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違和感


 丁寧に作り上げられる巨大なオブジェに感動した。巨大といっても鳥居ほどの大きさはない。だが、人間よりは大きい。紐をほどいて茅を剥がした竹はなんだか寒そうに見えたが、今はしっかりと隙間なく茅をまとっている。ダイは、不器用ではあるが一番の力持ち。作業しやすいように竹を支えたり、輪っかを支える棒を地面に挿すための穴を掘ったりしている。スズは茅を均等に並べて竹に押し付け、それをショウが上手く紐を巻き付けて茅を竹にまとわせる。ショウはとても器用だ。巻き付けながら細かい部分を直したり、均等に力が加わるように紐をしっかりと引っ張って巻き付け、あっという間に茅の輪は完成に至った。

 

 夏越の大祓で使われる茅の輪。

 拝殿の前にある参道に置かれた大きな四角い骨組みは若竹で組まれており、見た目は簡易的な鳥居に見える。その中に納めるように輪を嵌め込んで紐でしっかりと結べば完成である。

 鯉のぼりもとても迫力があったが、この茅の輪は物質的な存在感がある。橘は思わず拍手をした。初めて見るものに感動する。ショウは、せっかくだからやってみろと親指でくいっと茅の輪を指すが、やり方が全くもってわからない。そうだ、藤なら知っているだろう。彼女の姿を探して境内を見渡した直後に、パシンとなにか乾いた音が響いた。音の発信源に、今まさに探していた藤がいた。そして、その前にはカラスが立っている。

 

 どうも様子がおかしい。

 藤は手を振り払ったようなポーズで止まっており、カラスは片手を不自然に挙げている。距離があるのに、藤の声がはっきりと聞こえた。それは聞いたこともないような怒鳴り声だった。


「それは私が決めることだろ!」


 何を話していたか、全然予想は出来なかった。橘は不安そうに藤を見つめる。その視線に先に気づいたカラスは怒鳴られているというのに顔色ひとつ変えずに藤の視線を指で誘導している。

 あっち。

 口はそう動いていた。藤は橘の方に振り返る。驚いた後、徐々に表情が曇り、視線を反らす。どうしたというのだろう。何か言われたのだろうか。近寄ろうと思ったが、何故だか足が前に進んでくれなかった。その変わり、歩みだしてくれたのは、ダイだ。


「カラス、また何か悪ふざけしたの!?」

「まさかまさか。話しかけてきたんは姉さんからやで。なぁ?」


 藤は苦虫を噛み潰したような顔をして頷く。ダイは狼狽える。


「ちょっとカラスと意見が合わなかっただけ。ごめん、大丈夫なんで」


 そう言った彼女は橘の元へ歩いていく。まだ怒っているのか表情は険しい。橘はどう声をかけようか悩んでいると、背後から低い声で囁かれた。


「あの二人、知り合いなのか?」


 その声はショウだった。視線はカラスを見たままだ。

 

 「違うと思うよ、知り合いだったら言ってくれるだろうし」

「なんで言うんだ?」


 その疑問が、橘にはわからなかった。ショウを見るが視線は交わらない。


「友達だし、言うでしょ?」

「友達ってのは全部を共有するもんなのか?少なくとも、あの人間は全部話すような性分じゃないだろ」


 そんなことはないと言いきれなかった。

 藤が歩いてきている。それがなんだかスローモーションのように見えてくる。

 まだ、まだ辿り着かない。なんて声をかけようか、と言う気持ちとショウの言っている意味を考え始めてしまっていて脳内が散らかり始めた。

 藤との今までのやりとりを頭の中で早送りで再生し始めてしまう。


 全部、話す性分ではない。

 確かに。

 でもそれは、話す必要がないから。

 断捨離して、わかりやすく、簡潔に伝えてくれる。



 

「能天気な奴だ。カラスは素性を一切話したことがない。仲がいいダイにもだ。だから俺は隠し事するやつを信用しない」


 お前は信用出来るのか?


 世界が急速に色を失ったような錯覚に陥った。

 出会ってから一度だって疑ったことはない。

 言葉数は確かに少ないが、それは藤だから。

 

 でも、ここに来てから藤は様子がおかしい気がする。何かを隠すような。距離を感じているのは確かだ。

 これは、心当たりというのだろうか?気になっていたが、探るわけにはいかないし話したくなったら話すだろうと待っていた。

 なのに、ショウの言葉を聞いて形のなかった不安が無視出来ない存在になってきてしまう。

 

 貴方は、一体何を考えているの?


