46.理性と人情
5/16 朝9:00 北回道 早袰市
村芭星は、ベンチに腰掛けると、目の前にそびえ立つ巨大な時計塔を見上げていた。だが、時計塔は工事中で、その周りには足場が設置され、多くの作業員たちが時計塔の修繕などを行っていた。
それを眺めながら、星はスマホを取り出し、暁広へと連絡を始めた。
「暁広か、聞こえるか。どうやら流も光樹も興太もやられたらしい」
星は淡々と事実だけを述べる。通話の向こうの暁広は、グッと息を飲むと、小さな声でひと言、そうか、とだけ答えた。
星は暁広が感情的になっているのを察すると、その淡々とした声のまま続けた。
「暁広、お前は俺たちのリーダーだ。この歪んだ世界を変えられる、希望だ。だからこそ、感情的にはなるな。目的のために、心を鬼にしていてくれ」
スマホからしばらくの間、沈黙が返ってくる。星はそれを聞いて、少しため息を吐いてから声を発した。
「いつか言ったよな。俺は暁広の描く未来が見たいって。暁広、俺たちは道具だと思っていい。お前が未来を描くための道具。それぐらいの覚悟がなきゃ、俺たちは勝てない段階に来たんだ。覚悟を決めてくれ」
「…わかった」
暁広がはっきりとした声で答える。星はそれを聞き、時計塔から目を動かし、こちらへと歩いてくる自分の標的に目をやった。
「出番が来たみたいだ。それじゃあな」
星は暁広にそう言い残すと、通話を切る。スマホを懐へと戻し、ベンチを立つと、何も知らずにこちらへ歩いてくる標的へと歩みを進める。風は、静かに辺りを吹き抜けた。
鈴木狼介は、バスや電車を乗り継いでこの街にやってきた。
彼が目指しているのは次の早袰駅で、今彼の横に見える時計塔を通り過ぎればすぐである。だが、狼介は一度足を止め、修繕作業中のその時計塔を見上げた。
「この時計塔…高校の修学旅行で来て以来だな。修繕作業中だったか」
穏やかに吹く風に、狼介の男にしては長い髪が揺れていた。
そんな狼介の髪が、ピタリと揺れるのを止める。
不意に収まった風と同時に、狼介は背後から強烈な気配を感じ取った。
「旧早袰大学時計塔」
狼介が振り向いた数m先に、同じように時計塔を見上げる男が1人。狼介はその男の横顔に見覚えがあった。
「村芭星…!」
狼介の言葉を気にせず、星は時計塔を見上げながら言葉を繋いだ。
「この街を代表する観光名所で、日本最古の時計塔…だが実際には観光客を呼び込むために、ただの時計塔を歴史的に重要だと言って箔をつけ、後付けで街のシンボルにしたという話もある」
「詳しいな、歴史の教師にでもなったのか」
星の言葉に対し、狼介は警戒心を露わにしながら冗談めかして尋ねる。星は首を横に振ると、初めて狼介の方を向いた。
「悲しいとは思わないか。生きるために何かを偽るなんて」
星は狼介の目を見据えながら呟く。
「人間は誰だって多少は取り繕うだろう。服を着ないで街を歩くバカはいない」
「そうだな。人間は弱い。弱いから強さを求め、弱い自分を取り繕う。ありのままの弱い自分で生きようとすれば、社会から排除される。そんな世界では、誰だって本当の意味で自由には生きられない」
星は目を伏せて悲しそうに言葉を並べる。そしてもう一度狼介の方を改めて見て声を発した。
「お前たち軍人は、その最たる例じゃないか。人間、誰だって命をかけて戦いたくはない。なのに軍人という生き物は、社会から人殺しと呼ばれながら、自分たちを罵る社会を守るために戦っている。そこに何一つとして自由も、得もない。悲しすぎるとは思わないか」
狼介は何も言わない。星はそれを見ると、再び時計塔とその修繕をおこなう作業員を見上げて言葉を繋いだ。
「暁広は、それを変えてくれると言ったんだ。この世界中の全員が平等に力を持ち、不老不死になることで、自分を偽る必要がなくなるんだ。自由に生きられるんだよ。暁広と龍人の力があれば、それも夢じゃないんだ」
星は体ごと狼介の方に向き直ると、右手を差し伸べた。
