63.家族へ
川倉竜雄は、1人花束を持って墓地の階段を登っていた。
彼がいるのは灯島共同霊園と呼ばれる場所であり、ヤタガラスの起こした湘堂市の事件や、船広の起こした朱雀川市の事件、そして暁広の起こした事件などによる犠牲者を弔うために設置された小さな霊園だった。
(今日で…12年か)
竜雄は殺された自分の家族のことを思い返しながら階段を登っていく。彼が目的の階に着くと、既に先客が1人だけおり、小さな墓の前に花束を置き、両手を合わせていた。
竜雄はその先客を知っていた。
(和久か…)
竜雄は和久には声をかけず、自分の家族のもとに行こうとしたが、和久は手を合わせるのをやめ、竜雄の方に振り向いた。
2人とも目が合うと、竜雄は頭を下げた。
「どうも」
「竜雄か。そんなかしこまらなくていい」
竜雄の挨拶に、和久は笑顔を作って言う。和久はそのまま話を続けた。
「そっちも誰かに挨拶に来たのか?」
「はい。母と妹に」
「そうか。良ければ、一緒に挨拶してもいいか?」
「えぇ」
竜雄は和久に言うと、自分の家族のもとに歩く。和久も竜雄の少し後ろからついていった。
少し歩いて竜雄の家族のもとにたどり着くと、竜雄は家族の墓の前に花束を置いた。
「ただいま。今日は友達も一緒だよ」
竜雄はそう声をかけると、両手を合わせ、目を閉じる。和久も同じように両手を合わせた。
しばらくの沈黙の後、竜雄は目を開け、手を離す。和久もそれに合わせて目を開けた。
「お付き合い頂き、ありがとうございます」
竜雄は和久に言う。和久は首を横に振った。
「言っただろ?かしこまらなくていいって。今の俺は政治家じゃない、1人のお前の友達さ」
和久はそう言うと同時に、ふとあることに気づいた。
「思えば、竜雄とじっくり話す機会ってあまりなかったかもな」
和久に言われると、竜雄は過去を思い返す。確かに竜雄にとっても和久と話した記憶はあまりなかった。
「そうですね」
「せっかくここで会ったのも何かの縁だ。よかったら昼飯、付き合ってくれないか?」
和久に提案されると、竜雄は一瞬戸惑う。
「別に、嫌ならいいんだが…」
「…いえ、大丈夫です。ちょうど腹も減ってましたし」
竜雄が答えると、和久も笑顔を見せた。
「それじゃあ、行こう。近所にいい蕎麦屋があるんだ」
和久はそう言うと、歩き始める。竜雄もその和久の後ろについていった。
30分ほど歩くと、2人は「蕎麦処」と書かれた看板が置かれた蕎麦屋にやってきた。
和久が慣れた様子で戸を開き、暖簾をくぐる。竜雄もそのあとに続いて蕎麦屋の中に入った。
「いらっしゃい!」
蕎麦屋のカウンターから、威勢のいい挨拶が聞こえてくる。店に客はおらず、どこでも好きな席に座れそうだった。
「どうも、店長」
「あぁ、和久くん。好きな席にどうぞ」
店長と和久が気軽な雰囲気で話すと、和久は竜雄を奥の2人席に案内する。竜雄は和久に案内されるまま、和久と向かい合うようにして席に着いた。
「店長とは知り合いで?」
「おう。色々あってな」
竜雄の質問に和久が答えていると、店長がお盆に載せた水を持ってきた。
「ご注文があれば、いつでもどうぞ」
店長はそれだけ言うと、穏やかな笑顔で去っていく。和久は近くに置かれた水を、竜雄に手渡した。
「ここの蕎麦は絶品だ。俺の奢りだから好きなだけ食ってくれ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「おう。メニューはそこにあるから」
和久が指を差す。竜雄は割り箸立ての後ろに立てられていたメニューを取って広げた。
「おすすめはきつね蕎麦。油揚げがふっくらしてて美味いんだこれが」
メニューに目を落とす竜雄に、和久が言う。竜雄はそれを聞くと、メニューに載っているきつね蕎麦の画像を見た。
「じゃあ、これで」
「よし、店長!」
和久は竜雄が注文を決めたのを見て、店長を呼ぶ。店長は返事をして2人の席にやってきた。
「はい、なんでしょう」
「きつね蕎麦をふたつ、あと私にいつもの酒を、瓶ごとください」
