手順
ハズレという文字が書かれていた紙は、半紙だ。字は墨で書かれている。カラスはその紙をいれたまま、足元に置き、次の箱に手をかける。
「ハズレ?」
「昔、えっらい貴重なもんもろてな、それを隠して探す遊びをダイちゃんに教えてやったんよ」
姉さんも探して、と言われ渋々箱を開ける。あ、ハズレだ。藤は何が入ってるか知らない。だが、ハズレと書かれているのだからハズレなんだろう。字がちょっと歪だ。いろんな人が書いていたのか、箱の中身の字に統一感はなかった。
「それはそうと、さっき気付いてないのかって話してたよね」
「え?あの手首の結い紐みて、ここまで話してピンとこぉへん?」
カラス達はミサンガを知らない。その代わりそれに似た呪術を知っているという話だ。一向に意図が掴めない。箱を開ける手が止まる。
あのミサンガはショウがダイに贈ったものだ。それはダイへの気持ちが籠っている素敵な贈り物。仲良しで微笑ましい光景だった。何が変だと言うのだ?
確かにふとした瞬間の違和感を彼に抱いた瞬間はあった。
ショウは大層ダイを慕っている。それは見ていてわかるし、橘も苦労してる様子だった。単体でいる分には何の変哲もない少年のような子だ。それがダイの事になると熱が入りやすい。
「ダイさんのこと、お兄さんみたいに慕ってるよね、ショウさんって」
でも、ダイが楽しそうに外の話や、蜃気楼の話を聞いてる時は何故か距離をとってじっと見てるだけなのだ。外の話が嫌いなわけではなさそうだ。
ダイが嬉しそうにするとショウも嬉しいんだと思っていた。ミサンガだって、ここ以外の人から教わっているようだし。あげた時、ダイがとても喜んでいた。その顔を見てショウは嬉しそうだったのだ。
あの違和感は些細なものだ、人間関係のようなものだろうから触れないでいた。
「気になってたんだけど、狛犬って対だよね?どうしてダイさんは境内から出られなくて、ショウさんは出られるの?」
カラスはいつもと変わらない調子で答えた。
「狛犬の一体は前に壊されてしもたんよ」
事情があるとは思っていたが、壊された…?どう反応して良いかわからず、黙って聞いていた。
「自然災害だったり、人為的だったり。はたまた劣化だったり理由はたくさんあるし、別に珍しくともなんともない」
ショウは、二代目として外部で作られたらしい。最初こそ、彼に意思はなかった。付喪神は最初から存在するのものではない。長い年月が経ち精霊が宿ったものが付喪神なのだ。
「ショウが自我を持ったのはつい最近や。そりゃぁもうダイちゃんが可愛がってな。相方が壊れた時なんて、ずっと境内の隅っこで落ち込んでたのを見てたからな」
「カラスがここによく遊びにきてるのは、ダイさんを慰めるのが理由だったりする?」
カラスはピタリと止まり、藤を見る。
初めてかも知れない。彼の表情に本心が見えたのは。
付喪神は人間と感性が違うし、倫理観がないと思っていたが、そうと決めつけるには早すぎたようだ。長く存在すると感情を表に出すのが鈍くなるのかも知れない。隠すのが上手くなってしまうのかも知れない。カラスは、目元を緩ませ下を見る。
「どうやろね、そう思いたいんならそれでえぇよ」
カラスがさっき言っていた。
お気に入りやから。
言葉通りに受け取っていいんだろう。でなければ、ここの緊急時に駆けつけないわけがない。
得たいの知れないいけすかない奴だと今でも思っているが、少しは見方を変えてもいいかも知れない。
「ショウさんがダイさんに懐いてる理由はわかった。大事にしてくれて嬉しいんだね」
現状、どの角度から見ても歪さを感じられない。故にカラスの言いたいことがまだわからない。見ている側面が違うのだろうか。実は仲が悪かったりするのだろうか。なにか二人の間に気まずかったりすることが、あるのだろうか。
一方が隠し事をするような。
それはまるで今の、藤と橘のような。
思考が脱線しそうになったのに気付き、首を振る。
「ダイさんは、外の話が好きみたいだけど、外に出たがったりとかは?」
