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救いを貴方へ ~痛みの先に~  作者: 湘南乃炎
五章 回帰

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三話 兆し

そして俺たちが向かった先は、ダムナ紛争地。

さらに今歩いている荒野の中は、テドスの故郷とされる元ベタレイ皇国領だった。


「見えたぞ。一度あそこで休憩を取ろう」


師匠が前を指差す。


「あそこは……」

「ああ。元ベタレイ皇国の城があった場所だ」


そこには、崩れかけた城門がぽつりと立っていた。石の継ぎ目は崩れ、草木がその表面を飲み込むように這い上がっている。

かつてこの地に繁栄した国があったとは、誰も信じられぬほどの荒廃ぶりだった。


師匠だけが迷うことなく歩を進める中、俺たち四人は息を飲みながらも、その背を追った。


検問などあるはずもなく、もはや“門”と呼ぶには形を成さない瓦礫の隙間を抜けて中へ入る。

目に飛び込んできたのは、荒れ果てた街並み――まさしくスラム街という言葉がふさわしい光景だった。


「貧民街よりもひどいんじゃねぇか……これ」


フィデルが顔を険しくしてつぶやく。


地面に座りこみ、ぼろ布を身にまとう住民たちは、俺たちを細めた目で見つめている。

その眼差しには、生気も、希望もなかった。ただ、濁った光だけがかすかに残っていた。


「なあ師匠。どこに休む場所なんてあるんだ?」

「まあ、黙ってついてこい」


この辺りの事情を知るのは師匠だけだ。俺たちは黙ってその背を追うしかなかった。


「――アルケだ。入るぞ」


しばらく歩くと、周囲に比べて多少はしっかりした造りの建物に辿り着いた。

入り口には布が垂れ下がり、扉の代わりとなっている。中へ足を踏み入れると、薄暗い灯のもと、二人の女を侍らせて座る男の姿があった。


「なんだアルケ。ずいぶん大所帯じゃねぇか」

「少し休む場所が欲しくてな。ここの空いてる部屋を借りてもいいか?」

「構わねぇよ。あんたにはずいぶん助けられたからな」

「助かる。行くぞ、お前ら」


短いやり取りを交わすと、師匠はすぐに階段を上がりはじめた。


「あれは誰なんだ? 師匠」

「ここらを仕切ってるガルドってやつだ。あれでも有能な人間だ」

「仕切ってるって言っても、人がほとんどいねぇが……」

「人員が足りないんだ。ただ――ベタレイの復興を目的に動いてる者ではある」


とてもそうは見えなかった。だが、師匠の口ぶりには嘘がなかった。

ベタレイ皇国の復興――

『ペンタグラム』に利用され、破滅へ導かれたあの国。

テドスが目指していた理想の先。


俺は彼に殺されかけ、母を奪われた。それでもなお、その志だけは否定できなかった。


「難しいことは考えるな。どうせ一晩泊まるだけだ」


師匠はそう言い残し、俺たちを簡素な一室へ案内したのち、すぐに姿を消した。

部屋には薄汚れた毛布が数枚あるだけで、壁の隙間から冷たい風が吹き込んでいた。


「思ったよりも、ひどい有様だね……」

クラリスが小さくつぶやく。

「ダムナの噂は聞いたことありましたけど……想像をはるかに超えてますね」

ルシアも顔を曇らせた。


俺は床に腰を下ろし、無意識に拳を握っていた。


「何か思うことでもあるのか? ダレン」

「ああ……少し、気にかかるだけだ」

「話してみろよ。聞くだけならタダだろ?」


フィデルが笑みを浮かべながら隣に座りこむ。

それにつられるように、クラリスとルシアも床に座り、自然と四人で円を作った。


心の奥にあった重しが、少しだけ軽くなった気がした。

――一人ではない。それが、こんなにも心強いことだとは。


俺はテドスという男のこと、そして彼が抱いた野望について語った。

三人は黙って聞き、真剣な眼差しでうなずいていた。


「仇の野望、か……」

「それを気にするのは変か?」

「そんなことありません。それこそが、ダレンさんの優しさなんです」

「でも、あのガルドって人。この辺りの統一に動いてるんでしょ?」


そうだ。俺がこの国をまとめる必要はない。

ただ、あの男が夢見た未来が、どんな形で息づいているのか――その目で確かめたかった。


「少し、話を聞いてみるか」


そう言って俺は立ち上がり、階下にいるガルドのもとへ向かった。


ーーーー


階段を下り、先ほどまでガルドがいた場所へ向かう。

俺の後ろには、ルシアだけがついてきていた。


「私でよかったんでしょうか?」

「大人数で行くような話でもないだろう」


そう言いながら、さきほどの部屋の戸をそっと開ける。

だが中は静まり返り、灯も落ちており、女性二人の姿もない。


「いませんね」