「鈴木狼介、お前ほど賢い人間ならわかるだろう。どっちに付くのが利のある行為なのか。お前だって好きで戦っているわけはない。無理にここで俺と戦うより、俺たちと共に戦う方が賢明だ。さぁ、龍人の世界を作ろうじゃないか」
狼介は星の顔を見る。少しも笑っておらず、狼介に対する警戒を一切緩めていないように見えた。
一方の星も、自分の表情を見る狼介を見て、狼介が星を少しも信じていないことを察した。
「村芭、悪いが、俺は望んでここにいる」
狼介は低い声でそう言う。星は眉をひそめた。
「違うな。そう思っているだけだ。お前が実際に望んでいるのは、この任務に対する見返りだろう。言え、この任務を終えた暁に、何が手に入る」
「名誉だ」
狼介が短く答える。想定外の返答が返ってきた星は、徐々に理解が追いついてきた。
「名誉…ふふふ…ははは…!これはいい…!面白い冗談だ」
星は顔を上げ、大口を開けて笑う。星なりの余裕のように狼介には感じられた。
「名誉、か。笑わせてくれるな、鈴木狼介。お前ほど賢い人間が、その程度のものに命をかけるとは。人間は皆打算だけで生きているというのに」
「お前ほど賢い人間が、その程度の認識しかできないなんてな。人間は打算だけじゃ生きられないし、動かない」
狼介はそう言い切る。星が黙り込んだのを見て、狼介はそのまま続けた。
「お前、『神在月シリーズ』読んだことあるか」
「いや知らんが」
「俺のバイブルなんだよ。出来の悪いボンクラ探偵を描いたライトノベルさ」
「道理で知らないわけだ。そんなものは読まない」
「まぁ聞けよ。その探偵、自分を殺しに来るってわかってても、子供だからって理由だけで敵を逃したことがあるんだ」
「それがお前の主張の根拠か。打算で動くなら子供だろうと殺しているだろうと。しかしフィクションならいくらでも描けるだろう」
「俺も初めはそう思っていたけどな、現実に俺の周りにいたんだ。倫理だけで敵を助ける脳筋野郎、振り向かない女のために命懸けで戦う馬鹿野郎、自分の美学を信じて不利なギャンブルしまくるペテン師…気づいたら俺もそうありたいって思うようになってたのさ」
狼介は仲間たちの顔を思い浮かべながら呟くと、眼鏡を片手で掛け直す。狼介の言葉に、星は深くため息を吐いた。
「…わかりあえないようだな、村芭」
「あぁそうだな。残念だよ、鈴木狼介。お前はもっと広い視野で世界を見ることができる人間と思っていたんだが…お前は愚かだ。お前のような人間はこの世界に不要。不要な人間は、いつも通り排除するだけだ」
星の目が鋭くなる。
一瞬僅かに星の髪と瞳が青白くなったのを気取ると、狼介は後ろに宙返りする。寸前まで狼介のいたところに、星がいつの間にか握りしめていたアイテムの双剣の刃が奔っていた。
「龍人の唯一の弱点はこれだな…」
星はそう毒づきながら右手の剣を握り直す。距離を離した狼介は懐から拳銃(ワルサーP99)を抜き、星に向けた。
「本性を現したな、村芭」
「あぁ。貴様に説得は無駄。ならば殺した方が早い」
星が冷徹にそう言い切ると、狼介は星の眉間へ銃弾を放つ。
星は銃弾が直撃しているにも関わらず、一切怯まなかった。
「やめておけ。銃弾の無駄だ」
銃撃を浴びせてきた狼介に、星は言葉を返しつつ、双剣を構える。狼介が星の次の行動に注目した瞬間、星が双剣を左右順番に振り上げると、薄緑色の衝撃波がふたつ、狼介に向かって飛んできた。
狼介はすぐさま横へ移動して先にやってきた衝撃波のひとつを避ける。しかし、狼介の真横から強い風が吹きつけ、狼介は姿勢を崩した。
そんな狼介の下へ、直進していたはずのもうひとつの衝撃波が迫る。避ける猶予もないと察した狼介は、その場に銃を置きながら、先ほどの銃撃で辺りに散らばっていた空薬莢を拾い上げ、そこから電撃を放つ。
電撃と衝撃波は打ち消し合い、辺りに砂煙が舞った。
(急に吹いた風…これがこいつの能力なのか…?)
