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ベースアップ略してベア

作者: 浅賀ソルト

 今年度も各病院に出向した医師への給与の査定が来た。昨今の風潮に合わせれば給与は上げた方がいいんだろうが、俺はあまり考えずに据え置きの評価をした。去年よりよかったわけではないが去年より悪かったわけではない。じゃあ据え置きである。出向先からの評価も可もなく不可もなくだ。去年と同じ働きをしてくれたので去年と同じ給料です、と。最近ではハンコではなく、モニターに映った数字を見て承認ボタンをマウスで押すだけである。

 こんな調子で10年後も20年後も給与が据え置きではたまったものではないだろうが、俺が在任している間に昇給しなければいけない必要性もとくにない。

 このままでいいとは思っていない。俺がこうやってクリックするたびに職員の不満は溜まる。これだけやっても同じ給料かと。その気持ちはすごくよく分かる。結果として、仕事に慣れて新人より仕事ができるようになって、明らかにこれまでより腕が上がった頃によその医院に移ってしまう。そこで給料が上がる。

 ということはうちで働く間は給料は据え置きでよいということだ。間違っていない。業界全体を俯瞰して見ると効率の悪いことをしているが、かといってうちだけが昇給という貧乏くじを引くわけにもいかない。

 その分俺の給料が下がってしまう。部長が囲っている愛人のマンション代も払えなくなってしまう。それでは本末転倒である。まずは自己の利益を確保して初めて人にも利益を分配できるのだ。

 そんな風にクリックしていたらドアがノックされ上村という職員が入ってきた。30代働き盛りの医師であり、まさに腕がめきめき上がっているのに給料が据え置きの、不満が一番高まりやすい年代の男だった。

 白衣を着て、それをぴしっと整えていた。患者から信頼されるための身だしなみというものを心得ている。髪型も清潔そのもの。フィットネスに行く暇がよくあるなという胸板をしている。胸ポケットのICレコーダーだけはいただけない。

 挨拶をして最近の調子を聞き、それから用件を聞くと、うちが雇って外部に出向させている池内という医師の給与について、自分にも何割か振り込んで欲しいというものだった。

 池内は中途で採用してそのまま外部に出向しているという形になっている。勤務実態のない幽霊医師の1人だ。こいつの給与は巡り巡って私の住宅ローン代と部長の愛人のフェラチオ手当てになっている。

 俺はそのまま言った。「こいつの給料は私の住宅ローン代と部長の愛人のフェラチオ代になっている。お前はうちの家族と部長の愛人を露頭に迷わせるつもりか?」

「女子高生との和解金にもその金が必要なんすよ」

「必要なんすか」俺は鸚鵡返おうむがえしした。「お前も外部から誰かを引き抜いてこい。そいつも出向させてやる。そいつをいくらで雇いたいんだ?」

 上村は片手を広げた。指が5本だ。

「自分の声もレコーダーに入れろ」俺は上村の胸ポケットを指差した。「お前には覚悟が足りない」

 上村は固まった。目が細くなり、口に力が入った。俺もデスクの下の足に力を入れ、見た目の位置がズレないように注意しながらいつでも立ち上がれるようにした。そして上村の顔を睨み返した。

 そのまま数秒が経過した気がした。実際には1秒もなかっただろう。このあとで上村が何を言うか。俺は慎重に待った。

 上村の顎に込められた力が抜けた。鼻から息を吐く。「50万で架空の医師を雇ってください。そしてそいつの給料を俺の口座に振り込んでください」

「お前の取り分は5割だ。残りは上がいただく」

 上村の目が右上に泳いだ。分かりやすく電卓を叩いている。「60万で」

「60万だな。それに見合うだけの優秀な人間を連れてこいよ」

「分かりました」

 上村は礼をして去っていった。

 昇給というのは実力と覚悟によって自ら勝ち取るものなのだ。


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