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それが本体

息が吸えなくなってからどれくらい経ったのか、長い時間のように感じる。もう意識が落ちようとしたその時、藤の右側を何かが通った。遅れて吹いてきた風が髪を揺らす。直後、首を締めていた手が離れ、首元の圧がなくなった。本能的に大きく息を吸う。勢いが良すぎたせいか思いきり噎せる。せっかく吸った酸素を咳で吐き出し、また息を吸う。それを繰り返してようやく頭に酸素が回ってきて状況を探り始めた。そういえば、持ち上げてきた手が離れたはずなのに地面に落ちていない。背中がなにかに支えられている。寄っ掛かっている感覚があった。

 状況を整理しきれない頭に届いた声に、藤は弾かれたように上を向いた。

 

「間におうてよかった」

 

 黒い着物。一本下駄。

 先程斬られた筈のカラスが、藤を支えていた。

 カラスの顔を見上げようとするが、先程はなかった布が、顔を覆っていて見えない。顎から耳の筋が見え隠れする。もう少し。ちょっと屈めば見えそうだったが、左手で目元を隠された。


「見せもんやないで」


カラスに声をかけるために開いた口は中々音を出せないでいる。咳込んでいると、カラスは目を隠していた左手で鎖骨らへんをとんとんと叩いてきた。いや、普通背中だろと思ったが不思議と咳は落ち着き呼吸が楽になっていく。触れられた場所がほんのりと暖かい。心配と不安で張りつめていた緊張が弛んだように穏やかな呼吸に戻っていく。思考が先程の出来事を後追いするように整理されていく。

 頭上の結界に穴が空いて、自分達が初めて出くわしたドロリとしたあの塊が侵入してきた。それをあの男が食べてから…。

 藤は振り返り、カラスの胸元、腕、お腹らへんを着物の上から触った。袈裟斬りされたはずなのに、カラスの体はどこも斬れてはいないし着物も破れ一つない。

 

「姉さん、デリカシーって知っとる?」

「よかっ…消えたんじゃないかって…」


 泣きそうになる藤の顔を見てから、頭をくしゃりと撫でう。見える口元が弧を描いた。


「確かに消えたで?あれは、わしの虚像や」

「虚像?」


 虚像と言う言葉を日常で耳にすることがあまりないため、一瞬わからなかった。確か、レンズを通過した光の…なんといったか、ポンと頭に浮かんだのは、理科の実験で使った虫眼鏡だった。藤の頭は非現実的なこの現状を把握したばかりなのに、突然授業でしか聞かない単語に戸惑ってしまっている。

 

「えっと、つまり」

「なんや、授業で習わんかった?」

「カラスは、消えてない」

「今、散々撫で回して確認したやろ」


 この状況を理解仕切れていないのは、橘もダイも同じだった。呆けた顔をして瞬きをしている。


「今まで見てたのは、カラスの虚像?」

「虚像…そうか、カラスは」


 何かに気づいたスズの声は、おーい!と遠くで叫ぶ少年の声にかき消された。風呂敷に何かをしっかりとくるんだそれを大事そうに抱えて走ってくるのは、ショウだ。ショウの登場に橘とスズの表情が明るくなる。ところがショウは慌てていた。どうしたというのか。息を整えることよりも先に今しがたあったことを教えてくれた。


「ショウ…?」 

「すまない…。さっきまでちゃんと背負ってたんだ…!嘘じゃない…!でも境内が見えたかと思えば背中からこう、ぱっと消えちまって…。すまない…!あれがないと」


 あれ、とはなんだろうか。息が整わないうちに話し出すものだから要領を得ないが、なにかが消えたと言うことだろう。

 そういえば神器はどこだろうか。ショウが抱えている風呂敷に入っているのか。長モノであろう輪郭。小振りな丸いもの。はて、神器は三種類だったはず。確か鏡だったか。丸いものの輪郭が確認出来ない。まさか姿見とか、四角い鏡ではないだろう。神社にある鏡は丸い、と思いながら橘は風呂敷を注視していたが、それを直視すると狂ってしまうというのを思いだしすぐに視線をショウに戻した。


「あんなでかいの、落とすわけないのに…」


 悔しそうに顔を歪めるショウに、スズは言った。


 ちゃんと到着している、と。

 言葉の意味がわからないショウは怪訝な顔でスズを見る。それとは対照的に、そこにいる誰もが合点がいった顔をした。 


「カラスの本体って」


 藤はカラスの顔を見る。先程のが虚像というのなら布で顔を隠している彼は。

 鏡。

 藤が言えば、カラスの口元が愉快そうににんまりと笑った。


「あたり」 


 神社にある鏡。それは神様の依り代となる物。その鏡の付喪神だと言うのか。驚きなんてもんじゃない。恐らく、ここにいる付喪神の中で最も位が上だ。

 そもそもここにいるどの付喪神もこの神社においてはとても上の者達である。神域が弱っていても動き回れる、それだけでなくここを修復しようとするあたり、かなりの力を持った人達だと推測できる。