狼介はそう推察すると、銃を拾いつつ星に向けて電撃を放つ。星は双剣のひとつを地面に突き立てた。
その剣から人の身長程度の風の渦が発生すると、砂煙が巻き上がり、砂煙は狼介の飛ばした電撃を打ち消した。
(そうらしい、奴の能力は『風』だ)
狼介がそんな推理を巡らせていると、星は突き立てた剣を狼介に向けて蹴り飛ばす。
狼介もそれに気づいて電撃で剣を撃ち落とすが、その剣の裏に星が放った風の刃があることに、電撃を放ち終えてから気づいた。
(これほどの高電圧、高速連射は利かないだろう)
星の予想は当たっていた。実際、電撃で剣を撃ち落とした狼介の目の前には、回避しきれない距離まで風の刃が迫っていた。
「くっ…!」
狼介は精一杯に身を逸らす。
しかし、風の刃を完全にかわすことはできず、狼介の右の二の腕と右の脇腹は風の刃で切り裂かれた。
痛みに声もあげることもできず、狼介は負傷した部分を抑えつつ星と距離を取る。
(大丈夫、致命傷じゃないなら全部かすり傷だ…)
「だからやめておけと言ったんだ、鈴木狼介」
距離を離そうと後ろに歩く狼介に対し、星は余裕の表情で近づいていく。
「俺に人をいたぶる趣味はない。手早く片付けよう」
星は内心勝利を確信して狼介に撃ち落とされた双剣の片方を拾い上げる。
両方の双剣を力強く握りしめ、交差するように下から双剣を振り上げる。薄緑色の風の刃は目の前の狼介を目掛けて進み始めた。
狼介はそれを見ると、自分から見て横へと走り出す。
「逃がさん!」
星も狼介の後を追うようにして走り出すと、自分の背中を押すように風を強める。狼介の背後には、風に押されて加速した星と、風の刃が迫って来ていた。
構わず狼介は正面にある工事用の足場に向けて走る。
(あの足場は金属製。俺の能力を使えば安全な場所を確保できる!)
「させんぞ」
狼介のすぐ背後から、冷たい殺意が当てられる。
狼介は全力で動かしていた脚を急に止め、頭を下げる。狼介の頭上を星の双剣が通り過ぎた。
しかし星もすぐに脚を止めると、左の剣を狼介の首に目掛けて振るう。狼介はバックステップでその攻撃をかわしたが、狼介の真横から風の刃が迫っていた。
狼介は横目で風の刃が迫って来ていることを確認し、同時に星も次の攻撃を用意していることも確認した。
(もう一度下がってもいいが、ここは攻める)
狼介はそう決めると、星の右手の剣が自分に迫っているのを注視する。
一方の星も、動かない狼介の様子を見て、不審さを感じていた。
(妙だ、なぜ動かない?)
彼が疑問に思った時には遅かった。
星の剣が狼介の頸動脈に当たろうというその瞬間、狼介は一気に星の懐に入り込む。一瞬のことに身動きが取れない星の脇の下をくぐり抜けて星の背後に回り込むと、狼介は軽く星の背中を押した。
「!」
星が押され、一歩前に出る。
そんな星のすぐ真横にあったのは、星自身が作り出した風の刃だった。
「ぐっ…!」
星の体に、風の刃が直撃する。
一見して星の体にはダメージは無かったが、確かに星は脚を止め、服は右腕の袖がちょうど半分切り飛ばされていた。
「姑息な…!」
星は振り向きながら双剣を振るう。狼介はそれをバック宙で回避すると、工事現場の足場まで辿り着く。
右手に隠し持っていた空薬莢と、金属製の足場の支柱に電流を流して磁力を確保すると、垂直に真上に伸びる支柱を駆け上がり始めた。
星はすぐさま双剣を握り直し、狼介の位置を確認すると、片方の剣を振るって風の刃を飛ばそうとする。
しかし、狼介もすぐに脚を止めると、懐にしまっていた拳銃を抜いて星に銃撃を浴びせる。3発の銃弾は、星の動きを止めた。
銃撃によって一瞬生じたその隙に、狼介はそのまま拳銃の銃口に青白い電撃を集めた。
「終わりだ」
狼介は星に向けて引き金を引く。銃弾と共に、青白い電撃が星に向けて放たれた。
身動きの取れない星は、それを真正面から受け入れた。
電流が星の体を走り、狼介の目には星が大きく震え、膝を突いたように見えた。
(よし)
狼介がそう思って自分の命綱である支柱と空薬莢に流していた電流を止めようとした瞬間だった。
星の手が僅かに動いたのが、狼介の目に映った。
(まさか…)
「なるほど、確かに高電圧だな。だが、龍人には効かない」
星はそう言って顔を上げ、狼介の方を見る。狼介は怯まず、もう一度銃を構えたが、星は構わずに握っていた双剣を、両方地面に突き立てた。
「やめておけばよかったのにな」
星は狼介を哀れむように呟く。狼介は気にせず拳銃の引き金を引いた。
その銃弾が星に着弾しようかというその瞬間、星の足下の双剣から風の渦が発生する。銃弾は跳ね返り、狼介の方に向かってくるが、狼介は上へと駆け上がり、それを回避した。
(ここは地上から5メートル、ここまで来れば、風の刃は届かず、銃撃で一方的に攻撃できるはずだ。となればあいつは真下に潜ってくるはず)
狼介は駆け上がりながら分析し、星がいるはずの位置に銃を向けるが、実際の星は先ほどの位置から動かず、狼介をじっと見ていた。
(なんだ?なぜ動かない?)