「自分の立場弁えとる子や。出られない分話を聞いて楽しんどると思うで。接して気付いとると思うが、ダイちゃんは真っ直ぐで裏表がないんや。だからってほどやないが狛犬としての力が強い。純粋さが誰よりもある。外の話をしたからと言って、出たいと言うことはないやろな」
「それってショウさんはどう思ってるの?」
彼は藤を見る。
「どう思うって?」
「自分は自由に外に出れるけどダイさんはそうじゃない。後ろめたさとか、あったりしないのかなって」
「あったらほいほい外に出ないやろ。けどまぁ土産は欠かさず持ってくるのは見とる。健気やないか」
「ダイさんは絶対出れないの?」
「絶対や。ここはあいつが守っとる」
カラスは藤に向き直る。
「同情はいらんよ。これがわしらの在り方や。人間の尺度で測れん。気にやむ必要はないで」
藤の心を見透かすようだった。可哀相だとか思う方が失礼だろう。彼らの領域に踏み込んではいけない。
「ショウも、姉さんと同じ考えを持ってるかも知れんね」
あの子も、あぁ見えて純粋で思い遣りのある子やから。その言葉は藤に語りかけると言うよりは独り言のようだった。
「さぁ、ちんたら探しとらんで。はよ持って行かな。守りを強くするのに役立つもんやから」
「今更だけど、何を探してるの?」
「え、姉さん知らずに探してたん?」
「いや先に教えてよ。ハズレって入ってたから、これじゃないのはわかるけど」
今手にしている箱を開け、カラスに見えるように傾ける。
彼女の足元にある箱は全て開いていた。
「これで最後。全部ハズレだった。もしかして字が違ってたりする?」
先程まで軽口を叩いていた彼が表情を曇らせた。足早に部屋中を歩く。開け忘れがないか何度も見渡している。
「紙以外、入っとらんかったか?」
「振ってもみたよ、全部これ」
カラスは、考え込んだ。拝殿の階段で休んでいた時もそうだが彼は考え事をすると口許を隠し、一点を見つめる。声がかけにくい状態だ。あの時は用があったから声をかけたが、今は違う。
彼の思考を邪魔すると何か、良くないことが起こる気がしてならない。
その時だ。視界が急にぐらついた。世界が反転するような目眩が起こる。あの時もそうだ。立っていられず藤はその場でふらついて膝から崩れ落ちた。幸い、カラスが異変に気付いて支えてくれたおかげで床に倒れずにすんだ。そのまま座り込み項垂れる。
「姉さん、神門の時も同じ目眩起こしたやろ」
確かに、ふらついた。でも今回と同じだと何故彼は言いきれるのだろう。藤は聞きたかったが目に映る映像が不鮮明で、酔いそうでそれどころではない。それでも賢明にそれを見ようとする。
矢だ。矢が、また。
それも今度は境内に真っ直ぐ。
それが、橘の体を射抜いた。
心臓が跳ねる。
息がつまった。
彼女は、スローモーションで倒れていく。
そして視界は何事もなかったように、戻った。
戻らないのは、心拍数と呼吸だ。冷や汗がぶわっとふき出る。血の気が引いたように指先が冷えて震えた。
「何を見たんや」
カラスは座り込む。介抱のためではない。言葉のままだ。何を見たのか、知りたいだけ。
「いや、ちょっと目眩が」
「わしはあん時、姉さんがよろけたのは偶然やと思っとった。でも違うやろ。まるで矢があそこを通るのを知ってたかのように避けたやろ」
目を見開いた。
藤は、誰にもなにも話していない。この奇妙な目眩の後、変な映像が見えたことを。そしてそれは今より後に起こる最悪の事態だということを。
「嬢ちゃんはあれだけ取り乱してたんに、姉さんは冷静すぎたんや」
あれはたまたまそういうのが見えただけで。そうなったら嫌だから、藤は進行を変えただけ。
「たまたまなんてないて話、したやんな」
「あの時は、ノイズが入ったような景色で、すいが倒れて。背中に矢が刺さってたのが見えて…」
「予知夢や。知ってるな?」
「私、そんな」
「付喪神と話せる女が先祖におるんやからあっても不思議やないで。言ったやろ。あんたがあの人の曾孫だから連れてきたって。ただの血縁者だったらわからへん。ちゃんとそういうのも受け継いどるからわかったんや」
