三話 糧
あれから三年が経ち、俺は『八歳』になった。
この三年間、父からは剣術を、世話係からは座学を学んできた。
今日も部屋の机に向かい、分厚い本を前にしている。
俺の向かいに座っているのは、この家の使用人まとめ役であるテドスだ。
白髪が目立つ五十手前の年長者で、どんな雑務でも器用にこなす。普段は後ろで控えていることが多いが、座学では指導役としてよく話すようになった。
「我々が今いるクーリン帝国は、三百年ほど前、いくつかの国々に分かれていました。それをまとめ上げたのが、アベル・クーリン様です。さて、ダレン様――現皇帝陛下のお名前は?」
「皇帝陛下は……ヴォルフ・クーリン様だったか。剣の実力でも近衛騎士と張り合えるとか」
「はい、よく覚えていましたね。皇家は代々、武の才に優れておりまして。それも初代アベル様の血筋ゆえ、でしょうな」
テドスの声は、どこか誇らしげだった。
「ヴォルフ陛下は、皇帝になる前は遺跡を巡る探索者として名を馳せられました。二つ名は――『赤狼』」
「赤狼?」
思わず首を傾げる。そういえば父も『騎士殺しの騎士』と呼ばれていた。
「赤狼とは、戦いの最中、陛下の瞳が赤く輝く様子からついた名です。その姿はまるで赤い閃光。英雄譚では“赤き光は帝国を救う”と語られるほどでしてな」
子供の頃から語り継がれる話なのだろう。テドスは妙に嬉しそうに力説していた。
「おっと話過ぎましたな。では次に参りましょう」
わざとらしく咳払いして、別の話題に移った。
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テドスの口から語られるのは、この大陸の仕組みだ。
「ラカンディア大陸には八つの国があります。交流は大陸内のみ。例外は、東の島国との交易くらいですな」
帝国は大陸の東に位置していることは本で把握していた。テドスの話にうなづき真剣に話を聞く。
「その内、帝国・神聖王国・王国が三大強国として名を馳せています」
「強国って……戦争ばかりなのか?」
「王国は積極的でありますが、他は言うほどそうでもありません属国を有しているのは帝国と王国だけです」
その他の小さな三国は同盟を組んで、それらに対抗しているようだった。
メモを取りながら聞いていると、テドスが机の地図を指した。
「大陸の中央から西へ――ここに大きな湖があります。ここから流れる川と資源が、各国の命綱となっているのですよ」
確かに大陸中央、少し西よりにかなり大きな湖がある。
「ですが、問題は西にございます」
テドスの声色がわずかに低くなる。
「ダムナ紛争地……と呼ばれる場所です」
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「紛争地?」
そう俺が首をかしげていると、テドスは話を続けた。
「はい。三十年前までは三つの国が同盟を結んでいましたが……そのうちの一国、ベタレイ皇国が突然裏切ったのです。三国を巻き込み、大戦争に。結果、国は滅び、今は五つ以上の勢力が争う戦場。麻薬、人身売買、闇市場の中心地ともなっています」
「国が……滅ぶ?」
声が震えた。そんなことがあり得るのだろうか。
「信じがたいでしょうな。しかし、実際にそうなったのです」
テドスの目はどこか遠くを見ていた。
「父様も……そこに行ったことがあるって聞きました」
「ええ、若き日の当主様は剣を磨くため、各地を放浪されました。その一つがダムナ。……騎士になる前のお話です」
意外だった。安定を重じていそうな父が、そんな危険地帯を渡り歩いていたなんて。
「でも、裏切った国がどうしてそんなことを?」
「表向きは“皇帝の乱心”とされています。長き緊張に疲れた……とも。しかし――」
そこでテドスは言葉を切った。
「しかし?」
「……これは座学で語るには不確かすぎますが。何かしらの『組織』が暗躍した、という説もあるのです」
「組織?他国じゃなくて?」
「はい。他国には利がありませんから。ですが痕跡は確かにありました。今も少数ながら調べ続ける者がいます」
俺は思わず息を呑んだ。国を三つも一気に滅ぼす組織など、本当に存在するのか。
テドスは瞼を伏せ、小さく呟いた。
「可能なのです。もし、それが――特級遺物なら」
『遺物』。その言葉に、背筋が冷たくなる。前に本でも読んだことがあった。
「特級……」
「それを扱えれば……国を滅ぼすこともあり得ます....」
テドスの声は僅かに震えていた。まるで過去を思い出したかのように。
「……いずれ知る日が来るでしょう....さて。もう時間です。終わりにしましょうか」
急に明るい声を作り、立ち上がる。