「高所の確保は戦術の基本…だが、それは人間同士の話だ」
星は狼介を見上げながら静かに呟き、微笑む。
「この戦いの風向きを変えるとしよう」
星がそう言ったかと思うと、地面に突き立てた双剣の周りにできていた風の渦が、どんどんと大きくなり、高くなる。
「人間は弱い。全てを吹き飛ばす竜巻の前には、人間の営みなど塵芥に過ぎん!」
星が高らかに言うのを気にせず、狼介は支柱を駆け上がる。しかし、徐々に大きくなっていく竜巻は、狼介が走る支柱の足下を巻き込み、足場全体を巻き込み、最後には時計塔の周り全体を巻き込むほどになっていた。
狼介も例外でなく、竜巻の中に巻き込まれ、渦を巻く風のなかに取り込まれ、不安定な体勢で空を舞っていた。
「これが村芭の切り札か…!」
地面の砂も巻き上げられ、辺りの景色が茶色くなる。数メートル先しか見えない状況の中、狼介の耳に辺りから先ほどまで時計塔の修繕を行っていた作業員たちの声が聞こえてくる。
「親方ぁ!なんすかこれぇ!」
「知るか馬鹿野郎!狼狽えるんじゃねぇ!」
狼介がその声の方を見ると、作業員が2人ほど、狼介と同じくバランスをとるのに四苦八苦しながらもがいていた。
同時に、狼介は、その2人の背後に何やら黒い影があることにも気づいた。
「おい!後ろ!」
狼介は作業員2人に叫ぶ。作業員たちもその言葉で後ろを向く。
見ると、ハングライダーのようなものを片手に握り締めてこの竜巻の中を自由に動く星が、もう片方の手で双剣を握りしめて作業員に迫って来ていた。
「ひぇえ親方ぁああ!もうダメだぁ!」
「ノブオ!!」
作業員たちの危機を察した狼介は、今にも作業員に襲い掛かろうとする星へ、支柱を蹴り飛ばして攻撃する。
星は自分の顔面に飛んできた鉄製の棒を剣で弾き飛ばす。同時に、襲撃するはずだった作業員の横を通り過ぎた。
その間に、狼介はその場にあった足場を蹴って作業員2人の下へやって来た。
「無事か!」
「おぉ、助かりましたぜ旦那!ねぇ親方!」
「馬鹿野郎!油断すんじゃねぇ!」
そんなやりとりをする作業員2人を脇に抱えながら、狼介は竜巻の淵を目指して、横から流れてくる足場を利用して前に進み、下へ降りていく。
「若いの、ウチのが世話かけた。ありがとうよ」
「気にするな」
「何が起きてるんすか、旦那?」
「ちょっと面倒ごとでね」
作業員2人と会話していると、竜巻の淵近くまでやってくる。同時に、狼介は背後の上方向から強い殺気を感じ取った。
「逃げろ!」
狼介は作業員2人を放り投げ、竜巻の外へ逃す。
同時に、すぐさま上から降って来る星の気配を察知すると、その場にあった足場を蹴ってその場を離脱し、星の攻撃を回避した。
「ふん、よく避けたな」
星は狼介の目の前でハングライダーを操作して静止すると、狼介と向き合う。
「こんな不慣れな空中で、無関係の人間を助けたものだ。なぜだ?」
「さぁな」
狼介は星の言葉を流すと、空薬莢から電撃を飛ばす。しかし、星はそれを見るなりハングライダーを傾けて真上に飛んでいく。
(あのハングライダーもあいつのアイテムか…)
狼介はそう思って星を追って電撃を放つが、星は悠々と風に乗り、電撃を回避して狼介から数メートル上に陣取り、双剣の片方を形作った。
「これはどうかな」
星はそう呟きながら、狼介に向けて剣を振るう。無数の薄緑色の風の刃が発生すると、そのひとつひとつが狼介に向かってさまざまな軌道を描いて飛んでくる。
