九話 終、そしてーー
光と闇の衝突で、空間は大きく裂けた。
引き裂かれた視界の向こうで、俺はゆっくりと目を開く。
瞼は驚くほど軽く、世界は確かに、現実としてそこにあった。
「……破られた、というのか」
俺たちは、あの闇に閉ざされた空間から抜け出し、元の場所へと戻ってきていた。
ヴォイドは玉座の前まで後退し、頭を押さえたまま俯いている。
「ダレン……大丈夫、なのか……?」
傷だらけの体のまま、父様が声を絞り出す。
あれほどの出来事があったにもかかわらず、周囲の状況がほとんど変わっていないことから、闇の空間でのやり取りは、この世界では一瞬にも満たなかったのだろう。
「大丈夫だ、父様。皆も……もう心配はいらない」
俺はそう言い切った。
それは励ましでも、願望でもなく――ただの事実だった。
「……少々、君に固執しすぎた、みたいだな。もう、いいさ」
ヴォイドは自嘲するように呟き、顔を上げる。
「――やれ」
その一言で、皆を取り囲んでいた幹部たちの影が、一斉に動き出した。
「やばいぞ!どうするんだ、ダレン!」
フィデルの叫びが響く。
だが俺は慌てることなく、その場に立ち止まり――ゆっくりと、剣を地へと突き立てた。
「――これが、俺の紡いできたものだ」
俺の言葉に応えるように、足元から“根”が伸び始める。
柔らかく、しかし確かな意思を宿した光の根は、地を這い、空間を満たし、幹部たちの身体を絡め取った。
逃げ場はない。
全ての動きが、完全に止まる。
世界が、ほんの一瞬、息を潜めた。
「……やはり、君は忌々しいよ……」
ヴォイドの低い呟きと同時に、根から柔らかな光が降り注ぐ。
無数の光の結晶が舞い、仲間たちの身体へと触れていく。
「体が……」
「傷が、塞がっていく……」
傷は癒え、疲弊していた父様も、師匠も、再びしっかりと立ち上がった。
そして、自然と――皆が俺のもとへ集まってくる。
「皆、心配をかけた」
「最初から、心配なんてしてなかったよ」
「ダレンさんなら、と……信じていました」
ルシアとクラリスが、迷いなく言葉を重ねる。
「俺は少しヒヤッとしたけどな……」
「言うもんじゃねぇだろ、フィデル。助かったぜ、ダレン」
「ああ……そうだな。仕上げといこうか、ダレン」
父様が差し出した拳に、俺は自分の拳を合わせた。
乾いた音が響き、それは合図となる。
皆が構え、ヴォイドへと向き直る。
ヴォイドは顔を歪め、その光景をじっと見つめていた。
――それは、かつて“自分自身”を見つめていた時と、同じ目だった。
「私は……全てを否定する。救いなど、存在しないと」
「俺は……救いがあることを、見せてやる」
その瞬間、再び闇の触手が溢れ出す。
数も、太さも、これまでとは比べものにならない。
だが――恐怖はなかった。
皆で迫る触手を切り裂きながら、俺は根を張り続ける。
広がる根は、皆と繋がり、力となる。
力は共有され、光となって脈打つ。
俺は、一歩、また一歩と前へ進む。
迫る触手を、一閃。
「見せてくれた『自己』は――自分という形を、俺に教えてくれた」
隣に並ぶクラリスへ、根が伸び、繋がる。
さらに一歩。
「ぶつかって気づいた『信頼』は――自分を信じ、人を信じる勇気をくれた」
フィデルの放った矢が、俺の進む道を切り拓く。
「『赦し』を知って――弱さを見せる強さを、自分を赦せる救いの道を、知った」
触手が頬をかすめる。
だが、その傷は、ルシアの光によって瞬時に消えていく。
「く、来るな……来るなぁぁあ!!」
ヴォイドの叫びと共に、全方向から闇が押し寄せる。
――だが。
「いつだって、見守り、背中を押してくれた」
師匠が俺の背後に立ち、触手を断ち切る。
「その大きな背中で、道を示し……待っていてくれた」
父様が、俺の行く先を阻む闇を切り裂く。
そして俺は、ペンダントの光に背中を押されるように、前へと駆けた。
その光は一瞬、何かの“形”を成す。
溢れるほどの優しさが、俺を包む。
それはずっと、いつまでも――俺の傍にあった。
『大丈夫。貴方は、もう一人じゃない』
光から、確かにそう聞こえた気がした。
俺は一瞬、目を閉じる。
全てに集中する。
世界が、時を止めたかのように――皆の顔が、鮮明に映った。
その瞬間――
俺から伸びる根が、世界へと広がっていく。
今まで関わってきた、全ての人たちと繋がっていく。
俺に流れ込む力は、これまで以上に強く、ただ強く、結びついていた。
そのまま迫る触手を切り裂き、俺は静かに歩くように、ヴォイドへと迫った。
「……それが、君の答えか……」
ヴォイドの声に、もはや憎悪はなかった。
