一話 便り
「ここか……」
「思った以上に寂れてるね」
ここはエイドリア王国の国境近くにある街、ザウス。
俺たちは帝国を出て、帝国の属国ルシード王国にやってきた。
「まずは宿でも探そうよー」
「ああ、そうだな」
野宿を繰り返したせいか、服は体に張りつき、節々が痛む。
クラリスも軽鎧を着たまま歩き続けてきたため、さすがに疲労が溜まっているようだった。汗で額や頬に張りつくブロンドの髪が、妙に艶めかしく見えた。
街の様子は活気を失っており、人々の顔からも疲弊が窺える。王国の混乱が及んでいるのだろう。
「あそこにするか」
一通り歩いたところで、特徴のない宿を見つけ、中に入る。
中では、串を口にくわえた強面の男が座っていた。俺は前に出て話しかける。
「ここは宿で合ってるか?」
「ん? 合ってるが」
「それじゃあ、とりあえず三泊分頼む」
「あいよ。そっちの嬢ちゃんも一緒か?」
宿主はニヤついた笑みでクラリスを見やる。旅路で何度も浴びせられた視線に、俺はため息をついた。もう慣れたものだった。
「いや、別部屋で頼む」
「けっ。そうかい。」
「あと、体を洗えるものも頼む」
無愛想に返しながらも、宿主はそれらを用意してくれた。代金を手渡し、部屋へと案内される。
「私は同じ部屋でも良かったのに」
「そうもいかないだろう」
クラリスは唇を尖らせて不貞腐れる。その様子にも慣れた俺たちは、それぞれの部屋に入り体を拭いた。久々の水が体に染み渡る。この世界で風呂というものはまだ見たことがないが、いつか出会ってみたいものだと心に誓う。
身体を拭き終えると服を着て部屋を出た。
「下で待ってるぞ、クラリス」
「はーい」
声をかけて階段を下りる。宿主はいまだに無愛想なままだが、俺は彼に話しかけた。
「聞いてもいいか?」
「なんだ? 女の落とし方か? それはな――」
「いや違う。……この街の状態だ。やっぱり王国の影響か?」
「そうだよ。エイドリアのせいだ。あっちも国が荒れて大変らしいが、こっちにまで皺寄せがきやがる」
先ほどよりも険しい顔をし、宿主は机を叩いた。怒りを滲ませながら話を続ける。
「エイドリア国王め。こっちは一応帝国の属国だってのに、そこに手を出そうとするなんざ馬鹿げてる」
「既に攻撃を受けているのか?」
「南の方は今にも始まりそうだとよ。国民の反乱を抑えるので手一杯らしいが……」
「抑えられれば開戦するかもしれないな……」
エイドリア王国の乱心は耳にしていたが、事態は思った以上に切迫しているようだ。そしてその背後に、「奴ら」の影があることは容易に想像できた。
考えを巡らせていると、階段を下りる音が聞こえてくる。
「探索者協会はどこにある?」
「外に出て左に行けばあるさ」
「そうか、ありがとう」
準備を終えたクラリスを連れ、俺たちは探索者協会へ向かった。
街全体の沈んだ様子とは裏腹に、協会には人の出入りが多い。中へ入ると、探索者たちの視線が一斉にこちらへ集まった。協会にしては珍しい歓迎の仕方に驚くが、顔には出さない。
「なんかすごい見られてない?」
「気にするな」
小声でクラリスに返し、受付まで進む。視線に敵意はなかったが、何か探るようなものを感じた。
受付の女性はそれを感じさせない柔らかな笑顔を見せ、少し安心させてくれる。クラリスに何故か足を踏まれたが、気にせず声をかけた。
「すまん、いいだろうか?」
「はい。どうなさいました?」
「彼女の探索者登録を頼む」
「お願いします」
クラリスは女性の案内に従い、手続きを進める。身分証として使える探索者証は必要だし、何より移動のたびに「帝国の令嬢」と名乗るのは危険だった。
俺が周囲を警戒していると、大柄な男二人が近づいてきた。半身になり、剣に手をかける。
「おい兄ちゃん。ずいぶん上等な女を連れてるじゃねぇか」
「だから、どうした?」
「気になるだろうよ。今のこの街に訪れる男と女だぜ」
「これといってやましいことはないぞ」
「さあな。エイドリアの人間って可能性もあるよなー」
彼らはクラリスをエイドリアの貴族と疑っているようだった。輝くブロンドの髪、碧眼、上等な装備品。どう見ても平民には見えない。
「そこまでにしときなよ。バリン、サブリ」
