二話 背負った重荷
『このろくでなしめ』
『人間じゃない』
『あんたのせいで家族は終わったのよ』
『生まなきゃよかった』
『気にしないで』
『そのうち忘れるさ』
『何かあったら言えよ』
かつて浴びせられた罵倒と、時折差し込む励ましが、渦を巻くように俺の脳へと響いていた。
闇の中でうずくまる俺は、両手で耳を塞ぎ、目を固く閉じる。
だが声は皮膚を貫き、骨を震わせ、心臓を直接叩くように突き刺してくる。
やがて闇の奥から姿が現れる。母が、友が、前世で失った家族が。リリやナズリー、テドスの顔も見えた。笑っている。だがその笑みは次の瞬間、憎悪に歪み、血に濡れた指が俺を指差す。
「全部お前のせいだ」
その声が重なり、地響きのように脳髄を揺さぶる。
カイルが背を向けて歩いていく。呼んでも振り向かない。ミルの影がパンを抱えたまま溶けて消える。キールの笑顔が一瞬にして怒号へと変わる。
そして――そこに立っていたのは、俺自身だった。
目を逸らすことはできない。
『全部お前のせいだ』
『全部お前のせいだ』
『全部お前のせいだ』
『『『全部お前のせいだ!』』』
――
「はっ……! はぁ、はぁ、はぁ……!」
嫌な夢だった。胸は焼けつくように熱く、額から滴り落ちる汗が寝具を濡らしていく。
必死に呼吸を整えながら、俺は手で顔を覆った。
父や師匠の言葉を何度心に刻んでも、心の穴は塞がらない。変わろうと意思を持った。確かに前へ歩み出したつもりだった。だが――まだ何かが決定的に足りない。
寝間着を脱ぎ、普段の服へと着替える。軽く食事を済ませ、剣を腰に下げ、夜明け前の空気を吸い込んだ。冷気が肺に突き刺さる。
外には、既に準備運動を終えた師匠の姿があった。
「遅かったな。いつも通りやるぞ」
短い言葉。だが、それがいつも通りであることに救われた。
俺たちは走り込み、体を動かし、剣を抜いた。
夢のせいか、体は鉛のように重い。それでも剣を振るう。俺の中の何かを振り払うがごとく、無心で剣を振り続けた。
「そろそろやるか」
互いに距離を取り、剣を構える。
師匠の強さの根源――それはこの二年で理解できた。彼は五感すべてを戦いに注いでいる。
相手の息遣い、剣先のわずかな揺らぎ、足裏に伝わる地の硬さ、風の流れ。すべてを読み取って、戦場を掌握している。
師匠との鍛錬では、闘気は使わなくなり、剣術そのものに重きを置くようになった。
師匠曰く、闘気頼りの戦い方は、単調になりやすくなるとのことだった。
そうこうしている内に師匠が重心を前に移した瞬間、地面が鳴ったように感じた。
間合いを一気に詰め、鋭い突きが迫る。俺は頭を傾け、最小限の動きでそれを躱す。視界の端に白刃の閃き。すぐさま踏み込み、師匠の内側へ切り込んだ。
だが、体に剣を添えられ、流される。まるで水流に吸い込まれるかのように攻撃の勢いを奪われた。
「ならば――」
攻め続けるしかない。鋼と鋼が噛み合い、甲高い音が耳の奥を震わせる。衝撃で腕が痺れる。
師匠の眼は俺を見ていない。肩の揺れ、息の速さ、剣先のわずかな震え――俺の「未来」を見据えている。
一瞬の隙。来た。
弾かれた俺の剣が逸れる。胴が空く。
だがそれを予想していた。重心を落としたまま、蹴りを繰り出す。
「ぐっ……!」
師匠の腹に命中。だが彼は直前に体を逸らし、威力を殺していた。
「やっぱ強くなったな」
「多少はな」
攻防は続いた。息が荒れ、土埃が舞い、互いに汗が飛び散る。夜明けの冷気が熱で溶けていくようだった。
――
「はぁ、はぁ……やっぱ……強くなったな。もう教えることはねぇ」
師匠は膝に手をつき、肩で息をしながら言った。
「いや、そんなことはない。まだ学ぶことはある」
「ダレン、この二年で帝国の遺跡を巡り、お前は一級探索者になった。自分を卑下するな」
「……もっと強くならないと。これ以上、絶望を味わいたくない」
唇を噛み、血がにじむ。絶望を避けるために強さを求める――それは呪いにも似ていた。
「絶望するってことは、希望を持っているからでもある。その灯が消えぬ限り、大丈夫だ」
「だが、その希望を持つのが……俺はもう怖い」
「なら探せ。前にも言ったが、多くと関われ。そして自分を知れ。お前の生きる意味は、その先にある」
師匠は明けたばかりの空を見上げた。群青から薄明へと変わる空に、彼の眼差しは溶け込んでいく。俺もまた、同じように前を向けるだろうか。
「ここからは別行動だ。俺は神聖王国へ向かう。ダレンは帝都へ行け」
「そんな急に……なぜだ」
「俺のとりあえずの目的は果たした。あとはお前次第だ」
師匠の瞳は、父のそれと重なった。心配しながらも信じている眼。
「わかった……いつ出発するんだ」
「今すぐだ」
彼は荷を担ぎ立ち上がる。既に俺の背丈を超えているはずなのに、背中はなお大きく見えた。
「またな。互いに頑張ろう。またお前に会うのを楽しみにしている」
「ああ……また」
師匠は歩き出す。朝焼けに照らされた背が赤金に染まる。影は長く伸び、大地に刻まれた一本の道のようだった。
その影が完全に消えるまで、俺は立ち尽くしていた。
やがて覚悟を決め、宿に戻り荷を手に取る。代金を払い、外へ出た。
街の門を抜け、帝都への道へ。
背に負うものは重い。歩みは遅く、靴は土に沈む。だが一歩ごとに確かに前へ進んでいた。
風が吹き、空は澄み、陽が昇る。
重荷に押し潰されそうでも、俺は進む。生きる意味を探すために――。
朝起きた時の感覚で、内容は覚えてなくとも良い夢か悪い夢か分かりますよね
ついに師匠との別れ、切ない(´;ω;`)




