閑話 ルシアの独白
少々長く語りすぎたかもしれません
私は、生まれた頃から光を探していた。
両親はいなかった。物心ついた時にはすでに孤児院の中で暮らしていて、私にとって家族というものは、誰かが手を繋ぎ合う光景の中にしか存在しなかった。
街で見かける親子が並んで歩く姿は、眩しく、遠い夢のように見えた。
けれど、そんな私には「祝福」が与えられた。
神に選ばれし力――と人々は言った。
それを持つ者は稀であり、私は孤児院の中でも特別な存在となった。
生活に困ることもなく、周りから羨望の目を向けられた。
……でも、私が本当に願ったのは、そんな力ではなかった。
ーーただ願うならば、「祝福」よりも普通の人生を歩み、自由に生きたかった。
その思いを口にしたことは一度もない。
どうせ叶わないと、諦めが心の奥で勝っていたから。
ヴェネトでの暮らしも、最初は戸惑いの連続だった。
けれど、教会の人々や街の優しさに支えられ、いつしかここが私の居場所となっていった。
だからこそ、私はこの街と人々を守ることを「役目」とし、「責務」として受け入れていた。
気づけば、かつて抱いていた自由への願いも、心の奥に沈んでいった。
そんなある日、元騎士団長のロウランさんと出会った。
彼は穏やかな物腰で、民を想う眼差しを常に持っていた。
「ルシアさん。今の生活は楽しいですか?」
「はい。ここには居場所があります。出来ることがあるのは、素直に嬉しいです」
「そうですか。でも……やりたいことではないでしょう?」
「え?」
その一言が胸の奥を突いた。
彼はすでに気づいていたのだ。
私が押し殺してきた本当の思いを、静かに見透かしていた。
「確かに今のあなたには、まだ難しいでしょう。立場も曖昧で、やりたいことも形になっていない」
「私は……女神様に仕える身です。そんな思いを抱く私は……間違っているでしょうか?」
気づけば、心の奥から零れ落ちた言葉を必死に押さえ込もうとしていた。
だが、口から出たその想いは、もう引き戻せなかった。
しかし、ロウランさんは優しく笑った。
「そんなことはありません。それは人として、正しき願いです。恥じることではありません」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが解けた。
まるで「自由を願ってもいい」と赦されたような気がした。
「あなたはこれまで多くの人の願いを背負ってきました。
きっとこれからもそうでしょう。
ですが——いつか、あなた自身の願いを叶えてくれる人が現れますよ」
それは希望というより、確信に満ちた声だった。
私はその“いつか”を信じた。けれど同時に、不安も抱えたまま、時は静かに過ぎていった。
ーーそしてある日、日常に終わりを告げる知らせが届いた。
「え……? 襲撃、ですか?」
ヴェネトの教会に秘密裏に保管されていた特級遺物を狙った、襲撃予告。
それを聞いた時、胸の中に冷たいものが落ちた。
街の人々への不安、自分の無力さ、そして未来への恐れが押し寄せてきた。
「心配はいりません。騎士団も動いています。それに——頼りになる者たちも呼びました」
「頼りになる……人たち?」
ロウランさんの言葉に、私は小さく首を傾げた。
話によれば、探索者たち——遺跡を巡り、危険を冒し、未知を切り開く人々だという。
自由に旅をし、己の意志で生きる彼らの姿は、私には眩しく映った。
そして胸の奥に、静かな嫉妬が芽生えた。
それからひと月が経った頃。
私は夕暮れの湖畔で、草むらに座り込む一人の男を見つけた。
この街では見かけない顔。おそらく外から来た探索者だ。
彼の背に落ちた影は、夕日に照らされながらもなお濃く、深く伸びていた。
何を思ったのか、自分でも分からない。
気づけば、その背に向かって声をかけていた。
「……何か、大変そうですね」
振り返った男の瞳は、夜のように深い黒だった。
けれど、その奥にわずかな光を見た気がした。
話すうちに、彼の口元がふっと緩んだ。
