八話 宿る意志
それから、俺とクラリスの修行の日々が始まった。
師匠は、一度この地で剣聖の修行を受けたことがあるらしく、
「俺は遠慮する」と言って、ひとり黙々と自主練をしていた。
フィデルは、投擲を専門とする者たちに混ざり、弓術の応用となる技術を学んでいる。
彼は弦ではなく、狙いと間合いという本質に焦点を置いていた。
そしてルシアはーー。
「だ、大丈夫ですか? 二人とも……!」
地面に倒れ伏す俺とクラリスに、ルシアは息を荒げながら『祝福』を施し続ける。
その光は優しく、暖かく、骨と筋肉が再び動けるように再生していく。
「『祝福』ってのは便利だな……これでまたすぐ修行できる」
言った瞬間、砂利を踏む足音と共に、耳元へ落ちる悪魔の囁き。
「もちろん続けるぞ」
剣聖ソーデンーーいや、今は俺たちの師範が、にやりと笑って立っていた。
「ま、まだやるのか……?」
「当然だ。体が壊れる寸前を超えてからが本番だ」
「いや、剣、全然振ってないんだけど!?」
クラリスはついに声を荒げた。
想像していた“剣技の修行”とはあまりにも違っていたのだ。
「お前らはな、剣を振る技量そのものはもう十分だ」
師範は、二本の指を立てて見せる。
「だが土台ができてねぇ」
「土台……?」
「そうだ。いくら技が優れてても、力も速さも耐久もなけりゃ意味がねぇ。
俺に負けた要因の、一つ目がそれだ」
俺とクラリスは無言でうなずく。
この修行は、まさにその土台を叩き直す内容だった。
岩を背負い、山道を走り続ける。
全身を砕くような滝の奔流に打たれ、立ち続ける足腰を鍛える。
互いの体重を背負い、崖道を登る。
闘気で常に体を保護していなければ、骨が悲鳴を上げる修行だ。
「そして、二つ目はーー闘気の扱い」
「闘気なら、ダレンはもう……」
「確かに、ダレンの闘気は完成度が高い。だがな——その先がある」
俺はその言葉を遮るように呟く。
「『闘志解放』……」
「そうだ」
師範は静かに目を細めた。
「闘志とは、練り上げられた闘気に“意志”を宿す技だ。
力でも技でもねぇ。自分の剣を、自分自身で定義することだ」
「意志……」
「何のために剣を振るのか。何を断ち、何を守るのか。
それが剣に宿った時、闘気は次の段階に至る」
しかし、それ以上の言語化はなかった。
「真なる意志とは?」と俺が問うと
「それは、自分で見つけろ。
心と剣と向き合い、語り続けろ」
その答えは、曖昧で、霧のようだった。
だが確かに、そこには“道”だけは見えていた。
俺とクラリスは、互いに視線を交わす。
立ち上がる。
体は悲鳴を上げ、膝は震えても。
進むべき道は、もう迷っていなかった。
俺たちはただ、また前へ踏み出した。
ーーーー
重く、体に圧し掛かるように降り注ぐ水。
俺は今まさに滝に打たれ、その圧力に耐え続けていた。
体温を容赦なく奪う冷たさと、骨の芯まで響くような痛み。
目を閉じ、ただただその痛みを受け入れる。
精神を研ぎ澄まし、心身ともに鍛える。
師範に言われた通り、闘気を練り上げながら、己と向き合い、“真なる意志”を探す。
——俺にとっての、剣の形。
最初に剣を握った理由は、単純だった。
大切なものを守りたかった。
「自分はちゃんとやっている」と、そう言い聞かせたかった。
いわば、綺麗な言い訳として、俺は剣を振るっていた。
「だが……今の俺は——」
違う。
大切な家族がいる。仲間がいる。
背負った罪があるからこそ、俺は今を生き、戦っている。
この痛みこそが、俺がまだ生きている証だった。
そしてそれと向き合い、今あるものを守ることが俺の剣を振るう理由だ。
悟った瞬間、練り上げた闘気が、心の底で爆ぜるように熱を帯びた。
——今なら、できる。
そう思った瞬間、俺は滝に打たれたまま、手を振り上げる。
そして、手刀を振り下ろした。
刹那、滝は裂け、水が跳ね飛ぶ。
「……やったな」
様子を見守っていた師範が、低く呟いた。
ーーー
滝から上がると、ルシアが手拭いを差し出してくれた。
「ありがとう、ルシア。」
「いえ。さすがダレンさんです。」
「よくやったな、ダレン。まだ詰めはあるが……まぁ良い。次は嬢ちゃんだ。」
髪を拭きながら、クラリスの姿が目に映る。
滝行用の薄い白装束。
水に濡れれば、その下の白い肌が淡く浮かぶ。
未だにその姿に慣れず、俺は思わず視線を逸らす。
だがクラリスは気にも留めず、真っ直ぐに俺の前へ来た。
「私、行ってくるね。」
「ああ。頑張れ。」
伸ばした手で、自然と彼女の金髪を撫でていた。
クラリスは目を細め、そっと微笑むと、滝へと向かっていく。
華奢な身体が、滝の下に入る。
俺たちは近くの岩場に腰を下ろし、ルシアが用意した食を口に運びながら様子を見守った。
「ダレン。お前……何かやり残したことでもあるのか?」
不意に師範が言った。
——やり残したこと。
そんなもの、前の世界でも、この世界でも、数えきれないほどある。
言葉が詰まり、俺が黙ると、師範は続けた。
「さっきの闘志。確かに本物だった。真なる意志が宿り、闘気と噛み合っていた。だがな、その最後の一瞬……わずかに力が揺らいだ。」
師範の目は真っ直ぐ、俺の心を射抜く。
「まだ、心のどこかに片がついてねぇものがあるんじゃねぇのか、と俺は見えた。」
「……後悔なんて、山ほどある。だが、それも含めて今の俺だと思ってる。だけど——」
言葉を止めた俺に、ルシアが柔らかく微笑む。
弱さを見せられる強さを、俺はもう知っている。
「未だに捨てきれない『未練』がある。
けど、それは――遥か遠いところにあって、今の俺にはどうすることもできない。」
「なら——」
師範の声を遮るように、轟音が響いた。
滝が割れ、水しぶきが空へと散る。
そこに立つ、クラリス。
水に濡れた白装束が光を受け、身体に沿って輝く。
碧の瞳は金の光を宿し、真なる意志が燃えている。
その姿はまるで——
光をまとい下界へ降りた 戦女神 そのものだった。