「ごめん」

「…え?」


 藤はもう到着していたみたいで橘の側にいた。彼女は下を向いたままで視線はあげない。まだ、怒りは収まっていないようで時々深くため息をつく。


「…喧嘩でもした?」

「…まぁ」


 言葉を濁した。歯切れが悪い。そういう返しをされても気にしなかったのに、今は引っ掛かってしまう。


「茅の輪、完成したんだね」


 無理矢理話題を変えてきた。もうこの件については触れられたくないんだ。そりゃぁそうだ。自分だって気分が悪いときに、気分が悪くなった原因を誰かに話すことはしない。カラスがまた神経を逆撫でするようなことを言ったんだ。橘はそう思うようにして、頭を無理矢理切り替えた。

 隠し事があるなんて思いたくないから。なにかあるなら、きっと後で話してくれる。思考にかかった黒いモヤを振り払って彼女に笑いかけた。


「すごいよね!」

「蜃気楼は出た?」

「そういえば出てないかも」


 自然に会話、出来ただろうか。

 喉に異物があるように詰まる。

 

 二人とも茅の輪の周りを彷徨く。

 直ったし使える状態にしている茅の輪。

 でもまだ現れない。まだ何か足りないというのだろうか。

 藤は、茅の輪を観察し、次に空を見上げた。

 優雅に泳ぎもしない干された鯉のぼりを。


 

「もしかして、これじゃない?」

「鯉のぼり?」



 足りないのではなく、多すぎるのではないか。

 スズも見上げて鯉のぼりを凝視する。それからダイに向かってこう言った。


 

「ダイ、頼むぞ」

「えっもしかしてこれ全部外すの?僕一人は流石に難しいよ。スズもきて」

「あー、なんだ、ほら。鯉のぼり置く場所用意して待ってる」

「ダイ。安心しろ、俺が手伝ってやる」

「ショウか~…ちょっと高さが欲しいかなあ~」

「おい、スズ。俺じゃダメだった」

「カラス、肩貸してやれ」

「いややで、肩車なんてそんなおもんないこと」

「そうか、カラスを踏み台にする手があったな」


 木の上にひっかけていたり、高い位置で縛っているから確かにダイが適任ではあるが、皆一仕事した後だからか(なす)り付けあいをする。主に擦り付けてるのはスズだ。ダイは鯉のぼり回収班確定として、ショウは戦力外通告。スズはそもそも木に登るつもりがない、やりたくない。カラスは手伝う気が更々ない。


 

 醜い言い争いは10分程続いた。

 藤も橘も段々と飽きてきて各々鯉のぼりをぼんやり見ていた。こちらとしてはそもそもが届かないので手伝えないのだから。


 

 討論の結果。

 ダイ、ショウ、スズ三人で仲良く回収する流れとなった。

 どうせ取り込んでも生乾きだし、室内にいれたくはない。収納なんて絶対に嫌だ。神楽殿に置くということに決まった。

 藤と橘は取り外してる時に鯉のぼりが地面につかないよう見張る係となった。三人は納得いってないのかごちゃごちゃ何か言ってるが、しっかりと取り外している。橘の手元に鯉のぼりが降りては離れていく。端の方を藤が受け取り鯉のぼりを重ねていって回収していく。

 橘はちらりと藤の表情を伺う。彼女は真剣に鯉のぼりを回収している。

 考えすぎか。

 外したぞ、という声を聴いて橘は見上げて鯉のぼりを監視する。その顔を、藤は横目で捉えてから何事もないように後ろを通りすぎる。


 鯉のぼりを全て卸せば景色はちょっとだけ寂しくなった。



 

 

___じゃり、じゃり…。《ズズッ》

 何かが、玉砂利を踏む音が聴こえる。

 ズズッ…。

 誰かが、茅の輪に向かって歩いていこうとしている__


 

「すい、待って」


 音がする方に振り返ろうとする橘を声で止めた。それは大きな声でも、普段の声量ではなく小さな声で。急なことだが橘はピタリと止まった。ここに来て学んだのか、好奇心を抑え彼女は止まる。橘の視線の先には、辛うじて藤とカラスの姿が映りこんでいた。様子がおかしい。じゃりっじゃりっとした音と共に何か重たい物が地面を引きずられるような、ずずっという奇妙な音が混じっているのに気がついた。

 なんだろう。今まで出てきた参拝者達を思い浮かべながら聴いていても、なにも当てはまらない。

 一体、何?

