第3章「アディーラとSVRのラーヤ」
ロシアへの渡航を画策する秋山は東京の駐日ロシア大使館へ足を運んだが思うような情報は得られなかった。
千葉のホテルで滞在する事に決めた秋山は街のある店に入るが、そこで大学を卒業し初めて来日した女性アディーラと昼間に大使館で出会った職員のラーヤと会う事になる。
食事を終えて秋山とラーヤは二人でホテルの部屋に入る事になるが……
第3章「アディーラとSVRのラーヤ」
羽田で飛行機を降りた後、私はタクシーを拾い港区麻布台に在る駐日ロシア大使館へ向かった。
正門には警察が数名、他に機動隊の車両とごつい装備をした機動隊員が周りを取り囲んでいる。この時世、暴徒やテロがあっては国の面子にも関わるのだろう。
入口に職員らしき女性が立っていて入って来る者の案内誘導をしていた。容姿は透きとおるような銀髪でとても綺麗な女性であり身なりも大使館の職員に相応しいものだった。
「入国ビザの事で少しお話が聞きたいのですが… 」と私は遠回しに聞いてみた。
「予約はされていますか?」
「いいえ… 」
「人数が込み合っているので少し時間が掛かりますが宜しいですか?」女性はロシア人のようだが、さすがに大使館の職員らしく流暢な日本語で応対した。
「構いません。待ちますので」
そう言うと彼女は建物の中に案内し待合室と思しき部屋で待つように言った。
部屋の中で待つ者は十人以上、ロシア人の他日本人も何名か…
(恐らく家族にロシア人が居る人達だろう…それかビジネス)
入国ビザの発行にはかなり時間が掛かると聞いていた。その通りもう三時間以上が経つ。部屋の待ち人数が減って行き、やっと自分の番が来た頃には部屋の入口には「受付終了」の札が掛けられていた。
(どうやら私が最後のようだ)
これは幸いな状況と私は考えた。余計な事を周りの人間に聞かれる心配がない。
窓口の椅子に座るとカウンターのガラス越しに女性職員が話しかけた。その女性は私を建物に案内した女性だった。胸のネームプレートに名前が入っているがキリル文字で書かれているので発音が分からない。
「ご用件は?」
「入国したいのですが…その前に‐―」
私はバックの中から昨日ネットでコピーしたものを取り出し、女性に手渡した。
女性はそれを見るとパソコンの方に向かいコピーした部分と同じ画面をモニターに立ち上げた。ランゲージはもちろんキリル文字だ。
「軍へ奉仕したいと⁉」
「そうです」
「日本国のパス(パスポート)はお持ちですか?」
「それが……パスポートは現在作れない状況です」
女性は、これは話にならないという顔でため息を吐いた。
女性は一端待つように言うと奥へ行った。
一〇分くらいして戻ってくると免許証の提示を求めた。
幸い免許証は家に置いて来なかったので言われる通りそれを提示した。幸いと言って良いか分からないが私の車の免許写真は私服姿で一般人と変わりないので自衛隊員とは悟られない。
女性は免許証を取ると直ぐ横のコピー機でコピーを取った。
免許証を私に返すと女性は別の用紙を渡し、次のように伝えた。
「その用紙に姓名と連絡先を書いてください。審査には時間が掛かります」
(審査?)
