表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Magic Order 0  作者: 晴本吉陽
3.その後
65/65

最終話.親

 安藤マリは、妊娠検査キットが示す結果に、言葉を失っていた。

「…!」

 自宅のトイレの個室で、マリは声にならない声を上げて喜びに震えていた。



同日 夜

「ただいまー…」

 安藤佐ノ介は、軍の仕事から帰ってきた。疲れ切った表情を見せまいと、背中を向けて玄関先に座り込み、下を向いて靴ひもをほどいていた。

「おかえりなさーい!」

 佐ノ介の疲れた体に、マリの明るい声が突き刺さる。佐ノ介は靴ひもをほどいて立ち上がり、自分の後ろにやってきていたマリにカバンを預けた。

「今日は天ぷらだよ!」

「え、ホント?」

「うん!たくさん食べてね!」

 マリはカバンを受け取りながら、明るく佐ノ介に接する。マリに連れられるまま、佐ノ介もリビングまでやってきた。

 リビングの机には、すでに調理済みの天丼と肉じゃがが並んでいた。

「じゃ、食べよ!あ、それともお風呂?」

「いや、シャワーは浴びてきたんだ。いただくよ」

 佐ノ介は好物が並んだ食卓に、ニヤリと笑いながら言う。マリもその言葉に微笑みながら、カバンを横に置き、佐ノ介と向かい合うようにして席に着いた。

「いただきます」

「はい!どうぞ!」

 佐ノ介が小さくお辞儀をしてから食べ始めると、マリはそんな佐ノ介の姿を笑顔で見守っていた。

「ふーっ…やっぱマリの天丼美味いや…」

「ほんと?ありがと!」

 佐ノ介の感想を聞き、マリは嬉しそうに礼を言う。同時に佐ノ介はようやくマリのテンションが高いのを察した。

「マリ、なんかいいことあった?」

 佐ノ介に尋ねられると、マリは待ってましたと言わんばかりにニンマリと笑った。

「うん!あったよ!」

「何があったの?」

「何があったでしょーか!」

 佐ノ介が質問するのに対し、マリは逆に問題を出すように尋ね返す。佐ノ介は少し考えたが、何も答えが思い浮かばなかった。

「…わかんないや」

 マリはそんな佐ノ介に対し、得意げに微笑むと、座ったまま自分の両手を下腹部に当てた。


「妊娠、しました!」


「…え?」


 マリの突然の告白に、佐ノ介は言葉を失う。一方のマリは笑顔のまま話を続けた。

「あ、でも、キットで調べただけだから、明日改めて病院行って調べてもらうつもりだよ」

「そ、そうか」

 マリの笑顔に対し、佐ノ介は戸惑いながら笑顔を作る。そんな佐ノ介の表情に、マリは畳み掛けるように話し続けた。

「ねぇ佐ノくん、嬉しくないの?私はすっごい嬉しいよ。佐ノくんの子供を授かれて、私、本当に」

「…ごめん、急すぎて、驚きが先に来ちゃった」

 佐ノ介は興奮気味のマリに対して、呟くように言う。マリも佐ノ介に言われて、自分が興奮しすぎていたことを理解した。

「ああ、ごめんなさい。私も、ちょっと舞い上がりすぎてた…」

「いや、でも、本当に、俺も嬉しくはあるんだ。ただ、未だに現実味がないっていうか…実感が湧かなくて…」

 佐ノ介は言葉を選びながら自分の思いを伝える。マリも佐ノ介が戸惑っているのを、その時ようやく理解した。

「とりあえず、俺も明日は休んだ方がいいかな?」

 佐ノ介がマリに尋ねると、マリは首を横に振った。

「いや、大丈夫だよ。病院は1人で行けるから」

「わかった。とにかく、気をつけて行ってな」

 佐ノ介はマリを気遣って言う。マリがいつも通りの笑顔で頷いたのを見ると、佐ノ介はまだ食べきれていなかった天丼を食べ始めた。



 夕飯を食べ終えた佐ノ介とマリは、2人で並んで布団に入る。マリが穏やかに寝息を立てている横で、佐ノ介は1人眠れず、天井を眺めていた。

(子供、か…)

 佐ノ介はふと自分の横で眠っているマリの表情を見る。心の底から安心し切った様子で、ニンマリとしながら眠っていた。

(今から十月十日とつきとうかとなると、ちょうど俺の昇格試験と重なる…マリが不安な時期に、俺まで不安定になるわけにはいかない…とはいえ…)

 佐ノ介はもう一度天井を眺める。

(…ここで昇進できなかったら…これから生まれてくる子供の生活にも苦労をかけるかもしれない…俺のせいで金がなくて、不自由な思いをさせるなんてことはさせたくない…でも考えれば考えるだけ…)

 佐ノ介は布団の中の自分の手が震えているのに気がついた。それは決して冬の寒さのせいではなかった。



翌日

 佐ノ介はいつも通り自分の勤務地である国防軍の駐屯地にやってきていた。

 空いていた射撃レーンに寝そべり、自分が普段使っているライフル(89式小銃)で100m先のターゲットを狙いながら、やはり頭の中はマリが妊娠したことでいっぱいだった。

(子供ができたら…学費とか、生活費とか、もっと稼がなきゃならないよな…)

「着弾、右5m外れ」

(それに…もっと子供たちの手本になれるような男にならないと…)

「佐ノ、また右5m外れてる」

(マリは…マリの体は出産に耐えられるのか…?割と細いし、もし出産の時に万が一があったら…)

