八話 救いを
明けましておめでとうございます。
新年一発目です
「――本当に、忌まわしい……」
ヴォイドの低い呟きと共に、場面は切り替わった。
娘と誓い合ってから、そう日が経たぬうちに異変は起きた。
夜。静まり返るはずの村が、ざわめきと怒号に包まれる。
「……何があったんだ……?」
外の異変を察し、ヴォイドは家屋の扉を開けた。
その瞬間――
「貴様だな! 賞金首のヴォイド!」
家屋を囲うように、完全武装した騎士団が立ちはだかっていた。
「……なぜだ……? なぜ、今になって……」
己の罪を、すべて娘に明かした直後。
あまりにも出来すぎたタイミングだった。
背後で、扉が軋む音がする。
家屋の中から、不安そうにこちらを見つめる娘の姿。
その存在が、ヴォイドの胸を締めつけた。
「……裏切った、のか……?
私を……」
「違う……! 本当に違うの……!
私、何も知らない……! あなたを裏切るなんて――」
娘は必死に首を振り、涙を浮かべて否定する。
だが――
じりじりと距離を詰める騎士団。
剣の擦れる音。
緊張と殺意が、夜気を切り裂く。
そのすべてが、ヴォイドの心を焦燥と疑念で塗り潰していく。
「……うるさい……」
ぽつりと、吐き捨てるように。
「――もう、いい」
その言葉と同時に、
ヴォイドは闇夜を裂いた。
闇が奔り、剣が唸り、
次の瞬間には騎士団は――原形を留めず崩れ落ちていた。
悲鳴が上がる暇もない。
血と死の匂いが、村を満たす。
恐怖に包まれた村人たちは、我先にと逃げ出した。
死体の山の中で、
ただ一人佇むヴォイド。
腰を抜かし、地に座り込んだ娘が、
震える瞳で彼を見上げる。
ヴォイドは、ゆっくりと彼女の前へ歩み寄った。
「やはり……この世界は残酷だな」
その声には、怒りも悲しみもなかった。
「信じる?
そんなものに、意味なんてなかった」
「そんなわけない……!」
娘は、必死に声を絞り出す。
「何があっても……私は、あなたを信じるって――」
「――そう言って、また裏切るんだろう?」
冷え切った声。
「私にはもう、必要ない。
この闇を……虚無を、受け入れてやろうじゃないか」
娘がどれほど言葉を重ねても、
ヴォイドは耳を貸さなかった。
ただ娘もまた、
今のヴォイドの眼差しに完全に怯え、
立ち上がることすらできなかった。
ヴォイドの構えた剣が、闇夜の中で鈍く輝く。
だが――
同時に、娘の目元にも、一粒の光が宿った。
「……ずっと、信じてるから」
震えながら、それでも逃げずに。
「きっと……あなたにも、光が――」
その言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
苦しみを感じる間もなく、
娘の命は、静かに断たれた。
やがて降り出した雨が、
血を洗い流すように地を打つ。
雨の中、
ヴォイドはただ一人、立ち尽くしていた。
空を見上げるその表情には、
もはや何の感情も浮かんでいなかった。
――ああ。
ここが、ヴォイドが“生まれた”地点なのだと、
俺は理解してしまった。
そして同時に、
どこか理解できてしまう自分が、恐ろしくなった。
それは、俺にとって――
――――
「これが、私の全てだよ」
ヴォイドの声が、虚無に響く。
「――そして、この世界を壊す理由だ」
俺たちは、ただ闇の中を漂っていた。
未だに俺を縛りつける闇。
終わりの見えない虚無。
そこに、二人だけが存在していた。
「君も同じだっただろう?」
ヴォイドは、俺を覗き込む。
「初めて見た君の目。
深く澄んでいるようで、その奥底には――
信じることへの恐怖があった」
胸を、正確に抉られる。
「もう諦めて、こちらへ来るといい。
――堕ちてしまえ」
その瞬間、
俺を拘束していた闇が、明確な意思を持って動き出した。
体を蝕み、
思考を鈍らせ、
魂の輪郭を削り取っていく。
抵抗しようとしても、
まるで俺自身が受け入れているかのように、
虚しく力は抜けていった。
こんな……
こんな最後だけは、認められない。
やっと見つけた光。
その先の未来を、確かに感じられた。
過去を、断ち切れた。
見つけた光を放り捨て、
この闇に飲まれることだけは――
絶対に、あってはならない。
だが、俺の意思に反して、
浸食は止まらない。
魂が飲まれる瞬間を、
ただ待ち、祈るしかなかった。
ごめん……。
クラリス。
ルシア。
フィデル。
師匠。
父様……母様……。
唯一、わずかに開いた視界の中で、
一粒の雫が零れ落ちる。
それは、俺が最後に絞り出せたものだった。
雫は、
静かに――
まるで時が止まったかのように落ちていき、
首元のペンダントへと触れた。
――その刹那。
温もりが、走った。
魂の奥底で、
何かが確かに応えた。
光は広がり、
闇を押し返し、
世界を――照らした。
胸元のペンダントが、
今までにないほどの輝きを放っていた。
ーーーー
「一体……何が……?」
疑問を口にした、その瞬間だった。
俺ははっきりと気づく。
――闇の拘束が、解けている。
体を縛っていた重さは消え、
呼吸は、驚くほど自然に胸へと落ちてきた。
息を吸うたび、
魂の奥に溜まっていた澱が、静かに洗い流されていく。
「……母様……」
胸元に手をやり、俺はペンダントを握りしめた。
「ずっと……見守ってくれてたんだ……。
助けてくれて、ありがとう」
いつしか母様がくれた贈り物。
それは単なる形見ではなかった。
ここだけじゃない。
これまで何度も、俺が折れそうになるたび、
言葉にならない形で、確かに俺を支えてくれていた。
「……なんだ……それは……?」
ヴォイドの声が、かすれた。
「これは――
俺が、足掻き続けた先で、見つけた光だ」
俺は、包み込む光の中で、
真正面からヴォイドの目を見る。
その瞳は大きく見開かれ、
濁り切った奥に、かすかな動揺が浮かんでいた。
「確かに……俺とお前は、同じだったのかもしれない……」
「今更、共感かい?」
ヴォイドは歪んだ笑みを浮かべる。
「なら、分かるだろう?
