゃんには……特別なものはないんだがな」


珍しく気まずそうな師範が、正面からルシアと向かい合う。


「これから向かう東の島国には、神にまつわるものが多い。特に『祝福』を持つ者にとっては、学ぶことが山ほどあるはずだ。そこで励んでくれ」

「はい。頑張ります」


ものではなく、言葉そのものを餞別として贈る。

その言葉は、むしろ誰よりも温かく、未来を示すものだった。


俺たちは改めて、ここで師範に育ててもらったことを思い返し、深く頭を下げた。


「悪いな、待たせて」


そんな空気のなか、ようやく師匠が姿を見せた。


「遅かったな。何をしてたんだ」

「いや、ちょっとな」

「アルケ」

「ん? あ、はい。なんですかい」


ごまかすように笑う師匠へ、師範が低く声をかけた。

その瞳は、先ほどまでの柔らかさとは違い、鋭くも温かな真剣さが宿っていた。


「――頼んだぞ」

「はい。任せてくだせ」


短く交わされたその言葉は、まるで何か大切な約束を確かめるようだった。


「よし。そろそろ出発するか」

「アルケが遅かったからだろうが……」

「いいさ、フィデル。それじゃあ行こう」


荷物を背負い、俺たちは次なる旅へと歩き出す。

『剣の聖地』に背を向けながら、それでも胸の奥には確かに温かなものがあった。


俺は馴れない二振りの剣の柄を握りしめ、半身になって最後に後ろを振り返る。


「行ってきます」

「――ああ」


師範と短く視線を交わした瞬間、剣を通してその意志が確かに伝わった気がした。


ーーーー


それから俺たちは山を下り、これまでの旅をなぞるように道を戻っていく。

二度見た光景のはずなのに、二か月という時を隔てただけで、その景色はどこか新鮮さを残していた。


どれほど移動しただろうか。

ダムナを通り、ガルドとも顔を合わせた。

師範――剣聖の力を借りられることを伝えると、ガルドは嬉しさと感謝を噛みしめるように笑った。


住民たちと少しだけ飯を囲み、俺たちはまたすぐに出発した。


そうしているうちに、すでに神聖王国へ入っていた。


「あ、アルケさん! お久しぶりです。ちょうど渡したいものがあって……」


城門付近で顔見知りの住民に声を掛けられた師匠は、首を傾げながら立ち止まった。

渡したいものと言われて少し待っていると、大きな馬車のようなものが街の中央を通って姿を現した。


「渡したいものって、これか?」

「はい! 特別に手に入ったもので、これでも一応遺物なんですよ!」

「遺物? そんなもの、いいのか?」

「ええ。アルケさんに世話になったという商人の方が、実は相当な大物だったらしくて……絶対に渡してほしい、と」


馬車の遺物という聞き慣れない言葉に、俺たちは思わず首をかしげた。

その様子を見て、住民が補足説明を加える。


曰く、この遺物は昼は太陽、夜は月の力を得て走る――馬いらずの馬車。

その速さは馬の三倍。休むことなく走り続けられる。

説明だけでも常識離れしている性能を誇る代物だった。


「こんなもの、受け取れねぇぞ」

「そんなこと言わずに。アルケさんは、我々を救ってくれた英雄なんですから。商人の方からも必ず渡せと念を押されてます」


師匠は肩をすくめ、仕方ねぇなといった顔で受け取りを了承した。

ちょうど帝国へ戻るための移動手段を考えていたところでもあり、これはありがたい申し出でもあった。


俺たちはその厚意に甘え、遺物の馬車へ乗り込む。

街の出口へと動き始めると、通りの両側から住民たちが次々に声を上げた。


「アルケさん!」「我らが英雄!」


その声を背に、師匠はじっと景色を見ながら、どこか照れくさそうに、しかし誇らしげに口元をゆるめていた。


「やっぱ師匠はすごいな」


その姿に、俺の口は自然と動いていた。


「なんだ。ダレンはすっかりソーデン殿に染まったんじゃねぇのか?」


少し尖らせた唇で言う師匠に、俺は笑って返した。


「いつまでたっても、俺の師匠はあんただよ」

「へっ。わかりゃいいんだ」


互いに笑い合ったあと、フィデルが前を見据えたままぽつりと呟く。


「やっと会えるな。兄貴に」

「ああ。父様に――やっと」


馬車の揺れに身をあずけながら、俺たちは外の光景を仰ぐ。

長い道のりを越えて、ようやく帰るべき場所へと足を進めていった。

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