竜雄は意外そうに和久の注文を聞く。店長は快活に注文を受けると、足早に厨房へと戻っていった。
「まだ昼ですよ?いいんですか?」
竜雄は酒を注文した和久に尋ねる。和久は笑って何度も頷いた。
「あぁ、別に明日は仕事もないし、今日は無礼講だよ、無礼講」
和久はそう言いながら、竜雄が酒を頼んでいないことに気づいた。
「竜雄は酒、飲まないのか?」
「そうですね。控えるようにしています」
「そうか。無理強いはしない、俺は勝手に飲ませてもらうよ」
「どうぞ、お好きなように」
和久の言葉に、竜雄は穏やかに言う。和久はそれを聞くと、肩をすくめて微笑んだ。
しばらくの間沈黙が流れる。客が誰もいないことも相まって、竜雄と和久が話さなければ、店長がそばを茹でる音しか聞こえなかった。
竜雄はそんな沈黙に耐えきれず、口を開いた。
「どうしてあそこにいたんです?」
竜雄に不意に尋ねられると、和久は少し考えてから話し始めた。
「単純に、時間ができたから、だな」
和久はそういうと、竜雄の質問の真意に気づいた。
「…お前と同じように、家族に会いにきた。お前が聞きたかったのは、こっちだな」
「無理をさせましたか」
「いいや全然。単なる事実でしかない」
和久はそう言うと、ぼんやりと上を眺める。竜雄はそんな和久の姿を見て、思い出したことを話した。
「お父上は、あの事件で亡くなっていましたね」
「…あぁ。俺が首相のそばにいる間に、先に行ったあの人は、撃たれて殺された」
「その節は、我々がもう少し早く現着していればと思いました」
「お前たちは悪くないさ。むしろ、俺たちを逃すために大勢の兵士たちが犠牲になったし、お前や数馬たちには俺の父親の仇を討ってもらった。感謝の思いの方が強いさ」
和久はその場にあったおしぼりで手を拭きながら言う。だが、和久の言葉にはまだ何かあるように、竜雄には思われた。
「お待ちどおさま、きつね蕎麦おふたつ、持って参りました」
店長が威勢よくそう言ってきつね蕎麦の載ったお盆を運んでくる。竜雄と和久が机をある程度片付けると、店長はそこにきつね蕎麦を置いた。
「今お酒も持ってきますね」
店長はそう言ってもう一度厨房に戻っていく。
その間に和久と竜雄は、自分の方へとそれぞれの蕎麦を引き寄せた。
竜雄は割り箸を一膳取るが、それと同時に、和久が蕎麦に手をつけようとしないのが目に入った。
「食べないんですか?」
「いや、酒を飲んでからにしようと思って。先に食べててもいいよ」
和久から言われると、竜雄は小さく一礼してから割り箸を割った。
「それじゃ、いただきます」
「おう、どうぞどうぞ」
和久に勧められるままに、竜雄は蕎麦に箸の先を突っ込み、かき混ぜ始める。
十分につゆが蕎麦に絡んだと思うと、竜雄は箸で蕎麦を一束分掴むと、一気にすすりあげた。
「どうだ?」
「…はい、美味いですね」
「そうだろ?」
竜雄の感想に対し、和久も誇らしげに言う。竜雄はそのまま蕎麦をすすった。
そうしていると、店長が日本酒のボトルとグラスを持ってきた。
「はい、いつもの日本酒です」
「ありがとう、店長。ところで、彼も、蕎麦、美味いって」
和久は店長から酒とグラスを受け取ると、そう言って店長に笑いかける。店長はそれに対して嬉しそうに微笑むと、竜雄に頭を下げた。
「ありがとうございます、お客様」
「いえ、こちらこそ。美味しい料理をありがとうございます」
竜雄に改めて言われると、店長は照れ臭そうに頭を下げ、ごゆっくりどうぞ、とだけ言って厨房に戻っていく。
その間に、和久は日本酒を並々とカップに注ぐ。コップの4分の3ほどまで注がれた日本酒が、竜雄の目に映った。
「じゃあ、竜雄」
和久はそう言うと、その日本酒が入ったグラスを竜雄の前に突き出す。
「献杯といかないか」
和久は竜雄に提案する。竜雄はそれを聞くと、一度蕎麦と箸を置き、自分の分の水が入ったグラスを持つと、和久のグラスに自分のグラスを当てた。
「献杯」
「お互いの家族に」
竜雄と和久は静かにそう言うと、グラスに口をつけ、どちらも一息にグラスの中身を飲み干した。
