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名は形を作る


 彼は巻き込まれた、と言わざるを得ないだろう。どうしてこんな面倒事をやらなければならないのか。ある程度なら仕方ない。重たいものを運ぶのも茅を運ぶのもダイのためだからショウはやっていた。だから、それらが終わったらまた台座に戻るんだと思っていたが、スズに捕まり境内の端まで行って玉砂利がある場所で鯉のぼりの水気を切っているではないか。玉砂利は水捌けがいいのはこちらでも共通認識のようだ。彼らが布を絞る度に含まれた水分が出てくる。力任せにやると千切れるため加減をして。

 彼らが鯉のぼりを絞っている間に、その横で藤は絡まっていた紐を上手に外しては鯉のぼりを一匹、また一匹とリリースして並べている。そのおかげか絞りやすい。絞り終わった鯉のぼりを橘が布をぴんと引っ張って皺を伸ばす。そしてダイはこの鯉のぼりを干すために紐を用意し、この鯉のぼりの先頭であろう場所を紐で繋ぎ、出来るだけ木の高いところに結んでいる。最初は地面に着かないようにダイに持ってもらっていた。すぐに木にくくっては皆が届かないからだ。ぐちゃぐちゃでどんな風についているのかわからなかったが、一本の紐に十五匹ほどついていた。それが全部で三本分。この量の布、しかもたっぷりと水分を含んでいたものを運んでくればずぶ濡れにもなる。

 これを発見したときは川の淵で手繰り寄せていたようなのだが、石にひっかかってしまいやむを得ず藤が川に入ってとったのだそうだ。


「どうせだからそのまま全部川からあげようとしたら足元が滑って」


 そこまで深くない川だったために助かったが見事にびしょ濡れになってしまい今に至る。


「なんでスズまで濡れてんだ」

「目の前で盛大に転ばれたら助けなきゃだろ」


 濡れて重くなった袴は作業前に外し、そこらの低い木に引っ掻けて乾かしている。袴がなくともただの白い着物姿になるだけなのでさほど気にならないが、邪魔なのか膝まで裾をたくしあげて腰ひもにひっかけている。

 

 また一匹とっては絞っていく。


「私はふっきれたよ。もう何も怖くない。今ならどしゃ降りでもどんとこいだよ」

「おい、人間。ここまだ結び目があるぞ」

「え、どこどこ」


 ショウは橘と同様に藤に対しても人間と呼ぶ。少し反応は遅れたが、藤は返事をし彼が持っている鯉のぼりを受けとる。確かに、結び目が出来ていた。だが、このくらいなら問題ないと見送ったものだがショウは気になったようだ。爪と指先の力でほどいていく。

 

「はい、とれた」

「気を付けろ」

「ときにお兄さん、聞いてもいいですか」

「なんだ」

「ショウさんって言うんですよね?さっきダイさんが名前と本体はなにかしら関係があるって言ってたけど狛犬のどの部分からとってるんですか」


 その質問にショウは眉をひくりと動かした。すかさず答えたのはスズだ。

 

「口を大にしてる方がダイ、口を閉じてる方がショウなんだよ」

「へぇ、てっきり大きい小さいからとってるんだと」


 どうやら図星のようだ。せっかくのスズのフォローを台無しにした藤はショウにキッと睨み付けられた。


「だいっきらいだ」

「気にしてたんだ」

「別に」

「私たちがここに来た時、ショウさんはどこにいたんですか?」


 この流れで突然質問内容が変わった。いやそらしたのか?このままではよくないと思ったのだろうか。拗ねる前に話題が変わってしまったものだからやり場のないモヤモヤを形成されることもなくショウの凄みは消えていった。ショウは自分の記憶の中を漁っているようで少し黙る。しばらくしてから思い出したのか、あっとした顔をしたがすぐには言わず何やら考え、間もなくしてショウは言った。

 

「あんたたちとは別の入り口方面にいた」


 藤はそうなんだ、と一言で終わる。


「そっちに大きな化け物はでなかったんですか?」

「…あぁあいつか、会わなかったな。そっちで見たのか」

「私たちが来た時、その化け物に追われてダイさんとカラスに助けられたんですよ」

「そうだったのか。災難だったな」

「ずっと聞きたかったんですが、あれってなんですか?」

 

 この質問はショウにだけではなく、スズにも投げ掛けてるようだった。橘は考えないようにしていた。思い出すとまだほんのちょっと怖いのだ。いや、物凄く怖かった。そのせいか、その話題を避けてきたんだと思う。藤は考えていたのか。スズとショウは顔を見合わせてどう説明するか悩んでいると、作業の手が止まっている皆に気付いたダイが木から降りてこちらに走ってきた。