狼介は腰ポケットにしまっていた銃のマガジンを取り出し、空中に浮かせて電流を流す。マガジンに入っていた銃弾の火薬が爆発し、銃弾がさまざまな方向に飛び散っていくと、風の刃のほとんどはそれによって打ち消されたよ
唯一正面から巨大な風の刃が迫ってくるが、狼介は慌てず、空薬莢から電撃を放ってそれを打ち消した。
そうして黒い煙が吹き抜けたすぐ先にいたのは、星だった。
「ふふ、空中戦で俺に勝てると思ったか」
星は風に乗って狼介に急接近すると、狼介の首を目掛けて剣を振るう。足場がなかった狼介は、星のその攻撃を間一髪寸前で受け止めるが、勢いのついている星の方が優勢だった。
「くっ…」
「純粋な力比べだ。地に足のついていない人間が、龍人に勝てるはずもない!」
星はそう言いながら、突如狼介にかけていた力を緩めると、宙返りして右のカカトを狼介の脳天に振り下ろした。
完全に不意を突かれた狼介は、辛うじてカカトの頭への直撃を避けたが、左の鎖骨に直撃をもらう。そのまま狼介は勢いよく真下へと落ちていく。
(ここの高さは3メートル。死なずとも重傷だ)
星はそう思いながら落ちていく狼介を見る。
一方の狼介も、左の鎖骨を抑えながら落下を防ぐために周囲を見渡す。
地面が迫り、景色が流れていく中に、金属製の足場をひとつ見つけ出した。
(間に合え…!)
狼介は空薬莢から足場に電流を流し、磁力で引き寄せる。
自分の足下に足場が来たのを一瞬で確認し、狼介は背後に大きく広がる地面を見ながら足場を蹴る。
狼介はその勢いで横に思い切り飛び、さらに地面からも遠ざかり、竜巻の中で風圧によって宙に浮いていた。
「危なかった…」
その勢いのまま、狼介は一度星から離れる。竜巻の中に巻き込まれていた時計塔の裏に回り込み、時計塔の壁に張り付いて様子を窺った。
(あいつの空中機動は、ハングライダーに依存しているはず。だったらハングライダーをぶっ壊せば条件は同じ。そのあとは高所から電流を流しつつ叩き落として殺す。これでいけるはずだ)
「どこに隠れた!鈴木狼介!」
狼介が考えを巡らせる間、狼介を探す星は声を張り上げる。
(…むしろこっちに来させるか)
そう考えた狼介はそれに答えるように声を張った。
「こっちだ!村芭!」
時計塔の裏から、ハングライダーが風を切る音がする。それを聞きながら、狼介はいつでも上に行けるように時計塔の壁に足の裏をつけた。
「村芭、お前はどうして魅神につく。魅神について、お前にどんな得があるんだ」
「世界を変えられる。全員が望む世界に。あいつと龍人の力があれば、真に自由で平等な世界を作れるんだよ」
狼介の言葉に対して星は答える。星の声は近づいてきているのが、狼介にもわかった。
(敵の位置はわかった。あとはやるだけだ)
狼介は時計塔の壁を蹴り、あたりを漂う足場へと動き始めた。
同じ頃、星はハングライダーで静止しながらあたりを見回していた。
(声がしたのはこの辺り…やつは俺を殺しに動くはずだ…)
星は狼介の動きを読んでいた。しかし砂も巻き上げて視界の悪いこの状況、星は音を頼りに狼介の動きを警戒していた。
そんな中、星の背後から金属音が聞こえた。
「そこだ!」
星は音のした方向に振り向きながら双剣を振り上げ、風の刃を飛ばす。
風の刃は星の目論んだ通りに飛び、着弾音が響く。だが、人間の悲鳴は聞こえてこず、風で流れてきたのは刃で真っ二つになった足場だけだった。
(裏をかかれたか…!)
