彼らと彼女達の違い
人がいない神社を初めて見た。
建物の柱だったり、植木、参道の幅など普段は気にしないのにこういう時に気になるものだ。どこから探そうか、と思いながらとりあえずぐるっと周りを見てみる。
鳥居と神門、その次に見えたのが手水舎だ。参拝に来るとまず見かける。どうやって手を清めるか最初に話題にあがる場所。柄杓で水を掬い手を洗って口を濯ぐ。これにも手順がある。作法が多い。だが、こういった作法をしっかりとやる人は多く、調べてからきっちりやる。神社側が張り紙をしてくれていたりする。その場所のルールを重んじているのだ。そういえば参拝前に手を清めるのを忘れていた藤達は、手水舎に近寄る。
そこはあまりにも汚かった。
水は淀んでいて絶えず出てきているはずの湧き水はなく、石は緑色と黒ずんだ何かがへばりついていた。柄杓も柄にベトベトしたものがついていて到底手を洗うために使えるしろものではない。この惨状に顔をしかめた藤はカラスに訊ねた。
「これも原因のひとつなの?」
「酷いもんやろ循環するための力が足りないのかこうなってしもてな」
「どうして放っておいたのさ」
「それはダイちゃん達に聞いてくれ。わしはここに鏡を届けにきただけの部外者や」
そういえば言っていた気がする。この場の力を保つために神器の力を借りていると。剣と勾玉はあるが、鏡は借りている。なるほど、カラスはここの神社には関係ないのか。
橘はカラスに訪ねる。
「どこからきたんですか?」
「あっち」
「教える気ないでしょ」
「知ったってふーんってなるだけやろ」
「そうだけど」
「いいこと教えたる。知らん人に自己紹介するときは詳しく話さん方がええで」
気だるそうなカラスは案外常識的なことをいうのだと関心した。だが、ダイは橘とは正反対で呆れたようにため息をつく。
「カラスはそういって詳しい場所を教えてくれないんだ。別に構わないけど、こうやって躱すのうまいからあんまり関心しないほうがいいよ」
「自分の正体隠すタイプか」
「秘密あるほうがかっこええやろ」
本気なのかふざけているのか、ひょうひょうと答えるカラスは掴みどころがない。だが、この神社の彼らと親しいのは確かなようだ。ダイは呆れながらも朗らかに笑うし、スズもここにいるカラスに警戒していない。
「湧き水が出ないなら他の水場はないんですか?建物に水道は?」
水道?と首を傾げるダイ。橘はスズも見たが同じ反応だった。
「喉乾いたらどこの水飲むのさ」
「仮に人間と同じ営みをするなら、そこしか水源はないからそこのを飲む」
そこ、と指を指したのはお世辞にも綺麗とは言いがたい手水舎だった。だが、スズの発言でわかった。
彼らを人間の常識に当てはめてはいけない。カラスも言っていたが彼らは藤達と馴染みやすいように人間の形を保っているのだ。彼らの常識に引っ張られないようにしなければならない。
「ちょっと勇気いるよ、この汚れ」
「いや、こうなってからは流石に使ってませんよ。入り用の時は危ないですが敷地の外に出て、川の水を汲んできます」
「どうしたらこれ、綺麗にできるかな…このままなのも嫌だし掃除する?」
藤がそう提案したら、三人の人外はこぞって引き気味に目を細めた。
え、こんなの触れない、と。
「いままでこんなもの見たことがなかったですし。ましてや触るなんて…すいませんちょっと無理です」
「え、自分達の神社の汚れだよ?」
「そういうのは、人間がやってくれましたし…」
藤はなんとなく状況を理解したのか、わかったと言って会話をきった。
「なら、掃除用具を貸して」
「どないするん」
掃除、と平然と言った藤に対し橘もぎょっとした。人間でもあんまり触れたくない汚れだ。
「洗い流すためには多少は綺麗な水が欲しいけど…危険を侵してまで行って欲しくないな。どうしよう」
「あぁ、スズ。雨降らせたらええやんな。豪快に流せるやろ」
今度は人外の常識発動か?天気をどうにかしようというのか。スズは名案だな、とはいうものの思案顔になる。
「雨乞いの舞を踊れる巫女がいないとなぁ。神器が壊れる前はその辺りに舞を踊る子達がいたが、今は顕現するほどの力がないからな…神楽鈴だけじゃ無理だ」