「おぉい!佐ノ介!」

 佐ノ介は自分の射撃の着弾点を見る観測手に怒鳴られて、初めて我に還る。銃の引き金から手を離し、佐ノ介は観測手の方に顔を向けた。

「なんだよ」

「なんだよじゃねぇよ佐ノ介」

 佐ノ介はその時、自分を怒鳴った観測手が、親友の数馬であることに初めて気づいた。

「え、数馬?お前いつからそこに?」

「最初からだよ。『入りまーす』って俺が言ったら返事してたじゃねぇか」

「…そうだったか?」

「おう。ったく、しっかりしろよな?次俺の番だぞ」

 数馬はそう言って佐ノ介を退かす。佐ノ介はどことなくスッキリしない様子で銃の弾倉を抜き、銃自体も背中に回し、数馬と場所を交換した。

 佐ノ介は望遠鏡を覗き込み、数馬の射撃による着弾点を観測する体勢を取る。だが、やはりその内心ではマリの妊娠のことを考えていた。

(家のことも考えないとな…やっぱりローン組んで一戸建てに移るべきか…)

「佐ノ、今のどこ着弾した?」

 数馬は1発撃ち終えると、佐ノ介に尋ねる。しかし、佐ノ介は答えなかった。

「おい、佐ノ介!」

「!」

 数馬に怒鳴られ、佐ノ介は慌てて望遠鏡を覗き直す。しかし、望遠鏡を覗いても数馬の銃撃の着弾点はわからなかった。

「あー、すまん、見てなかった」

「…だろうな」

 佐ノ介の言葉に対し、数馬は小さく呟く。数馬はそのまま銃の引き金から手を離し、佐ノ介に話しかけ始めた。

「なぁ佐ノ、なんかあったのか?お前今日様子が変だぞ?」

 数馬に言われると、佐ノ介は観念したような様子で話し始めた。

「…マリが妊娠したらしい」

 佐ノ介の言葉に、数馬は驚いて目を見開いた。

「おぉ。いいじゃん、おめでたいじゃん。うちの陽子も1ヶ月前に妊娠したから、お宅の子供とは同級生になるな」

「…そうだな」

 数馬が明るく言うのに対し、佐ノ介はどこか暗く答える。数馬もそれを見て言葉を続けた。

「なんだ、そんな暗くなって。もしかして違う男の種なのか?」

「んなわけねえだろ。単純に…」

 佐ノ介はそう言うと、数馬の方に向き直った。

「お前は怖くないのか?父親になるってことが。子供の将来を考えたとき、自分が子供にとっていい親になれるか、不安にならないのか?」

 佐ノ介が数馬に思いを吐露していると、教官が2人を見つけて声を張った。

「そこ!私語を慎め!」

「失礼しました!」

 返事をできない心理状態の佐ノ介に代わって、数馬が声を上げて答える。そのまま数馬は小声になって佐ノ介に答えた。

「一旦この話は後にしようぜ、後でゆっくり話そう」

 数馬はそう言うと、改めて銃を握り、射撃訓練を再開する。佐ノ介も冷静になると、観測用の望遠鏡を覗き始めた。



同日 夜

 数馬と佐ノ介は訓練を終え、帰路についていた。

「そんで、佐ノ。マリが妊娠したって言ってたよな?」

 数馬が話題を切り出す。佐ノ介は数馬の言葉に頷いた。

「まぁ、改めて、おめでとうと言わせてもらいますよ」

「ありがとう」

「それで?不安になって今日の訓練は散漫になっていたと?」

 数馬に自分のしたことを客観的に言われると、佐ノ介は否定のしようがなく、大きくため息をついた。

「…そうですよ」

「ふて腐れるなよ。別に怒っちゃいないし、そうなって当然だよ」

 数馬はそう言って佐ノ介に笑いかける。佐ノ介は不甲斐なさそうに下を向いた。

「俺だって、陽子が妊娠したって聞いた時は、そりゃビビり散らかしたよ。でもまぁ、なんとかなるって信じてるし、ダメでもなんとかするって決めた。それが子供のためだと思って」

「子供のため?」

「あぁ。親が不安だったら、子供だって伸び伸びできないだろ?」

 数馬は佐ノ介に対して持論を語る。しかし佐ノ介はまだまだ不安そうだった。

「大丈夫だって、なんとかなるさ。俺たちだって、まぁなんとか今日まで育ってきたじゃないか。親が思う以上に、子供ってたくましいもんじゃねぇのかな」

 数馬はそう言って佐ノ介の背中を軽く叩く。一方の佐ノ介は、納得できない様子で俯いていた。

「…どうしてお前はそう楽観的になれるんだか」

「何も考えてねぇからだな」

 佐ノ介の呟きに、数馬はあっけらかんと自虐すると、そのまま声を上げて笑う。佐ノ介も、そんな数馬の様子を見て、1人静かに微笑んでいた。

 2人はそのままアパートの階段を登る。

「んじゃな」

「おう」

 2人はお互いの家の前に立つと、軽く挨拶をして別れた。


「ただいま」

 佐ノ介は家に入るなり声を張る。すぐにマリが小走りで玄関までやってきた。

「おかえりなさーい!」

 佐ノ介はマリにカバンを預けようとしたが、その前にマリに尋ねた。

「マリ、病院行った?」

「うん!」

「どうだった?」

 佐ノ介の質問に、マリはエプロンのポケットから、ストラップを取り出しながら答えた。

「ちゃんと妊娠してました!色々手続きして、このストラップももらってきました!」

 マリがそう言って見せてきたのは、「お腹の中に赤ちゃんがいます」と書かれたストラップだった。

 佐ノ介は、それを見ると、手渡そうとしたカバンを改めて自分で持ち直した。

「そうか…」

 佐ノ介は脳裏に無数の不安がよぎる。しかし、その不安の中に、親友の言葉が一緒によぎった。

(大丈夫だって、なんとかなるさ)

