六話 過ぐる日
俺の振りかぶった剣は、確かにヴォイドを捉えていた。
その首元へと迫り、俺はヴォイドの目を見据え、決して視線を逸らさなかった。
その眼に浮かぶものは、後悔か。
細められた瞳は、何かを諦めたようにも見えた。
――だが。
その口元は、不気味に吊り上がった。
「――出でよ」
次の瞬間、ヴォイドの背後から人影が滑り出た。
そして、俺の剣を受け止めた。
「なっ――!?」
まだ幹部が残っていたのか。
反射的に距離を取ろうとしながら、現れた人影を注視する。
その者は――
「キ、キール……?」
虚ろな瞳。
焦点の合わない目は、生きている者のそれではなかった。
それでも、姿形は間違いなく、かつて共に戦った仲間――キールだった。
「な、なんで――」
混乱が言葉になりかけた、その瞬間――
「ぐっ――」
父様の、苦痛に満ちた声が響いた。
「あ、兄貴! なっ!? ぐぁっ――」
間を置かず、師匠の苦悶の声も重なる。
何が起きた――?
動揺と共に、剣を握る力が一瞬緩んだ。
その刹那、キールの放った爆撃が俺を直撃し、身体が宙を舞った。
「ダ、ダレン! アレスさんが!」
クラリスの叫びに、無理やり体を起こし、前を見る。
そこにあったのは――
「と……父様……? 師匠……?」
二人の身体は、剣に貫かれ、床に崩れ落ちていた。
思考が止まる。
視界が、急速に黒く染まっていく。
だが――
二人を貫いた存在にも、俺は覚えがあった。
「……テネブリスに、ノクス……」
それだけでは、なかった。
「驚いたかい?」
ヴォイドの声に導かれるように視線を向けると、
その背後には――
かつて俺たちが討ち倒したはずの幹部たちが、
何事もなかったかのように並び立っていた。
愉快そうに笑うヴォイドとは対照的に、
俺の瞳孔は、制御不能に震えていた。
「ど、どうやって……?
それに、幹部たちは倒したはず、だ……」
「虚無の中から、私の記憶をもとに複製しただけさ。
話すことも、考えることもできない。――ただの人形だよ」
人形。
そう言われても、感じる力は本物だった。
数は増え、質も落ちていない。
――ヴォイドに、一撃すら届いていない。
父様と師匠は重傷のまま、囲まれている。
そして――
「ダ、ダレン……」
「ダレンさん……」
恐怖を必死に押し殺した声で、クラリスとルシアが名を呼ぶ。
二人もまた、虚無から生まれた幹部たちに取り囲まれ、完全に封じられていた。
「こりゃ、まずいぜ……」
フィデルも同様に、首元へ剣を突きつけられ、動きを止められている。
――攻撃しないのは、遊んでいるからか。
それとも、俺に絶望を味わわせるためか。
「ふっふ……ははっははっ。素晴らしいね。
その顔を見たかったよ」
ヴォイドは、心底楽しそうに笑った。
「今まで希望を繋いできた君が、
その表情を浮かべてくれるなんて……たまらない」
「……まだ……負けてない……」
絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
「この状況でも、その口を叩けるのかい」
ヴォイドは壇上から、ゆっくりと降りてくる。
その立ち姿は、
虚無であり、闇であり、――絶望そのものだった。
嘲るような笑みを浮かべ、
俺の“今”を、心底楽しんでいる。
そして、目の前に迫った瞬間――
間合いに入ったと判断し、
俺は無理やり立ち上がり、剣を振り抜こうとした。
だが――
「無駄だよ」
床から伸びた闇の触手が、俺の身体を絡め取り、拘束した。
動かない。
剣も、足も、意思さえも――奪われる。
父様と師匠は倒れ、
仲間たちは囲まれ、無力化されている。
それでも――
俺の身体に残った僅かな光が、最後の力を振り絞り、ヴォイドを睨みつけた。