「ふぅーっ、沁みるねぇ」
和久はそう言うと、瓶に入った日本酒を再びグラスに注いでいく。竜雄は思わず和久に尋ねた。
「そんなに飲んで大丈夫なんですか」
「おぅ、俺はデブだからな、胃袋も肝臓も強いんだ」
和久はそう言うと、注いだ酒を再びひと息で飲み干した。
「さぁて、蕎麦の味はどうかな」
和久はグラスを置くと、箸を取り、蕎麦をすすり始める。そのひと口は竜雄の一口よりも大きく見えた。
「んー、美味いなぁ」
和久は軽く感想を言うと、そのまま蕎麦をすすっていく。みるみるうちに、先に食べ始めた竜雄の蕎麦よりも量が減っていった。
「どうした、食わないのか?」
「い、いや、ちょっと驚いていただけです」
和久に笑いかけられると、竜雄は再び黙々と蕎麦をすすり始める。その間に、和久は酒を注ぎ、またひと息で飲み干していた。
「うめぇなぁ、ここの蕎麦は」
和久はそう言いながら、和久のお椀に唯一残っていた厚揚げを口に運ぶ。
口の中で厚揚げの感触を味わうと、和久はお椀の中に入っていたつゆもひと息に飲み干した。
空になったお椀を、和久は机の上に置く。そして、そのお椀を眺めながら、和久は呟いていた。
「…美味すぎるな…」
竜雄は、和久の声から明るさが消えたのがわかった。一度自分の蕎麦から目を離し、和久の方を見上げると、和久はじっと下を向いていた。その姿は、本来感じ得ないほどに小さく見えた。
竜雄は一度蕎麦と箸を置くと、姿勢を正し、和久の方へ向き直った。
和久が誰かとの思い出に浸っているのが竜雄にはわかった。そして、その相手が誰かなのも、竜雄は想像できた。
「高村飛鳥、ですか」
竜雄は小さく言う。和久は驚いたようだったが、顔は上げずに、竜雄が知っていてもおかしくないと理解した。
「中学の時から、2人が一緒にいたのはよく見ていました。そして、彼女があなたのために働いていたことも、数馬や佐ノ介を通して聞いてました」
竜雄の説明を聞きながら、和久は日本酒を再び注ぎ、一気に飲み干す。そして、観念したように話し始めた。
「…あぁ。あいつ、ここの蕎麦屋で働いてたんだ。それで、俺もよくここに来たよ。きつね蕎麦は、あいつの得意料理だった」
和久はそう言うと、上を向いて話し始めた。
「でもさ、あいつ、料理がすっごい下手でさ。毎度毎度とんでもない味付けのきつね蕎麦出してきやがるんだ。全然美味しくないんだよ。でも、嘘でも美味しかったって言ってやると、すごい喜ぶもんだからさ、俺もつい嘘をついちゃってさ」
竜雄は和久の思いを、何も言わずに受け止める。和久はそのまま話を続けた。
「ある時、俺の家まできてきつね蕎麦を作ってくれたことがあってさ。『これからもあんたのために飯を作ってやる』なんて言ってさ。死んだうちのお袋の遺影にも挨拶して、うちの親父も飛鳥のこと、俺の妹か姉かみたいな扱いし始めてさ。変な話、もう家族みたいなもんだったんだよな」
和久はそう言うと、上を向いていた顔を、下に向ける。そこから溢れた涙を、竜雄は見逃さなかった。
「親父が殺された時だってそうだった。あいつだけは俺の隣にいてくれた。またクソまずいきつね蕎麦も作ってくれた…ずっとこの味を食えるって思っていた…!!」
和久の声に、やり場のない怒りと悲しみが混じり始める。竜雄はそんな和久の姿に、どことなく過去の自分の姿を重ねていた。
「もっと…美味いって言ってやればよかった…はっきり言えばよかった…『家族になろう』って…俺は…心のどこかでずっと一緒にいられると思って…全部後回しにしてた…!」
竜雄は、和久の悲しみの深さを理解していた。そして、今、自分と和久が同類であることも、理解した。
「きっと、伝わってたよ」
竜雄は何度も言葉を考えると、ようやく言葉を絞り出す。和久は何か言いたげだったが、その前に竜雄が話し始めた。
「彼女の死を、ここまで悲しむことができる。そんな人間の思いは、きっと伝わってる。戸籍では家族でなかったとしても、俺から見れば、2人はもう、立派な『家族』だよ。きっと、彼女も、和久のことをそう思ってた、って俺は思う」
