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救いを貴方へ ~痛みの先に~  作者: 湘南乃炎
一章 仮初

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二話 漂流するもの

序盤は、主人公もバブさんからの成長を見届けてください

それから、俺は“赤ん坊”を演じ続けた。

気づけばすでに──五歳を迎えていた。


あれから言葉を話せないながらも、どうにか身振り手振りで母に本をねだった。

俺の思いが通じたのか、絵本を手渡され、ひたすらに読みふけった。


文字と言葉を照らし合わせ、今では話すことはもちろん、読み書きもある程度できるようになっていた。


「ダレン、ご飯よ」


扉の外から、母の優しい声が響く。

――ダレン。

それが、この世界での俺の名前だった。


階段を下り、リビングへと向かう。


「マリア様、手巾です」

「あら、ありがとう。ナズリー」

「マリア様も、もうお座りください」

「そう? ありがとね」


茶色の髪を揺らしながら椅子に腰かける女性――彼女が俺の母だ。


「ダレン、そこで立っていないで座ったらどう?」

「はい、母様」


促されるままに母の隣へ座ると、目の前には鋭い眼光を持つ大柄な男性。

それが、俺の“父”であった。


「どうした、ダレン。何かあったか?」


食事に手を付けずに父を見つめていた俺を、訝しんでそう尋ねる。


「……いえ。なんでもありません」


短く答え、俺は食事に手を付け始めた。

横から感じる視線を無視し、感情を押し殺すように口へ運ぶ。

どれだけ噛み締めようと、味のしない食事に嫌気が差した。


食べながら、昨日の出来事を思い出す。


――この世界の真実。


その事実に気づいたのは、昨日のことだった。


「坊ちゃん、何をなさるんですか?」


首を傾げた世話係の少女の栗毛が小さく跳ねる。


「父様の書斎に入るんだよ、リリ」


俺の言葉に、彼女は一瞬ぽかんとした後、慌てて声を上げた。


「えっ!? 当主様の!? ダメですよ、勝手に入っちゃ!」

「許可はもちろん取ってあるさ」


家を空けることの多い父に、俺はこの日、恐る恐る尋ねていた。


『父様、わたし、書斎に入ってみたいです』

『書斎? ああ、いいぞ』


あっさりと許可が出たことに驚いたのを覚えている。


それを思い出しながら、リリを置いて一人で扉を開け、父の書斎へと足を踏み入れた。

最初に目に飛び込んできたのは、壁一面に並ぶ巨大な本棚。

ぎっしりと詰め込まれた本の数は、三百を優に超えている。

思わず口を開けたまま立ち尽くしてしまった。


窓際には、使われた形跡の少ない机と椅子。

薄く埃を被っているのが目につく。


五年ものあいだ『この世界』で生きてきた。

その中で感じていた違和感は、日に日に増していた。

突きつけられる真実から、俺はずっと目を背けてきた。


――だがもう逃げない。覚悟を決める。


「……よし、まずは……」


椅子を本棚のそばに引き寄せ、よじ登って背表紙を眺める。

吟味の末、三冊を選んだ。


『大陸教本』

『宗教学・基礎』

『遺跡探索・ドリスの冒険』


最初に手に取ったのは『大陸教本』。

古びた装丁だが、地理を知るにはこれが最適に思えた。


ページを開くと、大きな地図が目に飛び込んでくる。

そこには見知らぬ大陸と、聞いたこともない国名が並んでいた。


“神聖王国”“帝国”“王国”――どれも現代ではおとぎ話の中にしか存在しない。


「現代の地図には存在しない……? いや、衛星がある時代でそんなはずは……」


本に書かれた内容を何度も読み漁る。

だが、『前の世界』で使われていた言葉や地名は一つとして見つからなかった。


「……そんな、わけ……ないよな……?」


続いて『宗教学・基礎』と『遺跡探索・ドリスの冒険』を開く。

宗教は「慈愛の神」「戦の神」など、聞いたことのない神々。

遺跡に関しては、魔物が出現し、遺物が掘り出されるという荒唐無稽な記述。


――突きつけられた現実。


それは、

『俺は異世界に転生した』ということだった。


胸の奥から湧き上がる何かを押し込み、窓を開けて風を浴びる。

視線を下ろすと、庭で剣を振るう父の姿が見えた。

風に靡く黒髪が目を掠める。


黒髪に黒い瞳。

確かに前世と同じ特徴を持ちながら、

それでもこの体は、もはや俺の知るものではなかった。


薄々気づいていた。

どれほど鈍感であろうと、真実はすぐ足元に転がっていた。

そこから目を逸らし続けてきたのは、他でもない“俺”だった。