「その顔が気に食わないな。
前にも言ったが――君は私と同じだ」
「……そんなわけ、ない。
お前は全てを諦めて、自ら闇に飲まれただけだろう。
俺は――」
「抗っている、と言いたいのかい?」
ヴォイドは反論を許さず、言葉を重ねる。
その瞳は、俺ではない“何か”を見て、強い嫌悪を滲ませていた。
「その抗いが、どれほど無駄か……
君に教えてあげよう」
黒く、闇に染まった手が、俺へと伸びる。
俺は目を逸らさない。
目を見開き、その瞬間を――受け止めた。
ヴォイドの手が、俺の頭を掴む。
「ぐっ……がぁっ……いぃ……」
本能が拒絶する。
かつて感じたことのある虚無が、体内へと流れ込んでくる。
それは、肉体だけではなく、
魂そのものを侵食する感覚だった。
「ダレン!」
クラリスの声が、遠くで響く。
意識が溶けていく中、確かに聞こえた。
「……負ける、な。ダレン」
父様の声。
そして――
「共に闇を彷徨おうじゃないか。
同志よ」
ヴォイドの声が、魂そのものに直接響き――
視界は完全に途絶え、
俺の意識は、闇に沈んだ。
ーーーー
……ここは?
最期に聞いたヴォイドの声が、頭の奥で反響する中、俺はゆっくりと意識を取り戻した。
だが、体を動かそうとしても、指一本すら動かない。
視線を落とすと、俺の身体は闇に包まれていた。
四肢は黒い靄に絡め取られ、口元も塞がれ、声を発することすら叶わない。
抵抗を諦め、目の前に意識を向ける。
――そこには、
何の変哲もない、ただ静かな村の光景が広がっていた。
木造の家屋。
整えられてはいないが、生活の痕跡が残る道。
風に揺れる草と、遠くで鳴く鳥の声。
どこだ、ここは。
困惑する俺の疑問に応えるように、隣から声がした。
「ここは、私の故郷だよ。……忌まわしき、ね」
横目で見ると、ヴォイドがそこに立っていた。
俺は睨みつけるように視線を向ける。
「ここは私の心象世界だ。
過去の記憶を、私自身が再現しているだけさ。所詮は、もう終わった場所だよ」
淡々とした口調。
感情を切り離したような声だった。
「君にはね、人の――この世界の残酷さを、
私と一緒に“感じてもらいたい”」
その言葉が終わると同時に、景色が歪んだ。
――瞬間、場面は切り替わる。
そこは、ある家屋の中だった。
特別なものは何もない。
どこにでもある、村人が暮らす普通の家。
中には、男と女、そして一人の子供がいた。
「あれが、私だよ」
ヴォイドはそう言って、子供を指さした。
少年の瞳には、今のヴォイドの面影が確かに残っていた。
けれどそこには、まだ闇に呑まれていない、生の感情があった。
傍から見れば、ごく普通の家庭。
粗末だが、壊れてはいない家族の形。
――だが。
「この村にはね。
ある“線”を越えると、禁忌とされる領域があった」
ヴォイドは、どこか自嘲するように語る。
「幼い私は、ある日道に迷ってね……
うっかり、その線を越えてしまった」
一瞬、言葉が途切れる。
「――それが、全ての始まりだった」
場面が移る。
「おい。忌み子。近づくな」
鋭く突き刺さる村人の声。
「あんた、ここにいられるだけで感謝しなさいよ」
「お前がいるだけで、迷惑なんだ」
冷たい視線。
露骨な拒絶。
そこに躊躇はなかった。
村人だけではない。
家の中でも、
少年は“いないもの”のように扱われていた。
目を合わせない。
声を掛けない。
存在を認めない。
――拒絶されていたのは、世界そのものだった。
「……本当に」
ヴォイドが、低く呟く。
「くそみたいな世界だ」
その言葉は、怒りでも嘆きでもなく、
ただ事実を述べるかのように淡々と吐き捨てられ、虚空へと溶けていった。




