七話 泡沫の闇
ヴォイドの闇は、幼い頃に打ち込まれたものだった。
それはあまりにも深く、そして今もなお、彼の根底に沈み続けているのだろう。
「――父さん、母さん……」
「……何?」
少年が声をかける。
それだけで、両親は露骨に嫌悪の色を浮かべ、顔を歪めた。
まるで、汚れたものに触れられたかのような反応だった。
それを見た少年は、言葉を失い、ゆっくりと視線を落とす。
「い、いや……なんでもない……」
「用がないのに、話しかけないでくれる?」
突き放すような声。
そこに親としての温度はなかった。
少年はそれ以上何も言えず、
まるで逃げるように家を飛び出した。
――けれど。
「おい、見ろよ」
「うわっ……忌み子じゃねぇか……」
「あんま見るなよ。俺たちまで不幸になるぜ」
村人たちは距離を保ち、
直接触れようとはしない。
ただ、視線だけで拒絶する。
少年はついに村そのものから逃げ出し、
丘の上まで登ってきていた。
眼下には村。
その向こうには、燃え上がるような夕日。
空は赤く染まり、
まるで世界そのものが、何かを焼き尽くそうとしているかのようだった。
「――私は、この瞬間に誓ったんだよ」
ヴォイドの声が、静かに重なる。
「いつか、この世界を……
“綺麗なもの”にしてやろうってね」
そこにあったのは、
破壊だけを求めて嗤う魔王の姿ではなかった。
ほんの僅か。
確かに、感情の色があった。
目の前に立つ少年もまた、
言葉にならない何かを胸に抱え、
夕日を包み込むように、強く拳を握り締めていた。
――そして、ある日。
行商人が村を訪れた。
珍しい外の商品に、村人たちは目を輝かせて集まっていた。
「どけっ! 邪魔だよ、忌み子」
興味に惹かれ、近づいていた少年は、
腕で乱暴に払いのけられ、地面に転がった。
土埃が舞う。
少年は立ち上がれず、
憎しみと悲しみを宿した目で、
行商人に群がる村人たちと――家族の姿を見つめていた。
やがて行商人が去り、
人々も散り散りになる。
取り残された少年は、
その場に立ち尽くしていた。
その時、足元に転がる“あるもの”が目に入る。
「――これは、天からの贈り物だと……
この頃の私は、本気で思ったよ」
少年の手にあったのは、
行商人が説明していた遺物。
発火の遺物。
忘れられたのか、
落としたのか、
理由は分からない。
だが確かに、それは少年の手の中にあった。
少年の瞳に浮かんだ、
ほんの僅かな闇。
俺は、それを見逃さなかった。
「これが……全ての始まりだ」
ヴォイドがそう言った瞬間、
景色は再び切り替わる。
――夜。
闇の中で、少年は一人、立ち尽くしていた。
その表情を見て、
彼が何をするのか、俺には分かってしまった。
やめろ――。
叫びたい。
だが、口は動かない。
仮に声が出たとしても、
これは変えられない未来なのだと、
どこかで理解してしまっていた。
次の瞬間。
闇に沈んでいた村は、
まるで夕日に包まれたかのように、明るく燃え上がっていた。
炎。
悲鳴。
逃げ惑う村人たち。
その中心で、少年はただ立ち尽くしていた。
やがて、最も炎の回りが早かった家屋――
少年の家から、両親が飛び出してくる。
「早く逃げるぞ!」
「で、でも……」
「家財なんてどうでもいいだろ!」
父は母の腕を引き、無理やり外へ連れ出す。
その一瞬。
父と少年の視線が、確かに交差した。
――だが。
父は、何も見ていなかったかのように、目を逸らした。
次の瞬間。
火によって脆くなった家屋が崩れ、
二人に襲いかかる。
「きゃああ!!」
「うわっ!?」
炎が晴れた先には、
倒壊した家屋の下敷きになり、
足を潰され、動けなくなった両親の姿があった。
「――私はね」
ヴォイドの声が、低く響く。
「この瞬間だけは……
神を、信じたんだよ」
少年の濁った瞳を見て、
俺は理解してしまった。
彼が、これから何をするのか。
分かりたくなかった。
その事実に、吐き気すら覚えた。
――それは、俺自身も一度は抱いたことのある感情だったからだ。