だからこそ、庭に出ることはあっても、外の世界に踏み出すことはなかった。


込み上げる無力感と失望感。

――それは、後悔だった。


とうの昔に諦めたはずの“あの生”に、俺はまだしがみつこうとしていた。


「ははっ……我ながら、馬鹿みたいだな……」


自嘲するように、乾いた笑い声が漏れた。

頬を伝う雫を感じながら、俺は乾いた瞳で青く広がる空を眺めていた。


ーーーー


「ダレン? なんで泣いてるの?」


食事の手を止め、母が俺を見た。

ふと目元へ指を当てると、確かに光に反射する雫がこぼれていた。


「な、なんで俺、泣いてるんだ……?」


母の声に気づき、自分が涙を流していることをようやく自覚する。

父もそんな俺を見つめていた。その鋭い眼光は、今はどこか柔らかい。


気づけば、口が勝手に動いていた。


「母様、父様……おれ外に……出たい」


理由など考える間もなく、無意識に。


それに対して、屈強な体に似合わぬ穏やかな声で父が言った。


「ダレンが外に出たいと言ったのは初めてじゃないか?」


「そうね。いい気晴らしになると思うわ」


母が嬉しそうに笑う。


「そうか。それなら……とっておきの場所に行ってみるか」


父の目は誇らしげに輝いていた。


―――


草原に一本の道が通っている。その先に、小さな街が見えた。

ここは我が家から最も近い街、アルディア街。

家族以外の人を見るのは、これが初めてだった。


「アレス様! お出かけですか? ……おや、その子はもしやご子息様で!?」


村人の声に人だかりができる。

彼らは父を恐れながらも、どこか尊敬の色を宿した眼で見つめていた。

――アレス。それが父の名であり、この地を治める男爵家の当主だった。


「ああ、息子が初めて外に出たいと言ってな。今日はリオルの丘までだ」


父は気さくに応える。

村人たちが「お気をつけて」と見送る声を背に、俺はふと感じた。

――尊敬の中に、ほんのわずかな畏れが混じっている。


「父さんってね、昔は“騎士殺しの騎士”なんて呼ばれてたのよ」


母が楽しそうに暴露した。


「やめろ、マリア。その話はするな」


「だって、平民の出から騎士になって、戦場で貴族の騎士を斬り伏せたのは事実でしょう? みんな最初は怖がってたんだから」


「……今はただのクローヴァン家の当主だ」


父は少し照れくさそうに言って、歩調を早めた。


―――


丘を登りきると、街と山々を見渡せる高台に出た。

夕陽が差し込み、世界が淡い金色に染まっていた。


「どうだ、ダレン。いい場所だろう。俺のお気に入りなんだ」


父は口角を上げ、まるで子供のように楽しそうだった。


「はい……いいところですね」


胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。


やがて父が、俺の心を見透かすように言った。


「急に外に出たいなんて、何か悩んでるんだろう? ……お前は賢い。だからこそ、悩むこともある」


問い詰めるでもなく、包み込むような声だった。

けれど俺は――前世で何者にもなれなかった自分、何も知らぬ世界に迷い込んだ自分を思い出し、顔を伏せるしかなかった。


「言えないなら、それでもいいのよ」


母はただ傍らで微笑むだけだった。


「ダレンが私たちの息子であることは変わらない。いつまでも味方でいるから」


父の大きな手が、そっと俺の頭に置かれる。

ごつごつとした掌は、硬いのに不思議と温かかった。


「そうだ。俺たちはいつもダレンの味方だ。それだけは忘れるな」


耐えきれず、目頭が熱くなる。

二人は何も言わず、俺を抱きしめてくれた。

その温もりの中で、胸の奥に沈んでいた言葉が零れる。


――この世界で、何者でもない自分を探すように。


「……俺は、ほんとうに……父様と母様の子供ですか? 本当に、ずっと……味方でいてくれますか?」


情けない問いだと自覚しながらも、言わずにはいられなかった。


「当たり前だ。ダレンは俺の息子で、マリアの息子だ」


「愛しているわよ、ダレン。そんなの、言うまでもないでしょう?」


二人の言葉に、心の霧が少しずつ晴れていく。


涙を拭い、俺はこの世界で初めて“決意”を口にした。


「父様、母様……俺、強くなります。もう、後悔はしたくないです」


そのとき初めて、この世界で“自分”を見た気がした。


いくつか加筆修正しました。


かなり変わったと思います

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