この世界の醜さが」
その笑みは引きつり、
その眼に――俺の光は、映っていなかった。
「――だが、決定的に違うことがある」
「違い……だと?」
俺は、ゆっくりと首を振る。
「それは――
痛みと、向き合ってきたかどうかだ」
空気が、凍りついた。
ヴォイドの闇が呼応するようにざわめき、
空間そのものが、震えた。
「……ふざけるなよ……
痛み、だと……」
ヴォイドの声が荒れ狂う。
「痛みを知ったからこそ、私は壊した!
信じた結果が、あれだ!
親も、村も……あの女までも!」
「――逃げたんだ」
俺は、その言葉を遮るように、静かに言った。
声を荒げることはしない。
ただ、事実として。
「お前は逃げ続けてきた。
その痛みから、人を信じることから。
向き合わずにな」
ヴォイドが叫ぶ。
「黙れ!」
だが、俺は止まらなかった。
――これは、ヴォイドのためだけじゃない。
俺自身が、かつてなり得た姿だからだ。
「消した過去があっただろ。
向き合わなかった記憶が」
その言葉は、確かに突き刺さった。
ヴォイドの動きが、止まる。
「あの娘は――」
俺は、そこで一歩踏み込む。
「本当に……お前を裏切ったのか?」
一瞬、闇が歪んだ。
俺が回想の中で感じた、あの違和感。
ヴォイド自身が、認めることを拒み続けてきた影。
「密告したのは、他の村人だった。
あの夜の会話を聞いていた誰かだ」
ヴォイドの周囲で、闇がざわつく。
「お前は、その事実から目を逸らした。
“自分は悪くない”って……
そう思い込むことでしか、立っていられなかったんだ」
記憶が、軋む。
夜の家。
揺れる灯り。
震える声。
――「信じてる」。
その言葉が、闇の中に反響する。
「……違う……」
ヴォイドが頭を抱える。
「そんな……はずは……」
「少しでも信じる心があれば、
何かは変わったかもしれない」
俺は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「両親の時も、あの夜も……
今とは違う未来が、あったかもしれない」
空間が揺れ、沈黙が落ちた。
俺は拳を強く握る。
「俺も……逃げ続けてきた」
視線を上げる。
怯えを宿したヴォイドの姿に、
かつての自分を見る。
「失って、壊して、後悔して……
それでも――」
一歩、前に出る。
「今は、向き合っている」
「……だから……なんだというんだい……?」
その声は、驚くほど弱かった。
「だから言う」
これは、ヴォイドに向けた言葉であり、
同時に、過去の自分への宣言だった。
「――救いは、痛みの先にしかない」
「逃げた先には……
虚無しか、残らない」
ヴォイドは、それを認めない。
認めてしまえば、
これまで壊してきたすべてを、
自分で否定することになるからだ。
「……黙れ」
震える声。
闇が噴き出し、虚無の触手が空間を覆う。
だが、俺は一歩も退かない。
気づけば、手には
『黎星の剣』が握られていた。
根を張るように光が広がり、
これまで紡いできた想い、選択、後悔、希望――
すべてが、その刃に集束する。
「――救いを、お前に」
これは命令じゃない。
懇願でもない。
ただ同じ道を辿っていたであろうものに、贈る。
「見せてやる」
俺の放った光は、
闇を、虚無を切り裂き、
空間そのものを崩壊させていった。
さて、新年一発目を投稿した所ですが...
実はあと数話で終わりを迎えます。
始まりと同時に、終わるのもなんか変な感覚ですね...
最終話までお付き合いください!




