友好を築くには時間がかかるタイプ
神門から真っ直ぐにこちらに向かっている人物を凝視する。表情が見れるほどに近くなってきた。黒髪の男の子は、紺色の甚兵衛のようなものを着ていて、見るからに活発そうな少年のような印象を受ける。だがその幼さに見合わないくらいに凄まじい形相に、橘は引いた。あれはどうみても怒っている人の表情だろう。橘は狼狽えてダイに訊ねた。ダイはあれはいつもだと言う。
違う、橘は直感的にそう思った。多分、あの小さな男の子は橘を睨み付けている。距離が縮まれば縮まるほどそれは明確なものとなった。ダイが声をかけるよりも早く男の子の咆哮が境内を震わせた。
「人間!そこは狛犬が乗る神聖な台座だぞ!降りろ!」
それを聞いたダイは、身軽に降りて小さな男の子へと駆け寄り頭を小突いた。
「なんて口の聞き方をするんだ。挨拶が先だろう?」
橘は台座の上でしゃがみこんだ。それに気付いたダイは慌てて駆け寄り台座からゆっくりと降ろしてくれた。
「すみません、こんな高い場所一人では怖かったですよね」
「あ、いやそうではないです。えっとですね」
台座から降りても警戒心を解かない彼にたじろいでしまう。
「ダイ、どうして台座に人間が乗ってるんだ」
「僕が乗せたんだよ、探し物をしててね」
あまり納得してないのか、ぶっきらぼうにへぇと答える。未だに彼は橘を睨む。
「紹介しますね。彼が狛犬のショウです」
「橘です、よろしく」
「よろしくはしない。帰れ」
ようやく名前が知れたと思えばばっさりと切り捨てられた。これには流石に心がずきりと痛む。ダイもその物言いに難色を示した。
「ショウ、彼女はこの神域を戻す手伝いをしてくれてるんだ。そういう言い方はよくない。改めてくれ」
「なんで人間の手を借りなきゃならないんだ?代用してる神器があるし水晶を用意すればまた戻るんだろう。わざわざ現世から連れてくるなんてしなくたって俺達がここにいれば問題ないだろ」
「この間も言ったがこのままじゃここがなくなるんだ」
「だからそうならないために俺だって守りを強くしてる。あいつらだって入ってこれない。これなら100年くらいなら持つ」
「それは自分を過信しすぎだ。あっちだって強くなってきてる」
「なら、そこの人間があいつらの退治をしてくれんのか?守れるのか?種が足りないなら祈るだけでいいだろ。わざわざダイを連れ回して台座にまで乗って、なんのつもりだ」
彼から紡がれる言葉は圧倒的拒絶。人間に対して快く思っていないのが痛いほど伝わる。この問題に他者からの介入を嫌がっている。。少なからずこの狛犬は人間は善人だけではないというのを理解している、橘にはそう感じた。ダイは底抜けにいい人だ。人間もきっと大好きなんだろう。だが彼は違う。最初から友好的な方が珍しいのかも知れない。こういう対になっているものは正反対の意見だったり性格をしているのが一般的なんだろうかと思うくらいに真逆な態度だ。釣り合いとはこうやってとれているのか。
「ダイもダイだ!そういうことは俺に言え!人間より役に立てる」
「何度も提案したし人間を連れてくるのに対して好きにすればいいって言ったのはショウだろう?だからカラスと出入り口ぎりぎりまで行って連れてきたのに」
「無理矢理連れてきたんだろう。おい、嫌々協力してるんだろ?抵抗すればこっちはどうとだって出来るんだしな」
「あの!私、自分の意志でしてます」
橘が反応したことにショウは驚いた。
「どうして連れてこられたのかも説明してもらいましたし、この神社の現状も聞いて、しっかり考えた上で協力しています。私、神社が…ここが好きなので。何か気にくわないことがあるのかも知れませんが、神社を守りたいという気持ちは同じじゃないですか?」
ショウは何かを言い返そうとしたが、言葉に詰まった。
「私たちの介入は貴方にとって不本意であるのはわかりました。ですが、このままじゃいけないことはわかってくれてると思います。仲良くしようとはいいませんが、最初から役立たずだと決めつけて除外するのはやめてください」