 佐ノ介はその言葉を自分の心に唱え、不安を振り切って顔を上げると、マリの目を見て微笑んだ。


「マリ、ありがとう」


 佐ノ介はそう言うと、戸惑うマリを抱きしめる。そのまま佐ノ介は、マリの耳元で囁いた。


「マリのことも、その子も、俺が守る。何が起きてもなんとかなるし、なんとかする。だから、マリはその子を立派に産んであげてほしい」


 佐ノ介の言葉を聞いたマリは、佐ノ介のことを強く抱きしめ返した。


「当たり前だよ…!佐ノくんと私の子だもん、絶対に、元気に生まれてきてもらうから…!」

「あぁ。俺も全力で支える。だから、マリは何にも気兼ねせず、その子を産んであげてくれ」

「うん…!」


 佐ノ介とマリはお互いの思いを確かめ合うと、離れる。そして改めて笑顔を交わし、リビングへと歩いていった。


 リビングの食卓に着くと、2人はお互いの仕事の状況を話し始めた。

「とりあえず俺は業務内容自体は変わらない予定だよ。ただ、多分その子が生まれる時期と、昇進のための試験が重なりそうって感じかな」

 佐ノ介はマリに対して、正直に自分の予定を話す。マリは事前に聞いてはいたので、頷いた。

「前に言ってたよね。じゃあ、その試験に向けて勉強とかしなきゃいけないんじゃ…」

「そうだけど、まぁうまくやるよ。いざとなったらコネで上げてもらう」

 佐ノ介は真顔で冗談を言う。思わずマリはそれを否定した。

「ちょっと佐ノくん」

「冗談だって。でも、うまくやるよ。それで、そっちの予定は?」

 佐ノ介が尋ねると、マリは手帳を取り出して予定を確認しながら話し始めた。

「この感じだと、来年の7月いっぱいまでは今まで通りのシフトだと思う。で、8月からは産休がもらえそうかなーって感じ」

「誰かお手伝いでも…」

 佐ノ介はそう言おうとした瞬間、自分とマリの置かれた境遇を思い返した。

「…こんな時に親がいてくれたら都合がよかったんだがな」

 佐ノ介が呟く。佐ノ介もマリも、湘堂の事件以来、両親とは離れ離れになってしまっており、今日まで連絡すらも取れていなかった。

「仕方ないよ、佐ノくん。玲子とか、桜とか、あの辺りの人たちにいざとなったら手伝ってもらうよ」

「そうしよう」

 佐ノ介とマリは話し合って今後の予定を確認する。そして、一通りお互いの予定を確認できたので、佐ノ介は最後に確認した。

「他に、何か今のうちに確認しておくことは?」

「…あ」

 マリが何かに気づいたように言う。佐ノ介は身構えた。

「どうした」

「この子の名前、決めておかない?」

 マリは明るい表情で言う。佐ノ介はそう言われると、小さく、あー、と言いながら考え始めた。

「そういえばそうだな…なんにも考えてなかったな…」

「安藤家って、何か名付けのルールみたいなの、なかったっけ?」

 マリが尋ねると、佐ノ介は頷いて、ペンと紙を取って話し始めた。

「ふたつ、変なルールがあってさ。ひとつはこの『介』の字を、長男につけるってルール。魔除けなんだって」

「へー。じゃあもうひとつは?」

「8代空けて、長男の名前を『佐ノ介』にするってルール」

 マリは佐ノ介に聞かされた事実に驚き、改めて尋ねた。

「じゃあ、佐ノくんって、2代目佐ノ介なの?」

「3代目だったような気がする」

「へぇー。佐ノくんの家って昔からの名家なんだね」

「さぁ?名家ではないと思うよ、家系的に。変なのしかいないし」

 佐ノ介が言うと、マリも笑い始める。そのままマリは下腹部を見下ろして話しかけた。

「君も変なのになっちゃうのかな?」

「そうはさせないぞー?」

 マリの言葉に、佐ノ介はおどけて言う。マリもそんな佐ノ介に大きく笑った。

「ま、名前は後で決めようか」

「そうだね」



翌朝

 佐ノ介が出勤した後、マリはゴミを持って家を出た。

 それとほとんど同時に、数馬の家の扉も開き、陽子が出てきた。

「あ、陽子!」

 マリは陽子に声をかける。声をかけられた陽子も、マリの方へ振り向いた。

「マリ!おはよう。おめでたって聞いたよ?」

 陽子もマリと同じようにゴミを持ちながらマリに笑いかける。陽子の腹は、かなり大きくなっているように見えた。

「数馬から聞いたのね?そうなの、ずっと欲しいって思ってたから、もう私もすっごい嬉しくって!」

 マリが嬉しそうに陽子に話すと、陽子も嬉しそうに微笑みながら一緒に階段を降り始めた。

「そうだよね。不安もまぁまぁあるけど、やっぱり、お腹に赤ちゃんがいるって思うと、不思議な気分になるよね」

「それが好きな人との子供ってなると、尚のことね」

 陽子の言葉に、マリも嬉しそうに言う。陽子もつられるようにして笑い、2人は一緒にゴミ置き場までやってきた。

「佐ノ介とは色々相談した?」

「うん!佐ノくん、ちょうどこの子が生まれるタイミングで昇格の試験があるみたいなんだけど、なるべく協力してくれるって言ってくれたの」

 マリと陽子は雑談しながらゴミをゴミ置き場に置く。マリはそのまま話を続けた。

「佐ノくん、昨日は何か心配してたみたいだけど、数馬と話して吹っ切れたみたい。あなたの旦那さんにも、礼を言わなきゃね」

