八話 我欲
「にしても、ダレンが私より一個下だったなんてね」
「旦那が下には見えないですがね……」
「……そんなに老けて見えるか?」
それに対し、店主は苦笑いで返してきた。どうやら事実らしい。
探索者協会を出たあと、予定通り店主の店へと足を運んだ。昨日は香りに誘われて中へ入ったが、改めて見るとこの店の名前は『喫茶コメール酒場』。どちらが本分なのか分からない、奇妙な名であった。
到着して早々、クラリスは俺の見た目と年齢をからかい始めた。
確かに父に似てきた印象は自分でもあるが、そこまで言われるとつい自分の肌を触り、質感を確かめてしまう。
「まだ十代だがな……」
「ははっ。そんな確かめなくても」
「威厳が出てきたってことじゃないですか、旦那」
二人のからかうような慰めに、俺は気にしないよう頬杖をついた。やがて二人の席には、シュワーゼがそれぞれ置かれる。店主は俺たちが頼んだ料理を作りに、厨房へと姿を消した。
クラリスは同時に出されたミルクらしきものをカップに注ぎ、くるくるとかき混ぜていた。その視線に気づいたクラリスは、いたずらっぽい笑みを浮かべてみせる。
「私は通だからね。こういう飲み方もするんだよ」
「そうかい……」
コーヒーと同じ扱いを受けるこの世界のシュワーゼにミルクを入れれば、それはつまりカフェラテだ。
甘味の少ない世界で十七年を過ごしてきた俺には、ミルクが混じった香りは新鮮で、目を奪われるほどだった。
クラリスは「仕方ないな」といった様子で、残ったミルクを分けてくれた。俺は悔しさを覚えつつも礼を言い、シュワーゼにミルクを混ぜ、香りを嗅ぎながら口元へと運ぶ。
「……うまいな」
「でしょ? 私はこれが気に入って、ここの常連になったんだ」
昨日と同様、客は俺とクラリスだけ。静まり返った印象だったが、ここへ来る途中にクラリスから聞いた話では、この店は一部の貴族からも隠れた名店として重宝されているらしい。
「ダレンはさ、いっぱい感謝されてたね。あれでいいんじゃないの?」
店の様子を眺めていた俺に、クラリスはそう切り出した。ベンチでの会話の続きだろう。
俺は彼女に向き直り、口を開く。
「あれは……ただの自己満足でしかない。人のためではなく、自分のためなんだ。立派なものじゃない」
「そう? 結果的に誰かのためになっているなら、それでいいと思うよ」
クラリスの瞳は、彼女の光剣のように真っ直ぐで、眩しかった。
「結局、人は誰かのためにできることはあっても、誰かのために生きることなんてできないんだから」
「クラリスは、それを割り切れているんだな」
「私だって悩むことはあるよ。でも、そこで立ち止まっても仕方ないからね」
その言葉は俺の理想そのものだった。
どれだけ悔やみ、苦しもうとも、目指すべきものに真っ直ぐ進める力。羨ましく思い、返す言葉が出てこなかった。
沈黙を破ったのは店主だった。厨房から料理を運びながら、にやりと笑って口を挟む。
「あいよ、あり合わせですがね。なんの話をしてたんですかい」
「内緒だよ。私とダレンだけの秘密」
「そりゃ気になりますね」
そう言いつつも深入りはせず、店主は再びカウンターへ戻っていった。
俺とクラリスは料理に手を伸ばす。あり合わせとは言いながら、肉と野菜の炒め物に、よく煮込まれたスープと、腹を満たすには十分すぎる品々だった。
それからは三人で他愛もない会話をしながら食事を進めていく。俺はすでに、この空間に心地よさを覚えていた。好きなときに訪れられる居場所。そこにこの二人がいることを、ありがたく思った。
「それじゃ、ごちそうさま、店主」
「じゃあね」
「へい、またいらしてください」
食事を終え、俺とクラリスは店を出る。クラリスは遠慮したが、俺が送ると言うと、二人で騎士寮へ向かうことになった。歩幅の違う彼女に合わせながら、まだ賑わいを残す街中を並んで歩く。