「おい……待て……」
「待って……お願い……助けて……」
少年は、近くに転がっていた鍬を手に取る。
そして、両親へと歩み寄った。
両親の目には、
助けを乞うよりも先に、
赦しを求める色が浮かんでいた。
それが、ひどく冷たく見えた。
その先を見るまでもなく、
再び家屋が崩れ落ちる。
炎が全てを包み込み、
俺の視界は、赤黒い闇に閉ざされた。
ーーーー
両親に手をかけた少年は、
その胸に僅かに残っていた光すら、すでに失っていた。
その姿は、もはや正しく――
今のヴォイド、そのものだった。
だが、あの瞬間を偶然目撃していた村人の通報により、
彼は騎士団から追われる身となる。
名も、居場所も、帰る先もない。
ただ逃げるだけの日々。
ヴォイドはやがて、盗賊や傭兵として各地を彷徨うようになった。
もはや何かを失ったかのように。
――いや、最初から何も持っていなかったのかもしれない。
そして、場面は再び切り替わる。
ある、名もなき小さな村へ。
「ここも……私にとっては、最後の転機だったのかもしれない」
ヴォイドの声は、
両親を見つめていた時よりも、さらに深く、重く沈んでいた。
「人の愚かさを……
私は、まだ知らなかった」
――その言葉の直後。
「くっ……!?」
深い戦闘の傷を負った若きヴォイドは、
村外れの家屋の壁に身を預け、崩れるように座り込んでいた。
血は止まらず、呼吸も荒い。
その時――
「……誰、なの?」
小さな足音が、恐る恐る近づいてくる。
そこに現れたのは、
まだ若い、一人の娘だった。
ヴォイドが咄嗟に武器を構えた瞬間、
二人の視線が交差する。
殺意を隠そうともしないヴォイド。
だが、それに対して娘が向けたのは――
恐怖ではなかった。
そこにあったのは、
ただ、哀れみと、悲しみに満ちた眼差し。
「……そんな目をするな……!」
思わず怒鳴るヴォイド。
だが娘は怯むことなく、一歩踏み出した。
「怪我、しているのね。
すぐ手当しないと……」
「近づくな!」
激昂するヴォイドとは裏腹に、
娘は警戒すらせず、彼の元へ駆け寄った。
「これが……始まりであり、
そして終わりでもあった」
ヴォイドの語り口には、
怒りと、それ以上に深い後悔が滲んでいた。
そこから、二人の奇妙な生活が始まった。
怪我が癒えるまでのつもりが、
気づけばヴォイドは、娘に引き留められるように村に留まっていた。
不思議なことに、
その日々を彼は――悪くないと思っていた。
いや、
どこかで確かに、楽しんでさえいたのだ。
「私には……
家族と呼べるものは、いない……」
闇夜の中、
焚き火の前でヴォイドはぽつりと呟いた。
その声は弱く、
かつての破壊者の面影はなかった。
娘は何も言わず、
ただ強く、彼を抱きしめた。
「私だって……もう、いないの」
彼女の声も、震えていた。
「だから……
あなたが、いてくれれば……」
「私に……
お前を、幸せにする資格なんて……あるのか……?」
絞り出すようなヴォイドの言葉。
娘は少しだけ目を見開き、
そして、はっきりと言った。
「どうして、そんなこと言うの?」
その声は、強かった。
「何があっても、私は受け入れる。
――だって、私は……あなたを信じているから」
その瞬間。
二人は、
世界の何もかもを忘れ去ったかのように、
ただその時を生きていた。
闇夜の中、
一軒だけ灯る家屋の光。
その灯火は、闇の中で揺れていた。
ヴォイドもまた、その光の中で揺れ、
初めて――人としての表情を浮かべた。
そして、その夜。
ヴォイドは娘に、
これまでの全てを語った。
己の過去を。
罪を。
決して消えない闇を。
――迫り来る影に、気づくこともなく。
そんな幸せは、
あまりにも脆く、
長くは続かなかった。
今年最後の投稿です(⌒∇⌒)
まさかただ心の赴くままに書いていたものが、ここまで続くとは思いませんでした。
2025お付き合いいただきありがとうございます。
2026も、ぜひともよろしくお願いします。
良いお年を!!!