 マリにそう言われると、陽子はわざとらしく微笑み、胸を張った。

「まぁ?私の旦那様ですし?...なんて、思ってもないことは言うものじゃないね」

 すぐに陽子は自分の冗談が恥ずかしくなり、照れ隠しに笑う。マリはそんな陽子の姿に思わず一緒に笑っていた。

「ははは、何言ってるの、誰よりもそう思ってるくせに」

 マリに事実を指摘されると、陽子は頬を赤くして目を逸らす。2人はそのうちに、また階段まで戻ってきた。

「階段ですけど、手伝いましょうか、妊婦さん?」

 マリは陽子に対して笑いかけると、陽子は笑って答えた。

「まだ大丈夫です、妊婦さん」

 陽子の言葉にマリも満足そうに笑う。2人の妊婦は、ゆったりとした足取りで階段を登り始めた。


同じ頃 国防軍灯島駐屯地

 佐ノ介は昨日と同じように射撃訓練に勤しんでいた。

 昨日とは異なり、佐ノ介が小銃の引き金を引くたびに、小銃から放たれた銃弾は狙っている的の中心を撃ち抜いていた。

「すごいな安藤、全部ど真ん中だ」

 観測手をしていた仲間の軍人が思わず呟く。佐ノ介はニヤッと笑って銃を下ろし、弾倉を外してその仲間と場所を代わった。

「よし、いつでも始めていいぞ」

 佐ノ介は観測用の望遠鏡を覗きながら仲間の軍人に言う。仲間は早速引き金を引いた。

「的から3m右」

 佐ノ介に言われて、その軍人はわずかに左を狙い直して引き金を引いた。

「的から5m左」

 佐ノ介は観測して言う。佐ノ介は一度望遠鏡から目を離し、仲間の軍人の様子を一瞬確認すると、佐ノ介は軽くその仲間に声をかけた。

「なぁ、嫌じゃなかったらでいいんだが、ちょっと右手ほぐしてみなよ」

「え?」

 佐ノ介に言われて、その軍人は軽く手を振るって右手をほぐす。そうしてもう一度銃を握り、的を狙って引き金を引いた。

「命中、的のど真ん中」

 佐ノ介は観測結果を伝える。それを聞かされた仲間は驚きながらも引き金を引き続けた。

「命中、的の真ん中からやや右。次も命中、的の真ん中」

 自分の分を撃ち終えたその仲間は、驚きを隠せない様子で佐ノ介の方を見た。

「いや驚いた。ありがとうな、安藤。お前、アドバイスまで上手いのか」

「いいや、あんたが上手いからできたアドバイスさ。俺は大したことはしてないよ」

 佐ノ介と軍人は場所を交代しながら言葉を交わす。軍人は観測用の望遠鏡の前に伏せると同時に、佐ノ介に疑問を投げかけた。

「なんでアドバイスしてくれたんだ?普段そんなことしないだろ?」

「あぁ、今度、俺、子供ができるんでな。仲間が強けりゃ生存率も上がる。そうだろ?」

「はは、そうか。お子さん、大事にしろよ」

「言われずとも」

 佐ノ介は軍人と言葉を交わすと、再び小銃の引き金を引き始めた。



4ヶ月後 マリの出産予定日まであと5ヶ月

 お腹がだいぶ大きくなったマリと共に、佐ノ介は近所の産婦人科にやってきた。

 待合室で勉強用の本を読む佐ノ介の肩を、マリが軽く叩いた。

「ねぇ佐ノくん、これくらいの時期になると、お腹の子の性別がわかるんだって。今日聞いちゃう?」

 マリに突然言われると、佐ノ介は本を閉じて考え始めた。

「え…あぁ…どうしようか…」

 珍しく佐ノ介が情けない声で悩むと、マリは思わず口元を押さえて笑い始めた。

「らしくない声出さないでよー」

「ご、ごめん。いやぁ、ちょっと本気で悩んじゃって…マリはどうしたい?」

 佐ノ介は逆に尋ね返す。マリはニンマリと笑いながら上を向いて考え始めた。

「うーん、知りた…い?」

「どっちだよぉ」

「じゃ、産まれるまでのお楽しみにしとこ?」

 マリはそう言って決める。佐ノ介も、マリの決定に従った。

「よし、そうしよう」

「安藤さん、エコー室へどうぞ」

 看護師が優しい声で案内をすると、佐ノ介も本を閉じ、マリが立つのを手伝う。2人はゆっくりした足取りでエコー室へ向かった。


 エコー室に入り、佐ノ介が荷物を預かると、老婆の医師が早速マリの腹にエコーを当て始めた。

「どうですか?」

 マリは医師に尋ねる。医師はモニターを見上げながら、笑顔になって答えた。

「はい、元気そうですね。おちんちんも立派に生えてますよ」

「え」

 医師は得意げに佐ノ介とマリに言う。

「あ」

 医師は言葉を失った表情の佐ノ介とマリを見て、自分が言ったことを理解した。

 同時に佐ノ介とマリは、気まずそうに顔を合わせる。

「…よかった、あなたに似た立派なおちんちんですって」

「血筋だな」

 マリと佐ノ介は現実を冗談に変えて笑い出す。医師も気まずそうに頭を下げた。

「いや申し訳ないです」

「いえいえ、知れてよかった」

 謝る医師に、佐ノ介がそう言うと、マリも笑って医師の頭を上げさせる。

「それじゃあ、エコー続けますね」



さらに4ヶ月後 マリの出産予定日まであと1ヶ月

 マリは、桜、玲子と共に陽子の家に遊びにきていた。

「へぇ、妊婦さんって、大変そうね」

 安楽椅子に座って編み物に勤しむマリと陽子を見ながら、玲子が呟く。彼女は陽子とマリの交互に飛び交う愚痴を聞きながらもし何かがあってもいいように固定電話の近くに控えていた。

