56.帰るべき場所
5/17 午前8:00 北回道 早袰市
重村数馬は目を覚ますと、見知らぬ天井が目の前に広がっていた。やたらと白色が多く、妙に明るい。
腕や体を動かそうとすると、凄まじい痛みが走る。上体を起こすことすらままならず、数馬はうめき声をあげてそのまま仰向けになった。
「お、お目覚めか?」
数馬の足元から声がする。数馬が包帯まみれの自分の足越しに声のした方を見ると、薄い青色の患者服を身に纏い、同じように包帯まみれになった佐ノ介の姿があった。
「佐ノ…ってことは、ここは病院か」
数馬は納得したように辺りを見回す。佐ノ介、狼介、竜雄、雅紀、雄三、隼人と、仲間たちは全員同じような服装をしてベッドに横になっていた。
「全員無事だったのか。しぶとい奴らだな、全く」
数馬は軽口を叩く。
「それも竜雄の最初の手当が早かったこと、支援で残った吉田の対応が早かったこと、そしてここの医者が能力者だったこと、全部が噛み合ったおかげだろうな」
数馬の軽口に、狼介が淡々と事実を言う。数馬は気になった部分を尋ね返した。
「能力者?」
「そーなんだよぉ」
突如として雅紀が会話に乱入してきた。
「触った人間の怪我は何でも治しちまうすごい女の子でさ、おまけに美人なんだよ」
「へー?そんなのがいたわけ?」
数馬が尋ね返すと、7人が入れられている病室の扉が開く。すると白衣を着た女性が7人の前に現れた。
「おはよう、みなさん」
「おはよう、理沙先生」
白衣の女医、理沙の言葉に、雅紀が調子良く応える。そのまま理沙が部屋の一番奥のベッドで寝ている雅紀の下までいく間、数馬は隣のベッドで横になっている竜雄に話しかけた。
「おい竜雄、あれ、うちのクラスメートだった理沙か?」
「そうだよ。治療に関してすごい能力を持っていたから、飛び級で主任外科医をやらせてもらっているらしい」
「へー、すごいもんだな」
数馬は感心しながら雅紀と理沙の様子を眺める。理沙が雅紀の様子を尋ねると、雅紀は理沙を口説こうとしていた。
「どうですか、調子は」
「あぁ、クラクラしちゃうね」
「病気かしらね、頭の」
「治してくれるかい?」
「無理ですね、外科なんで」
雅紀の口説き文句を、理沙はすんなりとかわし、雅紀の傷の具合を見る。そんな様子を見て雅紀の隣のベッドの雄三は鼻で笑っていた。
「あ、笑っちゃダメよ、赤尾さん。傷の縫合がまだ完璧じゃないの、あなた」
「…どうりで痛いわけだ…」
理沙は雅紀を放置して雄三の方へと歩き、治療を始める。
そんな中で、隼人はふと数馬の方に振り向いた。
「数馬、昨日、お前が魅神を倒した後、和久たちも糸瑞を倒すのに成功したらしい」
「本当か!」
隼人の言葉を聞き、数馬は思わず怪我も忘れて上体を跳ね起こす。しかし、同時に数馬の体に痛みが走り、数馬は悶えつつ再び横になった。
「ちょっとそっち、静かに」
「すいやせん」
理沙の注意を聞き流し、数馬は話の続きを尋ねた。
「それで?」
「あぁ、糸瑞の元部下の人間がテロ計画の音声を記録していたらしく、それを証拠に糸瑞と魅神に国家反逆罪が適用され、波多野さんも無罪放免らしい」
数馬はそれを聞き、静かに頷く。同時に、全てが終わったのだという解放感から、ベッドに大の字になった。
「そうか…ふっ」
数馬はぼんやりと天井を眺める。そんな数馬の視界に、理沙の顔が入ってきた。
「数馬、あなたの番」
「ぜひ頼む。さっさと治したいんだ」
「そうは言っても数日は入院してもらうわよ」
理沙は冷静に言う。数馬はそれを聞き、少し複雑な表情をしながらも大人しく理沙の治療を受け始めた。
同日 午前9:00 灯京都 東区
