十一話 盃
「認めよう。ダレン、おめぇの勝ちだーー」
俺の剣先が師範の喉元で止まったまま、師範はそう告げた。
その顔には、敗北を認めた者の陰りなど微塵もなく、むしろ清々しさすら浮かんでいた。
「ダ、ダレン・クローヴァンの勝利...!」
審判役の剣士が、ようやく状況を理解したように声を張る。
だが道場の空気はまだ張り詰めたままで、誰もがその結果をすぐには呑み込めずにいた。
それは、俺自身も同じだった。
確かに、俺の剣は師範の喉を捉えた――。
けれど今なお、それを信じきれずにいた。
「なんちゅう顔してやがる。おめぇの勝ちだって言ってんだ」
「あ、ああ。そうか……」
「とりあえず、あっちに行ってやれよ」
師範が口元を緩め、顎で方向を示す。
その先には、俺の勝利を信じ、喜びを噛みしめている仲間たちの姿があった。
その光景を目にした瞬間、ようやく剣を降ろし、戦いの終わりを実感した。
剣を鞘に納め、胸を張って仲間たちのもとへ歩み寄る。
近づくほどに、皆の顔がはっきりと見えてくる。
それぞれ表情は違っても、そこにあるのは確かな信頼だった。
俺は仲間の前に立ち、息を整えて口を開く。
「みんな。ただいま……俺、勝ったぞ」
言葉が終わるよりも早く、「おかえり!」という歓声が重なった。
その瞬間、クラリスとルシアが同時に飛び出してきて、俺に抱きつく。
道場の床が鳴り、笑いと涙が入り混じる音が響いた。
ーーー
その後、俺たちは勝利を分かち合い、別れを称える宴が開かれた。
剣士たちは酒を酌み交わし、笑い声が絶えない。
『剣の聖地』で、これほど賑やかな夜が訪れるのは稀だという。
俺はあらゆる剣士たちに囲まれ、剣技のこと、闘志のことを矢継ぎ早に問われ続けた。
フィデルは、修練の仲間たちと肩を組み、すでにどんちゃん騒ぎの真っ最中だ。
「はぁ……少し疲れたな」
喧騒から離れ、端の席で息をつく。
その瞬間を見計らったように、クラリスとルシアがやってきた。
二人は俺を挟むようにして座る。
「クラリス、今日は酔ってないんだな」
「い、いつもああなるわけじゃないよ!? さすがに少しは抑えるってば……」
「ダレンさん、水いりますか?」
ルシアが穏やかな笑みで水を差し出す。
「助かる」と受け取りながら、ふとクラリスを見ると、じっとその様子を見つめていた。
無言で立ち上がると、クラリスは宴の方へ戻っていった。
が、すぐに再び戻ってきて、今度は山ほどの料理を抱えていた。
「はい、ダレン。食べもの、持ってきたよ」
「あ、ああ……ありがとう」
目の前に並べられた皿の数々に、思わず苦笑が漏れる。
「クラリス、これ……一人で食べきれないですよ」
「大丈夫だよ、ルシア。みんなで食べればいいんだから」
そう溌剌と笑うクラリスに、ルシアは苦笑しながらも頷いた。
三人で食事をつまみつつ、穏やかな時間が流れる。
そんな中、中央で酒を飲んでいた師範が、瓶を片手にこちらへ歩いてきた。
「ダレン、少しいいか?」
「ああ。構わない。……二人とも、少し席を外す」
二人に告げて立ち上がる。
師範の背中を追い、月明かりの射す宴会場の外へと向かった。
「ここでいいだろう」
そう言って師範が腰を下ろしたのは、縁側のような場所だった。
高台にあるその場所からは、夜空が一望できた。
澄んだ空に浮かぶ月と星々が、俺たちの姿を静かに照らしている。
俺も隣に座り、師範と肩を並べる。
「ほら、一杯付き合え」
「少しだけで……」
「つれねぇな」
師範から差し出された小さな盃を受け取り、注がれた酒を見つめる。
次に俺が瓶を受け取り、同じように注ぎ返した。
「ダレンの勝利に」
師範は短くそう言い、盃を軽く合わせてから一気に飲み干した。
俺もそれに倣う。
「短い間でしたが、本当にお世話になった。師範、ありがとうございます」
「今さら堅苦しいこと言うな。そうでもねぇさ。……おめぇやクラリスみてぇな若い剣士に会えて、俺も悪くねぇ時間を過ごせた」