「どこへ行ったんだ?」


互いに視線を交わし、俺たちは建物の外へ出た。

すると、これまでまるで死んだように動かなかった住民たちが、同じ方向――左の方角へとゆっくり歩いていくのが見えた。


「……どういうことだ?」


ルシアと顔を見合わせ、俺たちはその流れに従うように歩を進めた。


いくつかの建物を抜けた先に、人だかりができていた。

ざわめきとともに、乾いた風に混じって温かい香ばしい匂いが漂ってくる。


人々の隙間から覗くと、そこには――ガルドの姿があった。

両脇には先ほどの女性たち、さらに数人の男たちが立ち、炊き出しを行っている。


「ちゃんと並べ! パンは一人一つだ、守れよ!」


ガルドが声を張り上げる。

その姿は先ほど見た女を侍らせた男のそれではなく、

むしろこの地を背負う者のような、堂々とした背中だった。


「あまりに意外だな……」

「そうですね……でも、印象はだいぶ変わりましたね」


ルシアの言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。

人々の手に渡るパン、子どもが笑いながらそれを受け取る姿。

この国がまだ“死に切っていない”ことを、わずかに感じさせた。


その時、ガルドが俺たちに気づいた。

彼は部下の一人に作業を任せ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


「お前らは……アルケの連れだな? 何か用か?」

「いや、少し話があってな。今、いいか?」

「あ? 構わねぇよ――ああ、そうだ、名乗ってなかったな」

「俺はダレン。こっちはルシアだ」

「どうも」


俺が名を告げた瞬間、ガルドの表情が変わった。

目を見開き、驚きと興味の入り混じったような声を漏らす。


「ダレン……? 『紅影』の、か?」

「ああ。一応、そう呼ばれてる」

「そうか。……少し、この場を外そう」


「それじゃあ、私はあちらを手伝ってきてもいいでしょうか?」

ルシアが炊き出しの方へ目線を向ける。

ガルドは一度だけ彼女を見やり、静かにうなずいた。


俺とガルドは人の波を離れ、街の端に転がる岩に腰を下ろした。

風が吹くたびに、錆びた金属の軋む音がどこからか響いていた。


「それで、話ってのは?」

「ベタレイ皇国の復興についてだ。本当に……できるのか?」


俺の問いに、ガルドは一瞬だけ眉を上げた。

「なぜあんたがそれを気にする?」

「……ただの因縁だ。うまく言葉にはできない」


そう言うしかなかった。

母を奪われ、憎み、そして理解してしまった――あの国と男の残滓。

自分でも整理がつかない感情が、胸の底で渦を巻いていた。


ガルドは俺の目を静かに見据え、短くうなずいた。


「なるほどな。事情は知らんが、いいだろう。現状を話してやる」


ガルドの話によれば、かつてダムナ一帯は『ペンタグラム』の支配下にあり、

闇市場と傭兵が入り乱れ、血と裏切りの渦に飲まれていたという。

しかし近年、奴らの影響力は薄れ、今や土地だけが荒れ果て、

誰も統べる者のいない死んだ国となっていた。


「――だからこそ、今が好機だ。

他の勢力を抑え、この国を再び立たせるにはな」


「そうか……。さっきの質問を返すようだが、なぜあんたはそこまでやる?」


ガルドはしばし無言のまま、曇り空を見上げた。

薄い雲の切れ間から、わずかに光が差していた。


「俺が物心ついたときには、もう国は消えていた。

それが当たり前だと思ってた。

だが――ある時、神聖王国を見たんだ。

『国』ってのは、ああいうもんなんだって知った。

俺たちが住んでる場所は、国なんかじゃねぇ。

ただ、ゆっくりと腐っていく墓場みたいなもんだった」


灰のような声で呟くガルド。

その目は過去を見ながら、未来を掴もうとしていた。


「所詮は俺の我儘だ。けど、それが形になれば、

俺の見たい景色を、皆にも見せてやれる――そう思ってる」


「随分と壮大な話だな」

「なんだ、笑うか?」

「いや……未来を思う気持ちは、俺も笑えない。

……何か、俺にできることはあるか?」


ガルドの口元が、わずかに歪んだ。

それは笑みというよりも、闘志を隠しきれない男の表情だった。


「英雄の力を借りられるのは悪くねぇ。

そういや――剣の聖地に行くんだったな?」


「そうだ」


「なら、これを頼もう」

ガルドは身を乗り出し、低い声で告げた。


「――現剣聖、ソーデンに俺たちの“後ろ盾”になるよう説得してくれ」


その眼には、揺るがぬ野望の光が宿っていた。

それは欲望でも支配でもない、“再生”を信じる者の光だった。

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