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安寧

※残酷描写あり


 可視化されていない結界は肉眼では捉えることは出来ない。だが、イメージしやすいように色をつけるのであればそれは真っ白な分厚い層だ。その層はひとつで構成されているものではなく何重もの層で成り立っていく。

 内側から新しい層が張られていく。穴が空いていた場所も補強されていき、あっという間に塞がっていった。

 強固な結界がドーム型に張られれば中の浄化が進んでいく。

 瘴気が漂い淀んだ空気は清められていき、霧散していく。雨上がりの爽やかな景色のように輝きだした景色。くすんだ色は鮮やかさを取り戻して行き、木々の葉も瑞々しさと生命力が漲っていく。変わっていく視界を不愉快に睨み付けるのはナギだけだった。


「もう少しだったのに…畜生!」


 悔しさと怒りに振り回されるナギの体は、デタラメに剣を振るう。ここまで回復してしまえば、例え内部にいたとしても壊すことは困難だ。ましてや浄化の力まで漲っているのだからあちらとしては部が悪い。それでも、一矢報いてやろうとカラスを攻撃し続けている。


ダイの回復。

 神社の修復。

 カラスへの労い。

 負けないでという願い。

 この空間は人間の祈念も支えになっており、力を与えてくれる。

 カラスは鏡だ。人間の願いが見える。

 その中で、奇妙な願いを見つけた。

 これは彼女の祈念だ。

 その祈念が、カラスの背中を押し、ナギの力を鈍らせる。何を真剣に願っているかと思えば。

 カラスは、顔の布を外した。

 人形をしているとは言え本体である。しかも鏡ときたものだ。人間が狂わないように配慮せねばならない。虚像の時と顔つきは変わらない。だが、瞳の赤は不思議なほどに綺麗で、景色が移り込んでいた。万が一にでも鏡のような瞳を覗き込まれてしまえば、人間の精神が壊れるだろう。振り返れば、一人はスズが目隠しをしている。もう一人は微動だにせず、目をつむって祈り続けている。

 その顔が、カラスと言う名をつけた巫女の姿と重なった。

 

 カラスが後悔しませんように。

 体を返してあげて。

 カラスの友人が、安らかに眠れますように。

 どうか、安らかに。 


 もう失われているはずの空っぽの彼。

 亡骸は彼で、中身は全くの別物。

 預かり知らぬところで使われるくらいならば、ここで壊してしまわなければならない。

壊して、形をなくす。

 そうして、ようやく彼は眠れるだろう。

 あの時助けてやれなかった無力な悪友である自分の手で今度こそ助けてやる。


 カラスは剣をくるりと返しながら腰を落とす。かちゃり、と剣が止まる。突きの構えをし、間合いを詰める。歩みの速度を徐々に上げていけば、ナギもカラスへと攻撃をしかける。


  

ー突きは実に良い手だ。剣の軌道が弧を描く斬技より速く相手に着弾する。だが欠点がある。この技は捨て身技だから相手に避けられたら隙が出来るー


 今はもういない友人の助言が記憶の中で鮮明に聴こえる。

 この弱点を攻略するのは、一瞬の駆け引きだ。

 ナギだったものは突きの軌道を変えようと中段で構え剣の背を叩こうとする。ナギが前に出している右足に重心が移動をしきり、腕に力が入った瞬間、カラスは間合いに入りきらずに踏み留まる。突きを途中で止めたのだ。するとナギは力を込めたせいで空振る。切っ先はカラスの腕を掠めたが、それくらい計算に入っていた。空振り無防備になるが、ナギはすぐに剣を持ち直し上段から振り下ろそうとする。

 速い。

 腐っても剣の達人。

 負傷はするだろうが、カラスの剣はナギに到達するだろう。

 例え相討ちになったとしても引き下がるわけにはいかない。

 軸がぶれないよう腹に力を入れ、喉元目掛けて突きをする。

 ナギの喉元を。

 カラスは、数百年振りにナギの瞳を真っ向から見た。

 目を見開く。

 ナギの瞳が細められていた。

 本の少しだけ、ナギの動きが止まった気がした。

 貫いた喉。ナギのカラスへの攻撃は、寸でのところで止まっていた。不自然な形で。

 深く、深く喉に突き刺さった剣を引き抜く。

 傷口から溢れるのは血ではなく、瘴気だった。

 ナギはカラスにもたれかかり、剣を落とす。

 カラスはナギを支えることもせずに、剣についた汚れを振り払った。

 どさりと倒れたナギの体が傷口から浄化されていき、形を失っていく。人形だったそれはサラサラと、砂のように崩れていった。残ったのは、錆びて折れてしまった剣のみ。今更になって震えている自分の右手に気付く。大きく息を吸い、吐き出された言葉はかつての友人へ向けた(はなむけ)の言葉だった。


「おやすみ」


 