その横顔は、あの最後の一刀のときと同じように、清々しく晴れていた。
思わず、俺の頬もゆるむ。
互いに微笑み合いながら、盃を重ねた。
「それで? 頼みってのはなんだ?」
「ああ、そうだったな。それは――」
俺は、ガルドに頼まれていた件――ダムナ独立の後ろ盾を求める話をそのまま語った。
「……なるほどな。独立の後ろ盾か」
「やってくれるか?」
「そりゃ約束は守る。だが、それはおめぇ自身の願いじゃねぇだろ。もう少し自己中心でもいいんだぜ?」
「それでも、俺の願いなんだ。それに……自分中心の世界が、どれだけ狭いかを俺はもう知ってる」
俺の言葉に、師範はゆっくりと頷き、黙って月を見上げた。
「まぁ、その件は任せろ。俺が顔を出せば大抵のことは片付くだろう」
「そんな影響力があるのに、なんで今まで動かなかったんだ? あのダムナの有様を知っていて」
「おめぇと似たようなもんさ。無関係の奴が首を突っ込むもんじゃねぇ。……だが、今回は違ぇな」
その言葉に、俺も小さくうなずいた。
師範の生き方は常に剣を中心に据えていた。
それ以外は、すべて第二のもの――そんな潔さを感じた。
月光の下で、俺たちはしばし無言のまま、未来の話をした。
酒を交わしながら、これからの戦い、そしてそれぞれの道について。
「アルケから聞いたぞ。一旦、故郷に戻るんだってな」
「ああ。戻って体制を整えたら……最後の戦いに挑む」
「そうか。あまり剣を鈍らせるなよ」
「師範は、戦いに参加する気はないのか?」
「それはな――」
師範は少し間を置いて、静かに笑った。
その笑みの奥には、わずかな寂しさが滲んでいた。
「元々、行くつもりはなかった。それに……俺以上の剣士が行くんだ。必要ねぇだろ?」
そう言ってこちらを振り向く師範の目には、確かな信頼が宿っていた。
その眼差しに、少し照れながらも俺は笑い返す。
「あれは紙一重の戦いだった。師範以上って言われても、あまり実感がないな」
「それでも結果は出た。だが……おめぇには、まだ先がある」
「先?」
問い返した俺に、師範は懐をまさぐり、何かを投げてよこした。
月明かりに照らされて軌跡を描いたそれは、
――師範の使っていた黒い剣だった。
「その剣の名は『黒曜』。東の島国のものだ。そこへ行ってこれを見せろ。その先に、おめぇの答えがあるかもしれん」
「東の島国……? なぜまた」
「そこには、神と己の魂の根源に触れられるとされる『特級遺物』がある。結局はおめぇ次第だがな……何かのきっかけにはなるだろう」
「そう、か……」
俺はうなずき、ゆっくりと剣を抜いた。
その刀身は『黎星』とはまったく異なる黒。
深淵を思わせる漆黒の中に、ほのかに紅を帯びた光沢が浮かんでいる。
それはまるで、暗闇の底で燃え続ける意志のようだった。
「本当に、こんなものを受け取っていいのか?」
「真に戦う者にこそ、ふさわしい。……そんなに気にするなら、
本当に自分の最高の剣に辿り着いたと思った時、それを持って俺のところに来い」
師範は立ち上がり、まっすぐに俺を指差した。
その指先に込められた信頼と期待を受け取るように、俺も立ち上がる。
剣を鞘に納め、胸の前に掲げた。
「――ああ。必ず」
俺の言葉に、師範は挑むような笑みを浮かべる。
二人の間に、燃え上がる意志があった。
それは月光に照らされ、夜空の星よりも強く輝いていた。
読者のみなさん、こんにちは。
突然ですが、明日フィジークとボディビルの大会に出ます。
実はこの作品、ずっと減量中に書いていました。
つまり、だいたいのシーンは
「腹減った……」
という気持ちと戦いながら生まれています。
特にボス戦を書く日は、私も勝手に戦っていました。
(相手は主に空腹と米の幻覚)
大会は明日です。
舞台で転ばないようにだけ気をつけてきます。
大会が終わったら爆食。また執筆のエネルギーにしますね。
これからもよろしくお願いします!
明日も無事投稿させていただきます