私は名前と連絡先を記入し女性に渡した。
「ありがとうございます。今日はここまでです」
「すみません、お手数かけました。あの……貴女のお名前は?」
私の突然の言葉に女性は少し驚いた様子だった。
「ラーヤ…ラーヤ・ポロスカヤです」
「ラーヤさんね、覚えておくよ。今日はありがとう」
駐日ロシア大使館を後にした私はこの後のことを考えた。
(さて、どうするか……野宿する訳にもいかん)
既に日は暮れていた。スマホで近くのホテルを探すが空いている所が中々見つからなかった。今は五月に入った所でGWの時期で人も多い。
私はやむを得ず周辺都市の方を調べた。
近くではないが千葉の中央区のビジネスホテルに部屋が残っていた。
タクシーで一時間の距離だった。私は車を降りると目の前にあるホテルに入った。古い感じのホテルで壁や床は年季が入っている。二階のフロントでカギを受け取り指定の部屋へ入った。
バッグをベッドの上へ放り出すと自分もドサッと腰を落した。
(まさか、こんな所に居ようとは思わないだろうなぁ…香乃のやつ)
大使館で連絡先を渡したがいつ向うから連絡が入るか分からないし……抑々、審査と言っていたが何の審査なのか分からない。
あれこれ考えているとお腹が鳴った。今気が付いたが飲物以外は口にしていない。
(こんな時でも体は正直だな… )
私はバッグから財布を取るとホテルから出て近くを歩き、何か食べれる所を探した。
◆
五階建てのビルの一階は割と大きな店で中を見ると人で一杯だった。ここはダメだと思った私の視界に入ったのは二階の喫茶店。こじんまりして人の声も聞こえてこない。
何となく入った喫茶店…いや、Cafeなのか?とにかく少し静かなところで何か食べたかった。
(軽いものでもいい… )
ドアを開けると鈴が“ガランガランッ”と鳴った。
中には居ると、それほど明るくなくテーブルが四つほど並んでいる小さな店――想像通りだったが……
「いらっしゃいませ!」
中から出てきたのは外国人(白人)の女性だった。
(何だ…今日はやけに外国人と会うな、しかも女性)
「ご注文は?」と女性の店員は問うた。
「飲物…アルコールは有ります?」
女性はメニューを渡した。私はそれを開くとそこには今日見たキリル文字が―――
(どうにも…入る所間違えたかな(汗))
「ウォッカのハイボールとボルシチを!」
適当に言ったのだが通じたのかメニューにあったのか女性は頷くと奥へ下がった。
食事がまだ出て来ない間に他の御客が二名ほど入って来てカウンター奥の先ほどの女性に挨拶をする。
「Добрый вечер 」
(ロシア語で多分こんばんは…かな?)
二人の女性の内、もう一人の女性は日本人らしく、さっき挨拶していた背の高いロシア人?に日本語で話しかけた。
「アディーラはどこに住むの?」
「まだ決まってないけど…仕事とビザの関係もあるし」とロシア人女性。
(日本語が出来るんだ…何かたどたどしい。学生さんかな?)
「十一月にここでイベントやるんでしょ、色々準備があると思うからその時言ってね。手伝うから」
「ありがとう、麗美。すごく助かる」
「やっと念願の日本に来れたんだからみんな応援してるよ、女性部は」
(女性部? 何かの団体か?)
「今度、圏の会合で体験発表して欲しいな、お願いできるかしら」
「えぇ、私が⁉」
色々聞いているとき食事が運ばれて来た。私は食事を運んできたこの店のオーナーらしき女性に話しかけた。
「ここはロシア人の方が多いのですね」
「若い子は日本が好きなんですよ。大学で日本の事を勉強して来ています。沢山いますよ。私のこの店は両親から引き継いだものです」
「結構早くから日本に来てたんですね」
「お爺ちゃんの代からです、日本との繋がりは」
「お爺さんの代!大正か明治辺りですね」
「うちは白ロシア系で日露戦争の後、日本に行ったり来たりしていました。両親の代で日本に定住したんです」
「フゥ~ン、そうだったんだ…」
私は暫く食事をしていたが私の後に入ってきた二人以外に客は来なかった。少し閑散とした店の中で話をしているのはカウンターの奥で店員と話しているオーナーと先ほどの二人だけ…
飯だけ食べて帰るというのも何か寂しいものがある。
私は思い切って二人の若い女性に話し掛けた。
「こんばんは、私は秋山と言います。日本は初めてですか?」
背の高い白人の女の子は振り向くと笑顔で自己紹介した。
「わたしアディーラです、カザン(タタールスタン共和国)から来ました。大学の日本科で勉強して今年やっと日本へ来た」
「大学には日本科があるのですね!」
「ロシアは日本をとても大切な国だと思っています」
「住む…ゴメン、先の話だけど住むところとか決まってないの?」
そう言うと連れの麗美という子が割って入ると事の次第を話した。
「彼女は昨年、金沢の大学に暫く留学していたんですよ。私はその時、彼女と知合ったんです。今回、大学を卒業して日本に来ることになったので私がお世話をしています。
彼女の名前は“Адиля(アディ―ラ)・справедливость”下の名字は日本語で「正義」になるんです」
(名字は発音しにくいな…舌を噛みそうだ)