 いつの間にかスズの祝詞は終わっており、彼は橘から手を退けた。


「もういいぞ」


 ゆっくりと瞼を開ける。二三度瞬きをした。さっきとは違う景色に思わず感嘆の息を漏らす。

 幻想的だった。

 全体的に白い霞のようなものが漂っており、空から注がれる光で粒子かなにかに当たってきらきらと光っている。


「…カラスさん?」


 境内の真ん中に真っ黒な着物の男が空を上げて佇んでいた。

 橘の声に反応し藤もゆっくりと目を開ける。景色の変わりように目を見開くが、カラスを見つければ彼女は歩きだした。

彼の背中まで辿り着く。先程の闘いを繰り広げていたとは思えないほどに簡単に背後に立たれている。気がついてるとは思うが、藤は声をかけた。

 

「カラス」

「ありがとな、祈ってくれて」


 藤はただ、うんとだけ答えた。


「スズ!カラス!」


 台座の方から快活な明るい声が飛んできた。それは元気に手を振って走り寄ってきたダイだ。あれだけ顔色が悪かったのに、それを感じさせないほどの元気さに皆が安堵した。


「おぉ、ダイちゃん。もう体はええの」

「ばか野郎!無茶すんじゃねぇよ!」


 体を案じる声と、叱咤の声がダイに投げ掛けられた。

 どう反応していいかわからないダイはとりあえずにこっと笑っておいた。橘も藤達がいるところへ駆け寄る。ダイの元気な姿に涙ぐんだ。そんな橘に気がついたダイは先ほどよりも笑顔になり、目線を合わせるように屈む。


「ありがとう」


 それに返事をすることが出来なかった。涙が我慢しきれず溢れてしまったからだ。


「あーぁ、泣かしてもうた」


 先程外していた布をつけながらダイを責める口調はいつもの気だるげなカラスのものだった。

 そんな光景を遠くでじっと見ているショウ。ダイは気づく。目があった瞬間にショウは下を向いた。彼は顔をあげようとしない。ダイにつられるように皆がショウを見た。ダイは大股でショウに近寄る。その足音にびくりとしたショウは、頭を更に下げた。膝を地面につき更に頭を下げる。額を地面に擦り付けた。

 

「ごめんなさい…」


 消え入りそうな声だった。ダイは彼の近くで止まり、ショウを見下ろす。その表情は誰にも見えない。

 ショウ。

 ピンと張り詰める空気。

 体が強張る。


「自分が何をしたか、わかってるか」


 例え大事な片割れだとしても、ダイは厳しめな口調で彼に問う。


「ダイを、消しかけた。俺は、ただあんたに、外に行けるようにしたくて」

「気持ちは嬉しいよ、ありがとう。けど、そのために何をしたんだ。僕はそれに怒ってる」


 ショウがしてしまったこと。


「…水晶を壊したのは、俺だ。あれを壊してダイに贈り物をすれば神社と切り離せるって。水晶はまた新しいのを用意すれば、結界を張り直せるって言われた。考えたらそんなのおかしいってわかるのに」

「壊れてしまえば二度と元には戻らない。そうだろう?」


 ショウの前にいた対の狛犬。壊されて、もういない。

 胸の奥が苦しくなった。想像できないほどの悲しみと寂しさを抱いたことだろう。ダイの言葉はとても重かった。


「カラスが鏡を貸してくれなかったら、この神社はダメになってた。それだけ危険なことをしたんだ。謝罪だけじゃ済まされない」

「…壊される覚悟はある」


 そうじゃないだろ。

 初めて、ダイの怒鳴り声を聞いた。ビリビリと空気が震える。


「壊さない。責任から逃げるな」


 ショウが顔を上げれば、ダイが泣いていることに気づいた。


「ここを、前以上に守るんだ。まだここは不安定だから」

「でも」

「僕は一人じゃ守れない自信がある」

「ここを守る資格なんて…」

「資格じゃない。使命なんだ。俺達は、狛犬だ。二人で一人前だ。守ろうよ。助けられたこの場所を。偶然が重なって僕たちは幸いにも壊れずに、切り離されずにここにいる。やろうよ、ショウ。僕たちで」

「俺じゃ…」

「ショウは出来る。だって神器を持ってきて来てくれた、結界も張り直してくれた。ショウだから出来たんだ。ショウは逃げ出さずに行動したじゃないか。大事なのは、やってしまったことを後悔することじゃない。今を変える行動だ」


 自信のない表情をしていたショウは、ダイの言葉を反芻した。今を変える行動。思えば、ダイが倒れてどうしていいかわからないショウはあの瞬間ダイを失ってもおかしくなかった。だが、今ちゃんと目の前にいる。行動する勇気を人間が示してくれた。確かに、やってしまったことを憂いても現状は変わらなかった。ショウはやれたのだ。行動して変えたのだ。最悪の事態を。

 逃げることを選んではいけない。ショウはダイを真っ直ぐに見て応えた。

 