「そうなのよ玲子ー。うちなんか、産まれるまでのお楽しみにしておきたかったお腹の子の性別をさ、勝手にお医者さんが教えてきてさー」

「ムカついた?」

「うーん、でも、この子が男の子でも女の子でも、元気に生まれてきてくれればそれでいいって思ったからさ、別にいいかって思っちゃった」

 マリの話し相手をしながら、玲子はマリの腹を見守る。その間に、桜は陽子の話し相手をしていた。

「陽子はさ、お腹の子の性別、もうわかってるの?」

「うん。うちも男の子だよ。数馬ったら大喜びでさー。一緒にゲームしてやるんだとか、空手教えるんだとか…」

 陽子が明るく話していたその時、彼女は突然編み物をする手を止め、大きくなった自分の腹を抑え始めた。

「…っっっ!!!」

「よ、陽子?」

「産まれる…かも...っ…!!」

 陽子は悲鳴のような声をあげる。その場にいた桜と玲子は、機敏に動き始めた。

「玲子、救急車呼んで!私は数馬に連絡する!」

「OK、マリは陽子見てあげて!」

 桜と玲子はそれぞれスマホと電話を取ると、手短に目的の相手に連絡を始める。その間に、マリは陽子から編み物を預かると、陽子の背中をさすり始めた。

「大丈夫だよー、数馬も救急車も、すぐ来てくれるからねー」

 マリが声かけする間も、陽子は苦しみの声を上げる。そうしている間にも、玲子と桜は連絡を済ませたようだった。

「救急車5分で来るって!」

「数馬も今出たって。病院で合流できると思う」

 桜と玲子からの報告を聞き、陽子は腹を抑えながらも小さく礼を言った。

「2人とも…ありがとう…うううっ…!!!」

 陽子は痛みにうめきながら平静を保とうとする。マリはそんな陽子の背中をさすり続けた。

「玲子、外で救急隊の人待ってあげて。多分場所わからないと思うから」

「わかった!」

 マリの指示を受けて、玲子は家を飛び出し、階段を駆け下りて駐車場で救急車が来るのを待ち始めた。

 その間に、桜も陽子の背中をさすり始めた。

「マリ、もう大丈夫。あなたも出産を控えた妊婦さんなんだから、休んでて」

「ありがとう桜。でも、陽子のこと放っておけないよ」

 桜とマリが話していると、陽子が割って入った。

「大丈夫だよ、マリ…私は大丈夫…自分の子供ですもの…自分で痛みを乗り越えてみせるから…いたたた…!!」

 陽子は荒い息で悲鳴を上げる。

 それとほとんど同時に、救急隊を引き連れた玲子が部屋に戻ってきた。

「こっちです!もうすぐ産まれるかも!」

 玲子はそう言って陽子のもとに駆け寄ると、桜と手分けして陽子の肩を持ち、陽子を連れ出し始めた。

 マリはすぐに横に移動して道を空ける。そうしてマリの目の前で、陽子は運ばれていった。

「頑張ってね、陽子!」

 運ばれていく陽子の背中に、マリは言葉を投げかける。慌ただしい状況の中で陽子にその言葉が聞こえたかはわからなかった。

 そのうち、マリの目の前から誰もいなくなる。嵐が過ぎ去ったような静けさに、マリは立ち尽くしていた。

(私も、ああいう風になるんだな…)

 マリはそう思うと、自分の腹を見下ろす。

(…いや、それよりも、今は陽子が無事に子供を産めるように祈ろう)



 一方、救急車で病院に運び込まれた陽子は、先に病院に着いていた数馬と顔を合わせることができた。

 ストレッチャーに乗せられ、顔を赤くして分娩室へ運ばれる陽子の横を、数馬は小走りでついて行っていた。

「陽子…」

 数馬は思わず不安そうな表情で陽子の名前を呼ぶ。陽子は苦しそうに声を漏らしながら、数馬の顔を見ると微笑んだ。

「…大丈夫…なんとかなる…でしょ?」

 そう言うと、また陽子は苦悶の表情に戻る。数馬もそれにつられるようにして、また不安そうな表情になったが、陽子の左手を握りしめた。

「…あぁ、陽子なら、できる…!」

 数馬はそう言い切る。

 そうしているうちに2人は分娩室の中にやってきた。

「旦那さん、奥さんを励ましてあげてくださいね」

 助産師がそう言うと、数馬も姿勢を正して、はい、と答える。

 分娩台に載った陽子は、助産師の指示に従ってりきみ、呼吸を整え始めた。

「がぁぁっ…!!あぁああっ!!!」

 今まで出したこともない悲鳴と共に、陽子は数馬の手に力を込める。数馬はその陽子の手の力に逆らわず、優しく陽子の手を両手で包んで励ました。

「頑張れ…!あと少しだよ…!」

「頭見えてきましたよ!あと少しです!」

 助産師からも陽子へ声が飛ぶ。それに応えるように、陽子は叫びながら腹に力を入れた。


「あああああっっ!!!!!」


 陽子から悲鳴が聞こえる。数馬は陽子から目を逸らし、赤ん坊が出てくるであろう方向を見た。



 赤ん坊の泣き声が、部屋の中に響き渡った。


「元気な男の子ですよ!」

 助産師の声が数馬と陽子の耳に聞こえてくる。

 数馬は陽子を見下ろす。陽子の顔は疲れて真っ赤になっており、髪も乱れてボロボロだったが、同時にこの上なく幸せそうな表情をしていた。

「陽子!...ありがとう!本当にお疲れ…!」

 数馬は気づかないうちに涙を流していた。陽子は、そんな数馬を見て微笑むと、力尽きた様子でベッドに大の字になった。

「検査などがありますので、一旦お預かりしますね」

 助産師はそう言うと、赤ん坊を一度預かり、検査を始める。

 数馬はその間に、陽子に話しかけていた。

「陽子、無事でよかったよ。元気に子供を産んでくれて、もう…」

「数馬…語彙力無くしてるじゃん…」

 数馬の様子を見て、陽子は思わず小さく笑う。

 

