三話 兆し
そして俺たちが向かった先は、ダムナ紛争地。
さらに今歩いている荒野の中は、テドスの故郷とされる元ベタレイ皇国領だった。
「見えたぞ。一度あそこで休憩を取ろう」
師匠が前を指差す。
「あそこは……」
「ああ。元ベタレイ皇国の城があった場所だ」
そこには、崩れかけた城門がぽつりと立っていた。石の継ぎ目は崩れ、草木がその表面を飲み込むように這い上がっている。
かつてこの地に繁栄した国があったとは、誰も信じられぬほどの荒廃ぶりだった。
師匠だけが迷うことなく歩を進める中、俺たち四人は息を飲みながらも、その背を追った。
検問などあるはずもなく、もはや“門”と呼ぶには形を成さない瓦礫の隙間を抜けて中へ入る。
目に飛び込んできたのは、荒れ果てた街並み――まさしくスラム街という言葉がふさわしい光景だった。
「貧民街よりもひどいんじゃねぇか……これ」
フィデルが顔を険しくしてつぶやく。
地面に座りこみ、ぼろ布を身にまとう住民たちは、俺たちを細めた目で見つめている。
その眼差しには、生気も、希望もなかった。ただ、濁った光だけがかすかに残っていた。
「なあ師匠。どこに休む場所なんてあるんだ?」
「まあ、黙ってついてこい」
この辺りの事情を知るのは師匠だけだ。俺たちは黙ってその背を追うしかなかった。
「――アルケだ。入るぞ」
しばらく歩くと、周囲に比べて多少はしっかりした造りの建物に辿り着いた。
入り口には布が垂れ下がり、扉の代わりとなっている。中へ足を踏み入れると、薄暗い灯のもと、二人の女を侍らせて座る男の姿があった。
「なんだアルケ。ずいぶん大所帯じゃねぇか」
「少し休む場所が欲しくてな。ここの空いてる部屋を借りてもいいか?」
「構わねぇよ。あんたにはずいぶん助けられたからな」
「助かる。行くぞ、お前ら」
短いやり取りを交わすと、師匠はすぐに階段を上がりはじめた。
「あれは誰なんだ? 師匠」
「ここらを仕切ってるガルドってやつだ。あれでも有能な人間だ」
「仕切ってるって言っても、人がほとんどいねぇが……」
「人員が足りないんだ。ただ――ベタレイの復興を目的に動いてる者ではある」
とてもそうは見えなかった。だが、師匠の口ぶりには嘘がなかった。
ベタレイ皇国の復興――
『ペンタグラム』に利用され、破滅へ導かれたあの国。
テドスが目指していた理想の先。
俺は彼に殺されかけ、母を奪われた。それでもなお、その志だけは否定できなかった。
「難しいことは考えるな。どうせ一晩泊まるだけだ」
師匠はそう言い残し、俺たちを簡素な一室へ案内したのち、すぐに姿を消した。
部屋には薄汚れた毛布が数枚あるだけで、壁の隙間から冷たい風が吹き込んでいた。
「思ったよりも、ひどい有様だね……」
クラリスが小さくつぶやく。
「ダムナの噂は聞いたことありましたけど……想像をはるかに超えてますね」
ルシアも顔を曇らせた。
俺は床に腰を下ろし、無意識に拳を握っていた。
「何か思うことでもあるのか? ダレン」
「ああ……少し、気にかかるだけだ」
「話してみろよ。聞くだけならタダだろ?」
フィデルが笑みを浮かべながら隣に座りこむ。
それにつられるように、クラリスとルシアも床に座り、自然と四人で円を作った。
心の奥にあった重しが、少しだけ軽くなった気がした。
――一人ではない。それが、こんなにも心強いことだとは。
俺はテドスという男のこと、そして彼が抱いた野望について語った。
三人は黙って聞き、真剣な眼差しでうなずいていた。
「仇の野望、か……」
「それを気にするのは変か?」
「そんなことありません。それこそが、ダレンさんの優しさなんです」
「でも、あのガルドって人。この辺りの統一に動いてるんでしょ?」
そうだ。俺がこの国をまとめる必要はない。
ただ、あの男が夢見た未来が、どんな形で息づいているのか――その目で確かめたかった。
「少し、話を聞いてみるか」
そう言って俺は立ち上がり、階下にいるガルドのもとへ向かった。
ーーーー
階段を下り、先ほどまでガルドがいた場所へ向かう。
俺の後ろには、ルシアだけがついてきていた。
「私でよかったんでしょうか?」
「大人数で行くような話でもないだろう」
そう言いながら、さきほどの部屋の戸をそっと開ける。
だが中は静まり返り、灯も落ちており、女性二人の姿もない。
「いませんね」
「どこへ行ったんだ?」
互いに視線を交わし、俺たちは建物の外へ出た。