「…やる。どれだけ責められても、俺はここを守る」

「元に戻すんは10年はかかるで、気張りぃ」

「カラス」


 ショウは立ち上がり今度はカラスに頭を下げた。


「言うこと聞かなくて、ごめんなさい」

「えぇよ。子供を正すんが年長者の役目や」

「俺、ダイに外を見せたくて…」

「わしかて、見せてやりたいで。でも決まりは決まりや。だから見たことを教えてやるんや。ダイは、自分が出れないことを憂いとらん。せやな?」

「そうだよ。もし仮に僕が出れるようになって、ショウが出られなくなったら、意味がないんだよ」

「どうして…」


 ダイはショウの頭を撫でる。

 それはまるでお兄さんのように。


「見るなら、一緒に見たい。僕はショウより貪欲なんだ」


 ショウの大きな瞳から、一粒、一粒と涙が溢れた。

 声を出し彼は泣いた。ダイは小さなショウを抱き締め背中をさする。

 嗚咽とともに何度も何度も謝った。

 相手を思うあまりに、間違った方法を選んでしまった。結果、大事(おおごと)になってしまった。

 やってしまったことを、なかったことには出来ない。

 それを背負って生きていく。一生だ。


「姉さんと嬢ちゃんには本当に助けられた。ありがとう」


 スズは恭しく人間に頭を下げる。それに戸惑う二人だが、彼の敬意を軽視してはいけない。

 力になれてよかった、そう告げると苦笑したスズは、お人好しだなと溢した。


「人間に手貸してもらうように提案したのは、わしや」


 カラスがそう言うと、藤の表情が強張る。


「連れてきたんも、わしや。怒鳴り付けるなり、なじるなり好きにしてえぇ。それだけのことをしたんや」


 すまんな。

 その言葉を、彼は藤に向けていった。

 この人は、藤以上にお人好しだ。

 そんなことを今言わなくてもいいだろうに。藤が自分のせいで橘を危険な目に遭わせたことで気に病んでるのをカラスは知っていた。だからきっと、その発端は自分であると、恨むなら自分を恨めと矛先をカラスに向けようとしたのだろう。

 だが、その思惑も橘の一言で消える。


「貴重な体験をしました。確かに怖かったけども、大好きな神社を守れて私は嬉しいです」


 晴れやかに笑う橘を見つめていた藤は、訪ねた。


「巻き込まれて、嫌な思いしてない…?死にかけたんだよ?あんた…」

「雪穂さんは、まだ私をわかってないですね。ここにきたのが雪穂さんに関係していたからだとしても、責めたり嫌ったりしないです。出先で雨に降られたら、相手のせいにしないでしょ」

「雨とは比べ物にならないでしょ」

「どんなことが起きても、雪穂さんとなら楽しめるんだよ。それとも、雪穂さんは逆の立場だったら、私を恨んだ?」

「…恨まない…」


 藤はまだ橘と友人になって日が浅い。だからこそ自分の想像で、自分が理解したと思い込んでる橘を作り上げてしまったのかも知れない。妄信に取り憑かれ、真実をみることを避けてしまっていた。自分の都合のいいように現実は上手くいかないと己を諌めた結果だろう。

 今、目の前で屈託のない笑顔をしている彼女こそが橘そのものなのだ。それが変わらない事実である。


「姉さんは考え込みすぎなんや。もうちょいお話上手になりぃ。それが例え無駄話しでも。言葉で繋がるのは大事なことやで。もっと相手を知ることや」


 何でも見通しているような口調にむっとするが、現に見えているのだろう。鏡とわかってしまえば府に落ちる。


「私こそ、雪穂さんに謝りたい。感情的に責めてごめんなさい。雪穂さんは私が怖がらないように色々と考えてくれたのに」

「いや、私も言葉が足りなかった。怒られて当然だし」

「それから、カラスさんもごめんなさい…。疑ってしまって」

「ええよ。わしのこと、最後まで疑いきらずに、助言を聞いてくれたしな。素直な分、騙されやすいから気をつけなあかんで」 


 はい、と元気に返事をする。

 カラスは、ふと剣を見る。

 もう脱け殻のそれを。

 ダイ達もその剣を見つめる。


「…あのナギの兄さんは、カラスの知らない兄さんだったのか?」

「どうやろね」

「この剣、どうするんですか?」

「わしが帰る時に一緒に持ってって炊き上げるわ。瘴気に触れてもうたからな。それに、また入られでもしたら嫌やしな」


 カラスは両手で大事そうに持ち上げる。


「ここにおる間は、本殿の中でわしが見とるから安心しぃ」


 柔らかい表情で、剣を撫でる。

 錆び付いたざらざらの表面は、景色を映すほどの綺麗さはなく、くすんでしまっていた。折れた時に出た破片も拾いあげて踵を返す。


「神器、あっちに起きっぱなしやろ。本殿に運ぶで」


 そう言うと付喪神はぞろぞろとカラスの後ろをついていく。人間達は神器を見ないように背を向けた。


 藤は見上げた。

 とても綺麗な空だ。この青空に鯉のぼりを泳がせたらさぞ綺麗だろう。次に橘を見た。土ぼこりやら、ダイの血がついている巫女装束。最初に見た時よりも着こなしているように見える。凛々しい横顔を見ていれば、視線に気付いた橘は藤を見る。


「どうかした?」

「いや、着物似合うね」

「ありがとう」


 りーん、りーん。

 遠くで鈴の音が聴こえた。

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