波多野俊平は、警官たちに見守られながら留置場から出てきた。それを出迎えたのは、和久だった。
「来てくれたのか、和久」
「ええ」
「にしてもマスコミもいないとは、寂しい出所だな」
波多野はそう言うと、胸ポケットからタバコを取り出し、その中から一本取り出すと、一服を始めた。
「そういや飛鳥はどうした」
波多野は何の気無しに和久に尋ねる。和久は一瞬目を伏せると、静かに言葉を返した。
「糸瑞との戦闘で、亡くなりました」
和久の言葉を聞き、波多野はくわえていたタバコを離す。そして携帯灰皿にそれを押し込むと、重い表情で俯いた。
「そうか…」
波多野は言葉に詰まる。暗い空気になったのを察し、和久はすぐに空気を変えた。
「気にしないでください。あいつも、きっと暗い話は嫌いなので」
和久に気遣われているのを察した波多野は少し沈黙すると、改めて和久に伝えた。
「なら、この後の話でもするか。俺はカミさんとデートがしたい。だから今日は休みだ。好きに過ごしてくれ」
「え…?」
波多野がらしくないことを言うので、和久は思わず聞き返す。波多野は小さく微笑むと、低い声で言った。
「命令だ」
和久は波多野の考えを察すると、その想いを汲み取った。
「…わかりました」
和久はそれだけ言うと、波多野から背を向け、自分の家へと歩き出す。波多野は小さく見えないはずの彼の背中が小さくなっていくのを見守っていた。
「ゆっくり親友を見送ってやれ」
波多野は和久に聞こえないように呟く。そして波多野自身も自分の家へと歩き始めた。
同日 午前11:00 金山県 灯島市
マリの家に、玲子、陽子、桜といった女性陣が集まっていた。彼女たち3人はすでに部屋の中央の席に座り、そこにマリが水を注いだグラスを4つ運んできた。
「それじゃあ…佐ノくんたちの任務が終わったことと、飛鳥に」
マリは神妙な面持ちでそう言うと、グラスを掲げる。それに合わせて、他の3人もグラスを掲げた。
その場にいる全員、表情は重かった。
「…どうしたの、今は素直に任務の成功を喜ぼ?」
マリは空気を変えるために軽い雰囲気で言う。しかし、桜は首を横に振った。
「…ごめんね、マリ。気を遣ってもらってるのに…でも、思い出すといろんな後悔が出てきちゃって…」
桜はそう言いながら涙ぐむ。片手で顔を隠す桜の背中を、玲子は優しくさする。
「マリ、洗面所を借りてもいいかしら?」
「いいよ。ごゆっくり」
マリの言葉を聞き、玲子と桜は席を外し、洗面所へと歩いていく。マリと陽子は去っていく2人の背中を見送った。
桜の取り乱した様子を見て、陽子も思わず目を伏せた。
「桜はね、あの路地裏で襲われた時、魅神の能力で心を操られちゃったんだって」
マリは陽子に話し始める。陽子は驚いたようにマリの顔を見上げた。
「そうだったの?」
「うん。自分の意志を捻じ曲げられて、魅神の手先にされて。そのせいで飛鳥を救えなかったって。そのことをすごく後悔してるみたい」
「そんなことが…」
マリから聞かされた事実に、陽子は言葉を失う。陽子はそのままグラスを置き、ため息をついた。
「…私…甘えてたんだな…」
陽子はふと呟く。マリは少し驚いたような表情で陽子を見る。
「どうしたの、急に?」
「…いや…私自身、あの時殺されそうになったけど、飛鳥や、マリ、数馬のおかげで助かったじゃない。私はそのまま怖くて数馬の家にずっと隠れてたけど…みんなは戦った。それはきっと、私みたいな戦えない人間を守るためでしょ?結果として、飛鳥は命を落として…でも私は何もできてない…数馬に助けられた時から、私、結局変われなかったなって…」