「次は剣術の稽古ですね。頑張ってください」
そう言って、どこか誤魔化すように部屋を後にした。
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午後になると、父との剣術の稽古が始まる。
先ほどのテドスの態度は気になったが、考えていても答えは出ない。今は目の前の修練に集中するしかない。
俺は修練着に着替え、庭に立つ父のもとへと向かった。
「来たな、ダレン。それじゃあ、いつも通り体力づくりから始めるぞ。」
父の稽古は必ず基礎の体づくりから始まる。剣を振る前に、体そのものができていなければ意味がない――その理屈は俺も理解していた。前世で部活や格闘技をやっていたからこそ、納得できる考えだった。
走り込み、腕立て伏せ、上体起こし。体が温まったところで、ようやく木剣を握る。
「まずは打ち込みだ。体幹を安定させろ。足腰を使って振るんだ。」
父が構える。俺は木剣を振り下ろす。
剣術は面白い。全身の連動を剣先に集約し、一撃を形にする。呼吸と足の運びが合ったとき、最高の一振りとなる。稽古を始めてから、確かに自分が成長しているのを実感していた。
「いいぞ。次は角度を変えてみろ。力の向きも一緒に変えるんだ。」
父の指示を受け、何度も打ち込みを繰り返す。数を忘れるほど振り続け、子どもの体には限界が来ていた。
「よし。休憩だ。そのあとで『闘気』の稽古に移る。」
父は汗ひとつかかず、庭の端で素振りを始める。
普段使いしている大剣を難なく、振り風切り音が響いていた。
とんでもない化け物だ。この程度で疲れている自分が情けなくなる。帝国には、この父と同じ五剣がいる。ということは更にこの域が四人もいるのだ。そう思うと、恐ろしくなった。
地面に座り込んで息を整えていると、ふわりと頭に柔らかな感触が落ちた。手拭いだ。
「お疲れさま、ダレン。毎日えらいわね。」
母が隣に腰を下ろしていた。
「父様の稽古はきついです。しかし……楽しいです。それに、父様は強すぎます。あの人は……なにかに動じることがあるのですか。」
素直な疑問を口にすると、母はいたずらっぽく笑った。
「ふふ。今はね、強くて頼れる父さんになったけど……昔はそんなことなかったのよ。」
「……昔?」
「父さんは傭兵をしていたの。『騎士殺し』なんて呼ばれて恐れられていたけど、戦が終わるとね、ずっと下を向いて暗い顔をしてたわ。本当に正しいことをしているのか、ずっと葛藤していたの。」
父が傭兵だったことにも驚いたが、それ以上に、そんな弱さを持っていたという事実が意外だった。そしてその感情には身に覚えがあった。
前世でのかつての俺だった。
「私はただの酒屋の娘だったけど、放っておけなかったのよね。話しているうちに元気を取り戻して……そのうち騎士になって、結婚してくれって言ってきたの。」
母は楽しそうに語るが、俺の胸はざわついていた。
――誰しも弱さを抱えている。
前世での俺には弱さしかなかった。自信も、希望もなく、明日すら不安だった。
その弱さに向き合えなかった。
そうしてかつての俺を思い出していると、母は言葉を続けた。
「結局ね、完璧な人なんていないのよ。誰にだって弱さがあるの。だから、ダレンも自分を恥じないで。いつかきっと、それを支えてくれる人たちに出会えるから。」
そう言って母は俺を抱きしめた。あの丘で抱かれたときと同じ、温かなぬくもり。
きっと俺にもそれができる日が来るだろうか。
「……母様。ありがとうございます。いつも。」
言葉が自然と口をついた。感謝を伝えられる自分が、少し誇らしかった。
「よし、ダレン。闘気の稽古に入るぞ……ん? マリアか。どうした?」
「なんでもないわ。稽古、頑張ってね。」
母は笑顔のまま立ち上がり、家へ戻っていった。この人には一生勝てない気がした。
父が俺の方を見て言う。
「まずは気を集中させろ。体にめぐる闘気を感じろ。そして全身に張り巡らせるんだ。ダレンならできる。」
俺は深く息を吸い、血液を巡らせるように意識して闘気を広げていく。体の内側が熱を帯びる感覚。
これが、この世界に存在する未知の力――『闘気』だ。
これはこの世界にきて不思議に感じた未知のなにかの正体だったと今ならわかる。
前世でなかったその力を、より強く知覚できるため、扱うのは得意だった。
「……やはり筋がいいな。そろそろ、あいつに頼ってみるか。」
「あいつ……とは誰でしょう。」
俺は気を乱さぬよう問い返す。
「闘気を途切れさせるな。……あいつとは俺の弟。お前にとっては叔父だ。」
その言葉に、全身に巡らせていた闘気が一瞬で霧散した。
無駄な説明を少し省きました。
いかがでしょう