 低く響く擦れる音は、ゆっくりと茅の輪に近づいていく。


 

 心臓の音と、自分の呼吸音がやけにうるさい。地面を這うような音が耳障りへと変わっていく。その音の集団は、茅の輪近くについたのか、止んだ。


 

「_______」


 

 耳の鼓膜はこの音を感知してはいない。

 なのにどうして。声のようなものが頭蓋骨に響いている感覚がする。でも言葉を聞き取ることが出来ない。ただひたすらに、継続的に音が聴こえる。肩の後ろからぞわぞわとし腕に鳥肌が立つ。

 恐怖を感じているのだ。

 体の変化と頭蓋骨に直接響く声に。

 自分の息を殺して、存在を潜める。


 

 あぁ。

 つい、目線をあげてしまった。

 油断してたわけじゃない、かといって好奇心でもない。

 存在を目視しろ。

 そう体から命令された。

 瞬きと同じ感覚で、それを見た。

 視てしまったのは、藤だ。

 

 藤の琥珀の瞳に備わっている黒目と虹彩が忙しなく視線の先にいる何かを視るためにピントを合わせている。瞬き一つされない目。

 瞳が捉えた。

 瞳孔が引き絞られる。眼球は動くことなく、ただ一点を視ている。


 玉砂利を踏み鳴らしていたのは、人だ。浅沓(あさぐつ)、汚れ一つない白の差袴(さしこ)。真っ白な狩衣(かりぎぬ)。その装いは神職が神事を行う時に着る装束に酷似している。その人は茅の輪の前で止まり拝殿の方へ、両手で持っていた三宝(さんぽう)を掲げ、深々と頭を下げる。

 

 ゆっくりと。ゆっくりと。

 

 コマ送りのように、あの人が頭をあげる。

 そして、またゆっくりと、今度は首だけを回した。こっちに。

 藤の方を。

 藤を。

 見た。

 藤の眼球に、神主が映っている。神主を映している眼球はその存在に怯えるように挙動が可笑しくなる。

 定まらない。

 黒目が、錯乱するように小刻みに揺れた。


 明かに、人間ではない。思い出蜃気楼のような、こちらをある程度無視する映像達ではなくあの神主は、藤を見ている。


 

 キーン…。

 耳が閉塞感に襲われる。高音の耳鳴りが頭の中で反響し何層にも音が重なり喧しい。

 呼吸も出来ない。

 視界が真っ暗だ。

 さっきまで見ていた景色は墨汁を溢したように真っ黒に染まり、立っている足の感覚すらわからなくなってきた。

 心があれを理解しようとするのを拒んでいる。だが、脳は分析をしアレをラベリングしたがっている。記憶の中の膨大なデータを漁る。

 飛ばす。

 これじゃない。

 それでもない。

 勝手に散らかっていく記憶。熱を出した時の膨れ上がる不安感にとてもよく似ている前頭部の不愉快さが嘔吐感を誘う。

 絶対に知らない。

 あんなの。

 あれはなんなんだ。

  



 

 左肩に何か触れた。

 ふわふわしていた足元が地面を踏みしめていることを思い出す。

 墨汁で真っ黒だった視界も何度目かの瞬きで元の景色を映し出した。さっきまで真っ黒だったのに瞳孔は眩しさに縮むことはなかった。

 左を見る。

 大きな手が乗っていた。

 その手からはなにも温度を感じなかったが、不思議と安心した。


「姉さん、顔色悪いで?なにか」


 視えたんか。

 そう言いながらさきほど藤が視ていた場所に視線を向けているカラス。

 彼らには思い出蜃気楼は見えてはいないだろうに。現に、ダイ達は急に喋らなくなった二人を遠目で見ている。だが、明かに反応がおかしいのはわかったようで。動ける雰囲気ではないのは伝わっていたのか誰もその場を動いてはいない。

 唯一動いたのは、カラスだけだ。

 ダメだ。あれは、きっと視てはいけないものだ。そう伝えようとしたが、藤は息を吸っただけだった。

 みえていないはずなのに、どうして。


 


 カラスの瞳には、神主の白い装束が映っていた。

 

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