すると、これまでまるで死んだように動かなかった住民たちが、同じ方向――左の方角へとゆっくり歩いていくのが見えた。
「……どういうことだ?」
ルシアと顔を見合わせ、俺たちはその流れに従うように歩を進めた。
いくつかの建物を抜けた先に、人だかりができていた。
ざわめきとともに、乾いた風に混じって温かい香ばしい匂いが漂ってくる。
人々の隙間から覗くと、そこには――ガルドの姿があった。
両脇には先ほどの女性たち、さらに数人の男たちが立ち、炊き出しを行っている。
「ちゃんと並べ! パンは一人一つだ、守れよ!」
ガルドが声を張り上げる。
その姿は先ほど見た女を侍らせた男のそれではなく、
むしろこの地を背負う者のような、堂々とした背中だった。
「あまりに意外だな……」
「そうですね……でも、印象はだいぶ変わりましたね」
ルシアの言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。
人々の手に渡るパン、子どもが笑いながらそれを受け取る姿。
この国がまだ“死に切っていない”ことを、わずかに感じさせた。
その時、ガルドが俺たちに気づいた。
彼は部下の一人に作業を任せ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「お前らは……アルケの連れだな? 何か用か?」
「いや、少し話があってな。今、いいか?」
「あ? 構わねぇよ――ああ、そうだ、名乗ってなかったな」
「俺はダレン。こっちはルシアだ」
「どうも」
俺が名を告げた瞬間、ガルドの表情が変わった。
目を見開き、驚きと興味の入り混じったような声を漏らす。
「ダレン……? 『紅影』の、か?」
「ああ。一応、そう呼ばれてる」
「そうか。……少し、この場を外そう」
「それじゃあ、私はあちらを手伝ってきてもいいでしょうか?」
ルシアが炊き出しの方へ目線を向ける。
ガルドは一度だけ彼女を見やり、静かにうなずいた。
俺とガルドは人の波を離れ、街の端に転がる岩に腰を下ろした。
風が吹くたびに、錆びた金属の軋む音がどこからか響いていた。
「それで、話ってのは?」
「ベタレイ皇国の復興についてだ。本当に……できるのか?」
俺の問いに、ガルドは一瞬だけ眉を上げた。
「なぜあんたがそれを気にする?」
「……ただの因縁だ。うまく言葉にはできない」
そう言うしかなかった。
母を奪われ、憎み、そして理解してしまった――あの国と男の残滓。
自分でも整理がつかない感情が、胸の底で渦を巻いていた。
ガルドは俺の目を静かに見据え、短くうなずいた。
「なるほどな。事情は知らんが、いいだろう。現状を話してやる」
ガルドの話によれば、かつてダムナ一帯は『ペンタグラム』の支配下にあり、
闇市場と傭兵が入り乱れ、血と裏切りの渦に飲まれていたという。
しかし近年、奴らの影響力は薄れ、今や土地だけが荒れ果て、
誰も統べる者のいない死んだ国となっていた。
「――だからこそ、今が好機だ。
他の勢力を抑え、この国を再び立たせるにはな」
「そうか……。さっきの質問を返すようだが、なぜあんたはそこまでやる?」
ガルドはしばし無言のまま、曇り空を見上げた。
薄い雲の切れ間から、わずかに光が差していた。
「俺が物心ついたときには、もう国は消えていた。
それが当たり前だと思ってた。
だが――ある時、神聖王国を見たんだ。
『国』ってのは、ああいうもんなんだって知った。
俺たちが住んでる場所は、国なんかじゃねぇ。
ただ、ゆっくりと腐っていく墓場みたいなもんだった」
灰のような声で呟くガルド。
その目は過去を見ながら、未来を掴もうとしていた。
「所詮は俺の我儘だ。けど、それが形になれば、
俺の見たい景色を、皆にも見せてやれる――そう思ってる」
「随分と壮大な話だな」
「なんだ、笑うか?」
「いや……未来を思う気持ちは、俺も笑えない。
……何か、俺にできることはあるか?」
ガルドの口元が、わずかに歪んだ。
それは笑みというよりも、闘志を隠しきれない男の表情だった。
「英雄の力を借りられるのは悪くねぇ。
そういや――剣の聖地に行くんだったな?」
「そうだ」
「なら、これを頼もう」
ガルドは身を乗り出し、低い声で告げた。
「――現剣聖、ソーデンに俺たちの“後ろ盾”になるよう説得してくれ」
その眼には、揺るがぬ野望の光が宿っていた。
それは欲望でも支配でもない、“再生”を信じる者の光だった。