「これから変わっていけばいいじゃない」
陽子の言葉に、マリは微笑みながら言う。陽子はマリの言葉に戸惑った。
「でも、私は、みんなみたいには戦えないし…」
「そうだとしても、他にできることはあるでしょ?自分のために命をかけて戦ってくれる、誰かのためにできること」
マリの言葉に、陽子は数馬が任務に出る前夜のことを思い出した。
「『俺に居場所をくれ』…」
マリは陽子が呟いた言葉の全てを察しながら、ニヤリとしつつ尋ねた。
「数馬にそう言われたの?」
「うん…マリ、今やっとわかったかも…私がやるべきこと…」
陽子は前を向き、すぐにマリの顔を見る。マリも穏やかに微笑んでいた。
「何をするの?」
「それは正直まだよくわからないけど…ほら、前、マリが言ってたじゃん、佐ノ介に少しでも気分良く過ごしてもらうために、いろいろ勉強したって。私もそうする」
陽子の言葉にマリも頷く。そのまま陽子は話を続けた。
「私が数馬のために何ができるか、それはまだよくわからないけど、数馬は私を…好きって言ってくれたし…私も彼のそばにいたいから…」
陽子は頬を赤らめながら言う。ふと陽子が改めてマリの顔を見ると、マリは口元をニヤニヤさせながら涙を流していた。
「え?」
「…ぐすっ…飛鳥…聞こえる?めっちゃいいカップルができたよぉ…!」
マリは陽子を気にせず、天を仰ぎながら声を出す。そのままマリは両手で顔を覆って泣き始めた。
「あぁっ、マリ、大丈夫?」
「ゔぇええん!!」
「ダメだこれ」
陽子はマリが泣き止みそうにないことを察すると、その場にあったティッシュを箱ごとマリに手渡す。マリはそれを受け取ると、さらに勢いよく泣き始めた。
そんな陽子とマリのもとに、事情を知らない桜と玲子が戻ってきた。
「マリ?陽子、マリを泣かせたの?」
「いや、違う!」
桜の問いに、陽子は慌てて否定する。同時に、マリの泣き方を見た玲子は微笑みながら陽子と桜に言った。
「あぁ、大丈夫、これ、嬉し泣きだから」
「なんでわかるの?」
「いろいろあってね」
玲子はそう言うと、マリに水を差し出す。そして、マリとわずかに微笑み合ってマリを泣き止ませると、4人はおかしくなって笑い始めた。
同日 13:00 金山県 灯島市 ファミレス
河田泰平は、誰もいないファミレスで宮本竜、吉村正の2人を目の前にして席についていた。
落ち着かない2人の様子を見ながら、泰平は話を切り出した。
「来てくれてありがとう、竜、正。先日の件、話をつけてきた」
「本当に、俺たちに仕事を紹介してくれるのか?」
泰平の言葉に竜が尋ねる。泰平は頷くと、下に置いていたリュックサックからクリアフォルダーを2つ取り出し、机の上に置いた。
「堀口和久経由で、国から正式に発行された書類だ。目を通してくれ」
泰平に言われると、竜と正はそれぞれ自分の分を取ってその書類を読んでいく。
「なになに…『以下に署名するものをJIOのサイバーセキュリティ部門のメンバーとして採用することを許可する』」
「おい、音読するな」
正が音読するのに対し、泰平は軽く注意する。正はそれを聞くと、小さく会釈をして謝った。
「2人がそこにサインしてくれれば、晴れてそこのメンバーの一員だ。本当だったら責任者の人も来る予定なんだが…遅刻しているみたいだ」
「時間にルーズな職場なんだな」
「俺たち向きだ」
泰平の言葉に、竜と正は軽口を叩きながらボールペンを取り出し、署名を始める。
それと同時にファミレスの入り口が開き、泰平たちより少し上の年齢の男が入ってくると、泰平の方へと駆けてきた。
「悪い悪い、遅くなったな、河田くん」
そのまま男は泰平の隣に座る。知らない人間の登場に、正と竜は戸惑った。