 そうしていると、検査を終えた助産師が赤ん坊を2人の前に連れてきた。

「健康そのものな男の子です。さ、親御さんとして、挨拶してあげてください」

 助産師はそう言うと、泣いている赤ん坊を陽子に手渡す。陽子はそれを受け取ると、自分が産んだ子供を見つめた。

「...はじめまして。お母さんと、お父さんだよ」

 陽子も目に涙を浮かべながら、自分の子供に挨拶し、抱き上げる。赤ん坊は、陽子に抱かれても元気よく泣き続けていた。

「ふふふ、好きなだけ泣いていいんだよ…元気に生まれてきてくれたんだから…」

 陽子はそう言って赤ん坊に微笑む。赤ん坊は陽子の言葉を知ってか知らずか、やはり泣き続けていた。

「それじゃあ、お父さんにも挨拶しましょうねぇ」

 陽子はそう言うと、数馬の方にも赤ん坊を差し出す。数馬は戸惑いながらも、泣いている赤ん坊を受け取った。

「...お、おう。お前、ちっこいなぁ」

 数馬は上手い言葉が出てこず、思ったことを赤ん坊に伝える。赤ん坊は泣きながらも、わずかに笑ったように数馬には見えた。

「...お前が立派にデカくなるまで、よろしくな」

 数馬はそう言って赤ん坊を陽子に返す。陽子がそれを受け取ると、助産師が話し始めた。

「写真とか撮っておいた方がいいですよ」

「あ、わかりました」

 助産師からのアドバイスを受けると、数馬は胸ポケットからスマホを取り出す。

「せっかくですからお父さんも映った方がいいですよ、ほら」

 別の助産師がそう言って、数馬に手を差し出す。数馬はその手に自分のスマホを置くと、軽く会釈をしてから陽子と赤ん坊の隣に中腰になった。

「はいチーズ」

 助産師がそう言ってシャッターを切る。平和な一枚が、数馬のスマホに収められた。

「撮れましたよ」

「ありがとうございます」

 数馬はスマホを受け取る。陽子は、赤ん坊を自分のすぐ横に寝かせた。

「それでは、奥さんはしばらく安静にしててくださいね」

「はい」

 助産師はそう言って一度その場を立ち去る。

 家族3人は、穏やかにその場を過ごし始めた。



翌日 夜

 マリは佐ノ介が帰ってくると、食卓を囲む。今日の夕飯は、マリがあり合わせで作った肉野菜炒めだった。

「佐ノくん、陽子のところ、昨日産まれたって」

 マリは笑顔になりながら佐ノ介に話題を切り出す。佐ノ介も笑顔になってその話題に乗っかった。

「あぁ、桜から聞いたよ。いやぁ…無事に産まれたみたいでよかったよ、ほんとに」

 佐ノ介は食事をしながらしみじみと呟く。マリは目の下にわずかに隈ができていた佐ノ介の表情を、じっと見つめていた。

「ねぇ、佐ノくん」

「うん?」

 マリが改めて話を切り出すと、佐ノ介は顔を上げた。

「予定日が近づいたら、入院させてもらえませんか?」

「え?」

 マリの突然の提案に、佐ノ介は驚く。

「どうして急に?」

 佐ノ介が問いかけると、マリは昨日の情景を思い返しながら話し始めた。

「昨日、陽子が産気づいたとき、すごい大騒ぎだったんだよね。桜と玲子がいてくれたからなんとかなったけど、あれ、私と陽子だけだったら、もっと散々なことになっていたかも…」

 マリは真剣な表情で言う。佐ノ介もマリの言葉を真剣に受け止めていた。

「それにさ、佐ノくん。出産予定日と、あなたの試験の日が近いじゃない?もし重なっちゃったら、それはそれで大変だし、そうでなくても、佐ノくんに迷惑かけたくないなって思って…」

 マリの意見を聞き、佐ノ介は黙り込む。

 しばらく俯いた佐ノ介は、顔を上げた。

「…正直、俺としてはそれが気が楽だから、そう言おうかと思ってはいた。でも、あまりにも無責任かと思っちゃって…」

「そんなことないよ、佐ノくん。あなたが私たちのために頑張ってくれてるのはよくわかってる。だから、私は佐ノくんにとってもいい環境を作りたい」

 佐ノ介はマリの思いを受け取ると、顔を上げ、真っ直ぐマリの顔を見た。

「…ありがとう、マリ。今回は、その言葉に甘えさせてもらうよ。金も当然出す。試験も、絶対にうまくやる。だから、マリも上手くやってほしい」

 佐ノ介のまっすぐな瞳を見るとマリは力強く頷く。2人は小さく微笑み合い、改めて食事を続けた。



3週間後 マリの出産予定日まであと1週間

 秋の少し寒い空気の中、佐ノ介は目を覚ます。マリはすでに入院して、家には佐ノ介1人だった。

 枕元に置いた電子時計で、今日の日付と現在時刻を確認した。

(…今日が試験か)