「どうかした?」

「神社の外にいたあれはなんなんだって」

「あれは、説明しづらいですが、忘れられたものといいますか」


 言葉を探しているのか。ダイは唸っていたが痺れをきらしたショウはダイに代わって説明を始めた。


「あれは、名前を失い忘れられた怨恨(えんこん)の塊だ。あいつらにも俺達みたいな形があったやつらで、それが神社の衰退や忘却で忘れられて形を見失った。それの集合体だ。お前ら人間が、あいつらを産み出したと言ってもいい」

「ショウ!」


 

 ダイが言葉を選んでいたのはそういうことか。

 神社の繁栄は一重に人間の祈念や信仰で支えられている。その例が今の彼らだ。だが、全てがそううまくはいかない。消えてしまうことだってあるのだ。

 それが彼女達を追ってきたもの達の正体。

 形を作るには、それを認識し個として名付ける。曖昧なままでは何にもなれない。かつてあった形への執着、何者かだったことを忘れてしまった恐怖、そしてそうなってしまった彼らは形をもっているものを欲しがり、それになろうとする。


「でもなれないんだよ。それでも跑きたくて追いかけてくる。嬢ちゃん、鳥居を潜った後もあれを見てたろ」 

「はい」

「あのまま見てたらおかしくなっちまってた。常世ってのはそういうもんがいるんだ。俺達だってこの形でいなきゃ嬢ちゃんも姉さんもおかしくなってるんだ」


 改めて、彼らとは別々の存在であることを思い知らされた。さっきまで楽しくおしゃべりしててもこの明確な境目は

越えられない。越えてはいけないんだ。


「そうか。化け物なんて言い方はよくなかった、ごめん」

「どうして謝る必要がある」


 化け物。そういった時、微かにショウが悲しげに瞳を細めたのを藤は見ていた。この神社が飲み込まれたら彼らもそうなる。今じゃない、遠い未来でなるかも知れない。

 かつての彼らの知り合いがあそこにいるかも知れない。


「適切ではない呼び方をしたと思ったから」

「知らなかったんですから、気にしないでください」

「教えてくれたんですから、これから気にさせてください。教えてくれてありがとう」


 ショウはどう返していいかわからず頷くだけだった。


「悪いね、私の好奇心でこんな空気にしちゃって」


 これ全部終わったからよろしく、と足元を指差す。どうやら話を聞きながらも作業を続けていたようだ。

 皆、大きく目を見張る。確かに、結び目はなくなっている。


「終わったんなら絞るの手伝え」

「ショウさんダメ、雪穂さんにそんな繊細な作業させないで」

「紐はほどけただろ」

「手先の器用さと力加減の繊細さは話が違う」


 話し合いの結果、吊るされて空を泳いでいる鯉のぼりのたなびき管理担当になった。どういうことかというと、たなびいている鯉のぼりが湿り気でくっついてしまったものを離すという作業だ。拾ってきた長い棒で。皆の作業が終わるまで。確かにくっついてしまうと乾きは悪いが、そこまでの強風が吹くわけでもないためただうろうろとしているだけになる。

 

 全ての鯉のぼりを無事に吊るし、川ではなく空を泳いでいる姿はなんとも壮観である。青空だったらさぞ映えていたであろう色合いの鯉のぼり達。一般的な鯉のぼりはポールに紐で繋がれて横向きでダイナミックに泳ぐ姿だが、神社で見かける鯉のぼりは全て空を見ている。それだけでも泳いでいるように見える。そこに風が吹けば横を向いて泳ぐ。そしてわくわくするのだ。幼少期から触れていたからか藤も橘も心なしか懐かしそうに見上げている。



  

 ここにきて風なんて感じてこなかったが、全ての鯉のぼりが泳ぎ出せるほどの風が吹きつけた。

 バサバサと一斉になびく魚達がとても綺麗だ。

 誰もが上を見た。

 この景色を見ている。

 泳ぎ出した鯉のぼりはこのままどこかへ行ってしまいそうなほど動いている。すると橘と藤の間を何かがすぅっと通っていった。それはひとつふたつと増えていく。鯉のぼり?いや違う。空から目線を下ろせばいつの間にか朧気な人が現れ横を通り過ぎていくのが瞳に映りこんだ。

 今までの蜃気楼で現れたのは少ない人数だったのだが、今回は違った。横を通っていく人が絶え間なく続く。

 足音も話し声もなにもかも聴こえない。それなのに伝わる笑声(えごえ)、呼び声、賑わいと玉砂利を蹴飛ばし走り去る子供の躍動息遣い。なにもいなかった神社が色とりどりの鯉のぼりと蜃気楼で溢れている、彩られていく。黒い鯉のぼりは先陣をきって流れるように泳ぎ真っ青な鯉のぼりは空のようで、赤、緑はその青を際立たせるようにたなびく。下では人間達の朧気な姿が、子供の幸せを願う顔、顔。