「泰平、その人は?」
「あぁ、2人がこれから働く部門の責任者、江上さんだ」
泰平に紹介されると、江上は軽い空気で挨拶を始めた。
「ども。江上です。君たち2人が今度の新入りの?宮本くんと吉村くんか?」
「そうっす」
江上が確認を取ると、竜と正も軽く頷いた。
「おけおけ。うちの職場、緩いから安心して。河田くんから話聞いた限り、2人なら楽勝だと思うから」
江上は半笑いになりながら言う。竜と正は警戒したが、泰平がまんざらでもないような表情で頷いていたのを見て、納得した。
「じゃあ、これで顔合わせはおしまい?」
「いいえ、もう1人いるんです」
江上の問いに、泰平が答える。江上は不思議そうに泰平を見ると、その瞬間ファミレスの入り口が開いた。
入ってきた客は、ゆっくりとした足取りで泰平の方に歩いてくる。竜と正は、その女性の姿を見て目を見開いた。
「え…?」
「『マジかよ』」
そのまま女性は泰平たち4人の座る席の横までやってくる。
「あの、遅くなりましてすみません。道に迷ってしまって…」
女性はそう言って頭を下げる。同時に泰平は席から立つと、彼女の横に立った。
「江上さん、紹介します。彼女は高橋ほのかさんです」
泰平が平然と言うと、竜と正は余計に目を見開く。竜は思わず口を開いた。
「待てよ泰平、そいつはめいじゃ…」
「竜と正は知り合いだったよな。だけど、高橋さんはこの間事故に遭ってしまって、記憶を失ってしまったんです」
竜の言葉が聞こえないように、泰平は声を大きくして江上に話す。江上はへー、と声を上げた。
「どうやら私はIT系のお仕事をしていたみたいなんですけど、事故に遭ってから記憶もなくて。お役に立てるかわからないんですけど、一生懸命勉強しますから、採用していただけませんか?」
ほのかと名乗る女性は、江上の顔を見て丁寧に話す。江上は即座に頷いた。
「うん、いいよ。そっちの2人も知り合いらしいから、やりながら仕事を教えてもらえばいいじゃん。これからよろしく」
「はい、頑張ります!」
ほのかは笑顔で言う。江上もそんな状況に優しく微笑んだ。
泰平は一瞬何か複雑な表情をしたが、すぐに笑顔を作ると、ほのかに対して竜たちに渡したような書類を渡し、江上の隣に座らせた。
「それじゃあこれにサインを」
「はい!何から何まで、ありがとうございます、河田さん!」
ほのかの明るい言葉に、泰平は優しく微笑み返すことしかできなかった。
同日 21:00 北回道 早袰市
病院で寝静まる仲間達を横目に、佐ノ介はスマホを片手にベッドを抜け出す。消灯された病室の中で、佐ノ介は数馬も同じようにベッドを抜け出していることに気がついた。
(やつも夜ふかしか)
佐ノ介はそう思いながら音を立てないように病室の扉を開き、廊下に出る。廊下は白い蛍光灯で照らされており、辺りにはほとんど誰もいなかった。
佐ノ介は仲間達の睡眠を妨げないために、廊下の奥へと歩いていく。
廊下を進み、突き当たりを曲がると、窓の外を眺めている数馬がそこに立っていた。
「おやぁ?」
「ん、佐ノか」
数馬も佐ノ介に気づくと、軽く声をかける。佐ノ介もそのまま流れで話し始めた。
「何してんだ?お前、いつもはこの時間にはオネムだろ」
「まぁな。でも、今日はなんか眠れなくてな」
数馬が言うと、佐ノ介は肩をすくめる。構わず数馬は窓の外の星空を眺めた。
「この星空を見てると、殺された後輩たちを思い出す。みんな個性的で、いいやつだった」
数馬の言葉を、佐ノ介は黙って聞く。そして自分も同じように窓から見える星空を見上げた。