 佐ノ介は改めてそう思うと、時計の隣に置いたマリの写真を眺めたあと、布団から抜け出し、準備を始めた。


 数十分後、背広を着た佐ノ介は、カバンの中にスマホや勉強用の教科書を突っ込み、昔から自分が聞いていた音楽を聴きながら家を出る。

 慣れない服装に佐ノ介は自嘲的に笑いつつ、人混みに加わるようにして駅まで歩き、電車に乗り込む。

 電車の中で、佐ノ介は自分が普段聞くロックから、マリがよく聞いているJPOPに曲を切り替えた。

(マリ…俺…頑張るからな)

 佐ノ介はマリの姿を思い浮かべると、電車の外の景色を眺める。

 電車は止まり、佐ノ介の目の前の扉が開いた。



 同じ頃、マリは病院のベッドで佐ノ介が聞いている曲と同じ曲を聞いていた。

 大きくなった自分の腹を見ながら、穏やかな気持ちで腹を撫でた。

「今、お父さんはあなたのために頑張ってるんだよー…あなたも時期が来たら頑張ろうねー…」

 マリは自分の腹の中にいる赤ん坊に語りかける。


「…っ…!!」


 瞬間、マリの腹に経験したことのない痛みが走る。マリは声も出せずに、枕元のナースコールに手を伸ばした。

(待って…!まだ1週間あるはずなのに…!!)

 マリは自分の子供に尋ねる。当然その答えは返ってこず、すぐに多くの看護師たちがやってきてマリを囲った。

「安藤さん、大丈夫ですか?」

 看護師がマリに尋ねる。マリは苦しみながら声を絞り出した。

「…産まれそうです…!」

 マリの言葉を聞くと、助産師たちはお互いにテキパキとやり取りすると、準備を始めた。

「分娩室まで歩けますか?」

「は、はい…」

 助産師に尋ねられながら、マリはベッドから降りて立たされる。

「ご主人に連絡を…」

「待って!!」

 助産師の言葉に、マリは思わず声を上げる。マリは痛みと苦しみで感情的になってしまったことを少し反省すると、冷静さを作って話し始めた。

「主人は今…一番忙しい時なんです…!今は通話も繋がらないんです…!夕方まで待ってください…!!」

「でも」

「お願いします…!!!」

 マリは助産師に言う。助産師はマリに気圧され、否定することもできず頷き、マリの指示に従った。

「わかりました。とりあえず、分娩室まで行きましょう」

 助産師はそう言ってマリの肩を担ぎ、分娩室まで歩き出す。マリも痛みのあまりうめき声を上げながらも、ゆっくりと歩き始めた。



夕方

 佐ノ介は試験をひと通り終え、疲労しきった体で席を立った。

(よし…終わった…やり切ったぞ…)

 佐ノ介は大きく息を吐く。そのまま誰とも話すことなく試験会場を出ると、カバンからスマホを取り出し電源を入れた。

 電源が入ったスマホには、知らない番号からの不在着信がいくつか入っていた。

(なんだこの番号?)

 佐ノ介は不思議に思いながらその番号に電話を返しつつ、帰路についた。

「もしもし、お電話いただいた安藤ですが…」

「灯島産婦人科病院です、マリさんのご主人ですか」

「はい」

「もうすぐお子さんが産まれそうです」

「えっ!?」

 佐ノ介は突然知らされた事実に思わず声を上げた。同時に、自分でも訳のわからない震えが佐ノ介の全身を襲い始めた。

「ほ、本当ですか?」

「はい、お昼前に産気づいて、今、分娩室に入っています。急いで来てあげてください」

「は、はい!今すぐ!」

 佐ノ介は電話先の助産師に言われるままに走り出す。足が震えながら、佐ノ介は駅へと向かった。

(本当に…産まれるのか….)



数時間後

 すでに日も沈んだ暗闇の中、息も絶え絶えになりながら、佐ノ介はマリが入院している病院の受付に転がり込むようにしてやってきた。

「はぁ、はぁ、すみません!」

 佐ノ介は病院の受付にいた看護師に声をかける。佐ノ介は息も整えないまま受付の女性に話し始めた。

「ここに入院してる安藤マリの夫です、産まれるって聞いて急いで来たんですが!」

 佐ノ介の必死な様子に対し、看護師は平然とした様子で答え始めた。


「安藤さんですね、お子さん、元気に産まれましたよ!」


「え」


 佐ノ介は看護師に言われた事実に、言葉を失う。看護師は構わず佐ノ介を案内し始めた。

「奥様とお子さんのところに、今ご案内しますね」

「よろしくお願いします」

 佐ノ介は気を抜かれたようになりながら看護師に従ってついていった。

(出産…立ち会えなかったか…)

 佐ノ介はどことなく安心したような、しかし寂しいような思いを抱きながら、看護師がマリのいる部屋の扉を開けたのを見ていた。

「マリさん、ご主人ですよ」

 看護師はそう言って佐ノ介を部屋に入れる。佐ノ介は助産師たちに囲まれてベッドに寝ているマリを覗き込むようにしながら様子を見つつマリの方へ歩み寄った。

「マリ…」

 佐ノ介はベッドで横になるマリの隣までやってくる。髪を乱してボロボロになっていたマリだったが、佐ノ介の声を聞くと、抱いていた赤ん坊と一緒に佐ノ介の方に向いた。

「あぁ…佐ノくん…!元気に産まれてきてくれたよ…!」

 マリはそう言って赤ん坊を佐ノ介に手渡す。赤ん坊はマリの腕に抱かれて穏やかに寝息を立てていた。

 佐ノ介は赤ん坊を受け取り、その子を見つめる。

「この子が…俺の…」

 佐ノ介は思わず呟く。未だに自分の腕の中で寝ているこの赤ん坊が、自分の子供であるという実感が湧かなかった。

 すぐに赤ん坊が声をあげて泣き始める。

(生きてる…この子は…生きた人間なんだ…)