 確か、この神社で壊れてしまったのは水晶だと言っていたか。なるほど、それを補うのに鏡か。大層なものを借りてきたものだ。いや、自ら貸し出されにきた、と言い換えよう。

 ずっと考えていた。カラスは何の付喪神なのか。名前に引っ張られてしまい、鏡だなんて思いもしなかった。未だに飲み込めない状況に藤はパチパチと数回瞬きをする。カラスの目元、いや布のせいでどこかわからないが、目があるであろう場所を見つめる。


「名前と本体はなにかしら関係あるって言ってたじゃないか」

「そんなん、あの女に文句言いや。わしの呼び名をつけたんは姉さんの先祖やで。わしの名前を知っとる奴なんて、じいさんか、あそこにおる男くらいや」


 男と言う言葉で思い出した。藤は先ほどまで首を絞められていた。そういえば、彼は今どこにいるのか。見渡せば、カラスが引き剥がし投げ飛ばした力が強かったせいか、地面に叩きつけらている。体の動きが鈍くなっていたようだ。足やら腕があらぬ方に曲がっていたが飲み込んだ塊が内側からナギの体を修復していく。


「スズ。祝詞でダイちゃんの修復を頼むわ。わしはこのままアレの相手をする」

「わかった。嬢ちゃん、わりぃがこっちでダイの傷押さえるの代わってもらっていいか?」

「いい…自分で押さえる」

「わかった」

「ちょっと…!」

「痛がるくらい押さえつけてくれ」

 

 スズの代わりに当て布で傷口を押さえる。ぬるりとした感触がした。一瞬怯むが、ちゃんと押さえないと血が溢れると理解した橘はダイに謝りながら力を入れた。

 カラスは橘と藤を見、いつもの気だるげな雰囲気ではなく、居住まいを正し真剣な面差しで彼女等に告げる。

 

「力が戻ってきたのも一重に人間のお力添えがあったからこそ。感謝いたします。だが、正直に申せばまだ足りない。貴方達人間にお願いがあります。祈念…つまりは祈ってくれませんか」


 関西弁でだるそうにしていた彼とは同一人物とは思えない口調に、藤達は息をするのを忘れた。

 改めて、付喪神として人間に助力を求めている。

 こういう時、礼儀正しく言われればこちらも居住いを正し、彼に答えねばなるまい。今更何を言うのか。人間達の気持ちは決まっている。


「わかりました」

「私たちに出来ることなら」


 カラスは口元しか見えないが表情が和らいだのがわかった。次にショウを見る。ショウは萎縮した。今までのカラスとは違っているからか、緊張している。カラスは今度はいつもと変わらない声音でショウに言う。


「よう運んでくれたな。ありがとう」


ショウは驚いた顔をした後、眉間に皺を寄せて何かに堪えているようだった。


「だが、まだや。こっからが正念場やで。これはショウとダイにしか出来ん。やれるか?」

 

 ショウは口を引き結び大きく頷いた。


「ダイが回復したら、結界を張り直すんや。安心しぃ。アレには邪魔させん」

「わかった」

  

 返事を聞いたカラスは皆に頭を下げてから踵を返し、階段を下りていく。裾がふわりと浮かぶ。

 カラン、コロン。

 その姿は、とても凛々しく頼もしい背中だった。


 

 境内の真ん中で対峙する二人の付喪神。

 そこにいるのはかつては友人だった二人ではなく、完全に敵対した二人。互いを見る眼光は鋭く、一縷の情もない。ただ相手を壊すことしか考えてはいない。スズは息を整え、両手を合わせる。目を瞑れば呼吸すら聞こえない静寂が訪れる。口をうっすらと開け、息を吸う。

 大祓祝詞(おおはらえのことば)の冒頭を称え始めた。腹の底に響くその声は、神様に呼び掛けるようだ。


 睨み合っていた両者だったがその祝詞が始まると同時に動いた。ナギがカラスへと刃を振り上げる。先程とは比べ物にならない速さに人間の視力では全てを追えない。カラスはナギの出方を伺いギリギリまで引き寄せてから袖で剣を往なした。カラスは今丸腰だ。攻めることが出来ない。それでも引けを取らぬスピードに藤は目を奪われた。人間の戦いではない、異形の、付喪神の戦いは自分の凡庸な想像力を超えていた。重力を感じさせない跳躍力、スピード。先程アレに首を掴まれていたのを思い出すと身震いした。へし折られなくてよかったと無意識に首を撫でる。

 助けてもらったのだから自分のやるべきことをせねば。

 目を瞑り、スズにならって両手を合わせる。

 橘は手を合わせられないが、目を閉じた。

 その二人を守るようにショウは辺りを警戒する。怨恨の塊の瘴気が漂っているため気は抜けない。


 余裕の笑みを浮かべていたナギだったが、あまりにも簡単に往なされるものだから苛立ちが募っていく。カラスが逃げる方へと追いかけていく。目の前の獲物に夢中になっていたナギは、カラス何を目的にどこに逃げているかなんて先読みしていない。カラスは二、三歩後ろへ飛べば自分が先程使っていた剣の元へ辿り着いた。(つか)(かしら)を踏み剣を上に向かせる。(つば)に足をかけ蹴り上げれば剣はカラスの手元へと浮かびナギを睨み付けたまま柄を握り、振り下ろしてきた彼の剣を受け止めた。