ただそれだけのことが、何故か胸の奥を温めた。
翌日、再び彼と会った。
隣には一人の女性がいて、その時の彼は少しだけ柔らかな表情をしていた。
その姿を見て、ほんの少し安心したことを今でも覚えている。
それから何度か会ううちに気づいた。
彼——ダレンさんは、人のために行動するたび、まるで自分を罰するような眼をしていた。
赦されることを拒むような、痛ましくも美しい姿。
女神像の前で『赦し』を拒むその背中に、私はどうしようもなく惹かれていった。
「貴方の抱えているものを、私に聞かせてください!」
そう言って手を差し伸べた。
それは身勝手な願いだった。彼の過去を知らぬ私に、そんな資格はない。
けれど——それでも誰かが傍にいて、彼を受け止めなければと思った。
だが、その手は静かに振り払われた。
「俺は……」
その一言に宿る苦しみを見て、私は確信した。
彼は、誰よりも自分を赦していない。
「——待ってます」
それは、かつて私が一番かけられたかった言葉。
だからこそ、その言葉を彼に贈った。
⸻
その後、クラリスと街を歩いた。
彼女は芯の通った人だった。どんな困難にも真っ直ぐに立ち向かい、その姿は眩しいほどに強かった。
「ルシアにはさ、ダレンはどう見える?」
ふとした会話の中で、クラリスがそう尋ねてきた。
きっと彼女も、ダレンの背負うものに気づいていたのだろう。
「私には……自分で苦しんでいるように見えます。
背負っているものは分かりませんが、きっと誰よりもダレンさんを赦していないのが——本人なんだと思います」
「やっぱり、そう見えるよね。
私はさ、ダレンは私に救われたって言ってくれるけど、私もそうなんだ。
だからこそ、彼の重荷を共有したい。少しでも肩代わりしたいって思うんだ」
彼女のまっすぐな瞳を見て、私は少しだけ負けた気がした。
共に歩んできた彼女の言葉には、真実の重みがあった。
だけど、気持ちは同じだった。
だからこそ、私は微笑みながら提案した。
「では、こういうのはどうでしょう——」
そして、フィデルさんも交えた作戦が、そこで静かに決まった。
ーーーー
何も知らないダレンさんを、私は静かに懺悔室へと招き入れた。
扉の外ではクラリスとフィデルさんが控え、私の合図とともに鍵を閉める。
少々強引すぎたかもしれない。けれど――真っ直ぐにぶつからなければ、彼の心を覆う殻を壊すことはできない。
静寂が満ちる中、私は息を整え、口を開いた。
「……貴方の心のままに、吐き出してください」
私の言葉を受けて、部屋は一層静まり返った。
きっと彼は、口を開いたまま動けずにいるのだろう。
その姿が、目に浮かぶようだった。
私は胸の奥で祈るように、もう一度言葉を重ねた。
「――罪そのものではなく、貴方自身を、赦してあげてください!」
差し出した私の手が、彼の手によって強く握られる。
その手は微かに震え、背負ってきた重さと弱さを確かに感じた。
「だから……どうか、『私に』、そして『私たちに』話してください……!」
その瞬間、彼の心の奥底で何かが砕けるような音が、確かに聞こえた気がした。
手の力がゆるみ、長い間握り締めていた「痛み」が、少しずつ手放されていく。
⸻
「俺に……赦される価値はあるのか……?」
「――私が認めます」
「俺に……赦される場所はあるのか……?」
「――私が、作ります」
「俺は……この『痛み』とどう向き合っていけばいい……?」
「――私がいます。皆がいます。貴方は一人じゃない。貴方は、赦されていいんです」
震える声に、私はまっすぐ答えた。
言葉を重ねるたび、彼の中で何かがほどけていくのが分かる。
「……じゃあ、話すぞ――」
そうして、ついに彼の口から懺悔が始まった。
それは静かで、しかし確かな痛みを帯びた声だった。
語られる罪の一つひとつが、これまで彼を縛り、壊し、それでもなお歩ませてきた重さそのものだった。
私はただ、その勇気を、尊敬と共に見つめていた。
「俺はここまで汚れ、荒み、腐ってしまったんだぞ……」
「失ったものばかりではありません。