 佐ノ介は、当たり前の事実に、ようやく気づいた。

 その瞬間、佐ノ介の目から熱いものが溢れ出していた。

「…ありがとう…俺の子…」

 佐ノ介の涙が、赤ん坊の頬に落ちる。佐ノ介のそんな姿に、マリも思わず涙ぐみ始めた。

 佐ノ介はマリに赤ん坊を手渡す。そうしてマリに対して、佐ノ介は笑いかけた。

「マリ…ありがとう…この子を産んでくれて…」

 佐ノ介に言われると、マリは赤ん坊をあやしながら首を横に振った。

「佐ノくんが私たちのために頑張ってくれたから、この子もそれに応えてくれたの。だから、私1人の成果じゃないよ」

 マリはそう微笑むと、赤ん坊を抱き直しながら佐ノ介に言った。

「でも、『次』は、産まれる時に立ち会ってね」

 マリの言葉の真意に気づくと、佐ノ介はマリに微笑み返した。



3ヶ月後

 数馬、佐ノ介、陽子、マリの4人は、佐ノ介の家で新年会をしていた。

 女性陣はその腕にそれぞれ自分の赤ん坊を抱えており、雑談をしながらも赤ん坊をあやしていた。

「はい、おまちどおさま」

 数馬がそう言うと、キッチンから鍋を持ってくる。野菜が多めの鶏肉の入った鍋だった。

「お、お父さんたちが作ってくれたお鍋だよー?美味しそうだねー?」

 陽子はそう言って赤ん坊に笑いかける。陽子の変顔に、赤ん坊も思わず無邪気に笑い始めた。

 佐ノ介もキッチンから戻ってくると、マリの隣に座って赤ん坊と話し始めた。

「よ、元気に食べてるか?」

 佐ノ介が赤ん坊に笑いかけると、赤ん坊は泣き始めた。

「えぇ…」

「よーしよし、泣かなくていいんだよー。大丈夫だからねー」

 マリは赤ん坊をあやす。佐ノ介は寂しそうな顔をしたが、すぐに数馬が横から茶々を入れた。

「佐ノ、お前がビビってるの、赤ん坊にもバレてるぞ?」

 数馬は陽子の分まで鍋を取り分けつつ、佐ノ介に言う。佐ノ介もマリの分の鍋を取り分けつつ小さく息を吐いた。

「まぁ、うちの子は頭がいいんでな。そりゃわかるよな」

「あれ、今日ってどういう理由で集まったんだっけ?」

 陽子がふとマリに尋ねる。マリは声をひそめて話し始めた。

「あぁ、佐ノくんの昇進試験の結果が、今日発表なの。そろそろ電話が来るはずだよ」

 マリに言われると、陽子も納得する。

 そうしていると、佐ノ介の胸ポケットにしまっていたスマホが振動し始めた。

「来たぞ」

 数馬が言うと、佐ノ介は大きく息を吐き、女性陣は佐ノ介を見た。

「…さて、聞こうか」

 佐ノ介はそう言うと、席から立ち、3人から聞こえない位置まで歩いてスマホを取り出した。

 その場に残った3人と赤ん坊は、不安そうに佐ノ介の背中を見送る。食卓には、佐ノ介が返事をする声だけが聞こえてきた。

「…わかりました、ご連絡ありがとうございました」

 佐ノ介のそんな声が3人に聞こえてくる。すぐに佐ノ介はスマホをしまいながら3人のもとに戻ってきた。


「どうだった」


 数馬は佐ノ介に尋ねる。


 佐ノ介はマリの隣に座り、背筋を正した。



「受かりましたよ」


 佐ノ介がそう言うと、隣にいたマリが赤ん坊を抱きながら、佐ノ介を抱きしめた。

 数馬と陽子も、安堵の表情で拍手を送り、笑っていた。

 佐ノ介は安心し切って、気の抜けたような様子で自分の赤ん坊に笑いかけつつ、話し始めた。

「えー、今度の4月から、幹部候補生、少尉見習いということになります。だから数馬たちとはあまり会わなくなるのかな。でもまぁ、駐屯地は変わらないから、会うことはあると思う。その時はよろしくな」

 佐ノ介は数馬に言う。数馬もそれを聞き、ニッと笑った。

「では少尉殿、私めが乾杯の音頭をとってもよろしいでしょうか?」

 数馬は佐ノ介に尋ねる。佐ノ介は数馬の言葉に、背筋を正し、わざとらしく数馬に命令した。

「では重村訓練生、乾杯の音頭をとりたまえ」

 佐ノ介が言うと、女性陣はニヤニヤと笑ってその様子を見守る。数馬も背筋を正し、グラスを高く掲げた。

「それでは、安藤一士の昇進を祝って、乾杯!」

 数馬が声を張る。それに合わせてその場にいた全員がグラスを掲げ、乾杯、と声を合わせた。

 状況がわからないはずの赤ん坊2人も、無邪気に笑う。それにつられるように、大人たちもみんな笑顔になり、グラスの飲み物を飲み干した。

「本当におめでとう、佐ノ!」

 数馬が言うと、佐ノ介も満足そうに笑った。

「ホントだよー。受かってよかったぜ」

 佐ノ介はそう言うと、赤ん坊の顔を見る。無邪気に笑うその子を見て、佐ノ介は微笑んだ。


「お父ちゃん、これからもお前のために頑張るからな」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今回でThe Magic Order1 は完結です。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


よろしければ高評価や感想などを頂けますと、今後の励みとなりますので、この物語が面白かったよという方は、評価や感想をよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