ショウに近寄ったダイは両肩に手を置いて目線を合わせた。
「ショウは自分達でどうにかしたいっていう気持ちが強いのはわかってる。でも、僕たちだけではもう無理なんだよ」
ショウは何も言えずに黙りこくる。誰かの手を借りるのに抵抗があるのかも知れない。
「狛犬だって限界はあるんだよ、ショウ」
そういったダイの声音は優しさと共に切なさが滲んでいた。そう、彼も狛犬なのだ。彼もこの神社を守りたいと思っている。
「すいさん、狛犬には邪気を払ったり、神前を守護するという役割が僕達にはあります。ショウはその責任感がとても強い子なんです」
「今もここが守られているのは二人のお陰なんですよね?」
橘が問えば、ダイとショウはきょとんとした顔で僅かに頷いた。
「それってとてもすごいことです。あの化け物にまた追われないのは二人が頑張っているからですよね」
「ふん、当然だ」
「私もこの神社を守る手伝いをしたいんです。祈るだけではなくて、二人の頑張りを支えたいです」
ショウは先程の怒気は孕んではおらず真剣に橘に向き合った。鋭く見つめる目線の強さに怯みそうになるが、目的は彼
と同じはずだ。橘はめげずに彼が動くのを待った。
「俺はダイ達みたいに友好的にはならない。だが、邪魔はしない。お前も俺の邪魔はするな」
そういって彼は狛犬のもうひとつの台座に飛び乗りこちらに背を向けて寝転がった。橘がダイを見れば、ダイは優しく微笑んだ。
「酷いことを言ったのは必ず謝らせます」
「そうですね。結構きました」
「気が変わらない内に異常を探しに行きましょ」
新しい人物の登場に翻弄されたが、何度目かの仕切り直し。気持ちを新たにして異常を探すべく、端から念入りに歩く作戦に切り替えた。眺めてるだけでは矢張細部を見つけるのは困難だろうということだ。手水舎から時計周りで行くか反対から行くか悩んでいれば頭上からおい、と声をかけられた。
さっきの狛犬のショウだ。
「なにを探しに行くんだ?」
「器が壊れてから起きてる異常だよ。ほら、賽銭箱の引き出しが壊れてたり」
「あれはダイが壊したんだろ?」
「それとは別件だったの!」
「なら、手水舎は?ばっちかったろ」
「ふふん、それはね既に解決してるんだよ!すいさん達と協力してもうピカピカなんだから!」
「じゃあ、あそこは?」
ショウに連れられて赴いたのは、小さな池のような場所だ。境内の端の方にある。ここは形代流しを行う場所なのだそうだ。簡易的な机があり、その上に木箱が用意されている。開けてみると人形に切られた紙が置かれており、そのとなりに筆が置かれていた。ダイは丁寧にひとつひとつこれがなんなのか橘に教えているとショウは呆れたようにため息をつく。
「お前、形代流しも知らないのか」
「小さい頃にやったきりだったから、忘れてただけです」
「ここにはないですが、神社によってはペット用のもあったりと様々なんですよ」
「ダイさんは物知りなんですね」
「当たり前だろ、ダイは賢いんだ」
自分のことのように自慢するショウに、橘は先程向けられた敵意の理由が見えてきていた。ここに連れてきてもらって形代の台に興味を示した時は、ショウはそっちじゃないと言ってきたが、ダイが説明を始めた途端大人しくなったのだ。そして、先の発言。出会い頭に怒鳴られたのも、ダイに関わることだった気がする。
このショウという子は、ダイを大層慕っているのだろう。 そう思うと先程の悪態と暴言の数々に納得がいった。もちろんちゃんと傷ついているし許してはいない。彼は自分がいない間に知らない人間といるのが嫌だったんだろう。つまり、これは嫉妬、というものか。出会い方が違ったらこうはならなかったかも知れない。ダイの説明を聞きながら考えていた。
「ここは、特に問題ないと思うよ?形代も破れていないし、さっきの雨乞いのお陰で水も流れてるみたいだし」
「そっちじゃない、この後ろだ」