変わりゆく中で、なお変わらなかったものがある。
それこそが、貴方の中に今も息づいているものです」
私は彼の「弱さ」を、まるごと肯定した。
それを背負い続けた強さが、確かにそこにあった。
扉が開き、クラリスとフィデルさんが彼の前に姿を現す。
私は立ち上がり、彼を正面から見つめた。
罪を吐き出し終えたその姿は、弱々しくも確かに光を宿していた。
「――これが、貴方がこれまで紡いできたものです。
変わらずに大事なものは、ここにあるのです」
それを聞いた彼は、静かに立ち上がり、声を震わせながら言った。
「皆……俺の生き様を見てくれ。
そして――この“痛み”の先に、救いを……俺に与えてくれ」
その言葉を聞いた時、彼はもう「過去に囚われた男」ではなかった。
自らの罪を抱え、なお前を見据える者となっていた。
彼は『成った』のだ。
その姿に、私は心の奥底で残っていた想いが静かに揺れ動くのを感じた。
⸻
展望台の上。湖を見下ろす高台にて、私はついに本心を口にした。
「私は……知らないことを、もっと知りたいです。
見て、聞いて、いろんな人や景色を、自分の目で見てみたい」
それは女神に仕える巫女として、ずっと口にできなかった願い。
けれど、彼らと出会った今なら――そう言える気がした。
「なら……俺たちと来るか?」
「え……?」
目の前に差し出された『自由』に、私は戸惑った。
けれど、彼の瞳の奥には、もう闇はなかった。
黒曜石のようなその瞳は、深く、静かに、光を宿していた。
結局その時は答えを出せなかった。
だが、彼は「待つ」と言ってくれた。
あとは、私の勇気だけだった。
最後の“責務”を果たすために、胸の前で手を固く握りしめた。
⸻
そして決戦の日。
戦場は炎と影に包まれ、悲鳴と祈りが交錯する。
私は怪我人を癒しながら、遠くで戦う彼の姿を見つめていた。
――彼の背中に、ついていきたい。支えたい。
その想いだけで、足が自然と動いた。
そして、彼が影に呑まれる瞬間。
私の指先がわずかに彼に触れ、共に闇へと飲み込まれた。
そこは彼の『罪』の世界だった。
燃え盛る炎。焼け落ちる街。泣き叫ぶ声。
その全てを、彼は一人で背負い続けていた。
私はただ、その中で彼の痛みに寄り添うことしかできなかった。
けれど、彼は変わった。
闇の中でもなお、誰かのために光を求めるその姿に――私は確かに、希望を見た。
⸻
「――ルシア!」
彼が私を呼んだ。
その声に応えるように、私は光に包まれながら彼を抱きしめた。
闇は砕け、世界が再び色を取り戻していく。
「今まで……ごめん。そして――ありがとう」
涙が頬を伝う。
彼の母との別れを見届けながら、私は微笑んだ。
「よろしくね、ルシアちゃん?」
「はい。任せてください」
託された願いを胸に、私は二人の旅立ちを静かに見送った。
光の粒子が舞い上がり、彼の歩んだ道を祝福するかのように、空を照らしていた。
⸻
戦いの後。
私は湖畔に立ち、夕陽に照らされる彼の背を見つめていた。
紅の光が湖面に反射し、まるで彼の中の「光」と「影」が溶け合っていくようだった。
――最初から、彼の心には光があったのだ。
女神の祝福を授ける者である私が、初めて“人の光”に照らされた。
その光は、あまりにも眩しかった。
「……きれい」
その言葉が自然と零れ落ちた。
⸻
そして、戦いの終わり。
「答え」を告げる時が来た。
「私も、自分の生きたいように生きてもいいんでしょうか?」
その問いに、彼は迷わず頷いた。
あの懺悔室で彼が救われたように、今度は私が救われる番だった。
「――歓迎する、ルシア」
その言葉に、胸が熱くなった。
長い時を経て、初めて『祝福』が私自身に降りた瞬間だった。
湖に映る光は、私たちを優しく包み込んでいた。
風が静かに吹き抜け、未来へ続く道を照らすように――。
やっと書き終えました。
ひとまずここで一区切り。
続いては師匠ーーとの再会を書いていきます。
主人公ダレンの成長した姿。ぜひ心待ちにしていてください