星は再び背後を見る。青白い光が輝き、星のすぐ背後まで迫っていた。
「もらった!」
狼介の声が響く。狼介の拳は星の顔を捉えていた。
(これをかわせば反撃できる…!)
星は必死で顔を逸らしてそれを回避する。同時に、右手に握っていた剣を握り直した。
(よし、反撃を…!)
星がそう考えた瞬間、星の体が大きく傾く。星は狼介が本当に狙っていた場所に気がついた。
(まさか…!)
「ハングライダーだ!」
狼介は強引にハングライダーの翼を拳で貫き、そこから電流を流す。
(俺の電気は、金属も、超能力で作ったアイテムも流れるんだよ)
狼介の右手から迸る電流は、星にすらも通電し、星は声も上げられないままその電流を受け止めた。
「貴様…!」
星は電撃の痛みを耐えながら、右手に握った剣を狼介に向けようとする。
「落ちろ!」
だが、それを見た狼介はカカト落としで星を地面へと叩き落とした。
ハングライダーは星の手から離れ、星は回転しながら地面へと落ちていった。
(ハングライダーを失った以上、もうバランスは取れないはず)
狼介はそう思いながら改めて拳銃を星に向ける。
一方の星は地面に落ちながら両手の双剣を振り回し、風の刃を四方八方に放つ。
(何を考えている?)
狼介は不審に思いながら自分に飛んでくる銃撃で打ち消し、星自身にも銃撃を浴びせる。
数発銃撃が直撃すると、星は回転をやめ、その場に静止して狼介を見据えた。
「ハングライダーを壊せば俺と対等に戦えると思ったか?甘い。風は、俺の味方だ」
星はそう言い切ると、狼介に向けて双剣を何度も振るい、無数の風の刃を放つ。
一方の狼介もその風の刃に対抗するために、その刃のひとつひとつを銃撃で打ち消す。
「この状況、追い詰められたのはお前の方だ、鈴木狼介。銃弾が尽きた時がお前の最後だ!」
星はそう言いながらさらに風の刃を放つ。
狼介もそれに対応するように拳銃を連射する。だが、拳銃の弾は有限で、あっという間に狼介の拳銃の弾は尽きた。
正面から迫る風の刃の群れを見て、狼介はそれを回避しようと足場を探す。しかし、足場はひとつもなく、逃げようにも逃げられそうになかった。
(足場がない...まさか、あの無茶苦茶な風の刃の乱射は足場を狙って破壊していたのか…!)
狼介はこの瞬間、星の本当の狙いに気づいた。同時に、目の前に迫る風の刃に対抗するため、空薬莢をひとつずつ両手に持ち、その間に電流を流し、飛んでくる風の刃を受け止める。
「耐えてみろ」
星はそういうと、双剣を振り抜く。今まで飛んできていた風の刃よりもひと回り大きな風の刃が狼介へ飛んでいく。
狼介はそれもどうにか受け止めるが、強烈な一撃に、思わず電流ごと狼介の体も弾き飛ばされた。
「とどめだ」
星は双剣の持ち手同士をつけ、狼介に向けて回し始める。
その回転は周囲の空気を巻き上げ、強烈な竜巻を発生させる。回避する手段を失った狼介は、その竜巻の直撃を受け止めるしか無かった。
「くっ…!」
竜巻は狼介の体を切り付けながら上へ上へと持ち上げていく。
「死ね!」
星のひと声で竜巻の勢いがさらに増す。
ついに狼介は、辺り一帯を包んでいた巨大な竜巻からも吹き飛ばされ、高度20メートルの高さから自由落下し始めた。
「優しさとは、他者のために行動すること。どんなに世界を救うだなんだ言っても、実行しない人間は所詮偽善者に過ぎない。偽善者だらけのこの世界で真に優しい人間は暁広だけだ。その暁広の作る世界こそ、真に優しい世界なんだよ」
真っ逆さまに地面に落ちていく狼介の耳に、星の言葉が聞こえてくる。しかし、狼介の体は傷だらけで、対抗する手段も、狼介の目には映っていなかった。
(ここまでか…)
そんな狼介の姿を見ていたのは、先ほど狼介に救われた2人の作業員だった。
「親方!あれ、さっきの旦那じゃないすか!?」
「なにぃ?」
2人は竜巻から少し離れたところから地面に落ちていく狼介を見る。
「ノブオ、足場よこせ、早く!」
「親方!?」
「急げ!」
親方に叱責され、ノブオは組み立てていない足場を親方に手渡す。親方はそれを受け取ると、狼介の方へと走り出した。
「おい!若いの!」
諦めかけていた狼介は、親方の声にそちらを見る。
「こいつを使え!!」
親方はそう叫びながら、遠心力を使って足場を投げつける。
狼介の目に、生気が戻った。
「旦那!こいつも!」
ノブオも親方につられて、狼介に足場の支柱を投げつける。
狼介は、空薬莢に電気を纏わせ、磁力で足場と支柱を引き寄せた。
「ありがとう!」
狼介は名も知らない2人の人間の勇気を噛み締めると、足場を蹴って巨大竜巻の上を目指してジャンプし、支柱の先端を電流で切断し、鋭くする。
(これが最後のチャンスだ…!)
