六話 陽炎
そうして俺は道中、闘気のことを色々と聞かれながら街へと戻った。
「ダレン君、右手怪我してるよ」
「ん?ああ、大したことない。家まで我慢するさ」
「駄目だよ、放置しちゃ。神官様のところに行こう」
キールの真剣な口ぶりに押され、俺は怪我を直せるという神官のもとへ向かうことになった。
「おや、キール君たちじゃないか。……そこの君は、アレス様のご子息かな?」
「初めまして。ダレンと申します」
神官は年老いた紳士といった風貌で、柔和な笑みをたたえていた。
いかにも教会の人間らしく、穏やかな雰囲気を漂わせている。
「ダレン君がご神木を折ったんだ!あ、それで手を怪我しちゃったから、直してもらえる?」
少し自慢げに枝のことを口にしたあと、キールはようやく本題を思い出したように怪我の話に移った。
「ご神木の枝を……折ったのかい? ふむ。まずは傷を見せてごらん」
神官は腰をかがめ、俺の右手をそっと取った。
「皮がむけてしまっているね。……少し待っていなさい」
そして低く落ち着いた声で祈りを唱える。
「慈愛の女神様、豊潤の糧を我らに与えたまえ」
途端に手が淡い光に包まれ、じんわりと温かさが広がる。痛みはすっと引いていった。
これが「祝福」か。
神聖力――信仰によって与えられる力。
慈愛の女神はルミナス神聖王国で厚く信仰されているが、愛と赦しの象徴としてどの国でも一定の信者がいるという。
「よし、これで大丈夫だ。……本来ならお布施を頂くところだが、キール君に免じて今回は特別だよ」
柔らかく笑う神官に、確かに慈愛の精神が宿っていた。
「ありがとうございます、神官様。その祝福は誰でも受けられるんですか?」
「信仰心も大切だが、それと同時に神聖力を扱う技術が必要でね。君たちにはまだ難しいだろう」
「ダレン君、闘気と同じで神聖力もうまく扱えなきゃ使えないんだよ」
とキールが補足する。
なるほど。闘気は内から、神聖力は外から――。だが信仰心に乏しい俺には、やはり遠いものに思えた。
「それじゃあ、また道場で会いましょ!」
「ダレン!次は負けないからな!」
二人は笑い合いながら帰っていく。
「僕らも帰ろうか。神官様、本日はありがとうございました」
「では、ダレン様もお気をつけて。……慈愛の女神様、彼の道を祝福で照らしたまえ」
「それは……今のは何ですか?」
先ほどの祈りとは違い、まじないのように感じた。
神官は目を細め、表情を少し険しくした。
「ダレン様には……大いなる運命を感じました。よくも悪くも、ですが。どうか強い意志を持ち、折れないでください。どんなに困難で挫けそうでも信じることです。神々は常に見守っておられます」
そう言い残し、彼は教会へと戻っていった。
胸の奥にひっかかる言葉を抱えたまま、俺も家路につく。
「テドス、今度宗教について教えてくれ」
家に着くなり、真っ先にそう頼んだ。
「ええ、ちょうどその話を次はしようと思っていたところです」
「ダレン、今日は楽しかった?」
母は、道中で息子に友ができたことを心から喜んでいるようだった。目を輝かせ、続きを待っている。
「はい、母様。楽しかったです。……ご神木にも行きました」
「あの大きな木ね。昔からある、すごく硬い木だって聞くわ」
俺はその木に登り、枝を折ったことまで話した。
「え……?」
母の顔がこわばる。胸の奥が冷たくなる。やはり、不敬なことをしてしまったのか。
だが次に返ってきたのは、思いがけない言葉だった。
「すごいじゃない! 大人でも折れないのに!」
母の手が俺の頭をくしゃりと撫でる。その温もりに、胸の緊張がほぐれていく。
前世では、何をしても罵倒されることが多かった。その記憶が一瞬よぎったが、今は違った。
「それが、その枝なのね? ……木の剣にできないかしら。ねえ、テドス?」
「この硬さなら木工職人より、鍛冶師に任せた方がよろしいでしょう」
「じゃあ決まり! 木剣にして、父さんにも見せましょうよ」
母の笑顔は眩しく、自然と俺の頬も緩んだ。
「はい、母様。私も、それがいいと思います」
今日は色々なことを学び、経験できた一日だった。
その充実感に包まれながら、俺は静かに眠りへと落ちていった。