「また魅神みたいなやつが現れれば、また後輩たちのように死ぬやつが出る。願わくば思想を抱くだけにとどめておいてもらいたいもんだな」
「そうか?俺は思想だって勘弁してほしいけど」
数馬の言葉に、佐ノ介は半笑いになりながら言う。数馬もそれに対してニヤリと笑った。
「そこまで行ったら魅神と同類になっちまうからさ。人が何考えてもいいけど、実際に暴れるのはナシ。こんぐらいがちょうどいいって」
「それもそうか」
数馬に言われて佐ノ介は微笑む。数馬もそうだそうだと頷いた。
「それで、佐ノは何しに来たんだ?マリへの電話か?」
「いいや、ちょっと、師団長からお話を預かっててな」
「飯田大佐から?なんかやらかしたのかお前?」
数馬は不安そうな表情で佐ノ介に尋ねる。佐ノ介は首を横に振った。
「いやいや、そうじゃなくてな。この任務請け負うちょっと前にさ、大佐の娘さんの婿探しを頼まれてな?で、流れ流れて今に至ってて、さっきメッセージが来てたんだよ」
「早くしろって?」
「そこまでは言われてない。けど、内心焦ってるのは間違いなさそう」
佐ノ介も数馬もニヤニヤとしながら話を続ける。数馬は佐ノ介に尋ねた。
「で、誰にするんだ?」
「2択だな。狼介か隼人か。お前どっちがいいと思う?」
佐ノ介に尋ね返されると、数馬は低く唸りながら悩み始める。
「狼介…でもなぁ、あいつ嫁さん相手に泣くまで詰めそうだからなぁ…とりあえず、嫁さんはどんな子なの?」
数馬が尋ねると、佐ノ介はスマホで画像を見せる。テニスラケットを持った色白の女性だった。
「え、左のおっさん?」
「バカ、それは大佐だ」
数馬の小ボケを軽くいなすと、佐ノ介は女性について話し始めた。
「咲さんだそうだ。大佐の話では、あまり男と付き合ったこともなくて、おっとりした性格なんだとさ」
「じゃあ隼人じゃねぇか?狼介は自分で女作るだろうし」
「やっぱ?」
「おん」
「じゃそうすっか」
数馬と佐ノ介は軽い空気感でやりとりする。あまりにも軽すぎる空気に、数馬も佐ノ介も思わず笑い出していた。
「ありがとうな、佐ノ」
急に笑いを止めた数馬が、ふと佐ノ介に言う。佐ノ介は脈絡のなさに驚いて聞き返した。
「なんでお前が礼を言うんだよ?」
「お前がこういう風に誰かに女を紹介してるのを見てさ、俺は陽子と話せるようになるまでに、色々世話になったなと思って」
「動いたのは自分自身だろ?礼を言われる筋合いはねぇよ」
佐ノ介は数馬の言葉にニヤリとしながら答える。そのまま佐ノ介は続けた。
「それに、今回だってただお人好しで動いてるんじゃない」
「そうなのか?」
「あぁ、俺は昇進を目指すことに決めたんだ」
佐ノ介の意外な言葉に、数馬はわざとらしく体を反らして驚いてみせる。
「へー、前線が嫌になっちゃった?」
「そうじゃない。ただ、上に立てばもっと国防軍の中でできることも増えると思ってな」
佐ノ介はそう言いながら負傷した自分の体をさする。
「今の国防軍は何か起きてからじゃないと動けない。だけど、実際それじゃ死ななくていいやつまで死ぬことになる。俺はそれを、何かが起こるのを防ぐため、動けるようにしたいんだ」
「…なんか初めて見たな、お前がそういう風に燃えてるの」
佐ノ介の真面目な空気に、耐えきれなくなった数馬が軽い空気で言う。佐ノ介もそれを見て、照れ隠しのように軽く笑った。
「ま、そうだな。ということで、俺には媚を売っとけ?目の前にいるのは未来の大将だぞ、訓練生?」
「へいへい」
「なんだその態度はぁ?」
佐ノ介はわざとらしく高圧的に言う。数馬は似合わない佐ノ介の言動に静かに笑い返した。
翌朝 9:00