「いままでそんなことなかったのに」
「常世に来た影響やろな」
「どうしよう、私のせいで…すいが…!元はと言えば私が神社に行こうなんて言わなければ…。一人で来てればこんな目に遭わせずに済んだのにッ」
自責の念に苛まれ、頭を抱えて悲痛な嘆きが零れる。
藤の両肩をしっかりと掴んだカラスは落ち着いた声音で、ゆっくりと話しかける。
「なにが見えた?」
危うく自分の罪悪感に呑み込まれそうになった藤はカラスの言葉で引き戻された。カラスの赤い瞳を見ながら、藤はひきつった喉を駆使して見たことを伝えた。
拝殿の近くに三人が見えた。狛犬達と、それを離れた所から見守る橘。何かを話しているのだろうか。
ダイがショウから何かを受け取ると同時に矢が飛んできたのだ。それはダイに向かって飛んできていた。それに反応した橘が走りだし、矢は橘の横腹に刺さった。情景があまりにも鮮明に浮かぶ。実際に起きたことのように見えていた。
呼吸が浅くなっていく。
「何を渡してた」
よく思い出せない。あれは、桃色の小さな何かだっただろうか。
「小さい、小振りななにか。ダイさんは匂いを嗅いでたように見えた」
あれがなにか、藤は知ってるはずだ。それでも焦燥感のせいか思い出しづらくなっている。カラスは考える。そして何かに辿り着いたのか、眉間に皺を寄せた。
「姉さん、無理を承知で言う。すぐに嬢ちゃん達と合流してくれ。ダイちゃんには何も触るなって。わしは後からすぐ追う」
「わたし…」
「嬢ちゃんを矢から救えるんは姉さんだけや。予知夢はいつの出来事が見えとるかわからん。だが猶予がある可能性が高い。それにわしが追い付いて助けられる可能性はないと思った方がえぇ」
藤は不安げにカラスを見ていたが、目を閉じて深呼吸をする。
ここで踞っていても、状況は変わらない。
変わらないということは、橘は助からないと言うことだ。自分といたばっかりにこんな場所に連れてきてしまった。せめて彼女が傷を負わないように奮闘するしかない。
決意した。
この予知夢とやらが現実にならないために、藤は立ち上がる。
カラスを期待してはダメだ。
しっかりと自分の力で助けなくては。
あちらの探し物は順調だろうか。境内の異常を探しながらも橘はあっちの動向が気にかかる。
カラスの言葉。
藤の行動。
結局わからないでいた。わからないと言えば、ダイも宝探しでなにを宝にしたのか思い出せないそうだ。とても楽しかったのは覚えているが、何だったか。なんでも、いくつもの箱があってその箱に隠してる宝を探すと言うシンプルなものだったらしい。ハズレの箱にはちゃんとハズレと書かれた紙をいれたりとルールを足しながら遊んでいたそうだ。
「あの遊び、実はカラスが考えてくれたんだよ」
「えっ?」
意外だった。基本面倒臭がりなカラスはそういった遊びこそしないイメージがあったからだ。
「一緒にハズレの紙を書いて、せっかくだからいろんな子に字を書かせたんだよ」
「ショウさんは遊んだことあります?」
「聞いたことはあるが、やったことはない」
「ショウがやるときには取って置きのお宝を用意するからね」
「んで、ダイがやった時の宝はなんだったんだよ」
するとまたダイは唸りだした。
これの繰り返しだ。
結局は拝殿の前に戻ってきた。最初に来たときよりも壊れている場所やら汚れが目立たなくなってきている。他を探すとなるとどこになるだろう。
見慣れた境内。中心部分には狛犬が乗るための台座がある。さっきは気付かなかったが、心なしかショウの台座の方が新しいように見える。好奇心で近付いてみたいと思うが、二人の側を離れるのは危険なため遠目でみていた。
おい、と呼ばれた。
「どうした、さっきから台座を見て。乗せてやらないからな」
「そうじゃなくて。ショウさんの方が、ちょっと新しく見えるなぁって」
「当たり前だ。俺はダイより後にきたからな」
橘は双眸を見開き、声を発することが出来なかった。