「チッ。下品な野郎だ。足で剣を扱うなんざ罰当たりな」

「剣の成損ないに言われとうないわ」


 速さも力も増したのはナギだけではない。

 カラスは虚像ではなく本体で戦っているのだ。

 ナギの体内から時折溢れる塊がカラスの死角から飛んでくる。それすらも見えているのかカラスはなんなく避ける。その攻防をショウはいつの間にか食い入るように見ていた。いつものらりくらりとしていて、掴み所のない男がこんなにも闘えるだなんて思っても見なかったのだ。頼りない、意地悪だと思っていた男に畏敬の眼差しを送る。


「すごい…」


 思わず声が漏れた。

 ショウの声と境内に響く剣がぶつかり合う音を聴きながら祈念していた橘は、手元に変化を感じ始めた。確かに血が溢れている感覚があったものが徐々になくなり、押さえる力を弛めていった。

 あぁ、治ってきているんだ。手から伝わるダイの呼吸が明らかに変わってきていた。浅く速い呼吸が、深いものへと。スズの祝詞を聴きながら更に強く願う。


 ダイが治りますように。

 この神社が治りますように。

 

 その願いが叶っているかはわからない。

 でも確かにわかるのは、ダイの傷はもう塞がっているということだ。自分の手を誰かが握った。ゆっくりと目を開ければ、その手は自分の手をすっぽり覆うほどに大きかった。視線を滑らせてダイを見れば、あれだけ顔色が悪かった彼の姿はなく、穏やかに笑うダイがいた。

 ありがとう、と告げた彼は橘の手をそっと退かし起き上がる。その気配に気づいたショウは想いきり振り返った。今にも泣き出してしまいそうなほどに顔を歪ませた。だが、感情を溢れさせないように我慢している。

 立ち上がろうとしたダイの襟をスズは祝詞を称えながら掴んだ。首を横に振る。まだ動いてはダメだと言っているようだ。それでもダイは立ち上がろうとする。


「スズ、そのまま続けて欲しい。一刻も早く行かなくちゃ」

「ダイさん」

「手、汚れちゃったね。ごめん」

「ダイ、まだ完治してないだろ」

「うん、でも大丈夫。行こう」


 スズは呆れた顔をしつつ、手を離して合掌をする。


「…っダイ」

「ショウ、行くよ」


 ショウは言いたいことがたくさんあるのか視線をさ迷わせていたが、ぎゅっと目を瞑り深呼吸をする。そして再び開いた瞳は揺らぎない眼差しに変わっていた。


 同時に駆け出した。

 境内の真ん中で闘っているカラスとナギの横を通っていく。

 ダイは上手の台座へ。

 ショウは下手の台座へ。

 狛犬の口を開けている方は、拝殿を正面から見て右側、口を閉じている方は、左側に鎮座している。カラス達の左右を駆け抜けようとすれば、案の定ナギが反応した。ショウに切りかかろうとするが、カラスはナギを下駄で蹴りあげ阻止した。ショウはちらりともナギを見ない。気配で近づいていることはわかっていただろうに。

 カラスを信頼したからこそだ。恐れて失速せずに走り抜ける。

 彼らはその勢いのまま台座へと飛び乗った。


 橘は無事に台座にたどり着いた彼らに安堵した。彼らの形がぼんやりと変わっていくように見えたが、スズに目を覆われた。視界が突然暗くなり驚く。さっきよりも近いところで祝詞を唱える声が聴こえる。

そうか。見てはいけない、ということか。


 彼らは人間に合わせて人の形をしてくれている。本性を見れば、人間は狂ってしまう。先に説明されていた。彼らは付喪神だから。この先の勇姿を見届けることは叶わないが、せめて力になれればと、橘も手を合わせた。

 状況を理解してくれた橘に安堵したスズは、藤を盗み見る。祈念を始めてから集中しているのか一切周りに干渉されず、祈り続けている。巫女の子孫だと出会った時に気付いてはいた。神楽鈴は最も巫女と触れ合う時間が長いため、多少の気なら読み取れる。恐らく本人には自覚はないのだろうが、参拝の時の柏手の音と言い、よく響く。神社の作法も理解している。伝承を大事にしている家系なのだろう。

 そんな彼女が、一心に祈っている。

 人間の祈念は残念ながら見えない。

 恐らく、神社の回復を祈ってくれている。

 だが、なんだろう。彼女は違うことを祈っているように想う。これはただの勘だ。

 彼女は一体何を祈っているのだろう。


 台座に鎮座する大きな狛犬二匹の咆哮が境内を、この空間を震わせた。

 結界が張り直されていく。

 

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