「それでダレンは、今回は護衛につくために来たんだよね」
「ああ。あの組織と関わっている案件だからな」
周囲の耳を意識し、会話は差し障りのない範囲に留めた。俺の任務は『ペンタグラム』の襲撃に備えること。そしてクラリスもその任務に加わると聞かされた。
「奴らは謎が多く危険だ。くれぐれも気をつけてくれ」
「わかってる。私は私のやるべきことをやるだけだから」
やがて駐屯所の横にある騎士寮に到着する。クラリスは立ち止まり、後ろで腕を組み振り向いた。
「今日はありがとね。これからも時間があったら来て」
「ああ、時間はあるから顔を出すさ」
「うん。それと、私が言ったことも忘れないで。またね」
そう言って門をくぐり、クラリスの背中は建物に消えた。
俺は再び街を歩き始めた。まだ空は明るく、露天商が並んでいた。
「物価は安定しているな……」
露天の商品を眺めれば、相場は変わらない。貴族間の冷戦で帝都は寂れていると聞いたが、昨日同様、その印象は薄かった。
探索者として必要な携帯食料や遺物を見て回っていると、不意に前を歩いていた人物と肩がぶつかった。
「あ、すまない」
「お前だけは……許さない」
耳にかすかに響いた声に、背筋が凍る。慌てて振り返ったが、人波の中にその人物は消えていた。
「あれは……なんなんだ」
『お前だけは許さない』。その言葉は帰り道でも耳から離れなかった。独り言か、俺の気のせいか。そう考えられなくもないが、気味の悪さだけが胸に残った。
宿に戻ると、入口の食堂に騎士が三人。誰かを待っているらしい。その中には、威厳と風格を兼ね備えたエドの姿があった。その内の一人も妙な風格を纏わせながらただ無言で前を向いていた。
「あっ、ダレン君。待ってたよ」
「どうした。他の騎士様まで連れて」
「明日、帝城で誕生祭の護衛任務に関する会議を行う。参加してくれないか?」
「もちろんだ。そのまま城に行けばいいのか?」
「グライスを門に配置しておく。それでいいかな?」
エドの言葉にうなずき、承諾した。用件はそれだけだったのか、彼は二人の騎士を連れて宿を出ていった。出る際、一人はただエドに先導されるように前を歩いていったが、もう一人の騎士が睨みつけるような視線を寄こしてきた。顔に覚えはない。だが、先ほどの出来事と重なり、嫌な寒気が増していった。
その後、外での鍛錬を終え、夜は闘気の鍛錬を行った。部屋に戻ると、ふと自分の剣に目が留まる。闇をも呑み込むような漆黒の刀身。使い始めて七年経っても、その輝きは変わらなかった。
「クラリスの剣は光を放った。こいつも遺物なのか……。何かできるのか?」
寝台に腰を下ろし、剣を手に収めて念を送る。しかし何も起きない。
「ただ頑丈なだけなのか……?」
試行錯誤を繰り返すうち、ひとつ試していないことに気づいた。闘気凝縮を剣に施すことだ。
「こうか……」
目を閉じ、闘気の制御に集中する。血の流れのように体を巡る闘気を凝縮し、それを剣にも送り込む。不慣れなためか額に汗が滲む。
集中力が切れそうになるのを必死に堪えたそのとき――視覚を使わずとも、周囲の状況が鮮明に伝わってきた。
それはまるで根を張るように、波状に伸びていく。
他の部屋で眠る人、カウンターであくびをする宿主、外で酔いつぶれる男……。さらに感覚は広がり、街中にまで届こうとしたが、そこで集中が途切れ、すべて消え去った。
「……はっ!? はぁ、はぁ、はぁ。なんだ今のは……?」
再現を試みようと、さらに試行錯誤を続けた。だが慣れない場所での疲労が限界に達し、やがて意識は闇に落ちていった。
それから朝起きると、昨日の疲れが残り体は重く感じた。しかしそれを気にせず普段の日課を行い、出かける支度を整え、城へと眠気を残しながら向かっていった。