「名字は発音難しいからアディーって呼んであげてください。」
「ありがとう、良い名字だね」
「でしょう❣ 私も凄くイイなって思うんですよ」と麗美。
「住むところ(定住)は決まってないの?」
「いくつか候補地はあるんですが愛媛にしようかと… 」とアディーラは言った。
「奇遇ですね。私も愛媛県の松山だから――住む市は?」
「松山です」
(⁉、何かの偶然なのか… )
話をしている中、一人の女性客が入って来るとカウンター席に座りオーナーと何かを話し出した。
「Сегодня мне пришлось работать сверхурочно, потому что пришел странный клиент. Дайте мне немного крепкого алкоголя.」
「Это позор」
私はその客を見ながらアディーラに尋ねた。
「何て言ってるんだ?」
「おかしな客のせいで残業になったって… 」
「フゥ~ン… 」
私はその客の後姿を見ていたが…どこかで見たような。
アディーラと麗美はコーヒーを飲むと私に片手を上げ、またネッ、と言った感じで店のオーナーに勘定を払い頭を下げて店を出て行った。
カウンターの(女性客)は二人が店を出るのを確認すると振り返って私の方を見た。
「あぁ、君は…!」
「あらぁ~、ミスター秋山じゃない」
この反応に私は何か違和感を覚えた。
(反応が早過ぎる… )
客はラーヤだった。彼女は私のテーブルに席を移すと次のように話しかけてきた。
「貴方の質問が特殊だったから今日、帰る時間が遅れちゃったのよ」
「特殊――かな?アァ、軍務の事か!」
「今までそういう人は居るには居たけど、向こうで出来る仕事は限られているから誰でもっていう訳にはいかないのよ」
「まあ確かにウクライナはへ行ったのは自衛隊の退役者だったからな… 」
「ミスター秋山、貴方がロシアをどう思っているか正直な気持ちを教えて」
「ロシアの対外政策には賛同する。大統領にはノルマンディー上陸作戦の記念式典に於いて日本国民のために祈ってくれた事を一日本国民として心から感謝したい」
ラーヤはテーブルに両肘を掛けて頬杖をし、微笑みながら少しフランクに答えた。
「親露の人はみんな同じ事を言うわね、フフフ… 」
(何だ、この人…まるで何も知らないバカだと言わんばかりに… )
「私は一般人だから対象外――って事だな」
「アラ、そんなことないわよ」
「どうだろうな… 」
会話が途切れた。
「秋山、お店を出ましょうか。払いは私がするから」
「えっ、それは良くない―― 」
言い終わらない内にラーヤはカウンターへ行き払いを済ませると私の手を取って店の外へ出た。
「ちょっ、ちょっと君… 」
「私、あなたの事をもう少し知りたいから付き合って!」
彼女は近くのCVに入り度数の高いアルコールを買うと再び私の手を取って歩き出した。
暫く歩いて辿り着いたのは私の泊まるホテルの前だった。私は背筋に今まで感じたことのない悪寒が走るのを覚えた。
(まさか…監視されてた⁉ )
「どうりで店で会ったとき… 」
ラーヤはコートのポケットに手を突っ込むと私の後ろに回りポケット越しに背中を押した。
「カギ持ってるわよね、貴方の部屋に行きなさい」
彼女は耳元で囁くように言った。
(……… )
今ここで抵抗でもすれば彼女は銃?を撃つかもしれない。
私は言われた通り自分の部屋の前へ来た。
「開けて――、さあ!」
彼女は背中をグリグリ押さえてくる。
カギを開けて部屋に入ると彼女は私の方を向いたまま左手でドアを閉めロックした。僅かに気が逸れたのを感じた私は素早く彼女の後ろに回り込み、彼女の両手を掴んでポケットから手を引き抜いた。
「痛い、何するの‼ 」と彼女は叫んだ。
引き抜いた手に銃は無く持っていたのは手帳の様なものだった。
私は彼女から離れドアに背中を着けた。
彼女は手をブルブル振ってチェッ、というような顔をした。
「秋山、貴方スパイ映画の見過ぎじゃないの?」
「……ゴメン、その…手帳だったのか⁉ 」
「銃みたいな物騒な物、持っている訳ないじゃない!」
私は緊張の糸が解けドアに寄り掛かったまま崩れた。
彼女は手を差し出して私を起こすとベッドの方へ連れて行き腰を下ろした。
そして手に持っていた手帳を開き、私の顔の前に持ってきた。
「SVR……? 」
「通称“スベール”対外情報庁の職員なの」
「エージェントなのか?」
彼女は短い溜息をつくとこう言った。
「エージェントなんて格好の良い言い方は合ってないわね」
彼女は買ってきたアルコールの栓を開けるとグラスを用意し波々と注いだ。
「どうぞ、飲んで」
「…い、いいのかな」
「今日は貴方の事、いっぱい知りたいのw」
「いっぱいったって自分には何も… 」
ラーヤは一杯目を飲むと服を脱ぎだした。
「エッ、チョッと何を⁉」
「この部屋、暑い!」
彼女は上着を脱ぎ棄て、黒い下着とガーターだけの姿になった。
「貴方も飲んで…今日は疲れたでしょう」
「……(目のやり場に困る)」
「……秋山、私が飲ませてあげようか… 」
ラーヤは私の持つグラスを取ると一口、口に含み私に身体を寄せた。