 その情景はあまりにも日常に近く、あまりにも神秘的なものであった。

 息をするのを忘れるくらいに魅入り、鼓動が高鳴り体温が上昇する。この景色を楽しいと視覚だけで認識できる。思わず上がる口角、漏れる感嘆の声。目にキラキラと輝きが灯っている。彼女達だけしか見えていない何かが現れたんだと彼らは気付いた。

 子供を抱えて歩く夫婦。父親から離れまいとついていく子供。ありったけのおしゃれをして写真を撮る子供達。日本伝統の着物を着て歩いている子供。小さな鯉のぼりをもってそれを眺めている子供。

 端午の節句はこどもの健やかな成長と幸せを願う日。それを体現するかのようなこの景色を藤も橘も見つめている。

 一人の男の子が橘に向かって走ってくる。通り抜けるのかと思っていたが、彼は目の前で止まった。持っている小さな鯉のぼりを彼女へ見せるように手をあげる。彼はそのまま橘を見ていた。どうしたらいいかわからず藤を見れば藤も同様に子供から鯉のぼりを見せられている。彼女は躊躇せずしゃがんでそれを受け取った。なるほど。見せてるのではなく渡してくれていたのか。橘も受け取ると、今までこちらを認識せず思い思いに動いていた蜃気楼の人たちは二人に一つ、また一つと鯉のぼりを渡しては出口へと消えていく。最後の一人が渡し終わり、すうっと消えていけばさきほどの喧騒も騒がしかった風も吹かなくなり、鯉のぼりは泳ぐのを止めていた。

 

 夢から覚めたような心地になった二人が互いの手元を見ればいつの間にか掌一杯の欠片がそこにあった。さっきもらった鯉のぼりだろうか。二人はまだ間の抜けた表情をしている。ダイとスズが声をかけ意識を呼び寄せる。

 

「どうしたんだ?なんだそれ」


 ショウは欠片を知らない。だからそれが何かも今人間に何が起きたかもわかっていない。ショウから見れば風が吹いた後に二人とも何かに意識を向け何かを目で追って楽しそうにした後、手に一つ二つとキラリと光るものが現れていくという光景だけだった。


「これが信仰の欠片、種だよ」

「これが」


 スズは袷から小さな布をとりだし広げて簡易的に端を結んで袋を作った。それに種を入れるように促す。袋一杯になるほどの種が入った。


「あの、今度は何が見えたんですか?」


 ダイは尋ねる。

 彼女達にしか見えないそれは、人間の思い出なのだ。人間しか見えない、それをダイは知りたがった。

 橘は丁寧に教えてあげた。ただ、高揚感からかうまく説明が出来ない部分がある。それでも藤はなにも言わずに橘に任せた。こういうのを伝えるのは橘が上手いのを知っているからだ。先程まで種を触っていた手がほんのり暖かい気がして思わず藤の顔がほころぶ。

 ダイは嬉しそうに笑っていた。スズもそんなダイを見て小さく笑っていた。本当に幸せそうに笑うやつだな、と。

 ショウはダイを尊敬している。さぞ楽しそうに眺めているんだろうとそちらをみれば、彼はただじっとダイの姿を見ていた。

 なにを考えているかわからない。

 どうしてそんなにダイをみているのか。

 嫉妬ではない、かといってダイの笑顔を喜んでいるようでもない。でもなにかしら思うことはあるのだろうか。悲観的な印象は受けない。

 カラスも読めないタイプではあるが、それとはまた違う読めなさがある。彼の考えがわかれば納得できるのだろうが、藤には何故彼がじっと見ているのかわからなかった。藤はそれ以上見てはいけない気がして視線を逸らす。

 覗いてはいけない気がした。

 とても繊細な何かに触れそうで。


  

 逸らした先には、茅の輪で使う竹の輪っかと大量に集められた茅の山と、散らばったであろう茅。

 そういえば強い風が吹いていた。

 その時か。上ばかり気にしていたから気付かなかった。蹴散らされたように散乱している茅は、集めることからしなくてはならない。それにいの一番に気付いてしまった藤はため息をついて歩き出した。橘の話が終わるまでにある程度集めておこう、と。この広い境内に散らばったこれらを目の前に、どこから手をつけたものかと考えながら。

 



 


 くつくつと誰かが笑っている。

 どこにいるのかわからない。

 本当にそこにいるのかわからない。

 木々の隙間、葉の一枚一枚。目を凝ら見てもそれを視ることは出来なかった。確かに笑っている声が聴こえる。なにがそんなに楽しいのかわかるはずもない。薄気味悪さを孕んだ林を目を細めて見つめているのは、黒い着物が印象的で気だるそうなカラス、その人だった。


  


 

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