竜雄はそう言うと、和久の近くにあった日本酒の瓶を持つ。
「そして…家族を失った痛みなら、俺にも想像できる」
竜雄はそう言うと、自分のグラスに、並々と日本酒を注いだ。
「俺は…家族の死を知ったとき、泣くことができなかった。今にして思うと、俺はそのことが悲しい。だから、和久は『家族』のために、思い切り泣いてあげてほしい。これが俺のわがままだよ」
竜雄はそう言うと、自分のグラスを和久の方へと突き出す。
「改めて、和久の『家族』に」
竜雄がそう言うと、和久も涙ぐみながらそのグラスに自分のグラスを突き合わせた。
「…献杯…!」
和久はそう言うと同時に、グラスを持っていない方の手で目元を隠す。そのまま下を向いて、嗚咽を漏らし始めた。
竜雄は店長の方を見る。店長は何も言わずに頷くと、厨房を立ち去り、店の外へと出た。
竜雄はその間に、机に突っ伏して涙を流している和久の背中をさすり、自分も日本酒をひと口飲んだ。
「強い酒だな」
竜雄はグラスを置く。同時に、竜雄はこの強い酒を何度も飲み干した和久の体が不安になってきた。
そのうちに、和久の嗚咽が小さくなってくる。竜雄がもしやと思うと、次の瞬間には和久の嗚咽は寝息に変わっていた。
「あー…」
竜雄が戸惑っていると、店の入り口が開き、店長が戻ってくる。そして店長も和久の状態に気づいた。
「すみません、店長」
竜雄が謝ると、店長は穏やかに微笑みながら首を横に振った。
「大丈夫です、むしろ、和久くんを楽にしてあげてくれて、よかったです」
店長は竜雄に言う。竜雄は何度も頭を下げつつ話し始めた。
「自分達、帰りますね。代金いくらですか?」
「まだ居てくださっても大丈夫なのに」
「いやいや、そうも言えないので。それでいくらです?」
竜雄は改めて店長に尋ねる。店長は少し悩んでから微笑みながら答えた。
「タダ、ですね」
「え?」
「今、うちの店、準備中なので」
店長はそう言うと、ニヤリと口角を上げる。竜雄は店長の心遣いを受け取ると、頷いた。
竜雄は和久の肩を担ぐと、なんとかして立たせる。その間に、店長はその机の上に置いてあった蕎麦などの容器を回収した。
「ありがとう」
店を出ようとする竜雄に、店長が言う。竜雄は店長の言葉を理解できず、振り向いた。
「飛鳥も、和久くんの本音を聞けて、嬉しかったと思いますから」
竜雄は店長に言われ、微笑む。
「また、ここの蕎麦、食べに来ますね」
竜雄はそう言うと、和久を担いでその場を去っていく。店長はその2人の背中を見送った。
「またのお越しを」
外に出た竜雄は周囲を見回す。外はまだ明るく、竜雄と和久は周囲から変な目で見られた。
しかし竜雄は周囲の目を気にすることなく、懐からスマホを取り出し、マップアプリを起動した。
「…ん?」
竜雄が目的地を悩んでいると、和久が目を覚ます。
「…あれ、俺寝落ちしてたか?」
和久は竜雄から離れて尋ねる。竜雄が頷くと、和久は不覚と言わんばかりの表情で頭を抱えた。
「あー…すまん、金とか色々迷惑かけた。申し訳ない」
「いいや?見てみなよ」
竜雄はそう言うと、蕎麦屋の入り口を親指で指差す。和久が見ると、いつの間にか「準備中」と書かれた札がかかっていた。
「え?」
「準備中だから、タダ、だってさ」
竜雄が言うと、和久は目を見開き、そしてすぐに店長の心遣いを察すると、ニヤッと笑った。
「ほんっと…忠さんは…」
和久はそう言うと、改めて竜雄の方に向き直った。
「竜雄もありがとう。世話になった」
和久が言うと、竜雄は笑って答えた。
「気にしなくていい。今日から、俺たちは親友だろ?」
竜雄に言われると、和久は僅かに驚いたが、すぐに笑顔になって答えた。
「あぁ。同類同士、これからも仲良くしてくれ」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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