雨乞い。日照りが続いた時、神事として行われた行事。以前はここいらに何かしらの権現が姿を表し、賑やかな場所だったのだそうだ。それこそ、雨乞いをする童のような巫女が気まぐれに舞い、雨を降らせていたようで。
「スズがやればええんやないの?」
「誰が神楽鈴を鳴らすんだ」
「あー。確かに。スズが一人二役やるはめになるね」
この会話に彼女達は首を傾げた。
スズが舞ってその神楽鈴を鳴らせば良いのではないのか?一体なんの不都合があるのだろう。
「巫女ってことは女性じゃなきゃならないの?」
「いや決まりはないよ。ここでは性別というくくりが曖昧なんだ。女であるべきっていうのはないよ」
「なら、何が今問題なんです?」
「スズが舞をしても神楽鈴を鳴らせないことです」
「えと、舞う人と鳴らす人は別々の役割なんですか?」
「姉さん達、巫女の舞見たことないん?鈴鳴らしとるやろ」
カラスが何かを持つ素振りをして振って見せる。
話が噛み合わない。なんだというのだ。雨乞いには誰かが舞う。これはおそらく共通の認識だ。だが、問題は神楽鈴を鳴らす人、だ。ダイ達の話ではスズは舞えるが、神楽鈴を鳴らせない。舞っている人自身が鳴らさないのかと聞けば、巫女は舞う時自分で鳴らすという。なら、舞う人自身が鳴らしているという認識は合っている。
もしや、舞う人がスズだとそれが出来ないということか?
藤は気づいた。ダイが言っていた一人二役。ひとつの可能性が見つかった。そして、それなら全てが通る。
藤はスズに聞いた。
「確か、私たちに馴染むように人の形を模していると言っていましたよね?もしかしてスズさんは「神楽鈴」本体なんですか?」
橘は、は?という顔をした。
だがスズ達は違う反応を示す。
「え、そうだけど」
そういうことか。認識が違っていたんだ。橘はまだうまくわかっていないらしい。藤は五本の指を揃えてスズを指し示しながら説明をする。
「最初に彼等は私達人間に合わせた姿をしてるって言ってたのを覚えてる?つまり彼等は私達の世界でいう何かしらのモノなんだと思う。スズさんの場合が「神楽鈴」っていう祈祷や舞の時に巫女さんが鳴らすあの鈴がたくさんついてるあれ。神具が本体なんだよ。だから、舞えるけど鳴らせない、は人の姿のまま舞ってても神楽鈴の姿にならなきゃ鳴らせないって意味。あってますよね?」
橘はようやく理解した。そして彼等も自分達のそう言った部分の話をしてないことに気づきはっとした。
カラスはこの噛み合わなかった会話を繋げた藤に拍手した。
「いや、すまんかった。なるほど確かに説明不足のまま話を続けてたからこうなってしもたんやな。そっちの姉さんが言った通り、わしらは現実では人として人間の前にはおらん」
橘は三人を見る目が変わった。わくわくするような好奇の目だ。
「なら二人も神社にある何かしらの擬人化ってことですか?」
「おぉ擬人化。便利な言葉だな。それ採用や」
「そうです!僕は」
ダイが言おうとした瞬間、カラスが手で口を塞いだ。
「待て待て。こんな簡単に言ったら面白くないやろ。秘密があった方がちょっとミステリアスでかっこええやん」
ミステリアス。その言葉がダイに響いたのか、目を輝かせ復唱した。
「いやいや困る、今みたいに会話が成り立たなくなる度に考えなきゃならないじゃん」
「推理、っていうんやろこういうの。えぇやん、ちょっと面白味があって」
新しい遊びを発見したような、無邪気なような意地悪そうななんともいえない顔をしている。彼等がいわゆる、付喪神というものなら、この悪戯心にも頷ける。古来より、神様や目に見えないモノ達は悪戯が好きなんだと、藤は祖母から聞いたことがある。昔の人はこういう話をよく聞かせてくれたなぁとしみじみ思い出していた藤は、橘に忠告した。
「ここから出るまでは遊ばれるの覚悟してた方がいいね」
「穏便にお願いしたいです」
「雨乞い、どうしようか…」
ダイは腕を組んでうんうん唸っている。そうだ。カラスにペースを持って行かれたが本題は、この手水舎の汚れを落としたくて大量の水、雨が必要ということになった。
「ダイさんやカラスさんは舞えないんですか?」
「わしは部外者やし、ダイちゃんがええとは思うけど」
ダイは両手を精一杯左右に振って無理だと主張した。
