一話 相対
湖に沿うように伸びる整備された道を、馬車に揺られて進んでいた。
師匠と別れ、一人で帝国を訪れたあの日を思い出す。
今の馬車には、あの時とは違い、共に旅を重ねてきた三人の仲間がいる。
長く感じた短い旅の中で、確かに俺は変わった。
自らの顔に手を触れ、ふと微笑む。外見の変化はほとんど無い。
だが内に宿るもの――その強さと覚悟は、あの旅立ちの頃とはまるで違っていた。
クラリスとルシアは、互いの肩にもたれながら穏やかに寝息を立てている。
御者台には、頼もしい背中を見せるフィデルの姿があった。
その光景に、自然と頬が緩む。
そっと上着を脱ぎ、二人の肩にかける。
その瞬間、クラリスのまつ毛が揺れ、碧眼がゆっくりと俺を捉えた。
「……ん? ダ、レン?」
「すまん、起こしたか」
「ふぁぁ……そんなことないよ。よく寝たぁ……」
クラリスはルシアを起こさないように身を起こし、軽く伸びをした。
「ダレン、あとどのくらい?」
「あー、フィデル! どのくらいかかるかわかるか?」
張り上げた声に、背を向けたままフィデルが答える。
「今の地点からなら……日暮れには着くと思うぜ」
「だそうだ」
「やっとダレンの師匠に会えるね」
クラリスの言葉に、俺は静かに頷き、窓の外に目をやった。
水気を含んだ風が頬を撫で、湖面が金色に揺れる。
その光がどこか懐かしく、旅の終わりと次なる戦いを同時に告げているようだった。
「楽しみだなぁ」
「なんでクラリスがそこまで楽しそうなんだ?」
「ダレンの師匠だよ? しかも特級冒険者“虚剣”の異名を持つ人なんでしょ?」
「確かにな。実際、その“虚剣”と俺とじゃどっちが強いんだ?」
前を向いたままフィデルが尋ねる。
俺は顎に手を添え、少し考えてから答えた。
「俺が勝つだろうな。
だが――剣そのものの腕だけなら、正直、分からない」
「ダレンがそこまで言うんだ……一度、手合わせしてみたいな」
そうして師匠の話題で笑い合ううちに、クラリスの肩に頭を預けていたルシアが静かに目を開いた。
「ん……あ、私、寝ちゃってましたか……?」
「それはもうぐっすりな」
「夕暮れまでには着くらしいぞ、ルシア」
「もうそんな所まで……。紛争地が近いんですね……」
安堵の中に、どこか不安を滲ませるルシア。
その横顔に、俺もかつての記憶を呼び起こされた。
世話係でありながら俺を裏切ったテドス。
だがその裏には、紛争地で家族を失い、“ペンタグラム”に利用された彼の悲哀があった。
彼が嘆いていた光景――荒廃し、恨みが連鎖する地が、もうすぐそこにある。
「――そう心配することは無さそうだぜ」
沈黙を破ったのは、前方のフィデルだった。
「どういう意味だ?」
「聞いた話によるとな――」
彼の口から、今のダムナ紛争地の様子が語られた。
火種は完全には消えていないが、少なくとも“人々が自らの手で平和を作り始めている”という。
それは確かに、あの頃にはなかった希望だった。
⸻
湖に沈む夕陽が、赤く世界を染める。
その向こうには、神聖王国の最西端――師匠アルケが滞在している街の姿が見えた。
検問を抜け、街の中へと入る。
かつて戦火が走ったその場所は、焼け焦げた建物の跡を残しながらも、人々の声と笑顔で満ちていた。
「こっちも結構激しかったんだね……」
「そうだな……」
「でも……こんなに活気があるなんて」
ペンタグラムの奇襲で大きな被害を受けたにもかかわらず、住民たちは修繕に励み、笑い合っていた。
その姿は、戦いの果てに残った“生きる意志”そのもののように見えた。
やがて探索者協会にたどり着き、受付へ声をかける。
「すまない。ここに『虚剣』のアルケはいるか?」
「アルケ様ですか? たしか最近は騎士団の方に顔を出していたと思いますよ」
「そうか。ありがとう」
駐屯所までの道を聞き、礼を述べてその場を後にした。
妙な緊張が胸の奥を締めつける。
街を歩く足取りは重くもあり、どこか懐かしくもあった。
「アルケ様ですか? 先ほど街の修繕の様子を見に行かれましたよ」
「……変わらねぇな、そういうとこは。ありがとう」
「お知り合いで?」
「ああ、そんなところだ」
さらに進みながら、何人もの住民に声をかけていく。
「あの人には感謝しかないよ」
「あの歳であそこまで動けるなんて、大したもんだ」
「この街の恩人さ」
皆が口を揃えて彼を称える。
敵の幹部を討ち、街を救い、今もなお復興の手伝いを続けているという。
その名はすでに“英雄”として語られていた。
「立派な方なんですね……」
ルシアの言葉に、俺は苦笑する。
「いい人ではある。だが……ここまでとはな」
「ダレンさんの師匠らしさ、感じます」
ルシアの穏やかな声を聞きながら、俺は心の中で思う。
あの旅立ちの時、師匠の中にも確かに何かが変わり始めていた。
そして今――その答えをこの目で確かめる時が来たのだ。
やがて夕闇が街を包む頃、修繕現場の一角にたどり着く。
土埃が舞い、汗に濡れた人々が声を掛け合いながら動いていた。
その中で、ひときわ落ち着いた声で指示を出す男がいた。
「ああ、アルケさんなら、あそこに」
指さされた先を見る。
その姿は、かつてと変わらぬ師匠そのものだった。
ただ、荒れていた髭は整えられ、どこか若々しさを取り戻しているようにも見えた。
泥にまみれながらも堂々と立ち、笑顔で人々に声をかける姿。
俺の視線に気づいたのか、一瞬だけ彼の動きが止まった。
その瞳が、確かに俺を捉える。
俺はゆっくりと歩みを進める。
土を踏む音が、やけに耳に響いた。
そして、目の前で立ち止まる。
「……師匠」
「……ダ、ダレンなのか」
「ああ」
長く、険しい旅の果てに。
俺は再び、師と相まみえた。