奥から一声かけられ、場の空気が変わった。声の主が立ち上がり、俺たちの間に入る。
「フィデルか。ちっ、仕方ねぇか」
「フィデルに救われたな、兄ちゃん」
フィデルと呼ばれた男は、短い茶髪に茶色の瞳。体格は大きくはないが、積み重ねた経験がその身に宿る強さを感じさせた。
「余計なお世話だったか?」
「いや、助かった。ありがとう」
「礼を言えるなら悪い奴じゃなさそうだ。俺はフィデル」
「俺はダレンだ。よろしくな」
互いに名を交わし、挨拶を済ませたところで、協会の職員が小声で俺に話しかけてきた。
「あの……ダレン・クローヴァン様ですか?」
「ああ……そうだが」
「伝文を頂いております。アレスという方からで」
父の名が出た。すぐにその内容を尋ねると、紙に書かれた文を渡された。
――『ダレン。元気だろうか。帝都の騒ぎでの活躍、よくやってくれた。父として誇りに思う。こちらも陽動だろうが、それを抑えるので動けなかった。ダレンは王国へ向かうそうだな。荒れた国は危険だから、よく気をつけてくれ。俺は一度帝都に戻るつもりだ。寄る機会があったら顔を出してくれ。
アレス・クローヴァン』
父らしい淡白な文面だが、節々から気遣いが読み取れる。久々の連絡に口元が緩んだ。
「ダレン、こっちは終わったよ。どうかしたの?」
「久しぶりに父様から連絡があってな」
「アレス様が? 良かったね」
クラリスはそう言って、誇らしげに5級探索者証を見せてきた。俺の遺跡探索を聞いて以来、潜るのを楽しみにしているのだろう。
すると、肩に重い手が置かれた。振り返るとフィデルだった。彼は顔を伏せ、表情を見せない。
やがて顔を上げたが、額にうっすら汗を浮かべていた。
「ダレン、嬢ちゃん。少し話いいか?」
「何の話だ?」
「気になることを聞いてな……」
敵意は感じられなかった。むしろ焦りがにじんでいる。
クラリスを見ると、彼女は頷いて了承した。
ーーーー
フィデルに連れられ、人の少ない食事処へと足を運んだ。協会を出たときには、先ほどのような視線も不思議と感じられず、何事もなくここまで来られた。
フィデルは三人分の飲み物を頼むと、落ち着いた様子で腰を据えた。
「それで、話ってのは?」
俺は彼よりも先に口を開いた。フィデルは真剣な眼差しを向け、ゆっくりと口を開く。
「……あんた、『紅影』のダレンだろ?」
「納得はいかないが、そうだ」
「ダレンも有名になったね」
クラリスのからかうような声を軽く受け流し、再びフィデルへと視線を戻す。
「帝国の人間が、なんでここに?」
「内容は言えないが……任務のためだ」
まだ会ったばかりの人間にすべてを話すわけにはいかない。ただ、協会や探索者たちの反応を見れば、フィデルが信用に足る人物であることは感じられた。
「それは……エイドリアに関することだろ?」
核心を突くような一言に思わず息を呑む。だが俺もクラリスも表情を崩さず、黙して様子をうかがった。
「こんな時期にエイドリアの手前まで来るなんてな。それも帝国で“英雄”と呼ばれる人物が」
「英雄なんてもんじゃない」
「はぐらかすなよ。――エイドリア王国をどうするつもりだ?」
その瞳には焦りと警戒が滲んでいた。これ以上は誤魔化せないと悟り、深く息を吐く。仕方なく真実を明かすことにした。
「国王を止めるためだ」
「国王……? 反乱軍じゃなくてか?」
「何を心配しているのかは知らないが、俺たちの目的は国王――そして、その裏にあるものだ」
「……はぁ。そういうことか」
フィデルは安堵したように息を吐き、背もたれに身を預けた。
「ダレン、話してよかったの?」
クラリスの声に肩をすくめる。
「敵意は感じなかったからな」
その言葉を裏付けるかのように、フィデルの瞳は柔らかく揺れていた。どこかクラリスに似た温かさを帯びている。
「頼みがある。――俺の家に来てくれないか?」
「さっきから勝手に納得して話を進めるな」
「悪いな。こっちにも事情があってな」
「……とりあえず行ってみようよ、ダレン」
「頼みは分からんが、まぁついて行ってやるか」
「助かる」
フィデルは短くそう告げ、立ち上がった。俺たちはその背を追い、すぐに店を出る。
――何かを抱え込むその背中に、不安を覚えながらも歩を進めた。