ただ、その眼には俺の姿だけが映っていた。
そこにあったのは、怒りではなく、
後悔と――そして、深い苦しみ。
ヴォイドの目に映る俺の背中には、一体、何が見えているのだろうか。
それはまるで、遥か先を見上げるかのようだった。
「その答えの先が……その光かいっ!」
ヴォイドの闇が収束する。
闇は塊となり、力として形を持つ。
だがそれは、俺の力とは決定的に異なっていた。
重く、濃く見えても、その本質は薄く、空虚だった。
俺は飛び上がり、全ての志を込めて『闘志』を強く練る。
体を巡る光がそれを増幅し、俺は剣を振り抜いた。
「ぐっ……!?」
闇は切り裂かれ、刃はヴォイドの身体をかすめた。
傷は浅い。
だが――それは、ヴォイドの心に深く突き刺さっていた。
ヴォイドは、戦意を失ったように俯く。
しかし、残された僅かな触手は、自立したかのように蠢き、
最後の足掻きとして、俺へと襲いかかってきた。
「……これのせいか。お前を、苦しめていたのは」
俺は玉座に突き立てられていた『黒曜の剣』を抜き放ち、一閃する。
重力すら味方につけたその一撃で、闇は押し潰され、跡形もなく消え去った。
俺は二対の剣を携え、膝をついたままのヴォイドへと近づく。
「私は……君のようには、なれなかったよ……」
ぽつりと零れた言葉は、小さく、弱かった。
「――違う」
俺は、その言葉を正面から否定する。
それはヴォイドへ向けた言葉であり、
かつての俺自身へ向けた言葉でもあった。
「お前は、なれなかったんじゃない。
なろうと、しなかっただけだ」
だが、責めることはしない。
その理由を、俺は痛いほど知っていた。
「怖かったんだろ。
信じて……そして、失うのが」
俺も、同じだった。
ヴォイドはゆっくりと顔を上げる。
その視線は、俺の背後へと伸びる、幾重もの“根”を捉えていた。
誰かとつながり、関わり、赦される。
それは――ヴォイドにも、確かに存在したかもしれない未来。
「私は……こんなにも、多くの手を……拒んできたのか……」
ヴォイドの目に、微かな光が宿る。
何も映さなかった虚無の瞳が、初めて色を帯びた。
「確かに、救いの手は少なかったのかもしれない。
けれど……その僅かな手を取る勇気が、ほんの少しでもあれば、
未来は、違っていたかもしれない」
かつて、俺もできなかったこと。
だが今、横に並ぶ皆の顔を見る。
こんなにも多くの手に、俺は恵まれていた。
その手を拒まず、掴み取ることが――
俺は、ようやくこの世界で、できるようになったのだ。
「救いは、特別なものなんかじゃない」
俺は静かに告げる。
「――痛みと向き合った、その先で。
自分で、見つけるものだ」
俺は、手を差し出すように剣先を伸ばす。
そして、迷いなく振り抜いた。
「救いを……あなたに」
刃は、ヴォイドの背から伸びていた闇を切り裂いた。
闇から解き放たれたヴォイドは、静かに目を閉じる。
すべてを否定し続け、世界から拒まれていると思い込んでいた存在。
だが――本当に否定していたのは、
他でもない、自分自身だったのだろう。
ただ静かに、
「……ありがとう」
ヴォイドは、もう抗わない。
「私が、なれなかった未来を……見せてくれて……
君の手で……終わらせてくれ」
ヴォイドは、自ら首を差し出す。
俺に、ためらいはなかった。
ここまで来てしまったヴォイドに、与えられるものは、それしかない。
歯がゆさを覚えながらも、
その表情を見た瞬間――その感情は消え去った。
そこには、安堵と、わずかな希望があったからだ。
「ああ……その先は、あなた次第だ」
俺は、そっと剣を構える。
それは、これまでのような硬さはなく、
水面のように静かで、凪いでいた。
振り抜いた剣は、ヴォイドの首を正確に捉えた。
闇は、完全には消えない。
けれど――光に溶けていく。
闇は光の粒子となり、空へと舞い上がっていった。
ヴォイドは、かつての少年の姿へと戻り、
穏やかに目を閉じる。
そこに、苦しみはなかった。
「俺は……お前に、成り得た」
だからこそ――ここまで来た。
光に溶け、消えていくヴォイド。
その姿を、皆が静かに見上げていた。
これは、終わりであり――
同時に、新たな始まりでもある。
「これで……終わりだ」
一人の、長く、壮絶な物語が――
そして、次へと続く物語が。
静かに、幕を閉じた。
明後日、ついに最終話です。
その後は、あとがきを少し書こうと思っています。
物語に込めた思い、それと皆さまがどんな気持ちで読んできたのか、
コメントくださるとうれしいです。




