四話 清白
「ダレン! 見てよ! すごいね!」
少しずつ暗がりを見せはじめた夕焼けを背に、クラリスははしゃぎまわっていた。
フィデルはというと、すでに街中が気になったらしく、姿が見えなくなっていた。
「おい、クラリス! あまり遠くに行くなよ!」
湖に沿って駆けていくクラリスの姿は、次第に小さくなり、やがて見えなくなった。
俺は小さくため息をつき、湖を見渡すように草むらへ腰を下ろした。
「はぁ……」
「何か、大変そうですね」
ため息混じりの声に、隣から穏やかな声が返ってきた。顔を向けると、そこには風に靡く白髪と紺碧の瞳を持つ少女が立っていた。教会の装束をまとい、夕焼けの光を受けて、白い髪が金のように輝いていた。
「ああ、まあな」
「もし、何かお辛いことがあれば、いつでもお聞きしますよ」
彼女は静かに微笑んだ。その笑顔があまりに柔らかく、思わず視線を逸らす。
「会ったばかりの人に話すもんじゃないさ。それも年下にな」
「そういうもの……ですか? でも、私、もう十七ですよ?」
「見えないな」
「貴方に言われたくありません」
思わず吹き出してしまった。まさか同い年だとは思わなかったのだ。
頬を膨らませて反論する彼女の姿が可笑しくて、つられて笑ってしまう。
「ふふっ。そっちの顔の方がいいですね」
「はっ。よく言われる」
夕日が落ちきるまで、俺たちは他愛のない話を続けていた。
会ったばかりなのに、どこか懐かしさを感じる。不思議な安心感に包まれながら、俺は首を傾げた。
「もう暗くなってきたな」
「そうですね。それじゃあ、私はこれで」
少女は立ち上がり、スカートについた草を手で払った。
俺もつられて立ち上がり、去ろうとする彼女に声をかける。
「なぁ、名前はなんていうんだ?」
「ふふっ、内緒です。でも……また会う気がします」
そう言って彼女は振り返り、街の暗がりへと消えていった。
俺はただ、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「あっ、そういや──」
クラリスとフィデルのことを思い出し、急いでその場を離れた。
空間認識を広げ、ようやく二人の気配を捉える。無事に合流すると、クラリスがこちらに駆け寄ってきた。
「ダレン、何かあったの?」
「ん? なんでそう思う?」
「いや、なんとなく?」
首を傾げながらも、クラリスは妙な確信を帯びた表情で近づいてくる。
そして俺の鼻先に顔を寄せ、匂いを嗅ぐような仕草をした。
「やめとけって、クラリス。ダレンにもいろいろあるだろ」
「いろいろって何?」
「あー、それはな……」
俺を庇おうとしたフィデルが曖昧に濁した。どうにも嫌な想像を掻き立てられ、気が気でなかった。
結局その場はそれ以上話を広げず、ロイスが手配した宿へと向かうことにした。
「皆様方、初めまして。ここでの案内役を任されました、ロウランと申します」
宿の玄関で出迎えたのは、白髭をたくわえたいかにも老兵然とした男だった。
彼はロイスから命を受け、俺たちの滞在中、護衛と案内を兼ねるらしい。
「よろしく、ロウランさん」
「ロウランで結構ですよ」
そう言われたので、その呼び方に甘えることにした。
その日はひとまず休息を取ることになり、各々に部屋が割り振られた。
用意された水で軽く体を拭き、寝台に横たわる。
天井を眺めながら、夕陽に照らされたあの白髪の少女を思い出す。
「……なんなんだろうな」
胸の奥に、何かが引っかかるような感覚が残っていた。
そんな折、ノックの音がして、反射的に返事をした。
「何かあったのか?」
扉の向こうには、クラリスが顔を覗かせていた。
「いや、別に……。明日、暇でしょ?」
「ロウランから聞いても特に予定はなさそうだったしな。街でも回ろうかと」
「じゃあ、私も一緒に回ってもいい?」
「もちろんだ」
満足げに頷いたクラリスは、小さく笑って扉を閉めた。
部屋に再び静寂が戻る。
これまでと違い、敵の襲撃もその目的もわかっている。
だからこそ、この“待つ時間”が落ち着かなかった。
騒ぐ胸を押さえながら、俺は静かに目を閉じた。
ーーーー
翌朝、俺たちは早めに目を覚まし、支度を済ませて街へ出た。
「お前たちで回ってこいよ」
フィデルも誘ったが、何故か断られ、一人で街に繰り出していった。
「じゃあ、行こっか」
クラリスは手を後ろで組みながら、軽やかに歩き出した。俺も歩幅を合わせてその隣を歩く。
彼女の容姿はやはり目を引くらしく、歩いているだけで人々の視線を集めていた。
「なんか帝都を回ってた時を思い出すね」
「懐かしいな。そんなに前でもないのに」
月日はそう長くは経っていない。
だが俺たちにとっては、それ以上に濃く、長い時間を過ごしてきたように感じた。
クラリスと共にいた時間は決して長くない。
それなのに、まるでずっと昔から一緒にいたような感覚があった。
ふと、クラリスは屋台に駆け寄り、串焼きを頼んでいた。
俺も隣に並び、その様子を眺める。
「へい、お待ち。お代は──」
「これで頼む」
「あいよ」
「いいのに……」
「これくらい大したことないだろう」
クラリスの代わりに俺が金を払うと、彼女は少し不服そうに唇を尖らせた。
一方で店主はニヤリと笑い、それが妙に気恥ずかしく、俺は逃げるようにその場を離れた。
「……ふふ」
口に串焼きをくわえたクラリスが、隣に並ぶ。
その何気ない仕草が、なぜか懐かしく思えて、自然と笑みがこぼれた。
しばらく街を歩き、店をいくつか覗いていると、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
クラリスと目を合わせ、建物の陰からそっと覗く。
そこには、昨日出会った白髪の少女がいた。
彼女は子どもたちと戯れ、柔らかく微笑んでいた。
「ダレン、知り合い?」
「あ、いや。知り合いってわけじゃ……」
クラリスの顔をちらりと見て、正直に答える。
俺たちがそんなふうに話していると、彼女はこちらに気づいたようで、紺碧の瞳が真っ直ぐに俺たちを捉えた。
子どもたちに何か声をかけ、彼女はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「こんにちは。昨日の方ですよね?」
「ああ、そうだな。君はこんなところで何をしてるんだ?」
「私はシスター見習いなんです。この孤児院で子どもたちの世話をしていて」
「そうだったのか」
「そちらの方は?」
彼女は穏やかに微笑みながら、クラリスへ視線を向けた。
「クラリスです。ダレンとは旅の仲間……みたいな感じです」
「そうなんですね。クラリスさんとダレンさん、ですね。私はルシアといいます」
「昨日は名乗らなかったのに……」
「ふふっ。でも、こうしてまた出会えたじゃないですか」
ルシアは口元を手で押さえ、可笑しそうに笑った。
その仕草はクラリスとは違う種類の人懐っこさで、俺を少し困らせる。
「旅の方なんですよね? この街は初めてですか?」
「ああ。ちょうど見て回っていたところだ」
「もしよければ、私がご案内しましょうか?」
願ってもない申し出だった。
土地勘のない街を回るのは気を遣うし、ロウランの案内をクラリスが断ったせいで、少し困っていたところだった。
「いいんじゃないか? なぁ、クラリス」
「え? あ、うん……いいと思う」
「では、少しだけ待っていてくださいね」
ルシアは軽く頭を下げると、孤児院の中へ戻っていった。
その背を見送る間、クラリスのジトッとした視線が俺に突き刺さっていた。