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「ダレン、今日は誕生日だからね。夜、楽しみにしててね」
母の声にふと顔を上げる。俺は今日で十歳を迎えた。この国で祝うのは十の誕生日と十五の成人だけだ。だからこそ、この日は特別だった。
「ダレン、今日は久々に稽古をしようか」
最近は遠征や任務で家にいないことの多い父も、この日は帰ってきていた。
庭へ出て、いつもの型をこなしたあと剣を交える。
父の剣――何度見ても洗練されている。直線的な動きなのに、どの角度からでも受け返す柔軟さを持っていた。
「アルケはよくやってくれているな。いい脚運びだ」
剣を受け止めながら、父が短く言った。
「結局、剣を操るのは自分の足腰だからな。その基盤ができている」
父は無駄に褒める人間ではない。だからこそ、その言葉をまっすぐ信じることができた。
「ありがとうございます。父様、一つ試してみたいことがあります」
俺は闘気をさらに深く凝縮させ、全身へと巡らせた。心臓の鼓動が早まるのを感じ、一気に踏み込む。
剣を振り下ろすと同時に――視界が一瞬きらめいた気がした。
だが、その刃は父に難なく受け止められる。
止まらない。体をひねり、回転し、二撃目三撃目を畳みかける。
呼吸が荒くなる。三分、いやそれ以上。攻め続けたが、最後には息が切れ剣を落とした。
「……それは、どうやったんだ」
父は驚いた顔で立っていた。
「闘気を凝縮させて、体に巡らせただけです」
俺は正直に答えた。
「それはかなり高度な制御だぞ。それに……一瞬、お前の目が」
父は言葉を切り、考え込むように眉を寄せた。
「アルケの入れ知恵か?……いや、にしても」
何かを呟き、剣を収めた。
「今日はここまでだな。体力も限界だろう」
俺は地面に腰を下ろし、今の戦いを反芻する。
闘気で身体を強化しても、父には遠く及ばなかった。
力だけではなく、剣そのものを知らなければ。
「基礎三剣の使い方はよくできている。あとは組み合わせだ」
父の言う、基礎三剣。
剛を極める者、剛剣。
流れを掴む者、流剣。
変則を用いる者、奇剣。
この世界にある三つの大きな剣の道。
「俺は剛剣が基礎だからな、それ以外はアルケに聞け」
そう言って去っていった父を見て、まだその背中は遠かった。
――俺は、剣の道、その入り口に立ったばかりにすぎない。
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夜。食卓には豪勢な料理が並んでいた。
「さあ今日はお祝いだから、いっぱい食べましょ」
家族三人、そして使用人三人がそろっての夕食。
「それじゃ、俺からダレンへ贈り物をしよう」
父が差し出したのは、黒光りする一本の剣だった。
「これは……?」
「お前が折ったご神木の枝だ。帝都の一流職人に頼み、剣にしてもらった」
「私が父さんにお願いしたのよ。伝手を探すのに少し苦労したけどね」
母が笑う。
木剣かと思ったが、手にした感触はまるで金属だ。
「性質としては遺物に近いらしい。枝自体がプラナを吸い込み、金属に近い硬度を持っていたそうだ。それにミスリルを合わせ、さらに強度を上げてある」
「……ありがとうございます、父様。大切にします」
「お前の成人を見越して作らせたものだ。今はまだ扱いきれんかもしれんが、いずれは馴染むだろう」
剣は少し大きめだったが、不思議と手に馴染む気がした。
「次は私ね」
母が手渡してきたのは、小さなペンダントだった。
「これは遺物。でも効果は内緒」
「どうしてですか」
「使わないに越したことのないものだから。ただね――」
母は微笑み、俺を抱き寄せる。
「寂しさや不安に負けそうになったときも、これを持っていれば、私たちがそばにいることを忘れないで」
母の優しさはいつもこうだった。自然と包まれる感覚に、優しさと愛を感じていた。
「ありがとうございます。母様、大事にします」
そして、テドスら使用人からは黄色いユダの花をもらった。
夜、一人部屋に戻り、剣とペンダントを机に置く。
――この日々は楽園だ。だが永遠ではない。
だからこそ俺は強くなる。
何が起きようとも、大事なものを守れるように。