主治医である理沙の超能力の甲斐もあり、数馬以外の全員はすでに全快だった。
「数馬、なんか申し訳ないなぁ、俺たちだけ先帰っちゃうって」
患者服から私服に着替えながら、竜雄が言う。数馬は首を横に振った。
「いやいや、おかげで静かに眠れるよ」
数馬の軽口を聞き流しながら、全員着替えを終え、病室を出た。
「しばらくは静養するように、くれぐれも」
廊下に並ぶ男たちに向け、理沙が忠告する。男たちは太い声で返事をすると、雑談を交わしながら空港へと歩き始めた。
「あなたも治すわよ、早いところ」
男たちを見送ると理沙は数馬の方へ歩き、声を張る。数馬もそれに応えた。
「ぜひ頼みますぜ、先生。それと、もうひとつ頼みがあるんだが」
同日 19:00 金山県 灯島市
仕事から数馬の家に戻ってきた陽子は、シャワーで汗を流し、スーツからパジャマに着替えると、仕事のせいで見られていなかったスマホを見た。
「あ…なんか来てる」
陽子はそう思うと、送られてきたメッセージを見る。
数馬からのものだと思うと、陽子は自分の胸が高鳴るのがわかった。
「…」
陽子はそのメッセージを開く。メガネを掛け直し、その文章を読んだ。
「明日退院します」
短く綴られたその文章に、陽子は自分でも頬が熱くなるのがわかった。
「…!!」
陽子はスマホを自分の胸に抱き寄せる。同時に、自分でも気づかないうちに涙が溢れているのがわかった。
「よかった…!本当に無事で…!」
自分でも抑えきれない思いが口からこぼれ、陽子は笑顔になっていた。
同時に、玄関の向こうからもマリと佐ノ介が会話している声が聞こえる。内容は聞こえなかったがマリが佐ノ介に甘えるような、甘い会話に聞こえた。
「…うん!」
陽子は改めて前を向き、スマホで数馬に返事を打つと、机の上に置いていたエプロンを身につけ、料理を始めた。
翌朝 10:30 北回道 早袰市
数馬は患者服を脱ぎ、いつもの紺色の服装に着替えていた。
「ありがとうな、理沙。世話になった」
「もう2度と来ないでね」
理沙はそう言って微笑む。数馬もそれに対して微笑み返すと、荷物をまとめたリュックを背負い、病室を出た。
17:00 金山県 灯島市
いくつもの電車を乗り継いできた数馬は、ようやく見慣れた自分の街にへと帰ってきた。
駅では学生や仕事帰りの社会人たちがせわしなく自分の家を目指して歩き回っている。誰も数馬のことなど、目に入らないような様子だった。
(誰を倒そうと、いつだって派手な歓迎はない)
数馬はそんな世間の人々の生活を横目で見ながら、わずかに微笑みつつ自宅への道を進んでいく。
大通りに出れば、車が行き交い、各家庭の窓からはそれぞれの夕飯の匂いが漂い、遊び疲れた子供たちが数馬の横を通り過ぎていく。
(だからと言って、居場所がないわけじゃない)
数馬は大通りを過ぎると、人のいない通りに出る。夕日と街灯でオレンジに照らされた街並みを眺めつつ、数馬は前へ前へと足をすすめた。
(俺にはもう、帰るべき場所がある)
自分の部屋があるアパートを見上げる。自分の部屋には、すでに明かりが灯っていた。
数馬は、目の前の階段を一歩一歩踏み締める。
その足音を待っている人に向けて。
階段を登り終え、自分の家の扉の前に立ち止まる。
ゆっくりと鍵を開けると、数馬は扉を開く。
「おかえりなさい」
優しい微笑みと声が、数馬を出迎えると、数馬も思わず微笑み返していた。
「ただいま」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
今回が一応最終回となりますが、エピローグも投稿する予定ですので、そちらもお楽しみいただけると幸いです