「僕が舞っても神様を満足させるのは無理だよ、前に巫女の童に教わって舞をしたら不満だったのかせっかく降った雨が止んだことあっただろう!?」
踊って雨が降るなんて簡単にはいかない。そもそも舞は神様にお見せする神事だ。それを見て満足した神様が雨の恵みをくれるらしい。ダイは不器用だったのか、散々だったようだ。
「つまり、ある程度は踊れなきゃだめってことね」
藤は顎に手をあて、思案する。ふと、橘が視界に入った。
「その舞は人間がしてもいいのかな」
「そうですね、ここにいた童達はあくまで楽しんで舞っていただけなので雨乞いを目的とするならむしろ人間の方がいいかと」
藤は橘を指差し、胸を張る。
「この橘に、舞を仕込むのはどうだろう」
橘は鳩が豆鉄砲くらったような顔をした。何を言われたかだんだん理解してきたみたいで大声で抗議する。
「なんで!?舞なんてしたことないよ!?」
「彼女はですね、ダンス経験者なんですよ。ずぶの素人がやるよりは何かしら経験があった方がいいでしょ?覚えるのも早いし。スズさんが教えている間に私はある程度、手水舎の汚れを落とすから」
人にはそれぞれ趣味や習慣、特技があるものだ。橘は藤に出会う前からダンスを習っている。それを活かすタイミングなんて滅多にないが、ここにきてその特技が輝こうとしている。橘は唸るが、最善策はそれしかないだろう。
早速、スズによる舞のレッスンがスタートした。
外では危ないと言うことで建物内で練習することになった。また矢に狙われては危ない。ダイは見張り役として外を警戒しながらも好奇心で舞の練習を見ていた。
「では、まずはどういった舞なのか見せるから。ダイ、悪いけど見張りながらチャンチキ鳴らしてくれ」
「え、えぇ結構無茶いうね?」
「無音だとイメージつけにくいだろ」
「あの、チャンチキって?」
「ちょっと待っててね」
ダイは持ち場を離れて一旦どこかへ行ってしまった。その間、スズは舞で使うのか扇子を取り出し、開いてはパチンと閉じる。
「舞って現代だと馴染みがないというか、こう男性が棒持って振ってたり、子供とかが踊ってるイメージが強いんですけど、扇子使うんですか?」
「神様に見せるものだが形式はそれぞれだ。ここでだって表現は自由だが、なんだろうな。今回教えるのは俺が見てきた中で扇子と神楽鈴を使うこの舞が一番綺麗だと思ったんだ」
そう語ってくれたスズは大切なものを見つめるような優しい顔をしていた。そうか。彼はきっとたくさんの舞を見てきたんだ。それはいつからかわからない。とにかくたくさん。たくさんだ。どれもが大事にされてきた伝統であり、信仰のひとつなのだ。
「ダイが踊ったら雨が止んだって話、聞いたろ?」
「はい、それを聞いてちょっとどころかかなり緊張はしています」
スズは目を細め笑いかける。
「ダイは、不満だったから雨が止んだって思ってるがそうじゃないと思うんだ」
「そうじゃない?」
「なにも雨を降らせることだけが神様の加護じゃない。台風とかきたら晴れを祈るだろう?ダイは確かにお世辞にもまぁ上手とはいえなかったが一生懸命で楽しそうだったから、つられて楽しくなっちまったんじゃねぇかなって」
ダイは、感情が豊かだ。初対面の橘達にも物腰柔らかく、接してくれた。時々笑う顔がなんとなく明るい人なんだろうなと思う。人、ではないが。
「素敵な方、なんですね。私がうまく理解してなかった時にフォローしてくれましたし、安心させようとしてくれたのが嬉しかったです」
橘がそういうとスズは嬉しそうにはにかんだ。
直後、どたばたと音を立ててダイが帰ってきた。
「お待たせ!みんながいないとどこに何があるかわからないね」
「バタバタ音を立てて歩くなって」
はっとしたダイはごめんなさいと素直に謝った。
「これ!これがチャンチキ。擂鉢ともいうんだけど」
ちん、と鳴らせば橘にもわかった。お祭りなどで良く聞く和楽器だ。そういえば名前を知らなかったな。
「名前までは知りませんでしたが、見たことあります」
「これと本当は太鼓もあった方がいいんだけど」
「そこまでしてる余裕はないさ。チャンチキだけでもありがたい」
今度こそ準備が整った彼らは、雨乞いの舞を披露してくれた。