池の更に奥に行く道を進むと太い竹と、なんだろう、縄だろうか。しかも綺麗な輪っかになっている。紐が切れてるのかところどころ綱っぽいところが剥げていて芯が見えた。あれも竹だろうか。橘から見た印象は表面が綱引きの綱にとても似ていた。なんだというのだろう。ダイは大変だ、と呟いて丸い縄を調べ始めた。これはなんですか、と近くにいたショウに訊ねればちょっとムッとしていたが答えてくれた。
「これは夏越の大祓で使う茅の輪だ」
「なーごし…なるほど、わからん」
「お前、本当に神社が好きなのか!?」
「雰囲気とか、そういうのが好きで行事は実はあまり参加したことがないんです」
説明してくれようとして息を吸ったが心底呆れたようで言葉ではなく溜め息がまず漏れた。
「…夏越の大祓は、簡単に言えばお祓いのことだ。半年の間に身に付いた穢れを祓い浄めて、残りの半年を無病息災で過ごせるように祈る神事だ」
「そう言うのって初詣の厄除けで一年保証かと思ってました」
「落ち葉だって定期的に掃かなきゃ汚くなる。それと一緒だ」
あんな態度を取られたからてっきり邪険に扱われると思っていたが呆れつつもわかりやすく説明をしてくれる。ダイとは違いあどけなさが残る青年は形代が置いてある机を指差す。
「茅の輪くぐりをした後にその形代流しもする」
「茅の輪?」
「今、ダイがこっちに引っ張り出そうとしてるあの輪っかが神事に使う茅の輪だ」
ダイはどうにか広い場所に移動させたいのか頑張って運ぼうとしていた。力持ちのダイだと思っていたが、その大きな輪が想像以上に重たいのか、ずりずりとひきずりながらちょっとずつこちらへ引っ張ってくる。ある程度こちらへきたのを確認したショウは、ダイが持ってる場所とは反対側へ移動し持ち上げた。地面から5cm浮いた。ショウも力持ちなのだろうか。彼等は腰を入れてそれを運び、どうにか池の手前まで移動させることが出来て一旦降ろして息を整えた。かなりの重さがあったのだろう、ダイとショウは額に汗を滲ませていたし、茅の輪を置いた時にドッと重たい音がした。
近くで見ると太い。まじまじと見て気づいたことは綱引きの綱みたいに麻が編まれてるものではないみたいだ。稲のような細い茎の束が紐でくくりつけられている。この長い紐で螺旋状に巻かれていて茎を押さえつけているのか。それも途中までで紐が痛んで切れたのか茎はばらばらに解れ、中の竹が露出していた。
「酷い状態だろ?つい最近使ったばかりなのに尋常じゃない傷み方をしてる」
「最近なんですか?」
「夏越の大祓は6月30日にやるのが一般的だ。ここもそうだった」
「あ、夏越の大祓って知ってるかな?」
「さっき教えた」
「はい、それはそれは丁寧に」
「これが異常に入るかはわからないが、どうだ?」
ダイは腕を組んで唸りながら周りをうろうろして観察している。本来、使用した茅の輪は解体されてしまうのだが、それは現世での話で、ここではさっきの場所が安置場所のようだ。それこそたくさんいたなにか達とえっちらおっちらと運んでいたのでここまで苦労はしなかったらしい。ダイは悩むだけ悩んで、結論が出たようで二人を振り替える。
「集合場所に持っていきましょうか」
簡単に言ってのけるダイにショウは嫌そうな顔をした。
それはまさか俺も手伝わなきゃなのか、と。ダイは当たり前のように頭数に入れていたようで、ショウに早くそっちを持てと急かす。
「おい、そこの人間にも手伝わせろ」
「わ、私も持ちます!」
「え?本当?そしたらショウの方に寄って持ち上げてもらっていい?途中疲れたら離していいからね」
「いいわけないだろ!」
「え?そんなに腕力に自信なかったっけショウ」
その物言いにかちんときたのか、ショウはムキになって言った。
「持てる。おい人間、なんなら黙ってついてきてもいいんだぞ」
「そういうわけだから、すいさんは気負わずにお手伝いしてください」
ダイは朗らかな顔をしていた。ショウの手綱をしっかり握っている。素なのか、策士なのかはわからないが侮れない。せーの、と言って実際に持ち上げてみれば重たいなんてもんじゃない。ショウがいなければびくともしなかったと思う。恐らく全然手伝いになっていないだろう橘の力も加わって三人は茅の輪を境内の方へと運んで行くのであった。