一方の星は、竜巻の中で耳を澄まし、狼介の悲鳴を待っていた。
(妙だな…敵の悲鳴も落下音も聞こえない…)
そんな中、星は上方向の風向きが変わったのを察知した。
星は顔を上げる。
鬼気迫る表情の狼介が、片手に鋭い槍のようなものを持って上から降って来た。
「生きていたか…!」
「あぁ、他人に救われたよ!」
星の言葉に、狼介は短く答える。
星は再び双剣を振るって風の刃を乱射する。
しかし、狼介はそれを電撃を纏った槍で打ち消し、星に迫っていく。
星はそれをかわそうと横に逃げようとする。
「逃さん!」
狼介は、槍から電流を放つ。数分前の銃撃によって星の体内にあった銃弾が磁石のようになり、星の体は槍に引かれるようにして身動きが取れなくなっていた。
「なんだと…!」
星の動きが止まったその一瞬に、狼介は重力によって加速した、槍による一撃で星の体を貫き、地面へと真っ直ぐに進み始めた。
「くそっ…!誰が貴様なんかに…!」
星は恨み節を吐きながら狼介の首をめがけて剣を振るおうとする。だが、その瞬間、狼介は槍を伝って星の体内に電流を流した。
「ぐわぁああああ!!!!」
龍人といえど、体内に直接電流を流されるのは小さくないダメージであり、星が剣を振るう腕を止めるほどだった。
「まだだ…俺は…!」
星が言葉を発しようとしたその瞬間には、星は地面に倒れ、狼介の槍が心臓に突き立てられていた。
「馬鹿な…俺が…」
星は思わず言葉を漏らす。徐々に力を失っていき、竜巻が消え去る。
狼介はそれでも槍を抜かずトドメに電流を流す。
「…俺が負けるはずは無かった…お前たちの方が弱いというのに…」
「だから勝てたんだよ」
星の負け惜しみに、狼介は短く答える。狼介の背後から、作業員2人が姿を現した。
「人間は弱さを自覚している。だから助け合える。だから優しくできる。弱さを失った龍人が、本当の意味での優しさなんて持ちえない」
「…見解の相違だな」
「そうだな」
狼介の言葉に、未だに星は納得していない様子だった。しかし、星は抵抗を諦めると、目を閉じる。
狼介も、星が諦めたことを察すると、槍に全力で電流を流す。数秒間高電圧の電流が星の体を駆け巡り、星の体は黒焦げになっていた。
激闘を終えた狼介に、作業員2人が歩み寄る。狼介は眼鏡を掛け直しながら2人の方へ振り向いた。
「ありがとう、2人とも。2人のおかげでなんとかなった」
「おう、救われた礼よ」
「旦那、怪我してるけど、手当てしていくかい?」
狼介に対し、作業員2人は声をかける。しかし狼介は首を横に振った。
「まだ任務があるんで」
「でも」
「ノブオ、やめろ。俺たちも、もう一度ここを直さなきゃならねぇ」
狼介を引き止めようとするノブオに対し、親方がそれを止める。そして、親方は狼介の前に立つと、優しく微笑んだ。
「頑張れよ」
「…おう」
親方の言葉を受け止めると、狼介は2人に背を向けて歩き出した。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
次回もお楽しみいただけると幸いです
今後もこのシリーズをよろしくお願いします